5.鈴木家の人々
大きな門の前に立つと、左を見て右を見て、そこから延々伸びる白壁の塀の長さをいつも確認してしまっている。けれど凛太朗の方はそのぼくの姿にとっくに見飽きているので、さっさと門を開けて先に中に入っていった。
前庭を通り、家屋の方に向かう凛太朗の背中を見ながら、ぼくはここに来る道中を思い返す。
迷った末、結局ぼくはファミレスでの出来事を凛太朗に話していた。だけど彼は「人間誰しも機嫌が悪い時はある」というひと言で、この話を片づけてしまった。
まだ半信半疑というか未だ残る戸惑いに尻込みして、ぼくの伝え方が柔らかくなってしまったせいもあるのだけれど、その反応は淡泊すぎるものだった。ぼくが彼女の発言から感じたニュアンスはそんなふうでもなくて、凛太朗の返事に「うん、そうだね」と同意を返すには噛み合わせの悪い何かが残っている。でも確かにあの出来事だけで彼女の人間性に疑いを持つのはあんまりにも思えて、ぼくはひとまず凛太朗の意見に同意する努力をすることにした。
とっとと先を行った凛太朗の後を追って門を抜けると、古いけれど目を瞠る立派な日本家屋がある。生い茂る庭の木々の向こうには古めかしい倉も、一つ二つ見える。
凛太朗の家、鈴木家はこの辺りでも有名な資産家で、大きな贅沢をしなければ働かなくても日々を送れる貯蓄も不動産も所有している。けれど現在の鈴木家家長である凛太朗父はそれでは人間が腐る、必要な金は自分で稼ごう、を信条としていて、彼も彼の長男も会社員をしている。
その凛太朗父、与一は四十二才の豪快な元ヤンで、十二年前に妻を亡くして以降、父子家庭であることを貫き通している。凛太朗より六つ上の兄の陸はこの家族一番のしっかり者で、料理好きの彼は時々客を招いて食事をごちそうしてくれる。今日も彼と顔を合わせた際、夕飯の招待を受けていた。今晩は夕食がいらないことを時雨に一応電話報告した後、ぼくは広々としたリビングでくつろぐ凛太朗の向かい側に腰を下ろした。
「なんか悪いな、急に誘って」
「いやいいよ。時雨とはいつも一緒に食べてる訳じゃないし、別に構わないよ」
「そっか……まぁ、そっちにもいろいろ事情があるんだな……ああ、そういえばその時雨ちゃんだっけ? 前から気になってたんだけど、あの子っていつ見てもあの格好してるよな」
「ああ、あれはああいう生き物なんだよ。気にすることない」
「は? 生き物? なんだそれ?」
怪訝な顔をしながらも軽く笑う凛太朗に笑い返していると、凛太朗兄、陸が呼びに来た。向かったダイニングの大きなテーブルの上には、彼の手料理が所狭しと並んでいる。
「よぉ、久しぶりだな、要」
「ども、こんばんは」
男前の凛太朗の父である与一は当然の如く男前で、年齢と経験を積み重ねている分、そこに色気と余裕がプラスされている。
「ゆっくり食べていって、要君。たくさんあるから」
兄の陸も同様で、彼を見ていると顔は知らないけれど凛太朗の母親もきっと美しくて優しい人だったのだろうなと推測できる。恐らくそんな母親似であるらしき陸は他の二人より線が細い。繊細な手つきで様々な料理を作り上げる彼は、鈴木家の人達の特徴でもある大雑把さも比較的少ない。
「要、彼女はできたか?」
肉料理が似合う凛太朗父が、手羽先に食いつきながら突然ぼくに訊く。
「いや……えっと、ぼくは……」
返答に困る質問を曖昧な笑みで返していると、こちらの事情を何も読み取る気配もつもりもない凛太朗父の言葉が続いた。
「何にしても避妊はしろよー、陸にも凛太朗にも言ってある。特に凛太朗には責任を取れるようになるまでは無責任な真似はするなってな」
「そ、そうですか……」
それにどんな反応をすればいいのか曖昧な相槌を打っていると、陸の言葉が続いた。
「父さん、やめてよ、要君が困ってるだろ。要君は彼女がいない歴が年齢と同じをまだ更新中なんだ。その彼にそんなことを言うのは酷だ」
「はあ? それマジか? もう高二だろ? 俺がその頃はもう二桁行ってたぜ」
「……」
この家の人達を表現するならば、大雑把と言うよりもデリカシーに欠ける、と表現した方がいいのかもしれない。けれどこれは彼らなりの親しみの表し方、独特な親しみ感でもあるような気もする。と、そのような受け取り方もぼく的には一応可能ではあるので、こんなことを言われてもぼくは彼らのことが嫌いじゃない。ちなみにぼくが受けたい言葉責めは女性限定なので、彼らのこれで高まったりはしない。
「要君、イトコちゃんが家で待ってるんだよね。後で余分に作った分、包むから持って帰るといいよ」
「すみません、いつもありがとうございます」
「いやいや、僕が好きでやってることだから」
色々と守備範囲外の言葉責めをされたりはするけれど、おいしい料理と楽しい雰囲気満載の鈴木家での夕食は、ぼくにとって一服の清涼剤でもあったりする。もちろん家に帰れば時雨もいるけど、家族の団らんと呼べるこの中にいることは、僅か懐かしくもあり、もの悲しくもある。
夕食の後、リビングに移動して凛太朗父のゆるい与太話を中心に盛り上がって九時も過ぎた頃、時雨用のおみやげをもらったぼくは玄関先で鈴木家の人達に見送られていた。でもその時凛太朗のスマホが鳴って、彼は席を外す。六つ下の弟が場を離れたのを見遣った彼の兄は、スッとぼくに近づいてきて背後の父親を振り返った。
「父さん、僕、要君をそこの角まで見送っていくから」
「おう、そっか。じゃ、またな要」
「ええ、おじゃましました」
挨拶を終えたぼくと一緒に、凛太朗兄も歩き始める。前庭を通り、鈴木家の門を出てすぐの場所でぼくは隣を歩く彼に問いかけた。
「えっと、陸さん、ぼくになにか……」
見送りなど初めてのことでぼくは戸惑っていた。友人の兄は一瞬逡巡してから、口を開いた。
「……ごめんね、要君。君に訊きたいことがあるんだ」
「えっ? 訊きたい、こと……?」
「凛太朗の彼女のことは知ってるよね」
「……え? ええ、はい……」
そう答えながらファミレスでの出来事が過ぎる。あの時の感情も同時に蘇った。
「今親しくしてる三浦というその女性に、凛太朗はいろんなものを渡しているみたいなんだ。倉に保管してあった骨董品とか、それを換金した現金とかをね。父さんは月の小遣い以外を渡さないから、凛太朗はこっそりそんなことをしている。要君、弟が付き合ってる相手は一体どんな子なんだ……? 凛太朗は物で釣るような男じゃないから、そんなことをしていることが理解できない。そう考えたくはないけど、彼女の方が色々と要求しているんだろうか……」
彼がそこの角、と言っていた曲がり角はすぐ目の前に来ていた。ぼくは無言のまま、続く言葉を聞いていた。
「僕が遠回しに言ってみたけど、弟は誤魔化すだけだった。弟には頑ななところがある。僕が言ってもきっと聞かないだろう。要君……お願いだ。君に訊きたいことあると言ったけど、訊ねるつもりはなかった。僕の代わりに諭してほしい訳でもないんだ……もしこの先、弟に何かがあったら彼の力になってほしい。これまで何度も要君に迷惑をかけているのは知っている。勝手な申し出だと思う……だけど凛太朗のこと、弟のことをどうか見ていてやってほしい……」
友人の兄はそこで言葉と足を止めた。
彼が言うとおり、凛太朗には頑ななところがある。
そんな凛太朗が、いつもより強い感情を相手に向けていることも知っている。
ぼくが何かをできる保証はない。保証というかぼくに何かができる気はあまり、というかほとんどしていなかった。でもこんなぼくでも友人を思う気持ちはある。
「悪かったね、こんな話を聞かせて。また夕食を食べに来てほしい」
頷くことも返答することもできなかったぼくに、彼はそう告げて来た道を戻っていった。彼の姿が暗がりの向こうに見えなくなってから、ぼくはうつむいて帰路についた。




