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地獄へ道づれ  作者: 長谷川昏
5.歯科医と死骸/嫉妬と失われる恋/ハロウィンの夜と最後になるかもしれない眠り
40/42

40.半年前の記憶と殺人鬼②

******


 その夜が僕達との初対面であったヤク中の男、丸喪(まるも)康男(やすお)(22)はいきなり僕の父、清志の背中を包丁で刺した。父はその場に倒れ、母の美智は悲鳴を上げて倒れた父に縋った。丸喪は続けてその縋る母をいつも容易く斬りつけると「逃げて」と僕に叫んだ母の脇腹を刺し、言葉に従わず止めようとした僕の腹に躊躇うことなく包丁を突き立てた。

 顔面から倒れ、地に伏した僕の前で丸喪は錯乱のせいなのか元々の目的がそれだったのか、倒れた父と母の持ち物を卑しく漁っていた。僕はどうにか取り出した携帯電話で助けを呼ぼうとしたが、血塗れの指に手間取っている間に丸喪に気づかれ、怒鳴り声を上げながら近寄ってきた丸喪に再び腹を抉られた。

 地面の上の父はもう動いていなかった。母も多分、もう動いていなかった。しかし丸喪は飽き足らず、今度は母を陵辱しようとした。僕はその糞な所業を止めようと力を振り絞って立ち上がった。そのせいで腹からはあり得ない量の血が溢れ、両掌を濡らした。それでも一歩ずつ男の背後に歩み寄りながら「これが火事場の馬鹿力ってやつ……」と確かそう呟いた。小六の頃から薄々気づき始めていた自分の中にある被虐心は既に受け入れていて、この先も共存するものなのだと思っていた。でもそんな自分がそれとは真逆にある暴虐にも似た感情を心の中で爆発させていた。裂けた腹部からは血が溢れ、腸がまろび出そうになっていた。だがそんなことなどどうでもよかった。「あいつを殺す」それしか考えていなかった。

「おい、クソガキ! 何勝手に立ち上がってんだ!」

 僕に気づいた丸喪は母の身体を乱暴に地面に放るといきり立った。その手には三人分の血がついた包丁があった。父の血と母の血と僕の血だった。こんな相手に投げる罵倒の言葉すら、既に生ぬるく感じてた。もう言葉は必要なかった。必要なのはただ実行すること、それだけだった。

「クソ気味悪ぃツラ見せてんじゃねぇよ! この死に損ないのクソガキが!」

 怒鳴り声を上げた丸喪は肩を怒らせて包丁を振り上げた。僕はその腕を掴み取ると力の限り折り曲げた。ばきゃ、と音がして、折れた肘下の骨が皮膚を突き破って外気に晒された。「うおぇいあ」と滑稽にも響く間延びした悲鳴が届いて、丸喪はその場に膝をついた。奴が手放した包丁を遠くに蹴り飛ばし、僕は駐車場の隅に放置されてあった錆びた車のホイールを頭上に翳した。思うより重かったそれを持ち上げたせいで、足元にはぼたぼたと血と肉片が落下した。丸喪は「ひぃひぃ」と声を上げながら地面に這い蹲ってどこかに逃げようとしていたが、僕はその背後に回り込むと後頭部目がけて力任せにホイールを叩きつけた。「ほぎゃっ」という変な悲鳴と鈍い音が響いて丸喪は動きを止め、しばらくその場で身体を痙攣させていたが、じきに動かなくなった。

 僕はその様を見届けると地面に倒れた。辺りを汚す男の血より、自分の血の方が周囲を汚していた。暴虐の力は尽き果て、もう一ミリも動けなかった。昏くなる視界にふと誰かの靴の爪先が映った。自分のすぐ傍に黒い服を着た黒髪の少女がいつの間にか立っていた。

「手違いがあったようだ。判断はこちらでする」

 少女はここにはいない誰かにそう告げると、傍らに膝をついた。

「御蔵島要君、今夜君は死ぬはずだった。だがそれは変更を余儀なくされた。なぜなら君の両親を殺して、君も殺すはずだった男を君が殺したからだ。あの男は本来なら生きてこの先一生をかけて罪を償うはずだった。そして君は君の両親と共に天国に行くはずだった。しかしそれはできなくなった。なぜならあそこで死んでいる男を君が殺したからだ。以上のことから君の処遇に関して私の管轄下にあるものではなくなった。だが予定外の変更には煩雑な手続きを必要とする。申し訳ないが君には地獄行きまでの猶予期間が暫しの間できた。君は今にも死にそうだが新たな予定日が決定するまでの間、君の生命維持と面倒は私が見る。だから心配はするな」

 そのように告げると少女は背にある白い翼をばさりと広げた。そして、にぃと笑った。

 意識を手放す寸前の僕にはそれらの言葉をうまく理解できなかったけれど、自分が〝地獄へ行く〟ということだけは理解できた。



******



「な、なんなんだそれは……」

 城崎は酷く動揺して、ぼくを見ていた。

 相手の目の前でぼくの身体はみるみると〝裏返って〟いく。

 痛みはもうなく、悲鳴は出し終えていた。

 ものの数秒後には目を覆いたくなるような〝モノ〟が相手の前にいた。


 剥き出しになった筋肉と肉と臓。

 遠目で見れば赤黒い肉の塊がその場に立っているようにも見える、そんなモノが彼の目の前にいるはずだった。


「君のことはよく知ったから、もう迷いはないよ」

 ぼくは自分の唇辺りを動かして、城崎に伝える。

 ぼくの唇周辺から零れる、肉が喋っているような音が辺りに響き渡った。


「これはね、ぼくの身体が〝勝手にこうなって勝手に発現させている能力〟なんだ。キモい? キモいよね。ぼくもそう思う。吐き気がするよね。耐えられないものだよ。でも見た? 見たんだよね? 君がするのはそれだけでいいんだ。これはぼくがこうやって発現させることに意味があるんだ。そして、もう終わってる」

「うわぁあああああああああああああ!」


 城崎は耐え難い恐怖の絶叫を上げて、部屋から飛び出していった。

 目の前にある、この世に存在しているとは信じ難いぼくの姿を見れば誰だってそうなる。

 今、ランタンの乏しい明かりが灯るこの部屋には、裂けた腹から全身の肉を裏返した不気味な生物、つまり裂けた腹から全身の肉を裏返したぼくがいる。その姿を目の当たりにした信じ難い体験は、悲鳴を上げたぐらいでは消え去りもしない耐え難いものであるはずだった。


 でも彼がぼくのこの姿を見るのは、これで()()()()()。 

『私の名は時雨だ。よろしくな、要』

 半年前のあの夜、黒い少女がそう名乗った後、ぼくは気を失った。

 再び意識が戻ったのは翌日の夕方の病院で、目覚めた時にはあれほど受けた身体の傷は全て消えていた。何もかもが夢だったのだと思いたかったけれど、警察から知らされた父と母の死という現実は全てが本当に起きたことだと思い知らせるものだった。


 ぼく達を襲った男も死んでいた。けれどそれは父が正当防衛の末にしたことだと事実を改変されていた。だけどあの男を殺したのは確実に確実な殺意を抱いたぼくであり、そして今あるこの命は仮のもので、どれくらいあるかも分からない猶予の末にぼくが地獄行きになることも間違いのない真実だった。


 時雨はあの日からぼくの従姉妹だと偽って傍にいる。時雨が傍にいないと、ぼくの身体はあの夜の状態に戻って、裂けた所から裏返ってしまう。

 事件から二ヶ月後、ぼくは一度時雨に内緒で遠くに行こうとしたことがある。彼女から逃げようとか、そう思ってしたことじゃなかった。ただ、どこに向かうかも分からないバスに飛び乗って、どこかに行ってしまいたいと思っただけだった。でもその時に初めて〝これ〟を体験した。バスを降りて陽も落ちた山道を当てもなく放浪していた時だった。時雨がすぐ後を追ってきていたのと、周囲に誰もいなかったおかげでその時は何も起こらなかった。だけど〝これが引き起こすことについて〟はなんとなく知った。


 (城崎)がぼくを見るのはこれが最後で、ぼくが(城崎)を見るのも最後になる。


 ぼくは彼が放り出していったペンダントを取ろうと手を伸ばした。

 もう一度それを手にすれば元通りになるかどうかは定かではなかったけれど、身体の内部が全て剥き出しになったこの姿では長くはいられない。でも厚手の手袋を更に裏返したような指ではうまく摘まみ上げることができず、何度も苦心しているうちにぼくは、あっ、と声を上げた。掴み損ねたペンダントは抜け落ちた床の暗闇に滑り落ちてしまった。


「はは……」

 ぼくは冷たい床に寝転んで肉が笑っているような表情を作る。頼みの綱であるペンダントは闇に消え、もう目視すらできない。

 もしかしたら今日がぼくの猶予が終わる日だったのかもしれなかった。だから時雨は常にいなかった。

 でも、やるべきことはした。

 もう焦りも落胆もなかった。


「あ、れ……?」

 突如起こった変化にぼくは声を上げた。

 身体がなぜか元に戻り始めている。十数秒後にはいつもの自分の姿に戻っていた。


「遅くなって悪かったな、要。事情はあの厄介でだらしない黒スーツの男に聞かされたよ」

 ぼくは床に横たわったまま、あの夜と同じように黒い服の少女を見上げる。

 まだ、猶予はあるのだと知る。


「……おかえり、時雨」

 ぼくはそう呟いた。

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