第20話~ドミニクの転落~
(ああ……どうしてこんなことに……)
ドミニクは王宮の薄暗く、かび臭い地下牢の中で、今自分が置かれている状況が受け入れられず、呆けていた。
王弟殿下の婚約のお披露目会。もしかしたらユーニスがいるかと思い、隣に上機嫌なモニカを連れて参加したら、なんと王弟殿下の婚約者は別れた妻だった。
それを目にした時、ドミニクは自分の目を疑い、何度も目をこすった。
(そ、そんな…!なんでユーニスが王弟殿下の隣にいるんだ!?まさかユーニスが婚約者だというのか……バカな、ありえない!)
ユーニスは自分を愛しているはずなのに。
全然連絡もなく、どこに行っていたのか心配だったけど、思いもよらない場所にいて見つけた安心と驚きが混在している。
自分を愛しているユーニスが、王弟殿下の隣にいる。しかも、その顔には自分と夫婦だったときよりも明らかに幸せだと書いてあるのだ。あんなにも嬉しそうな妻の顔を、果たして見たことがあっただろうか。
ファーストダンスも、ドミニクと踊ったときよりもはるかに軽やかで、楽しそうだというのが全身から伝わってくる。
その現実が受け入れられず、ドミニクは必死で理由を考えた。
(そうか!これはぼくへの当てつけなんだね。ちゃんと自分を愛していないと、よその男のもとに行ってしまうぞという彼女からのメッセージなんだ。ふふっ、分かったよユーニス。今迎えに行ってあげるからね)
ユーニスの隠れた真意をしっかりと読み取ったドミニクは、やはり自分こそがユーニスの最大の理解者であると確信した。
隣に居てほしくない女であるモニカをわざわざ連れ、ユーニスの下へと向かう。
どうやらモニカも、元婚約者であるロイに用事があるようで、むしろ自ら足を運んでいた。
だが、ユーニスから投げつけられたのは、彼女の意図が分かったことに喜ぶものではなく、どこまでも辛辣なものだった。
「勘違いしないでください。私はもうあなたを愛してなんかいません。私が愛しているのはロイ様だけ。もうあなたとは離縁したんです。だから、関わらないでください」
差し伸べた手すら振り払われ、どうしてと疑問に思うも、ドミニクはそれだけユーニスが怒っているんだと解釈した。
(ごめんねユーニス、そこまで分かってあげられなくて。大丈夫、ぼくはもう君を手放さないから)
「ああ、ユーニスってば。またそんなことを言って。そうやってぼくを困らせて気を引きたいんだね?わかってるよ、もう大丈夫だから。君の気持ちはちゃんとわかってるから、おいで?」
「うっ……」
君の気持ちは受け取ったと、そう伝えたのにユーニスは嬉しそうな顔をしてくれない。
それがドミニクには分からなかった。
(どうしてそんな顔をしているんだい?そうか、それだけ君は怒っているとぼくに言いたいんだね。本当にごめんユーニス。いっぱい謝るから、さぁ早く戻っておいで)
しかし、あろうことか当て馬であるはずのロイが、王命を盾にドミニクとユーニスの仲を引き裂こうとした。自分たちの言動は王家に対する叛意扱いされ、牢獄に入れられてしまいそうになる。
(これではユーニスに会えなくなってしまう!ユーニス、なんとか言ってくれ!)
彼女がうなずきさえすれば、きっとなんとかなる。
そう思って彼女を見ても、ユーニスはもうドミニクのことを見てすらいなかった。彼女の瞳には、もうロイしか映っていないのでは……。そう思っても、そんな現実は認めたくない。
その後、牢獄にいれば愛するユーニスが会いに来てくれると思った。
しかし、会いに来たのは怒声を牢屋中に響かせる父親だけだった。
「こんの大ばか者が!なんということをしてくれたんだ!貴様のおかげで、わがデレクア侯爵家は社交界の痴れ者扱いだ!」
こんなにも怒った父は、金をだまし取られていたことを知ったときにも見た。
その迫力に恐れおののきながらも、ドミニクはこの状況から父が出してくれるだろうと信じていた。
「ち、父上…すみません。それで、その…ここからはいつ出してもらえるんですか?」
「愚か者!王家に叛意ありと見なされた貴様を、どうして出さなければならん!そんなことをしようものなら、デレクア侯爵家は本当に反逆者扱いだ!貴様は一生ここにいろ!」
「そ、そんな!?」
父の言葉に、ドミニクは絶望に顔を染めた。
反逆者などととんでもない。ただ自分は愛する女性を取り戻そうとしただけで、王家に逆らう意思など微塵もないのだ。
モニカだって自分との婚約を嫌がり、王弟との婚約を希望していた。ならば、ドミニクとユーニス、ロイとモニカという元鞘に収まれば何もかも元通りになのに。
こんな簡単なことが、どうして叶わないのだとドミニクは絶望感に打ちひしがれた。
(どうしてなんだ。早く、早く来てくれユーニス!ぼくをこんな薄暗い地下牢から早く救い出してくれ!)
父がいなくなり、ドミニクを訪れる者は誰も無い。いつか来てくれると信じていたユーニスの訪れがないかと、何度看守に確かめても「来るわけがないだろう」としか返ってこない。
(そんなはずはない!彼女はぼくを愛しているんだ!きっと……必ず迎えに来てくれるはずだ!)
だが、一月、二月経ってもユーニスは現れない。次第に看守に聞く気力さえなくなり、ドミニクはただ牢屋の中で無為に時を過ごすだけになっていった。
(ユーニスは……もしかして、本当にぼくを愛していないのか?)
もはやドミニクは、『ユーニスが自分を愛している』という幻想を信じることすらできなくなっていた。
どんなに幻想を信じようとも、ユーニスが会いに来ないという現実だけがそれを物語っている。
お披露目会のままの姿で連れ込まれ、新品だったスーツは汚れが溜まって黒ずみ、異臭を放ち始めている。
しっとりとしていた黒髪も、一切手入れがされない状態ではだんだんとぼさぼさになり、顔だけなら美丈夫と言われたその面影は、どこにも無い。満足でない食事に、ただでさえ細かった体はさらにやせ細り、眼窩はくぼみ、まるで幽鬼のような虚ろな顔へと変貌していた。
(ああ……ユーニス……)
牢獄に入って半年が過ぎていた。
もはや何の気力も無くなったドミニクの前に、一人の来訪者が現れた。
「全く、とんだ醜い姿だな」
「…!?ま、マイク兄さん!?」
そこにいたのは、ドミニクの兄マイクだった。
ドミニクは兄が苦手だ。顔も商才も優れる兄は、何かとドミニクをけなし、その上で己の優秀さをひけらかす。その優秀さで、数年ほど国外で商会の出店を行っていたはずだ。
突然実兄が目の前に現れたことに、ドミニクは目を瞬かせた。
「ど、どうして兄さんがここに?」
「どうして、だと?どうしようもない馬鹿な愚弟が、王家に叛意アリと見なされたと連絡を受けて急いで帰国したんだ。やってくれたな、この畜生が」
「ご、誤解なんだ兄さん!ぼくは王家に叛意なんてない!ただ、ユーニスともう一度やり直したくて…」
「黙れ、貴様の言い訳は聞かん」
マイクの顔には、ドミニクを腐った罪人を見るかのような怒りと蔑みの色が強く出ている。その眼に深海を覗き見るかのような恐怖を感じ、ドミニクは体を震わせた。
すると、マイクの合図で屈強な兵が数人現れた。
看守が牢屋の鍵を開けると、兵が中に入ってきてドミニクを取り押さえる。
「い、痛い!兄さん何をするんだ!?」
「運び出せ」
ドミニクの言葉を聞かず、マイクは兵にドミニクを連行させ、馬車に押し込んだ。
左右を兵に囲まれ、身動きのできないドミニクの正面にマイクは座った。
「王家に叛意ありと見なされた貴様の処分は、わがデレクア伯爵家が任されることとなった」
「しょ、処分!?イヤちょっと待って兄さん、伯爵って…」
「貴様のせいだ。デレクア侯爵家は、貴様という愚か者のせいで家格を落とされることになった。今は伯爵家なのだ。父上も、貴様の様な馬鹿を育てた罪で当主の座を私に渡さざるを得なかった。貴様の罪の重さが分かるか?由緒あるデレクア侯爵家の格を落とした汚点として、生涯語り継がれることになるだろうな」
「そ、そんな……」
そんなことで語り継がれたくない。そう思っても、その反論すら、目の前の兄の冷たい視線の前に何も言うことができない。
(ぼくはただ、ユーニスとやり直したかっただけなのに…)
ほんのささやかな願いのはずなのに。それがとんでもないことに繋がってしまった。
ようやく自分のしでかした罪に気付いたドミニクは、ただ血の気が引いた身体を震わせたままいるしかできなかった。
「と、ところで兄さん、この馬車は、どこに…?」
「港町だ」
「港町?」
「言っただろう。貴様の処分は、我が家に任されることになったのだと。貴様は、これから船乗りとして働いてもらう」
「ふ、船乗り!?そ、そんなキツイ仕事ぼくには無理だ!」
船乗りは最も過酷な職業として知られる。揺れる船の上で何カ月も生活し、沈没する危険に常に怯えながら荷物を運ぶ。屈強な体と動じない精神力がなくては従事不可能で、それだけに高給取りでもある。
いわば一攫千金狙いのギャンブル職業。当然、ドミニクにはこなせる仕事ではない。
だが、だからこそ意味があるとマイクは語る。
「当たり前だ。言ったはずだぞ、これは処分だと。貴様には、王家の叛意に加え、金をだまし取られたことの弁償、騙されて品位を疑われたデレクア伯爵家への贖罪も済んでいない。それがこんな温い処分で済むことを、ありがたく思うんだな」
「うっ……」
(なんでぼくが悪いことしたみたいに言うんだ!騙したのはあの女たちで、ぼくは被害者のはずなのに…くそぉ…)
そう訴えたかったが、ドミニクは心の中で悪態をつくにとどめた。
そのまま口に出せば、兄に何を言われるか分かったものではない。ガチガチに両隣を固める兵からのプレッシャーも手伝って、ドミニクは押し黙るしかなかった。
数日後、馬車は港町に到着した。
馬車から降ろされると、目の前には潮風漂う港が広がり、そこには大きな帆船が何隻も係留されていた。
その中の一隻の船長と思しき人物とマイクが話している。
それをドミニクがぼーっと眺めていると、マイクが船長に何かを渡しているのが見えた。
何なのか気になったけども、船長の目がドミニクに向けられ、その目の恐ろしさからそのことは頭から消え去った。
「このひょろいのが『それ』なのか?」
「ああ、頼んだ」
それ、とはドミニクのことらしい。
それ呼ばわりにムッとするも、船長らしき男の迫力にドミニクは怖くて何も言えなかった。
「よーし、てめぇはこれからこき使ってやる!罪人だってな?この船に乗った以上、働かねぇなら金も飯もねぇ!死ぬ気で働け!」
「に、兄さん!」
このままでは本当に船に乗せられてしまう。そうなればもうユーニスとは絶対に会えなくなるだろう。
その危機感で兄へ振り返るも、既に兄はドミニクを見ていない。
兄はさっさと兵と共に馬車に乗り、出発した。
あまりにあっさりとした別れに、ドミニクの開いた口がふさがらない。
「おらぁ!いつまでも突っ立ってねぇでさっさと船に乗りやがれ!俺が船長だ!逆らったら飯抜きだからな!」
やはりこの男が船長だったらしく、尻を蹴り飛ばされ、危うく海へと落ちかけた。
船に無理やり乗せられ、あらたな船員、それも罪人だという紹介までご丁寧にされる。それを聞いた他の船員たちは、下衆な笑みを浮かべていた。
「おめぇら!こいつに遠慮はいらねぇ!なんにでも使いやがれ!」
船が出港し、ドミニクは文字通り何でもやらされた。
甲板掃除に荷物整理、帆の点検や見張り、食事の準備。
誰よりも早く起こされ、誰よりも最後に眠る。
そんな生活を強いられる中で、ようやくドミニクはこれがユーニスへの贖罪だと気付いた。
(すまない、ユーニス。ぼくはとんだ思い違いをしていた。もう君に会うことはないだろう。それでも、ぼくは君への幸せを願おう。そのくらいは許されるよね?)
誰もが寝静まった夜の甲板で、ドミニクは美しい星空を見上げながらそう思った。もしかしたら、ユーニスも同じ星空を見上げているのではないかとささやかな望みを持って。
その後、部屋に戻り、ドミニクは眠る。
それからすぐ、月夜が照らす中、数人の船員が甲板から麻袋に入った何か大きなものを重石付きで落とし、海面に大きな水しぶきが上がった。
『それ』からはしばらくあぶくの様なものが浮いていたが、しばらくしてそれも無くなり、海中へと消えていった。
静かな夜が戻ってくる。
船から一人、誰かが消えた夜が。
船長は下品な笑みを浮かべながらマイクから受け取った袋から金貨を取り出し、指ではじいて月の光に金貨を照らしていた。




