第4話
12/13 改稿しました
「…………んあ?」
ユーニスは唐突に目を覚ます感覚という感覚に気付いた。
目に飛び込んできたのは見覚えのない天井。何の装飾もない、無地の木の板を張り付けただけの天井がそこにはあった。
窓からはまばゆいばかりに朝日が差し込んでいる。既に日は上っており、外からはわずかに雑踏の気配も聞こえてきた。朝と呼ぶには少し遅めの時間のような気がする。
こんな時間に起きたのはいつ以来だろう。少し寝坊してしまった気がするけど、誰も起こしに来ない。それが不思議ではあったけど、その分深い眠りとなったようで、そんなことはすぐに頭からどこかに飛んで行ってしまうくらいに気分がいい。
頭も心も重しが取れたように軽やかで、ふわふわとした気分のまま、爽快な目覚めを感じた。
(あー……なんだろう、すっごく太陽がまぶしいわ。それに、なんだかポカポカしてずっとこうしていたい気分…)
なんだかとっても温かくて気持ちいいのだ。暖炉とは違う、ユーニスに心地よさだけを与えるぬくもりに包まれている。まるで母に抱きしめられているかのような、起きたばかりなのに新たな眠りに誘う心地よさがそこにはあった。
(何で誰も起こしに来ないのかしら?まぁいいわ、このまま二度目しちゃいましょう。あぁ、本当に気持ちいい……)
寝返りを打ち、くるりと横を向く。
すると、すぐそこにとんでもない美丈夫がいた。朝日を照らし返す金髪に、閉じられた瞼を縁取るまつげは長い。鼻筋はすらっとしており、間近で見ているせいで肌の綺麗さも伝わってくる。寝ているのか、規則正しい寝息が聞こえてくる。呼吸の吐息がわずかに届き、どうしてかむき出しの肌をくすぐる。
男の顔面の整い加減にも驚くが、それ以上にその人と自分が同じ布団で寝ているということ。それにユーニスの思考は、何も描かれていない無地のキャンバスのごとき白に染まった。
「…………」
人間とは、驚きすぎると何も言えなくなるらしい。 目を見開いたまま固まり、思考が止まる。
それから十数秒経って、ようやく頭が動き出した。
(えっ、あっ、ええと?あれこれ誰?いや、そもそも私どうして…えっ、裸!?)
今自分がどんな状況なのか、すぐに思い出せず混乱する。けれど、自分がどんな状態なのかは気付いた。
一切の衣服をまとっていないむき出しの白い肌。とっさに手を伸ばすも、当然のように下履きすら履いていない。どんなに手探りで探しても、そこに在るはずの布地が手に触れることはなかった。
自分が枕にしていたのは眠る男の腕。少し硬くてゴツゴツしているけど、筋肉の盛り上がりが首の高さにちょうどいい。男の腕も肩も肌が露わになっており、それだけで彼が自分と同じ状態になっているだろうと想像がついた。
一つの寝台に、裸の男女が寝転がっている。それが何を意味するのか、分からないような初心さはとうに捨てたつもりだ。だからといって、この状況を冷静に受け止められるほどの胆力もなく、叫びたくなる心を抑えるので精いっぱい。
どうしてこんなことになっているのか…そこでようやく、昨日の出来事を思いだした。
(…そうだ!昨日は酒場で酒を飲んで、そうしたらこの人が隣に来て、一緒に酒を飲み始めて……)
眠っていた記憶がどんどん目を覚ます。
酒の勢いそのままに言いたい放題全て喋りつくし、そしてとんでもない夜を過ごしてしまったと顔を赤くした。
(婚約もしてない人としたなんて…こ、これじゃあドミニクのこと言えないじゃない!……い、いいえ、私はもう誰とも結婚してないんだから。誰と寝たって、私の自由なのよ!)
酒場での何者でもない発言も思いだした。そうだ、もう誰かの妻でもないし、婚約者でもない。後ろめたい気持ちを抱える理由などどこにもない。
貴族令嬢としては大いに問題ありだけど、貞操云々はとうに捨てている。今更処女ぶるつもりはないし、経験済みなことを後ろ指を指されるいわれも無いのだ。
「よって何も問題無し!」と穴だらけの自己弁護を済ませた後は、この後どうしたらいいか考える。
(彼が起きる前に部屋から出ていったほうがいいかしら?でも、もし彼が責任を感じて私を捜しても困るし)
お互い、相手がどこの誰だか分からない状態だ。ユーニスとしては何もなかったことにしておきたいし、相手の彼もそうだと思いたい。自分は離縁した身だし、彼も婚約解消しばかりだ。その二人が直後に体を重ねたのは醜聞として、社交界にかぐわしい香りを漂わせてひきつけるだろう。それは避けたい。
(ならここは、私が先に黙って出ていくよりも、互いに合意したうえで無かったことにするほうがいいわよね。それなら彼も責任を感じないはず)
この後の段取りをイメージし終えたところで、ユーニスは男を起こすと決めた。
「ちょっと、起きて」
彼の肩をゆする。
すぐに瞼が開き、アメジストの瞳が覗く。朝日の下で見る紫の瞳は美しく、それにユーニスは見惚れてしまった。
(うっ、室内では分からなかったけど、ほんと綺麗な目だわ)
「………」
彼は目を覚ますも、まだ寝ぼけているのか、ぼんやりとユーニスを見ている。うっすら開かれ、焦点の定まらない目はすさまじい色気を放っていた。それに半ば中てられるも、ここで負けてはならないとさらに揺さぶるを強める。
「ほら、しっかり起きて」
しかしそれが鬱陶しくなったのか、男は腕を伸ばすとユーニスの衣服をまとわぬ背中に回し、力強く抱き寄せた。
「っ!?」
「…はぁ、温かい……」
男のたくましい腕に抱きしめられ、ユーニスは息を呑んだ。
酔っぱらっている時ならいざ知らず、素面で、しかも裸のままで抱き締められるなんて初めての経験だ。
肌同士の触れ合う感覚に、どんどん顔が赤く染まっていく。
(こ、この人寝ぼけてる!?うわ、腕だけじゃなくて胸やお腹もすごい筋肉で硬い……ってそうじゃない!)
同じ人間の身体とは思えないほど男らしさを主張するその肉体に、ユーニスの心臓は早鐘を打つように加速する。元夫は見た目通りのヒョロヒョロだったので、こんなたくましさを感じたのは人生初めてだ。しかも直接肌で。
これ以上ないと思えるほどすさまじい男の力強さを全身で感じ、脳を焼かれそうになる。
このままではまずいと感じたユーニスは、自分を抱き締めたまま二度寝に入ろうとした男の頬をせいいっぱいひっぱたいた。
「ちょっと、早く起きてちょうだい!」
「ん~……なんだ……」
閉じられようとした瞼が再び開いていく。
お互いの瞳に相手が映り、至近距離で見つめ合う二人。
「………」
「………」
しばし沈黙が支配した。
それを打ち破ったのは彼の方だった。いきなり目を見開き、そしてだんだん思いだしたのか、ユーニスと違って青ざめていった。
「す、すまない!あの、その、これは…その!」
彼はがばっと起き上がった。ものすごい慌てようだ。
それを見ていたら、ユーニスは冷静になっている自分に気付く。その焦りっぷりと、必死に弁明しようとするその姿が、なんとも可愛らしいと感じるくらいには余裕がでてきた。
(こんなにも大きい体なのに、すぐに謝ってくれるあたり、誠実な方のようね。それに、どうしてかしら……全然嫌とも思わないし)
お互いに裸なのに、そこに嫌悪感が湧いてこない。恥ずかしくないわけではないし、彼の裸を見ていたいと思うわけでもない。けれど、こうしているのに違和感が無いのだ。それがなんとも不思議に感じられる。
とはいえ、焦って言葉を美うまく紡げない彼をこのままにでもできない。めくれ上がった毛布を胸元に引き寄せ、とりあえず話をしようと切り出した。
「まずは一度落ち着いてください」
「あ、ああ……」
落ち着くよう促すと、彼は深呼吸を繰り返し、やっとユーニスを見た。
寝台に座り、毛布一枚で互いの恥ずかしい場所を隠して向かい合うのはなんとも情けないけど、それを気にしている場合じゃない。彼も、裸同然のユーニスを見るのは不躾だと思うのか、視線があちこちさまよっている。けれど、それではちゃんとした話ができない。
その目がぶれなくなったころに、ユーニスは本題を切り出した。
「昨晩のことは、お互いに知らない。何もなかった。…これでいいですね?」
「…分かった。お互いのために、なかったことにしよう」
うなずき合い、同意したのを確かめ合う。彼も同じ気持ちであり、すんなり決まったことに安堵を感じた。でも、どこかその潔さに不満を感じてしまったのはどうしてだろうか。
それからまずは男が着替えを済ませる。
互いに服を脱ぎ散らかした部屋の惨状には、顔を真っ赤にするしかなかった。令嬢としてあるまじき醜態だが、それを彼が指摘することはなかった。その気遣いが今はありがたい。
着替えが済んだ男には壁を向いてもらい、その間にユーニスも下履きや服を集め、手早く身に着ける。
身支度を整え、二人は宿を出た。
それぞれが違う方向を向いて歩き始める。昨晩を無かったことにして、二度と振り返らずに。
しかしユーニスの心の中は、胸が締め付けられるような思いを抱えていた。
彼と背を向け合った直後に、自分で言いだしておきながら無かったことにできそうもないと感じ取ってしまったのだ。
(楽しかった、なぁ……)
彼と一緒に過ごしたときを思い出し、宿からまだ10歩も歩いていないのについ足を止めて空を見上げた。
恥も外聞も知らぬとばかりにお酒を飲んで一切取り繕わない会話を楽しみ、明け透けなまでに互いの心の内を晒し合った。
そこに、一切の我慢も締め付けも無い。心を解放するとは、こんなにも気持ちのいいことなんだと改めて思い知る。
さらに、彼との一晩はユーニスには刺激的だった。
ドミニクと違って、まるで繊細な砂糖菓子を扱うように優しく接してくれる。けれど、いざとなれば男…いや、オスを思わせる荒々しさに翻弄された。
つい手が自分の下腹部を撫でる。あんなにも充実感のある行為は初めてで衝撃的だった。友人たちの言う行為の気持ちよさがやっとわかった気がする。これを知らずに4年間過ごした自分が、もったいないとすら思えるほどに。
身も心もさらけ出し、おまけに互いの身分も明かさなかった。
肩書も偏見も先入観も無い、一人の人間として触れ合ったひと時は、ユーニスの心にとてつもなく大きな体験として刻み込んだ。
(……ダメ、振り返っちゃ。そういう約束をしたんだもの)
振り返りたい。
本当はどこの誰なのか、聞きたかった。それが、自分には到底届かない相手だったとしても。
宿を離れる前、彼が身に着けていた衣服はかなり上等なものだった。
おそらく高位貴族。一度離縁したユーニスでは、相手にもされない方かもしれない。
それでもせめて、相手の名前が分かれば、遠目からでも眺めることができる。
名すら知らなければ、もう二度と会えないだろう。
不意に、足が止まる。
自分の意思とは無関係に、振り向いてしまった。
「…………」
視線の先には、もう彼はいなかった。
太陽が真上に上りかけ、人混みの増えた雑踏の中に、あの煌めく金髪もたくましい背中も見えない。
アメジストの瞳は、もうユーニスを映すことは無いのだ。
―――ユーニスの頬を、一筋の雫が流れ落ちる。
それが涙であり、自分がどんな気持ちを抱いていたか分かった時、ユーニスの一晩の恋は終わりを迎えた。




