第11話
兄王の言葉にロイは驚き、体が固まってしまった。
「ど、どうしてそれを国王陛下が…」
「二人きりだ、兄と呼べ。それよりも、その女性が子どもを産んだらしいのだ。紫の瞳を持った子どもをな」
「っ!!」
それを聞いた瞬間、思わずロイは立ち上がった。
国王が「落ち着け」と苦笑して座らせようとするが、とうてい落ち着けるわけがない。
「ど、どういうことですか!?あの女性がこど…いえ、どうして兄上がそれを知っ…!」
「落ち着けと言っておろう。順に説明する。まずは座れ」
「はい……」
渋々座り直したロイに、国王はさきほどのシン伯爵の話を聞かせた。
それを聞き、ロイは目を輝かせる。
あの赤い髪の女性の正体が分かり、しかも紫の瞳の子どもを産んだ。ロイの血を引いているのは間違いなく、その話のすべてがロイの身体に歓喜の嵐に包み込んだ。
(あの女性はユーニス・シン伯爵令嬢だったのか。どおりで酒場にいるのに気品があると……それにしては溌剌としていたな。それに子どもか。確かにタイミングでは彼女とした時期と一致する。いやしかし、まさか、そんな……)
信じられない気持ちだった。
もう会えないと諦めていた女性と、こんな形でめぐりあわせが起きるとは。
あの情熱的な夜の思い出は決して幻ではなかったのだ。これがうれしくないわけがない。
まるで、心に天使が舞い降りてきた気分だ。王の御前だというのに讃美歌でも歌いくらいである。
歓喜に震えるロイに、国王は神妙な面持ちで訊ねた。
「それでロイ、お前はどうする?」
「どうする……とは?」
「お前は婚約解消され、独身のまま。相手は同時期に離縁し、出戻りになったがすでにこどもがいる。しかも父親が誰なのかもわからない。表向きはな。お前たちの状況が、単純に祝福されるわけではないのはわかるだろう?」
「……はい」
ロイは国王に指摘され、表情を曇らせる。
このまま結婚して、はいおめでとう…とはならない。特に、世間の風当たりは間違いなくユーニスに強いはずだ。社交界の風は、女性には極寒の北風並みに厳しい。
いくらロイが風よけになろうとしても、防ぎきれるものではない。
結婚もしていないのに情事に及んだ……それは特に女性側の信用を失墜させるのだ。
ましてロイは王弟。権力目当てだと揶揄されてもおかしくない。
無理やりロイを襲い、既成事実を作った。そんな噂話が飛び交うかもしれないだろう。
実際には、騎士団長でもあるロイが女性相手に組み敷かれるなどありえない。けれど、夫人たちの噂話はそんな現実要素など簡単に無視する。
寝込みを襲ったとか、媚薬を盛ったなどとありもしない尾ひれがつくかもしれない。そこまでいくとロイに対する侮辱にもなってくるのだが、卑怯者を貶めるのに緩める手はないのだ。
(彼女を守るためならば、結婚しないのも一つの手になってしまうのか…)
興奮状態だった頭が、冷や水をかけられたように冷えていく。
場合によっては、ユーニスとその子どもを守るために二人の存在自体を秘匿しなければならないかもしれないだろう。
自分の迂闊な行動が、彼女を表舞台から遠ざけてしまったかもしれないと思うと、ロイは強い後悔を感じた。
(くそっ……やっと、素敵な女性と巡り会えたと思ったのに)
美少年好きなんてとんでもない変態女と婚約していたため、ロイは強い女性不信に陥りかけていた。しかし、それをひっくり返すほどにユーニスはロイにとって魅力的な女性だ。まっすぐに、正直で、裏表がない。それでいて冷静で理知的な面もある。ロイが落ちないわけがなかった。
諦めたくない。けれど、彼女を思えば諦めないと、辛い思いをさせるかもしれないのだ。
苦悩する異母弟に、国王は息を吐いてから眉尻を下げる。
「…お前には公爵家からの莫大な慰謝料がある。女性一人、子ども一人をかくまうのはわけないだろう。それで…」
「イヤだ」
兄王の提案に、ロイはすぐさま拒否を示した。
(わがままだと思われてもいい。守り切れるのか?それに答える自信だってない。でも、諦めるなんてそれだけは絶対に嫌だ!)
この状況を打破するだけの案はない。しかし、だからといってまだ結論を出したくもない。
ロイは兄王を見据え、まだその手段を取りたくはないと、目で強く訴えかける。
「分かっておる。お前にとっても、決して一晩だけの遊びの関係などでは済んでいないのはな。だが、あまり猶予はないぞ?子供が大きくなれば隠しきれなくなる。その前に、決めろ」
「分かりました。…ただ、その前に一つお願いがあります」
「なんだ?」
「…一目でいい。ユーニス嬢と、その子どもを見たい」
ロイは確信が欲しかった。
その女性が酒場で出会った女性であり、そして自分の血を引く子どもであるのをこの目で確かめたいのだ。万が一でも別人だったでは笑い話にもならない。
そして何より、自分の胸に湧き上がっている『会いたい』という欲求が抑えられなかった。
ロイの願いを、兄王は「シン伯爵と調整したうえで連絡する」として受け入れてくれた。
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数日後。
ロイは、外からシン伯爵家の中庭が柵越しに見える位置に、コートを被って待っていた。
傍目からは怪しく見えるが、衛兵が近くにいる。追い払うどころか、むしろ守るように振る舞っているので、誰も通報していない。
「たまには外に出るのも良かろう?」
「はい、お父様」
中庭にシン伯爵と、あの時見た女性が現れた。
1年ぶりにユーニスの姿を見たロイは、その姿に確信した。燃えるような赤い髪に、エメラルドを思わせる美しき緑の瞳。間違いなく酒場で出会った女性であり、うれしさのあまり頬が緩むのを抑えられない。
(確かにあの時の女性だ!本当に、また会えるとは……腕に抱いている赤ん坊が私と彼女との子ども、なのか?)
ユーニスの腕の中には毛布に包まれた子どもが見えた。
しかし距離があり、その子の目が紫なのかまでは見えない。
父親と共に出てきた彼女の表情は明るく、あの酒場で見たときは違う笑みだ。だが、どちらも魅力的であるのは間違いなく、そこに違いはない。
むしろ、あの酒場での笑顔は自分しか知らないのではと思うと、ロイの心に暗い悦びが浮かぶ。
(あぁ……やっぱり、彼女と共に生きたい…!)
本人を目にしてしまうと、ますます彼女と結婚したい気持ちが強くなる。
婚約解消した公爵令嬢であるモニカ相手には無かった願望の強さだ。あの時はどちらかと言えば、年齢的な意味で結婚したほうがいいと思っていた。モニカ相手に思っていた結婚願望に比べれば、あまりにもユーニスへ向ける想いは強い。
モニカとは、文字通り清く正しい交際を続けていた。キスはおろか、手をつなぐことさえ稀。
それを公爵家の箱入り娘だからと思っていたが、真相を知った今では何の感慨もない。だってモニカは、ロイに触れてほしくなかったのだから。それどころか、今ではロイも元婚約者には触れたくすらない。
だがユーニスは違う。彼女とは肌と肌を触れ合わせ、思いのままに肉欲をぶつけ合った。
男として、いきなり妻相手に初体験というわけにはいかないから、事前に娼婦で練習はしている。だが、熟練の娼婦と初々しい彼女とでは、圧倒的に彼女としたときの興奮が勝った。
テクニックだとか経験だとか、こざかしいものをすべて置き去りにし、ひたすらに体を求めあう。脳が焼き切れるような悦びは、いまだかつて感じたことがなかった。
酒場で語り合ったときも、兄王にすら晒さなかったモニカへの不満をぶちまけ、それを彼女は受け入れてくれたのだ。心を受け入れてもらえた喜びに勝るものなど、いったいどこにあろうか。
ロイにとってユーニスは、まさに自分を地獄の底から救い上げてくれた女神にほかならず、最上の愛と尊敬を抱いている。あのときの彼女の笑顔は、今もなおロイの原動力となっていた。
だが、自分と結婚すれば、ユーニスの笑顔は曇ってしまうかもしれない。
結婚したい。笑顔でいてほしい。輝く太陽のような笑みを、自分が一番そばで見ていたい。願わくば、我が子をこの腕に抱き、彼女の隣にいるのが自分でいたい。
それを望むのは、我儘なのだろうか。人として当たり前の欲求ではないか。
食べ、眠り、愛しい人と肌を重ねる。それと同じはずだ。わがままだなどと、だれにも言わせない。
だが、まだ時期尚早だ。彼女のためにも、うかつなことをすべきではない。ゆっくり急げとも言う。
(…今日は姿を見れただけでもいい。どうするかは、これから考えよう)
ロイはその場をゆっくりと去っていく。
その後姿を、シン伯爵は柵越しに悲痛な表情で眺めていた。




