第2話
12/12 改稿しました
「さぁ……てと」
今いる場所なのが教会の前なのを思い出し、礼拝する人たちの邪魔にならないよう脇にどける。ユーニスは、これからどうしようかと考えた。
考えないといけないのがあるのは分かっている。離縁し、住む場所も何もかもない状態だ。やるべきことは山ほどあるし、こんなところでのんびりしている余裕は無い。
ただ、今日だけはこの解放感をもう少し味わっていたかった。離縁し、ドミニクという毒夫から離れることができた今日を、どこかで祝いたい。
「……いっそ、酒場でも行ってみちゃおうかしら?」
実は憧れでもあった酒場。
伯爵令嬢であったユーニスだが、貴族御用達の豪華だが堅苦しい店よりも、庶民向けの気軽なお店に憧れていた。
もっと気軽におしゃべりをし、笑い、楽しみたい。あははうふふとわずかな食器の音すら鳴らさず、緊張で何も味が分からないテーブルよりも、そんな些細な音など気にならないような騒がしい食事風景に憧れたこともある。
そんな願望を満たすには、酒場はうってつけだ。
入り口のドアをくぐった瞬間、入店を知らせるベルの音が鳴り響く。
「わぁ……」
長いカウンター。その奥にはキッチンが見える。手前のホールには円形のテーブルが並び、周囲を背もたれの無い椅子が取り囲んでいる。
少し薄暗く、壁には武骨な装飾品がわずかに飾っているだけ。
木製の家具はむき出しのままであり、全然塗装されていない様は逆にユーニスに新鮮味を与えた。上品とは言い難く、でも下品というわけでもない。あえて言えば武骨。野花や野草が生い茂る草原のような、ありのままだからこその美しさがある。
(これが酒場!………ここからどうすればいいのかしら。ウェイターはいないの?)
しかし、勇んできたはいいものの、店のルールが全く分からない。
入り口で固まっていると、奥から野太い男の声が飛んできた。
「……好きな所に座りな」
見ると、キッチンの奥でのそりと動く大きな影が見える。それが声の主だった。
「は、はい」
その言葉に一安心したユーリスは、よろよろとカバンを持ちながらカウンターの端の席に座った。誰も座っていない席で、ど真ん中に座るほどの気概はまだ無い。
「メニューは、右の黒板だ」
男の声が指示した方を見ると、黒板に白い文字でメニューが書いてあった。
(なるほど、こういうお店にはメニュー表が無いのね!)
何もかも初体験に、ユーニスの心は子どものころと同じくわくわくで沸き立っていた。
楽しくて、つい笑みがこぼれる。こんな気持ちになったのは、何年ぶりだろう。振り返ると、安心ばかりを追い求め、穏やかでさえあればそれでいいと思っていた。結婚すれば子どもができなくて焦りが生まれ、ドミニクの婚外子問題で安らげる暇もない。
それ以上のことを求める余裕が全然無いまま、離縁するに至ってしまった。これまで自分を縛っていた何もかもを手放して、やっと子供心を取り戻したと思うと、離縁という判断を下した自分をほめてあげたいくらいだ。
黒板をじっくり眺めた後、ビールとおつまみとしてチーズとハムを頼んだ。
しばらくして頼んだそれが、カウンターの一つ高い台に置かれる。
「はいよ」
「ありがとうございます」
お礼を言い、ビールとつまみが載った皿を受け取る。
ジョッキには炭酸の立ち上る黄金色の液体が注がれ、白い無地の皿にはざっくり切り分けたチーズとハム。そしてなにより、ナイフとフォークも無い!
それを前に、ユーニスの喉が鳴る。
(こ、これが…庶民の気取らないお酒!)
心臓が全力疾走したみたいにドキドキする。こんな気持ちになったのは、小さいころに野山を駆け回り、美味しそうな木の実を見つけたとき以来かもしれない。未知との遭遇に不安と好奇心が同居しているこの気持ちを、すっかり忘れてしまっていた。
(あのときは、ものすごくマズイ実だから食べてはいけないって聞いて食べられなかったのよね。なんだか懐かしいわ)
昔の一コマを思い出しながら、ジョッキを持つ。片手では支えきれず、両手で支える。重さすら、今のユーニスには興奮を煽る材料の一つになってしまう。
「いただきます……!」
「……召し上がれ」
すると、奥の男性から声がかかった。声色はなんだか優し気で、面白がってる気配を感じさせる。こんななんでもない声かけも、非日常を感じさせる一因に。料理をする人と食べる人、その距離感の近さにユーニスは嬉しくなりながら、ゆっくりとジョッキに口を付けた。
「ん……!」
最初の一口が口中に流れ込み、冷たさと苦み、そして炭酸の刺激が支配する。
今まで口にしたことのない味の奔流に、ユーニスは目を白黒させた。
(に、苦い……!でも、不思議とすっきりとして、どんどん飲めちゃいそう!)
冷たくて苦い液体が、炭酸も合わせて喉を流れる爽快感が堪らない。炭酸の飲み物はあっても、ここまで強い炭酸は感じたことがなかった。
ビールの味にハマったユーニスは、どんどん黄金色の液体を喉に流し込んでいく。本来なら一口ごとに口を離し、飲み込んでいくのが淑女の作法だが、そんなことは気にしない。
ここは貴族のいない、平民の飲み場。
小うるさくて料理の味を分からなくさせるマナーもいらないのだ。食べたいように、飲みたいように飲む。きっとこの場は、貴族なら眉を顰める食器の音も食べる音も、場を盛り上げる管弦楽団の演奏に勝るとも劣らない演出になるだろう。今はユーニス一人しかいないのが惜しい。
ジョッキで飲むその姿は、ついさっきまで侯爵家の嫁だったとは思えないほど豪快だ。
でも、そんなのは気にしない。
今日だけは無礼講でいたい気分だから。
「……っぱぁ!」
ビールが半分になったところで、ようやく口を離す。
置いたジョッキがワイングラスと全く違う重々しい音を奏で、その違いすら今は面白い。
(そういえば、お昼はごたごたで食べてなかったわね。チーズをいただきましょう)
思えば怒涛の展開続きで、空腹を感じる余裕すら無かった。なにせたった1日で離縁し、屋敷を出てきたのだ。忙しかったし、食べてる余裕もない。屋敷では昼食が用意されていたかもしれないし、それを食べずに出てきてしまったことは、料理人に申し訳なく思う。
空腹にアルコールを入れ続けるのも良くないと思い、チーズを口にする。
クセと塩気が強いチーズを口にした後、それをビールで喉に流し込む。これがまた美味しかった。
「……サービスだ」
「えっ?」
すると、カウンター奥から太い腕が伸び、ユーニスの前にピクルスを置いた。
一口大に切り分けたそれに、ピックが刺さっている。
「あ、ありがとうございます」
礼を言うと、男はまたキッチンの奥に引っ込んでいった。
少しだけ笑った気がする。
厳めしい感じに思えたけど、さっきの声かけといい、意外にもそうでもないらしい。嬉しいサービスにまた心が湧きたつ。なんだか楽しいことばかりで、こんなにも楽しんでいいんだろうかと怖くなってくるほどだ。
ピクルスをピックで刺し、口に運ぶ。
ほどよい酸味と甘みがビールとは違う爽快感を与えてくれる。それに加え、瑞々しい歯応えはチーズにはない。
荒々しくも美味しさが直に伝わるつまみの数々を前に、ビールが進んで止まらない。あっという間にジョッキは空になり、まだまだ飲み足りないぞと喉が訴える。それにユーニスは同意だと言わんばかりにカウンターへと声を掛けた。
「おかわりを、いただけますか?」
奥で影が動き、すぐに2杯目を用意してくれた。
今度はカウンター越しではなく、脇から出てきてその姿を見せてくれる。
頭にはバンダナを巻き、口ひげを豪快に生やした男だった。
しかし声色からも分かる通り、ユーニスを見る目は優しい。
ビールのお代わりをユーニスの前に置くと、空になったジョッキを回収していく。
「…ゆっくり、楽しみな」
そう言って去っていった。
彼の言葉に、自分がすごい勢いでジョッキを空にしてしまったのに気付き、顔が熱くなる。
(そう言われても、美味しいから飲んじゃうのは仕方ないの。おつまみも美味しいし、このお店が悪いんだわ!)
妙な責任転嫁をしつつ、ユーニスは2杯目に口を付ける。
顔が熱いのも、きっとお酒のせいだ。冷たいビールを流し込むと、火照った頬が冷めてまた気持ちよかった。炭酸にも苦みにも慣れ、まるで昔からずっと飲んできたような親しさすら湧いてくる。
徐々に気分が高揚し、口元が何も無くても緩み始めたころ、入り口のベルが鳴った。
(誰か来たようね)
店内にはまだユーニスしかいない。
酒場ののんべぇたちが集まるにはまだ早い時間であり、酒場はひっそりとしている。
そこにお酒を飲みに来た同士が来たと思い、ユーニスは入り口へと振り返った。
「うわぁ……」
その誰かを見たとき、ユーニスは小声で感嘆の声を漏らす。
入り口の後光を受けて光り輝く金の髪は、所どころ跳ねて少しだらしなさを感じる。宵闇のような黒の混じった紫の瞳は人目を惹きつける怪しさを醸し出していた。容姿は大層整っており、精悍な顔立ちだ。
見るからに高位貴族の雰囲気だが、その体は服の上からでもわかるほど盛り上がっている。兵には見えないから、騎士なのかもしれない。
鍛え上げている体躯は見事の一言であり、逆三角形を形作る肉体美につい見惚れてしまった。
白いシャツに紺色のベスト、グレーのトラウザーズと服装はシンプルだが、その素材は明らかに高級品であることが窺える。余計な装飾がない服装だけに男自身の魅力が際立っていた。
失礼だが、明らかにこんな酒場には不似合いの客だ。
しかし、男はその体に似つかわしくないおぼつかない足取りで、ユーニスの隣に一席空けて座った。
「はぁ………」
カウンターに項垂れた男は、何を注文するでもなく、心底疲れたと言わんばかりにため息を吐いている。
その辛気臭さがなんとなく気に入らず、ユーニスは強めにジョッキを置いた。
にぶく響いた音に男が反応し、こちらを見る。
しっかり気合を入れればかなりの迫力が出そうな鋭い目つきも、今ばかりは垂れ下がって弱弱しい。表情だけでなく体全体から陰気な雰囲気が漂っており、いかにも自分は不幸だとアピールしているかのようだ。
男は隣にいたユーニスを見た後、すぐに顔を前に戻し、また項垂れた。
「はぁ………」
またため息をつく。
ユーニスなど眼中にない態度に、酔いのまわり始めたユーニスはイラっと来た。せっかくいい気分になってきたのに、男の放つジメジメとした雰囲気がなんとも気に障る。まして、せっかく酒場に来ているというのに、ただ席に座って俯くだけなど、店に対し失礼だ。
そんな辛気臭い男が隣にいては、せっかくの酒も不味くなる。場の雰囲気というのは大事だ。貴族にとっては死活問題であり、雰囲気を読めない愚か者は排除されるのだ。
見るからに貴族っぽいのに、その基本原則を真っ向から無視する男にユーニスの怒りのボルテージが上がっていく。
(せっかくこっちが楽しくお酒を飲んでるっていうのに、何なのよこの男は!)
その鬱々とした雰囲気をさっさとなんとかしてほしい。男を放置しておけず、ユーニスは声を掛ける。
「ちょっとあなた」
呼びかけにまたこっちを向いた男の前に、ユーニスは自分の飲みかけのジョッキを差し出した。
そして、ぎろりと目を細めて男を睨みつけながら言い放つ。
「飲め」




