事件ファイル001:原因不明
小さいころなら、誰でも憧れの仕事があったはずだ。
毎年ネットで『小学生の将来の夢ランキング』なるものが希望に満ち溢れた言葉で無邪気に夢を語っている。
そういえば、俺も作文を書かされたなぁ、と徹夜続きのぼやけた脳で思い出した。なんて書いたんだっけ…あぁ、思い出した。
『みんなをまもる、かっこいいけいさつかんになりたいです』
おーい、過去の純粋な俺。世の中の仕事にかっこいいなんてもの求めちゃいけないぞ。下っ端は事件の書類管理しかしないからな。
唐突に窓の外で爆発音が響いた。
それを聞きながら作業用のファイルを開く。顔を上げると、デスクの上で今週分の書類が我が物顔でエベレストを形成しているのが見えた。
この事件まみれの世界では、一日のうちに何も起こらない方が恐怖感を抱いてしまう。
他の国はここまで高頻度で事件が発生しないらしいが、せいぜい書類数枚分の差だろう、と同僚が言っていた。
「シズくーん、あたしこっちの書類終わったから手伝うよー。三束くらい貸して。」
「え、そんな、ミハルさん今日予定あるってさっき…」
「いーの!後輩なんだから、甘えちゃいなさい。二人でやればこんなのちょちょいのちょい!だからね。」
あぁ、また手伝わせてしまった。どうして自分はこの仕事を選んでしまったのだろうか。
国家警察所属一般警察官。それが哀れな凡人である本山イシズに与えられた肩書である。
あだ名はシズ。身長は163cmの体重65kg。黒目黒髪で特別変わった点のない社会から見てミジンコのように小さき存在の21歳。男性。去年会社の歯車になったばかりの新人枠。そしていまだに本格的に事件解決に当たったことは一度もない。
「あ、ありがとうございます。」
「さっさと終わらせて、今日こそベッドで寝てやるのよ!はぁぁ、今日だけでこの区域の事件が60件を超えるなんて…しかもそのうち5割が原因不明なんでしょう?まったく、表の人たちは何をしているのかしら。」
この国、というか世界中で起こっている事件の半分ほどが"原因不明"であることは俺たちのような警察官etc...だけが知っている事実。
基本的に一般人には何らかのそれっぽい原因を公開することになっている。なんせどれだけ調査したところで、不明なものは不明なのだ。それならその分の人員を別の事件に割いたほうがいいというのは当然の考え方だろう。俺だって最初は抵抗を感じた。だが、原因不明といわれるより、予想される具体的な事件を提示した方が安心感がうまれるのもまた事実。目の前のエベレストの半分ほどは"原因不明"と書かれていることだろう。
外で再び大きな音が鳴った。何か新しい道具でも使ったのだろうか。発泡スチロールを引っ搔いたような音が何重にも重なって伝わってくる。居心地が悪い。
「うわぁ、すごい音ね。あの音もきっと原因不明として送られてくるんでしょうね。」
今日もそこらじゅうで事件とともに人々が日々を送っている。平和なんて言葉はこの世界の辞書にない。
黙々と作業を続け、気づけば夜中の3時になっていた。騒音がはるか遠くで聞こえるが、警察署の中は時計の音とキーボードのカタカタという軽い音だけが響いている。エベレストものこり4分の1ほどになったところで視界が限界を訴え始めた。コーヒーでごまかす行為は意味を失ったらしい。ため息をつき、天井を見上げた。黒いしみがぽつぽつと。顔に見えてきた。
「先輩、そろそろ帰りましょう。残りは明日の朝、俺が進めとくので休んでください。」
俺の一言で、ミハルさんは書類の中に頭をダイブさせた。飛び散らないように加減はしているのだろうが、ゴン、という鈍い音がフロア中に響く。そのまま彼女は顔を書類にぐりぐりと押し付けた。
「うぅ、ごめんねシズ君、ふがいない先輩で。」
「そんなことないですって、先輩は立派ですよ、俺は…そんな先輩が……」
「…あたしが?」
「…かっこいいと、思います。すごく。」
ミハルさんは俺の2つ上の先輩だ。優しくて、自分よりも周りを優先して、些細な変化にすぐに気づいて声をかけてくれる。俺はそんな先輩を尊敬している。こんなにひどい環境で自己をしっかり保っていられるのは、彼女の生まれ持った才能だろうと思っている。が、素直に賞賛しないでいるのはちょっとしたイジワルのつもりだ。やられっぱなしは悔しい。こんなひねくれた俺に対してあんなによくしてくれるのだ。このくらいのことをしたって、きっと笑って許してくれるだろう。
彼女以上に心優しい、人間らしい人を、俺は知らない。
「そうだ、この後さ、コンビニ寄ってかない?あたしがおごってあげる。」
「いいんですか?」
「シズ君、がんばってるから。あたし何かしてあげたくなっちゃうの。あたしのエゴよ。」
先輩は俺の鼻先を人差し指でちょん、とつついて言った。急に照れ臭くなって顔をそらしてしまう。ほんとうにずるい人だ。はっきり見えたわけじゃないが、彼女はものすごくニヤニヤしていた。絶対そうだ。
片付けをおわらせて、他愛のない話をしながら屋外にでる夜中の3時半。蒸し暑い真夏の夜のじめじめした風が先輩の全身をやわらかくくすぐった。深い紺のスカートが優雅にワルツを踊る。
「ひゃー、夜なのに暑いねぇ…こりゃ裏道でショートカットして向かった方がよさげかな?」
俺たちが普段仕事をしている警察署の裏には知る人ぞ知る裏道がある。そこを通れば一番近くのコンビニまでショートカットできるため同僚たちは皆重宝している。が…
「夜だからけっこう暗いと思うんですけど、大丈夫ですか?」
そう。裏道は光が届きにくい。夜となればライトがなければ数メートル先までしか目視することができない。もし近くでなにかの事件が発生すれば危険だ。そんな俺の心配を知ってか知らずか、彼女はスマートフォンのライトを得意げに掲げ、俺の手を引き軽い足取りで歩きだした。握られた手から柔らかな感触と温かさが伝わる。この仕事を始めてすぐ、俺がここに配属されたときも彼女はこうしてこの道を、俺の手を引いて一緒に歩いた。あれからもうすでに1年近くたっているのか。時の流れは速いものだ。この先もこうして同じ毎日を過ごすのかと思うと嫌気がさしたが、それが自分の望んだ仕事なのだと自分自身を落ち着かせる。少し前で鼻歌を歌っている先輩の長いミルクティー色の髪がつないだ手に触れる。暗い所だからか、いつもと違ってその髪がうすい桜色に見えた。
明日の仕事のスケジュールについてああでもない、こうでもないと議論をしながら裏道を半分ほど進んだところで、またどこかで不思議な音が鳴る。あれは、そうだ。まるでナメクジが歩いているような………ナメクジ?
その音はだんだんと大きくなっていく。とたんに襲い掛かる不快感。暗い場所で奇妙な音を聞いただけでここまで不安になれるものなのか人間とは。歩く足がピタリと止まる。そうして立ち止まっている間も、その音はこちらに向かって存在を示していた。
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ。
「何の音かしら?」
「先輩、戻りませんか?すごく嫌な予感がしてたまらないんですが…」
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ。
「…奇遇ね。あたしもよ。」
先輩はスマホを胸ポケットにしまった。ライトがついた部分は外に出ているので問題なく役割は果たしている。それまでしっかりと繋がれていた手が、静かにほどかれた。
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ。
「シズ君。」
「はい。」
「あたしが後ろを行くわ。貴方が先に行って。」
俺は素直に頷いた。ここでどうこう言っていてもどうにもならないだろうし、先輩はいつだって最適解をくれると信じていたのもある。行け、とはつまり、走れ、ということだろう。この暗い中でライトのかすかな光を頼りにうまく走れる自信は正直に言えばないが、今自分にできることは元の表通りに出ることだけだ。彼女のために、自分が道を示さなければいけない。胸の中にたしかな緊張感が巣を作った。それを知らないフリをして、俺は元の道を振り返った。
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ。
「走って!!!!!」
彼女の声を合図に足をめいいっぱい踏み込んで前へと飛び出す。後ろから先を照らす小さな光が上下左右にゆらゆらとゆれた。幸いこの道は曲がり角が2つしかない。直線ではないにしろ、表通りにでるのにそこまで時間はかからない。真っ暗なほそい道を、二人分の足音と、肉塊を踏みつぶすような音だけが支配する。
走る。走る。ただ走る。いつもはすぐに通り過ぎてしまうほどの道が果てしなく長く思えた。いつもの日常が急に牙をむく。気温はたしかに暑いはずなのに背中をなにか寒いものが駆け上がっていった。自分に出せる最大のスピードを維持しているつもりだったが、あの音がだんだんと近くで聞こえるようになる。
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ。
息が荒くなる。目の前のはずが遠い。だが体感あと少しで表通りに出られるはずだ。そうすればどうにでもなるに違いない。これはきっと何か悪い夢なのだ。はっと目が覚めたらいつものように目の前にたくさんの書類が山をつくっていて、それを同僚たちとひぃひぃ言いながら処理するいつもの日々が始まるのだ。脳が勝手に現実逃避を始める。あと少し、あと少し、あと少し。
----------ふと、からん、という軽い音が耳に届いた。
先ほどまで揺れていた光が残像だけを残してどこかへ消える。思わず勢いよく空気を吸い込んでしまい、噎せ返った。
…振り返ってしまった。見てしまった。
全身から透明の粘液を四方八方に吹き出しながら這いずってくる灰色の何か。その何かは先輩のスマートフォンをどろどろの体で押しつぶしていた。顔はどろどろでよく見えないが、頭部らしきところからは2対の体と同色の平たいものが生えており、それはしきりにぐるん、ぐるん、と別個体のように動いている。
(でかい…!!)
あんな異常なものがこの世界に存在していたというのか!!あまりの衝撃と、視界の中に先輩の姿がない事実に対するショックによって走っていた足が脳の指令に従うのをやめてしまう。
暗いから見えてないだけなのだ。見間違いなのだ。酸素の足りない全身が警告を出す、ここにいたら死んでしまう。きっと死ぬ。死ぬ。----先輩は死んだ……?
(ちがう!!!!!きっと彼女は生きている!)
何かがスマホから視線を外し、こちらをじっと見つめる。
一瞬の間。それは勢いよくこちらへと飛び込んできた。その気色の悪い音を響かせながら。
ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。
走った。ひたすらに。足が動く限りの速さで。周りにはだれもいない。頼れる人もいない。それなのに頭の中で何人もの人が話している声が聞こえた。
『泣いてるの』『一人ぼっちなの。』『苦しいの』
『死にたいの』『大事なものをなくしたの』
『かなしいの』『らくになってしまいたいの』『死にたいんでしょう?』
「まだ死にたくねぇよ!!!!」
体にぬるぬるとしたものが絡みついた。体が粘液まみれの触手によって、もったりとした動きで宙に持ち上げられる。何かのおおきな塊、頭部らしき場所が耳元にすり寄った。あぁ。俺はここで死んでしまうのか。きっと過去の自分は大人になってこんな意味の分からない死に方をするなんて夢にも思っていなかっただろう。警告しておきたい。世の中の小学生ども、夢を語るのはいいが、夢がかなったとしてもその夢が幸せを見せてくれるとは限らないぞ。顔の隣で何かが口を開く。生暖く、同時に生臭い息が広がり吐き気を催した。
『わたしはきょうもないてるなきうさぎ。』
小さな女の子の声だった。
「対象発見、紫月、行きます。」
閃光。そして解放。締め付けられていた身体が自由を得て地面に落下する。
(…一体、何が起こったんだ……?)
ぼんやりとした視界が徐々に開けていく。気づけば先ほどまで頭の中を支配していた化け物はいなくなり、かわりにそこには一人の女性が立っていた。暗い上に背中しか見えないが、国家警察のマークがついたコートを身に着けている。が、そのコートのデザインは今までに見たことのないものだった。ながいポニーテールがふわりと夏の風にのって揺れる。その人は左手に一本の細身のサーベルらしきものを握っていた。あの化け物を切ったのだろうか。先輩は…一体どこに行ってしまったのか。
「捕獲完了。一般警察が二人接触。」
インカムだろうか。突如現れたポニーテールの女性は右手を耳に当てて一言つぶやいた。彼女はサーベルについた粘液を軽く振り払うと、俺のほうを見つめた。どうやら俺は彼女に助けられたらしい。ゆっくりと体を起こす。また視界は安定せずに揺れているがなんとか上半身を持ち上げることに成功した。俺はこちらに歩いてくる彼女に感謝を伝えようとして…
「すまない、青年。」
軽い音とともに意識を失った。




