第19話
さも、当然かのようにユーニスへと手を差し伸べたドミニク。
元夫の奇行に、ユーニスは呆れて何も言えなかった。
(寂しかったとか、転がり込んだとか、何をどう見たらそう思えるのかしら?まったく理解できないわ)
分不相応と言われれば否定はできない。だからといってドミニクがふさわしいというのは、勘違いにもほどがあるのではないか。
如何に彼が自分のことを見下しているのかがよく分かる。
浮気ばかりして、他の女に色目ばかり使うような下心しかない男とお似合いだなんて、腹が立ってきた。
「…あなたが、私にふさわしいと?」
「そうじゃないか。だって僕たちはもともと夫婦だったんだ。君が僕の下を離れたのだって、寂しかったんだろう?だから僕の気を引きたくて、王弟殿下まで利用したんだ。君の愛の深さはようく分かったよ。ぼくが悪かった。さぁ、戻っておいで」
ドミニクは差し出したままの手を強調するかのように、強く押し出してくる。ユーニスはしばしその手を見つめたが、汚らしいとばかりに払いのけた。
「ユーニス…?」
払いのけられた手を、ドミニクは唖然として見つめている。理解できないとユーニスを見るその瞳に、黒い感情が湧き上がってきた。
「勘違いしないでください。私はもうあなたを愛してなんかいません。私が愛しているのはロイ様だけ。もうあなたとは離縁したんです。だから、関わらないでください」
ユーニスはロイの手を握りしめながら、毅然とした瞳でドミニクを見返す。
(本当に、どうしようもない人だわ)
つくづく彼の言動に嫌気がさしてくる。
一体どんな考えがあれば、侯爵家次男に過ぎない自分への当てつけに、はるか格上の王弟を利用するという発想が出てくるのか。理解できないし、したくもない。
まして、それをこんな公然の場で口にされ、周囲にそうなのではと思われたら、恐ろしくて仕方がない。特に、ロイには絶対に勘違いされたくなかった。
ドミニクは一瞬ひるんだが、すぐに困ったような笑みを浮かべる。
「ああ、ユーニスってば。またそんなことを言って。そうやってぼくを困らせて気を引きたいんだね?わかってるよ、もう大丈夫だから。君の気持ちはちゃんとわかってるから、おいで?」
「……うっ」
ユーニスの背筋に悪寒が走り抜ける。今自分は、一体何と向き合っているのかが分からなくなる。言葉を交わしているはずなのに、まるで違う言語で会話しているようだ。
こんなにも言葉が通じない人だっただろうか。
彼と4年も一緒に住んでいたはずなのに、目の前にいるのが知らない人物のように思えてくる。それが不気味に感じ、背筋に悪寒が走った。
(なんで?どうして?ドミニクといい、モニカ様といい、一体この二人は何なの?)
ドミニクの目には自分が一体どんな風に映っているのか。ここまで明確に拒否しているのに、まだユーニスがドミニクを愛していると思っているという奇々怪々なその思考回路。
おぞましくて、これ以上は何を言ったら通じるのか、ユーニスの頭には答えが出てこなかった。
それはモニカも同様で、ロイには全然その気がないのに、まるでまだ彼が自分に未練があるという前提で振舞っている。
ロイがモニカにフラれた時、一体どれだけ落ち込み悲しんだか。その嘆きをユーニスはよく知っている。
モニカの言動には怒りが湧いてきた。彼をまるで自分の都合のいいペットみたいに扱うその態度を、いますぐ訂正させたい。けれど同時に、それが無理なんだというのも、分かってきた。
ドミニクとモニカも、存在しない自分への愛を夢見たままだ。起きながら夢を見て寝言しか言わない彼らに、現実に生きているユーニスとロイの言葉は届かないのだ。
(もう、ダメだわ。説得も、諭すのも無理)
観念の感情が浮かび上がる。
ユーニスは傍らにいるロイを見上げた。
ロイもユーニスと目を合わせ、首を横に振る。
彼もまた、モニカを言葉で納得させることは諦めたようだ。
―――もはや語るべき言葉は無い。
ロイは厳しい目つきで、二人を見据えた。
「お前たち二人は、自分たちの婚約を無効にしたいわけだな?」
「ええ、その通りですわ。そしてロイ様は私と……」
「その婚約が、王命であるということをわかっての発言か?」
「そ、それは……」
モニカは顔を青ざめさせた。ようやく自分のやっていることの重大な過失に気づいたようだ。
そしてユーニスもロイの発言で、二人が王命で婚約させられたのだと知り、驚いた。
(ドミニク様とモニカ様の婚約は王命だったのね。それなのに、まさか王宮でそれを無視するような発言をするなんて、信じられないわ)
ロイは後ろを振り返った。
その視線の先には、事の成り行きを見守っていた国王陛下の姿がある。その眼はしっかりと渦中の4人へと注がれていた。
ロイにつられ、ドミニクやモニカ、ユーニス、周囲の人たちも陛下へと視線を集めた。モニカとドミニクは陛下と目が合ったことで体を震わせている。
「国王陛下、聞いての通りです。この両名は王命による婚約に異議を唱えました。これは王家に対する叛意であると受け止めますが、いかがしましょう?」
「っ!」
ドミニクが息を呑む。それに気付いたユーニスは、横目で彼を見た。
顔から血の気をなくし、震え始めている。ここに至って、やっと自分の行為の重大さに気付いたようだ。
その愚かさにユーニスは呆れ、もはや何も言えないと、小さく息を吐いた。
(ドミニク様はモニカ様との婚約をなんだと思っていたのかしら…。本当にこの方は貴族なの?)
つい周囲を見渡すと、群衆の中にデレクア侯爵の姿があった。侯爵はすさまじい憤怒の表情でドミニクを睨みつけている。少し離れているはずなのに、歯ぎしりが聞こえてきそうだ。
息子の暴挙に怒り心頭といった感じだが、どうしてか動かず、その場に制止。一切止めようともしないのが気になった。
(普通は止めそうなものだけど、止めないのね。このままではデレクア侯爵家にも非が及ぶはずだし、事態がどれだけ悪化しているか、分かっていないわけではなさそうなのに……どうしてかしら?)
不思議に思っていると、「さて…」と国王陛下のお言葉が降ってきて、そちらに視線を戻す。
「モニカ・スタルタス、ドミニク・デレクア。この両名を捕らえろ。王家に対する叛意ありと見なし、投獄せよ」
「そ、そんな、国王陛下!私はそんな意思はありませんわ!お考え直しを…」
「…いつ、私が貴様に発言を許した?」
「っ!」
国の頂点に座する者の冷徹な目つきに、モニカは顔色を失った。その口を堅く閉ざし、それ以上反論しようとはしない。手を固く握りしめ、自分に下された処分に納得していないのがありありとわかる。しかし、さすがの彼女も国王相手に傍若無人ではいられなかった。
衛兵によってドミニクとモニカは連行されていった。
場は一時騒然としたものの、国王によってお披露目会の再開が告げられ、また賑やかさを取り戻す。
音楽も再開し、中央のホールではダンスを踊る者もいた。
「ロイ様、私たちも踊りましょう」
「いいのか?疲れているようなら…」
「いいえ。私は大丈夫です。それに…」
ユーニスは、自分からロイのたくましい腕に自分の腕を絡めた。
こんなにも大胆な行為をしてしまい、少し恥ずかしくて頬が熱い。それでも彼の隣にいるのは自分だと、誰にも譲らない意思を見せつけたかった。
彼の妻になる者として、柔和な笑みを浮かべ見上げる。
「私たちのお披露目なんですもの。ここで退くことはできません」
「…ふっ、そうだな」
ユーニスの言葉に、ロイもやる気を見せてニヤリと頷いた。
(主役の私たちが、さっきの二人のせいで簡単にいなくなってはダメよ。しっかりロイ様を支えられる姿を、見せなくては)
ここは単に主役という扱いだけではない。ユーニスが、ロイの伴侶として相応しいかを見せつける場でもあるのだ。すぐにへこたれるような、打たれ弱さを見せてはならない。
ロイの妻の座を狙うのは、モニカだけではないはずだ。今は適齢期の令嬢がいなくても、これから出てくるかもしれない。本人にその意思がなくても、その親がねじ込んでくる可能性もありうる。
そんなことは許さないと、今ここで見せつけなくてはならないのだ。
その意味では、公爵令嬢であるモニカとの対峙は、いい牽制になっただろう。伯爵家の娘であっても、公爵家に引かない姿勢を見せつけたのだ。
ユーニスの心を察し、嬉しくなったロイはユーニスと共にホールへと戻っていく。
「では、セカンドダンスといこうか」
「はい」
****
それから数日後。ユーニスはウォルトを抱いて王宮を訪れていた。
お披露目も済んだことで、大手を振ってロイの婚約者という立場で、さらに彼の息子であるウォルトを連れて王宮に来れるようになったのだ。
ウォルトの到着を離宮の応接室で今か今かと待ち構えているのはロイ。……ではなく、その母である先代側妃だ。
ウォルトを抱えるユーニスを出迎えた先代側妃は、喜色満面で二人を出迎え、流れるようにウォルトを奪い、その手に抱きかかえた。
「はいはい、おばあちゃんでちゅよ~」
あまりにも見た目と言動のギャップがすさまじく、ユーニスは微笑みながらも口元が引きつった。
(その若々しさでおばあちゃんは、ちょっと無理があるわ…)
ユーニスはウォルトにデレデレの先代側妃を見て、そっと突っ込んだ。
知らない人間が見れば、まるでウォルトの母に見間違えてもおかしくない。それくらい二人は似ているし、無いとは思うけど母親の座が奪われるのではないかと一瞬思ったり。
先代側妃は対面に座ったユーニスを見てにこりと笑った。
「どうだったかしら?お披露目会のサプライズは」
サプライズというのは、ドミニクとモニカのことだろう。やはりあれは先代側妃の仕業だったようだ。
「…少し驚きましたが、国王陛下が収めてくれましたので」
「うふふ。言葉が通じない人間って恐ろしいでしょう?ああいうのをどう『処理』したらいいのかも、あなたは知っておく必要があるのよ」
それが王弟の、ひいては王族に嫁ぐということ。理屈が通じる相手ばかりではないし、そういう相手から逃げることも許されないのだ。
相手の納得が得られれば最上だが、そんな都合のいい話ばかりではない。王族という最上位の一族になるとは、誰かに委ねるのを許されない。理不尽と思われようと決断を下し、それ次第ではさらなる恨みを買うこともあるだろう。それが王族なのだ。
そう、暗に先代側妃に言われた気がして、ユーニスは背筋を震わせる。
その時初めて、柔らかく微笑む先代側妃が怖いと感じた。
(そうだわ、この方は他国から嫁いだ方なんですもの。見た目通りの、穏やかな方ではないんだわ)
傍目には年齢詐称孫大好きおばあちゃんに見えるが、それは彼女の一面に過ぎない。
ユーニスは改めて覚悟を決めなおした。それを見た側妃は、柔らかな笑みを浮かべる。
「いいのよ、今は緩めて。そういうときもあるというのを知ってくれれば。ほら、あの子って剣バカで政治に疎いでしょ?何かあったら、支えてほしいのよ」
「はい、わかりました」
さりげなく息子を皮肉ったところに苦笑しつつ、王妃の言葉に深々と頷く。
すると、外から重い靴音が近づいてくるのが聞こえた。それが部屋の前で止まり、次いで部屋のドアをノックする音が聞こえる。
「母上、ロイです」
「あら、ちょうど二人とも来たわよ。入ってらっしゃい」
「失礼します」
扉が開かれ、ロイが入ってくる。そしてユーニスとウォルトの姿を見ると、きりっと整えていた表情を一瞬でとろけさせた。嬉しくてたまらないという感情を一切隠さずに見せてくれるロイに、ユーニスも会えた喜びで体が震えた。
ロイに連れられ、ユーニスは先代側妃からウォルトを受け取って王宮の中庭へと向かった。
さすがは王宮の庭ということもあり、その規模は伯爵家のそれとは比べようもないほどに広かった。
庭の中央には噴水があり、四方へと流れる水路も走っている。
薔薇のアーチや季節の花々が咲き乱れる花壇は、上から見れば花で彩られたカーペットのように見えることだろう。
その合間を、ウォルトを抱っこしたロイと、ユーニスが並んで歩いていく。
ウォルトはすっかり父親に抱っこされるのになれたのか、それともロイが抱っこになれたのか、むずがることなく目に映る景色を興味津々に眺めていた。
「……憧れだったんだ」
「憧れ、ですか?」
歩いている時、ぽつりとロイが呟く。その顔には、さざ波の様な穏やかさが浮かんでいる。
「ああ。こうして夫婦で…といってもまだ結婚はしていないが、3人で歩くのをな。兄上たちがそうしているのを見て、いつか自分も…そう思っていた。だから、今こうしていられるのが、夢がかなったみたいで嬉しいんだ」
ロイの紫の瞳は、嬉しさを湛えながらウォルトを見ていた。
その気持ちが分かると伝えたくて、ユーニスはロイの腕に自分の手を掛ける。
「私も同じです」
「ユーニスも?」
「はい。……私は、子どもできないのかなって……思ったこともあったので」
ドミニクとの結婚生活は、子どもができないために辛い4年間だった。ドミニクが外で婚外子を作るたびに女としての自信が奪われ、女失格なのではないかと誰かに言われているような気持ちにある。
子どもを作れない自分が、妻の役目を果たせないのに妻を名乗ることへの恐怖がそこにはあった。
(今思えば、そんな自分が許せなくて、離縁に踏み切った気もするわ)
愛していると言いながら余所に女を作るドミニクへの怒りと、子どもを身ごもらない自分への怒り。その二つが、ユーニスに離縁を決断させたんだと思う。
けれど、それを全てロイが払拭してくれた。彼との間にウォルトが生まれ、ロイは王弟という世の女性の憧れの的でありながら、一切目もくれずにユーニスだけをその瞳に映してくれる。
後から聞けば、彼はあの一晩のことを忘れず、ただユーニスを想って一切の縁談を断っていたらしい。そんな彼の愚直なまでの一途さが、ユーニスに深い安心感をもたらしてくれた。
そして、今も二人の愛の結晶を愛おしそうに抱きかかえている。
これが嬉しくないわけがない。
「全部、ロイ様が叶えてくれました。ありがとうございます」
「こちらこそ礼を言うところだ。ユーニスのおかげで、私はショックから立ち直り、こうして幸せを手にした。あのときの、酒場のあなたの強引さには目を剥いたが、あれがあったからこそ、今の私たちがあるな」
そう言っているロイの目は笑っていた。
彼は何かあると、酔っぱらったユーニスの話を持ち出し、それで恥ずかしそうにするユーニスを眺めるのが好きなようだ。
「……ロイ様ってば!」
赤くなった頬を誤魔化すように、ロイの腕にかけた手の指の一本だけ、爪を立てる。
「いたた」と痛がっているふりだけをするロイに頬を膨らませながら、ユーニスは背伸びした。
それが何の合図か分かっているロイは、そっと腰をかがめた。
「ん……」
そっと、軽く触れるだけのキス。
両親のキスを間近で見ていたウォルトが、まるで自分にもしてほしいと訴えかけるように「あー」と声を上げた。
「ふふっ、ウォルトにもね」
ユーニスはウォルトの頬にキスをした。
それに続き、ロイはウォルトの額にキスをする。
二人にキスをしてもらい、ウォルトは上機嫌に笑った。
王宮の中庭に、仲の良い3人の親子の笑顔が咲いていた。




