第3話
12/13 改稿しました
「…………」
飲めと言われたアメジストの男は、ビールとユーニスを見比べ、目を丸くした。
まさか女性が、しかも飲みかけの酒を渡すなんて誰が想像しようか。
ユーニスにはそんなことがどうでもよかった。男の動揺を一切気にせず、それよりもその辛気臭い落ち込んだ顔を見るほうが嫌だ。
ここは酒場。酒を飲み、喋り、陽気に楽しむ場だ。それと正反対の状況にある男を、いますぐ酒場の雰囲気に飲ませるには、酒を飲ませるのが一番だ。
「ん」
飲めの意思表示を、ジョッキを男の顔面付近にまで押し付けて示す。
男は恐る恐るそれを受け取った。だが口を付けず、目はジョッキとユーニスを行き来して迷っている。
「ん」
ユーニスは顎をしゃくった。一々言葉で飲めなどと、無粋なことは言わない。むしろ、飲む以外の選択肢などあるわけがないのだから。そもそも酒場に来た時点で飲むつもりのはず。それを援護してやっているのだから、感謝されたっていいはずだ。
ユーニスの行いに男は目を見開いて驚くが、観念したのか、ジョッキに口を付け、喉を鳴らしながら一気に呷った。
「……っはぁ!」
「おおー、いい飲みっぷりじゃない」
さすが、その体躯に見合った飲みっぷりだ。ユーニスは思わず、小さくぱちぱちと拍手の音を店内に響かせた。
ジョッキを置き、大きく息を吐くと細めた目だけをユーニスに向けた。
「…あなたは、何なんだ?」
酒を飲んで口が軽くなったのか、ようやく男はユーニスに興味を示した。
低く、それでいて耳通りのいいベースみたいな声。だが声色は、かすかに不機嫌さを纏っている。無理やり酒を飲まされ、不本意だという意思がありありと出ていた。
けれど、ユーニスはそんなのを気にせず、追加のビールを頼む。
「さぁ?何でもないわ。何でもない者になったのよ」
もう自分はドミニクの嫁ではない。
では何者なのか。実家に帰るつもりもない。名乗る家名もなく、ただのユーニスでしかない自分。
聞かれ、つい考え込んでしまったけど、酔いのまわった頭はそんなこと考えてどうすると豪快に笑い飛ばしている。その通りだと賛同するもう一人の自分がいて、そんなことを考える気は羽が生えたようにどこかに行ってしまった。
(もうどうでもいいわ、今日だけはね!)
何もかも放りだした今が、とにかく楽しいのだ。美味しいチーズをかじり、その塩気を流し込むビールの到着が待ち遠しい。。
ユーニスの答えに男はぽかんとした後、急に笑いだした。
「ははっ、そうか、何者でもない、か」
「そうよ。もうお酒を飲んだんだから、ここでは何者でもないのよ」
酒場とはそういう場所だ、多分。よく知らないけど、そういうイメージがある。何でもかんでも笑って流すその世界に、悩みという暗い感情は似つかわしくない。晴れの日に太陽の下で膝を抱えてうずくまるくらいに会わないのだ。
「…そうだな。私も、今日だけは何者でもない。店主、私にも彼女と同じ物を」
「ああ」
ひげ面の男が応えた。店主だったと今更気付く。
二人の前になみなみとビールを注いだジョッキが置かれる。
それを手にした二人は、顔を向き合わせ、ジョッキを軽く触れさせた。
「乾杯」
小さく、ガラスの高い音が店内に響いた。
それからしばらくして、酒場には一組の男女の笑い声が響き渡っていた。
「けっ、な~にが『助けを求められたから仕方ないんだ…』よ!そんなの、あんたの顔と金と、押しの弱さを利用されただけだったの!その程度も分からない世間知らずのおこちゃまお坊ちゃんなんて、こっちから願い下げだわ!そう思うでしょ!?」
ここぞとばかりに、ドミニクへの鬱積した不満が爆発し、ユーニスの口から溢れていく。
離縁するまでは、最低限の礼儀としてドミニクを直接非難することはやらなかった。それはさすがに淑女として憚られる。
だが、もうここに淑女はいない。いるのは酒を呷るだけの、顔も髪も赤いだけの、理性が決壊した女だ。
とはいえ、かろうじてユーニスに残ったギリギリの理性が、個人名を出すところで踏みとどまっている。それは淑女というより、人として越えてはならない一線だとしがみついていた。
(思いっきり叫んでやりたいけどね!ドミニクバカヤローって!)
男の方も負けていない。ユーニスよりもハイペースで飲みすすめる男は、泡がこぼれかけるまで注いだビールを瞬く間に飲み保す。すぐさま、「おかわりぃ!」と店員に空のジョッキを突き出した。
「ああその通りだとも!私だって、10年…10年だぞ!なかなか結婚に踏み切れないって怖がってたから、10年も待ったんだ!それなのに…それなのに!いざとなったら、とんでもない性癖もってやがった!ああもう、そんな奴こっちだって嫌に決まってる!!婚約破棄だ破棄!あとはもう知らん!」
「よく言った!よし飲め!」
「おお、飲むぞ!」
すっかり出来上がった二人に、後から来た酒場の客は誰も近寄ろうとしなかった。
絡まれるのを恐れたのもあるが、それ以上に男の服装が明らかに平民には見えないのがある。
明らかに高位貴族が身に纏う、豪奢な衣服だ。
ユーニスも、平民とは思えないほどに上質な生地のワンピースを着ている。
そんな二人が大酒を飲んで騒いでいる。巻き込まれてはかなわんと、酒場の酒豪たちも、今日限りは大人しくちびちびと嗜む程度にしていた。
「全く、よそでばっかり子ども作りやがって!私には何も仕込めなかったのは何なのよ!あれか、当てつけ?な~にが愛してるだ!外で発情してばっかりのサルじゃないの!」
「何てふざけた男だ、信じられん!愛しい妻がいるのなら、よその女になど見向きもしないのが男のはずだ!」
「あはははは!よく言った!すごい!あなたになら抱かれてもいいかもね♪あの野郎、一発出したらすぐ寝る貧弱野郎で物足りなかったの!あなたはイケるのね!?」
「おうとも!こちとら何年ご無沙汰だと思ってる!?清く正しい交際を続けてずっと我慢してたってのに……もうすごいぞ私のは!」
「キャー♪」
二人の繰り広げるあまりにもあけすけな会話に、酒場の酒豪たちも縮こまっていた。
中にはユーニスの苦情に心当たりがある者もいたようで、「一発出してすぐ寝たら…ダメなのか?」と不安になっている者もいる。
「聞こう、私が何歳に見える?」
「ん?ん~……知らない!」
「25だ!」
「わぁ老けてる!」
「老けてる言うな!気にしてるんだぞ!」
「あはははは!」
本当に気にしてるようで、男性はカウンターに突っ伏してしまった。
男の落ち込みようは面白いけど、ユーニスからすれば大人らしく落ち着いていて、好感のもてる顔だ。
辛気臭い顔は、酒のおかげで突風に飛ばされる紙袋のように消え去ってしまった。代わりに豪快な笑顔と白い歯が似合う、力強さを兼ね備えた頼りがいのある顔になっている。
(本当は30歳くらいに見えてたけど、言わなくて正解だったわね!)
せっかく言わなかったのに、老けてる発言で思いっきり落ち込ませては元も子もないのだが。そこまでは気付いていない。
少しはっきりと言いすぎたかなと気になり、ユーニスはすぐに話題を切り替えた。
「じゃあ私は何歳に見える?」
「むっ………」
男が顔を上げ、そのアメジストの瞳にユーニスを映す。
あまりにも真剣に、綺麗な瞳で見つめてくるものだから、ユーニスは胸の高鳴りを感じてしまう。そんなにもじっと見つめられたことなんかない。それも、純粋にユーニスに興味を持っている目だ。
ドミニクにそんな目で見られたことはなかった。今思えば、彼は自分に興味があったような気がしない。贈り物は多かったけど、好みではない物も多く、それが持ち出したいと思わなかった理由の一つだ。
ユーニスの好きな物を贈るのではなく、自分がそれを贈ることに酔っているような、そんな気が今更ながらにしてくる。
それはそれとして、男に自分を見透かそうという目で見られ続け、だんだん恥ずかしくなってきた。
「ちょ、ちょっと見すぎ!恥ずかしい!」
「はっはっは!顔を真っ赤にしてかわいいな!いや、元から赤いか?え~とだな……18!」
「残念、21でしたー!あはははは!」
「くっ…卑怯だぞ!どうして私が老けて見られるんだ!?」
「……してない差?」
「ちくしょう!」
行き場のない怒りの矛先がカウンターに向けられ、男は強く叩いた。それに、思った以上に強い振動が起こる。
「お客さん……カウンター、壊さないでくださいよ」
さすがにまずいと思ったのか、キッチンから店主の注意が飛んできた。
男はすぐに「すまない…」と謝る。
ユーニスはからかいながら笑った。
「やーいやーい怒られてるー!」
「ぐぅ……くっ、君こそなんだ!その子供みたいな煽りは!」
「若いもーん♪」
「……ふっ、そうだな。子ども相手に怒るなんて大人げない。はっはっは」
ここで突然、男は冷静なふりをして酒を呷る。
見るからに安い挑発。しかし、ユーニスはいともたやすく乗った。
「むきー!その余裕な態度が腹立つー!」
「はっはっは」
挑発し続ける男だったが、ユーニスはあることを思いついたのか、口元に手を当てて、ニヤニヤし始めた。
「うふふふ」
「…なんだ、不気味だぞ」
「不気味とは失礼な!顔は老けてても、あっちは…ねぇ?」
ユーニスがどこを差しているのか、すぐに察した男は眉尻を下げて慌て始めた。
「なぁ!?そ、それは言ってはならん約束じゃないか!」
「そんな約束してませーん。まぁ、お子様じゃ仕方ないものね?」
「お子様じゃない!私のはすごいぞ!」
「いいからいいから、そんなムキにならなくてもね?」
「……はっ!君の方こそ、怯えているんじゃないのか?口は達者でも私みたいに体まで大人とは思えないしな!」
「なんですってぇ!?よぉーし!試してやろうじゃないの!お、逃げるか?」
「逃げるわけないだろう?むしろ君こそ、土壇場でおじけづくなよ!」
「おーし、行くぞぉ!宿はどこだぁ!?」
ユーニスは上機嫌だった。いや、上機嫌を通り越して愉快な何かか。売り言葉に買い言葉。挑戦とあらば受けて立たねば女が廃る。
完全に酒に酔い、前後も善悪も羞恥心も手から零れ落ちてしまっているユーニスに怖いものなどなかった。
席を立ちあがり、カバンを手にしたユーニス。その前に男はカウンターに勘定を置いていく。
「店主、金は置いてくぞ!」
「……ああ。ん?」
店主は勘定として置かれたそれを見て驚く。
そこには金貨があったからだ。
2人が飲み食いした酒やつまみはかなりの量だ。それでも金貨ではおつりが多すぎて店では払いきれない。
困った店主は声を掛けた。
「すまんがこれではおつりが…」
「いらん!とっとけぇ!」
「あー、いいなそれ!私も言ってみたい!」
「はっはっは!じゃあ次は君の奢りで飲もうじゃないか」
「言ったわね!よーし、覚えてらっしゃい!」
アメジストの男は背中を向けたまま、ひらひらと手を振る。男のセリフに憧れと羨ましさを滲ませてユーニスが追従。最後まで二人はやかましくしながらも、出口へと向かった。
そうして二人は酒場を出ていき、夜の街に消えていく。
ようやく静けさを取り戻した酒場では、その後、嵐のごとき一組の男女の伝説が語り継がれたとかなんとか。




