第10話
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そうと決めたシン伯爵の動きは早かった。娘と、そして孫の幸せのために疾風迅雷のごときだ。
まずは国王との面会の約束を取り付ける。
内密な話にくわえ、シン伯爵は国王の覚えがめでたいため信頼も高い。面会は国王の執務室で二人きりで行われた。
「……ということにございます」
シン伯爵は国王に、離縁した娘が子どもを産み、その子どもの瞳は紫であったこと。そこから、娘がロイと関係を持ったと正直に告白した。
それを聞いた国王は、驚きを隠せなかった。
「まさか、ロイがその場で出会った女性と関係を持つなど…」
国王が知るロイは、生真面目だが優しく、誠実で、一夜限りの関係を持つ軽い男ではないと思っていた。異母弟ならばそのような重大なことを、口にせず流す不埒な真似はしないと信じていただけに、ショックを隠せなかった。
しかし、思いだされるのは、ロイが公爵令嬢との婚約解消にショックを受け、一人で街に繰り出したときだ。
あの時は彼の心情を慮り、一人にさせた。ロイは本当に公爵令嬢を愛し、それゆえ愛に応えてもらえないことを真剣に悩んでいた。それだけに相手の裏切りはかなりショックだったはず。その姿を、近しい者には見せたくないだろうと思い、警護を外した。
彼は騎士として確かな実力を持っているので、王族といえど一人だから危ないこともない。王都の中であれば大丈夫だろうと護衛も付けなかった。
さすがに朝帰りをしてきたのには驚いたが、その顔はどこか名残惜しく、それでいて前を見据える決意にあふれていた。あれは街でショックを吹っ切ったのかと思ったが、シン伯爵の言った内容が事実だとすれば話は変わる。
(あの顔は、シン伯爵の令嬢と出会い、情事を行ってきたからだったのか?だとすれば、あの名残惜しむ目は、決して遊びの関係で済ませてきたわけではなさそうだな)
生真面目な弟が情事に及べば、必ず責任を取って結婚すると言い出すはずだ。だがそうならなかったのは、シン伯爵の娘がそうならないよう仕向けたと見るべきか。
(シン伯爵の令嬢…確かユーニスといったか。その娘が嫁いだデレクア侯爵家は最近とんでもない騒ぎを起こしてくれた。あの家との離縁を決めたのは娘の方だと聞く。運よく逃れたというべきか、娘がいなくなったから表ざたになったと見るべきか。いや、今はそれはどうでもいいか)
デレクア侯爵家の次男と当主の件は脇に置いておく。
今はユーニスとロイとの間にできた子どもの今後を、決めなければならない。
「確認するが、間違いなく紫の瞳を持っているな?」
「はっ、間違いございません」
「それを知る者は?」
「屋敷内の人間にとどめております。使用人たちにも口外せぬよう申し付けております」
「うむ、それがいい」
離縁した伯爵家の娘が、未婚の王族の血を引く子どもを産んだ。とんでもないスキャンダルである。
幸いというべきか、国王には既に息子がおり、ロイの王位継承順位は低い。ロイ自身も王位を望んでいないため、その子どもの順位も低い。継承争いに巻き込まれるリスクも少ないとみていいだろう。
子どもの存在自体は大きな問題ではないが、早いうちに結論を出すべき事案である。
「そなたの娘は、父親を知っていたのか?」
「いえ、知りませんでした。私から教えられ、動揺し、とんでもないことをしてしまったと慌てふためいておりました。あの様子から、王弟殿下をたぶらかし、王族に取り入ろうという魂胆は無いと誓います」
「…そうか。ならばそなたを信じよう」
「ありがとうございます」
シン伯爵の言葉に、国王は重々しく頷いた。伯爵令嬢が王弟を知らなかったというのは少し問題ではあるが、ロイは王宮の堅苦しい空気を嫌い、公式な場にはあまり出たがらない。
そのため、面識というか顔に見覚えがなかったとしても仕方ないかもしれない。それに嫡男の嫁ならばともかく、家を継ぐこともない次男坊の嫁。さほど公式の場に出る機会が少ないこともあれば、ニアミスしていたというのも十分考えられる。
(もし、ロイを利用して王族に取り入ろうなどと考える娘であれば、生まれた子供とまとめて始末してやろうとも思ったが、それは早計だな)
国王はシン伯爵の下げた頭を見ながら、これからどうすべきかを考える。
一般的に考えれば、ロイとその娘を結婚させるべきだ。すでに子どもがいる以上、そうしなければ最悪隣国との外交問題になりかねない。
だが、国王には弟の気持ちも優先したいと、兄としての想いもあった。
長年婚約関係にあり、結婚すると思い込んでいた女性の裏切りに、ロイがどれだけ落ち込んだか。あの時の弟の悲痛な表情は、兄として見ていられなかった。
結局、あれからロイは騎士団長としての職務に邁進し、一切の女性関係を持っていない。ちょうどいい年齢の未婚の令嬢がいなかったのもあるが、本人がそのつもりはないと宣言したのもある。
(あの宣言は、まさかその娘がずっと心にあったからか?ならばいいのだが…)
王弟ではあるが、王位から離れている以上、政治的にはそれほど相手の家格を重要視する必要ない。
その点、シン伯爵家は古くから王家に使える家系であり、目立った成果はないが、堅実な仕事ぶりを評価している。その娘であれば、王家としてもなんら問題はない。
(であれば、何よりもまずはロイの意思を確認するところから始めねばならんな。10か月近く前に出会った娘のことを、まだ覚えているようであれば考えてやらんでもない)
普通ならとうに忘れてもおかしくないはず。しかし、ロイをよく知る国王は、異母弟ならば覚えていても不思議ではないがなと内心苦笑した。
国王はロイに話をすると決め、シン伯爵にもそれを伝えた。
「分かった。わしからロイに話そう。……そなたも知っての通り、ロイはあの件以来、女性に良い感情を抱いておらん。だが、それでもそなたの娘との情事に及んだとなれば、決して悪い感情を抱いてはおらんだろう。願うならば、その娘を王家に迎えたい。覚悟はあるか?」
「ロイ王弟殿下が、娘の幸せを望むのであれば」
シン伯爵の返答は、ロイが結婚を望めば受け入れるというものではなかった。ロイがユーニスの幸せを望み、その結果としてなら結婚を受け入れると。
その親バカぶりに国王は苦笑し、シン伯爵を退出させた後、すぐさま侍従にロイを呼びに行かせた。
「国王陛下。ロイ、参上しました」
「堅苦しい挨拶は無しだ。ここにはわしとお前しかおらん」
「わかりました」
ロイは国王の対面にあたるソファーに座った。
騎士団の書類作業をしていたところ、緊急の用だと侍従に呼ばれ、慌てて飛んできたのだ。
しかし、執務室に入ると国王しかおらず、緊迫した空気もない。
(緊急のわりには、ずいぶんのんびりしているな…?)
なんだかおかしいと思いつつ、ロイは異母兄の言葉を待った。
「さて、お前と回りくどい話をしてもしょうがない。……ロイ、1年近く前に婚約解消したときを覚えているか?」
「……忘れるわけがありません」
忌まわしき記憶を掘り返され、ロイは顔をしかめた。
ロイが婚約していたのは、モニカ・スタルタス公爵令嬢だ。
ロイが16歳の時、モニカが15歳の時に婚約。フワフワのピンクの髪で、どこかほわほわした可愛らしさがある女性だった。公爵家の姫らしく気品にあふれ、その見た目と所作にロイは一目で気に入った。
実はロイが20歳になったときに、一度プロポーズをしている。お互いにいい歳になったのだから、そろそろ結婚してもいいと思ったのだ。
だが、モニカは断った。
「まだ、ロイ様に嫁ぐ勇気がもてなくて……ごめんなさい」
庇護欲をあおる彼女にそう言われては、無理に結婚を推し進められない。娘を溺愛するスタルタス公爵も娘の意向を尊重し、結婚の話は流れた。
しかしそれから期を見ては結婚の話を振っても、そのたびに流される。
モニカは公爵令嬢として、とうに淑女教育を終えている。結婚し、王弟妃となるのに彼女以上の適任はいないだろう。彼女が勇気がないとなれば、ロイの妻になれる女性などこの世にいないことになってしまう。それが不思議だった。
そこでロイは、自分がただの王弟でしかないのを彼女が不安に思っているのではと考えた。
(そうだ。私には生まれしかない。この身で確かな何かを身に着けなくては)
当時ロイは騎士団に所属し、騎士として働いていた。
しかしそれだけでは公爵令嬢であるモニカの夫としては物足りない。そこで剣の腕を磨き、トップを目指すべく統率力も磨いた。
元々才があったのか、わずか23歳と最年少で騎士団の団長に就任。
騎士団長の椅子に座り、名実ともに確かな手ごたえを感じたロイは、再びモニカに結婚を申し出た。
(これなら、モニカも結婚を受け入れてくれるはず!)
だが、ロイの目論見とは裏腹に、モニカの答えは変わらなかった。
どうすれば彼女は結婚にうなずいてくれるか。悩んでいたとき、とんでもない情報がロイの耳に飛び込んできたのだ。
それは、モニカが10歳ほどの下男見習いを王宮の一室に連れ込み、情事に及んでいたという知らせ。
なんと、モニカは美少年好きであった。それも10歳前後のまだ年端もいかない年頃が。
モニカが結婚しなかったのは、ロイみたいな大人の男が大嫌いだという、更なる衝撃的な事実も明らかになったのだ。
ロイは子どもの頃から、少し年齢が上に見られる程度に大人びた顔つきをしている。
初めてモニカとあったときは16歳ほどであったが、その時点でモニカの好みの対象外であったわけだ。
しかもこれが初犯ではないというから、そのショックは倍増する。
モニカは常に侍女を二人を従え、好みの少年を見つけると、ところかまわず行為に及んでいた。侍女の一人は周囲を、もう一人は行為に及ぶ部屋のドアの近くで見張りと手慣れた役割分担もしている。
モニカの毒牙に掛かった少年の人数は30人以上。しかも一度ではなく、複数に渡って行為に及んだ少年もいる。
(熱心に孤児院に通っているとは聞いていたが、ただの変態だったのか…!)
事実が明らかになるほど、ロイは怒りに震えた。
調査では孤児院の少年からも証言が取れた。
歳を重ね、孤児院を出てすでに青年となった者の中にも、モニカの被害者はいたという。
そんな女をロイと結婚させるわけがないと国王は大激怒。
娘を溺愛する公爵も、モニカの愚行には弁明することもできず、莫大な慰謝料を払って婚約を解消した。
自分が結婚したいと考えていた娘の裏の顔を知り、自分に微笑みかけながらも裏で嫌っていた二面性にショックを受けた。とんでもない女を好きになっていた事実にロイはいたたまれなくなり、伴も付けず一人になりたいと街に出掛けていったのだ。
愚かな自分を誰にも見られたくなかった。尊敬する国王から、哀れみの視線を向けられるのが恐ろしかった。
そうして街をぶらつき、ふと目に入った酒場に立ち寄ったとき、出会ったのがユーニスである。
嫌な記憶を思い出したが、同時に良い記憶も思いだした。
(あの女性は…今も元気にしているだろうか)
忘れたことはなかった。
燃えるような赤い髪に、美しいエメラルドの瞳を潤ませながら肌を重ねた女性。
あのときを一晩で表すならば、間違いなく『情熱』だ。
それだけではなく、互いに思うがまま心に沈めていたわだかまりを解放し合った。彼女の気持ちのいい愚痴っぷりは、礼儀だ人目だと常に周囲を気にしながら生きているロイには新鮮そのもの。
淑女の鑑だったモニカを愛していたはずなのに、その正反対の振る舞いをする彼女に惹かれた。今思えば、元婚約者のことは義務感で愛そうとしていただけだったのではないかと、思うことすらある。
明確に心が赤い髪の女性に奪われた。あれほどまでに心も体も解き放ったのは、後先ない。
それだけに、彼女から無かったことにしようと言われたのはショックだった。だが仕方ないとも思った。お互い、一切名乗っていない。それなのに体を重ねたなど醜聞でしかなく、まして自分の立場を考えれば、女性は断りにくいだろう。
彼女の意思を尊重し、断腸の思いで別れた。あのときの辛さはモニカの真実を知った時以上だったが、同時に晴れやかな気持ちでもあった。
実は別れた直後にロイは約束を破り、振り返っていた。だが、女性はその背中を見せたまま歩みを止めていない。その潔さに感服し、ロイはまた前を向いた。そして二度と振り返ることなく、王宮へと帰ったのだ。
その経験があるから、ロイはモニカのことを引きずらず、職務に邁進することができた。今でも彼女のことは忘れられず、ずっと感謝し続けている。
「そうか、確かに忘れられんな。それにしては、ずいぶんと嬉しそうだが?」
「えっ?いや、そんな…」
確かにモニカの事はイヤな記憶だ。だが、赤い髪の女性となれば別である。
そちらを思いだすと、顔がにやけてしまう。ロイはとっさに口元を手で隠した。
「さて、本題だ。ロイよ。お前、その時、赤い髪の女性と出会ったな?」
「えっ?」
ロイの時が止まった。




