第15話~ドミニクの憂鬱~
「はっ?どうしてよ、いつもサービスしてくれたじゃない?」
「ごめん、もうできないんだ。だからこの価格で買ってくれないか?」
「ふざけないでよ!なら買わないわ、さようなら」
「またのお越しを…」
ぷりぷりと怒りながら店を出ていく女性の後ろ姿を、ドミニクは肩を落としながら見送った。
(はぁ……何でこんな事になったんだ)
重い足取りのまま、店の奥へと下がっていく。
口をとがらせたその表情は、拗ねた子どもみたいにしか見えない。その一方で、覇気のなさを表すかのように、柔らかな黒髪はコシを失い、彼の白い肌にぺたりと張り付いている。
(くそ……それも全部ユーニスが離縁なんかするからだ。あれから全部うまくいかない。なんなんだよ)
1年前に離縁した女性を思い出す。
あの時から今の転落した自分の人生が始まったのだと、ドミニクは思い返した。
ドミニクは女性に優しい男でありたかった。口さがない友人には『下心があるだけだろ』といってバカにされるが、そんなことはない。
ただ女性に誠実なだけなのだ。そんな風に捉えられてしまうのが許せなかった。
女性に頼まれればなんでもした。
父親から一つの店舗を任されてからは、店の商品が高くて買えないと言う女性に3割引きや半額などのサービスを積極的に行った。
困っている女性の手助けになればと善意でやっているのに、それを父や副店長は決して認めない。副店長は差額して値引いた分を勝手に父に報告するし、父はその分をドミニクの報酬から差し引いた。
(まったく…女性が困っているのに何もしないなんて、頭がおかしいんじゃないのか?)
ドミニクの報酬はそれなりにあるので、差額を引かれても生活に困るわけではない。だけど、自分の行為を悪と見なされているようで気分は悪かった。
そうして人助けをしていると、だんだんと買い物だけでなく個人的な悩みを打ち明け、助けを求める女性が出てきた。
その一人が、メリンダだった。
「最近、彼が相手をしてくれなくて……寂しいの」
店に来た時に潤んだ目で見上げられ、そう囁かれてはできる手は一つしかない。
(どうだ。人助けをしていれば、こんな役得になるんだ!)
ドミニクはメリンダの望み通り、夜の相手をした。
彼女は女として愛された実感を得て感謝し、ドミニクもまた人助けをした優越感に浸れ、万々歳だ。
妻となったユーニスは、少しつまらない女だった。
伯爵家のご令嬢であり、それなりに教育がしっかりしているため、なかなか頼ってくれない。それどころか、女主人として屋敷では立派に采配を振るうくらいだ。それが気に入らない。
けれど、そんな女性でも夜ともなればそうはいかない。ドミニクの前で肌をさらし、翻弄される様を見下ろすのは気分が高まる。所詮は女性、男の前にはひれ伏すしかなく、それを教え込む愉悦に身を浸らせていた。
完璧とは言えないが、そこそこに満足のいく結婚生活。
しかし、そんな生活に徐々に亀裂が生じ始める。
最初の亀裂は、関係を持ったメリンダによってもたらされた。
なんと彼女はドミニクの子どもを産んだのだ。
とんでもないことになったと思った。彼女の寂しさを紛らわせてあげたかっただけで、子どもを作りたいわけではない。これには慌てて、メリンダが要求した養育費を父に相談。
父は婚外子を作ったドミニクを忌々しそうに睨みながらも、さっさと金を出してくれた。
父は金で解決できるならば、一々口うるさくは言わない。
兄はその点にはうるさかった。金で解決した後も口うるさく説教をし、事と次第によっては体罰も辞さない。ドミニクには恐怖の対象だ。
今は外国の支店を出すために、各国を渡り歩いて国内にいないのが幸いだった。
浮気した事を、ユーニスは泣いて謝罪すれば許してくれた。
ドミニクとしては、人助けをしたらちょっとした副産物が付いてきてしまっただけ。子どもができたのに驚きはしたけど、決して悪い事をしたとは思っていない。
(ふふっ、やっぱり女性はちょろいな。ちょっと涙を見せればすぐ許してくれる。妻なんだし、このくらい許してくれて当然だ。養育費も父上が出してくれたんだから、彼女に迷惑はかけていない。その代わり、彼女をいっぱい愛してあげればいいんだしね)
しかし、その後も寂しいと訴えてきた女性を助けたら、その女性も子どもを産んでしまった。
これにユーニスは「もう触れてほしくない」と、ドミニクとの情事を拒絶するようになってしまったのだ。
(何なんだよ、まるで彼女たちを病原菌みたいに扱って。ひどいと思わないのか?)
せっけんで洗っているのに、一体自分の体のどこが汚いのか、まったく理解できない。
とはいえ、彼女は自分の妻だ。ほとぼりが冷めればまた以前のように夜を共にできる。
ユーニスにはもうほかの女性とはしないと言ったが、そんなのは嘘だ。
女性を助けるのは義務であり正義。やめるつもりはないし、そもそも夜の相手をしてくれないのに、するな…なんていうのは横暴だ。
馬鹿正直にそれにうなずくほど、自分は愚かではない。ばれなければいいだけだ。
しかし、まさかの3人目ができてしまい、屋敷には来るなといったのに来てしまった。浮気がばれてしまい、ユーニスはもう覚悟を決めたようだった。
彼女は離縁状を自分に突き付け、離縁に一歩も譲らない。どんなに泣いて謝ろうとも、彼女は表情一つ変えずドミニクを見下ろす。普段は新緑のような鮮やかな瞳が、このときばかりは樹海のごとき先の見えない深緑となって、その深奥に深い怒りを湛えていた。
それに恐れおののき、仕方なくサインをした。
離縁状は執事に提出させるフリをして預かろうとしたけど、ユーニスは自分の手で提出してしまった。
本当は隠しておいて、彼女の怒りが収まったころに仲直りしようと思っていたのに。
(まぁいい。ユーニスが怒っているのは、ぼくを愛しているからだ。そのうち戻ってきて、ぼくと復縁したいと言い出すはずだ)
そう高を括っていたのに、一月、二月と経っても彼女は戻らない。
妻のいない屋敷に帰るのが寂しくなったドミニクは、自分の子どもを産んだ女性の下へと足を運んだ。
(子どもの顔を見に来た形にして、メリンダに慰めてもらおう)
しかし、そこでドミニクにとんでもない事実が告げられる。
家を訪ね、出てきたメリンダに『子どもに会いに来た』と言うと、彼女は呆れたように言い放った。
「はっ?子どもならいないわよ。さっさと捨てたから」
「なっ…ど、どういうことだよ、メリンダ!」
「どうもなにもそのままよ。あ、まさかあれが自分の子どもだと思ったの?そんなわけないじゃない。あはははは!本当に世間知らずのボンボンなのね。あんなに早く子どもが生まれると思った?」
メリンダの衝撃の告白に、ドミニクは混乱して考えがまとまらない。
(そ、そういえばメリンダとはいつした?ダメだ、覚えていない。子どもが生まれるのって、そんなに時間がかかるのか?いや、それはどうでもいい!)
自分が助けた女性からのひどい裏切りに、悲しみで涙がにじむ。
「ぼ、ぼくを騙したっていうのか!?」
「騙されたあんたが悪いのよ。いいじゃない、お金持ちの息子なんだし、少しくらいお金分けてくれたって。うわっ、何男のくせに泣いてるのよ、みっともないわね。ほら、もう出てって!」
目の前でドアが勢いよく閉められ、締め出された。
ショックで崩れ落ちたドミニクだが、他にも女性がいるのを思いだす。そちらで慰めてもらおうと、重い足を引きずりながら向かった。
だが、他の二人も同じだった。ノーマとマリンも子どもを捨てたどころか、ドミニクとの子どもではないと言うのだ。
どうしてそれが断言できるのかとノーマに問い詰める。そうしたら、なんと自分とするときには既に妊娠していたのが分かっていたのだと。
托卵され、養育費までだまし取られた事実に失意のまま屋敷へと帰った。
一人だけの寝台で膝を抱えて座り、落ち込んでいると、だんだんと騙されていた怒りがこみあげてくる。
(ぼくの善意を踏みにじりやがって…なんてひどい女たちだ!)
ドミニクはすぐさま父の下へと向かった。
父に、婚外子と思われた子どもが自分の血を引いてない。養育費をだまし取られたんだと報告すると、父は顔を真っ赤にして怒り狂った。
「ふざけるな!わがデレクア侯爵家から金をだまし取っただと!許せん!」
父の怒りにドミニクは大きな味方を得たと思い、喜んだ。
これであの女たちに仕返しができる。そう思っていたのに。
「そ、そうなんだ父上。だから……」
「馬鹿者!貴様もだ、ドミニク!」
「えっ?」
どうして自分が?と呆けていると、デレクア侯爵は親の仇のごとく強い怒りを込めて睨みつけてくる。
「貴様があちこちで女と遊ぶせいでこんな事態になったんだろうが!もし金を回収できなかったときは、貴様に払ってもらうからな!」
「そ、そんな!彼女らが悪いのであってぼくのせいでは…」
「黙れ!デレクア侯爵家にありながら商才が無く、顔しか見栄えがない愚か者が。客寄せくらいはと大目に見ていたが、勝手に値引きするなどくだらんことばかり……。貴様はとっとと店に戻って、少しでも稼ぎを増やしてこい!」
「う、うぅ…」
父が自分のために怒ってくれた。その喜びは束の間で、結局父の怒りはドミニクのためではなく、金を騙し取られた怒りでしかない。誰も自分の味方になってくれないことに、ドミニクは真夜中に部屋の灯りがすべて吹き消されたような絶望を味わわされた。
ドミニクは衛兵に屋敷から無理やり追い出され、意気消沈しながら店に戻った。
その後、3人の女性は詐欺で捕まり、返金と処罰が決まったようだが、どうでもいい。
それよりも、全額が回収できなかったため、その一部がドミニクの借金として背負わされたのだ。
今は店で働いた給料の全てを借金の返済としてあてられている。そこに自分の意思の介入は一かけらも許されない。
自由に使えるお金はパン1個分すらなく、何か欲しければ全て副店長を通して買うしか許されない。
しかし、副店長はドミニクの要望の尽くを却下しており、いかに必要なものかを熱弁し、頭を下げないと許可してくれないのだ。それがさらにみじめさを増幅させる。
(くそぉ…平民風情になんでぼくがペコペコしないといけないんだ!父上も、なんでぼくよりこいつを信頼するんだよ!?ぼくはあなたの息子じゃないか!)
副店長は、デレクア侯爵が平民でも優秀だということで抜擢した人材だ。
その商才はドミニクなど足元にも及ばないが、彼は知る由もない。
貴族の令息たる自分が、身分も立場も劣る相手に頭を下げないといけない状況は、ドミニクを不貞腐れさせていった。
しかし、不幸はこれに留まらない。
ユーニスと離縁してから数か月後。いきなり婚約が決まったのだ。
その相手はモニカ・スタルタス公爵令嬢。
格上の公爵家からの輿入れに、どうして侯爵家の次男にすぎない自分が候補になったのか。その疑問に、デレクア侯爵が憎々し気に答えた。
「不貞をして王弟殿下との婚約を解消させられたらしい。貴様にはお似合いの女だ。これは王命だからな。今度外で女と遊ぶ真似をすれば、ただではすまんぞ。覚悟しておけ」
その答えに、ドミニクは身を震わせた。何かあるとは思ったけど、まさか王族との婚約で問題を起こした特上のいわくつきという。
しかしそれ以上に問題なのは、ユーニスがいるのに婚約が決まってしまったことだ。
(そんな、ぼくをまだユーニスが好きなのに勝手に婚約だなんて。これじゃあユーニスが戻ってこれないじゃないか。でも、王命なら仕方ないか……彼女も分かってくれるはずだ。もう結婚できないかもしれないが、内縁の妻としてなら受け入れてくれるに決まってる)
自分を愛してくれているユーニスなら、きっと大丈夫だ。未だに連絡が来ないし、帰ってもこないけど、必ず彼女は帰ってくる。それを待ち続ければいい。
それよりも問題は、公爵家の令嬢だ。輿入れなら持参金も持ってくるだろうし、少しは自分もその金が使えるはず。
やっと欲しかった物を買ったり、買い物に来る女性のために値引きができる…そうドミニクは思っていた。
しかし、その考えが甘すぎることを早々に思い知らされる。
「あなたがドミニク?貧相な男」
モニカとの初対面。その最初の一言はドミニクは硬直させるのに十分だった。
見た目はピンクの髪をふわふわとさせて可愛らしいのに、中身はとんでもない畜生だったのだ。
しかも、不貞の原因は年下の美少年を何十人も食い散らかしていたというから、筋金入りの変態である。
さらに、持参金は一切持ち合わせていない。
ドミニクとの婚約は不貞をした罰らしく、モニカに贅沢な暮らしを許さないためなんだとか。
これには己の不幸を嘆くしかない。
(ぼくとの婚約が罰だなんて、一体何なんだ!どうしてぼくだけがこんな目に遭わなくちゃいけない!?しかもこの女、絶対に触らせてくれないし…)
モニカの美少年好きは病的で、ドミニクのような大人の男との夜伽はおろか、エスコートにすら応じてくれない。
婚約し、モニカはドミニクの屋敷に移り住んでいるが、顔を合わせる事はほとんどない。それどころか、質素な生活を強いられてストレスを感じているからか、いつも侍女を怒鳴り散らしている。
屋敷の中がどんどん殺伐とし、どうにもならない事態に陥って日々精神を削る思い。
そんな時、思い浮かべるのはユーニスだった。
(またあの女が騒いでる、あぁうるさい……。ユーニスなら、こんな風にうるさくわめき散らかすなんてなかったのに。早く戻ってきてくれ…)
自分をあまり頼ってくれず、少しつまらないと感じていた。しかし、逆に考えれば面倒も無く、常に自分を立ててくれていた。満足度は低かったが、穏やかだったのは間違いない。
彼女が屋敷に居た頃を思い返し、懐かしさに浸るのが、唯一の安らぎとなっていた。
しかし、そんなドミニクにさらに憂鬱な知らせが届く。
モニカの元婚約者である王弟殿下は再婚約をしたらしく、そのお披露目会の招待状が届いたのだ。もちろんそこにはドミニクの婚約者であるモニカの出席も含まれている。
(はぁ、彼女に話をしないといけないのか。憂鬱だな)
キーキーわめく女が苦手なドミニクは、陰鬱な気持ちを抱えながらモニカの部屋へと向かう。
どんな反応をするのかと思えば、なんとモニカは参加に前向きだった。
「当然、ドレスくらいは用意していただけるんでしょうね?」
「…ああ、父に頼んでみる」
お披露目会に参加できるのがよほどうれしいのか、それからはわめき声が聞こえなくなった。
それを不思議に思いながらも、ドミニクは父にモニカの新しいドレスを頼む。
さすがに王弟殿下のお披露目会に、古着のドレスでの出席は出来ない。父もこれを了承し、モニカのためのドレス作りが始まった。
喜ぶモニカを尻目に、ドミニクはそのお披露目会にもしかしたらユーニスが現れないか、そんなかすかな希望を抱いていた。
(ユーニス……君は今、どこにいるんだ?)




