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地獄へ道づれ  作者: 長谷川昏
5.歯科医と死骸/嫉妬と失われる恋/ハロウィンの夜と最後になるかもしれない眠り
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35.深夜の失態

 その夜、ぼくはまた眠れずにいた。

 今日も時雨は戻らなかった。でもこのことを考え始めると思考は永久にループをするだけで、何の解決にもならないのは分かっていた。考えても詮無いことを頭から追い出すと、ぼくは父が趣味で収集していた古い映画を観ることにした。


 選んだのは昭和の大推理作家の小説を映像化した作品で、資産家が遺した莫大な遺産を巡って謎に満ちた殺人事件が起こり、名探偵が活躍するものだった。登場する演者達の演技が素晴らしいのはもちろんのこと、細部のディテールや物語に合わせたロケ地やセットが不穏な世界観を見事に描き出していて見所も多く、ぼくの好きな映画の一つだった。

 物語が進み陰惨な事件が終わりを迎えると、残された登場人物の今後の希望もそこでは微かに描かれるのだけれど、罪を犯した人達はそれぞれ相応の結末を辿ることになる。

 皆、最初はそんなつもりはなかった。なのにいつしか越えてはいけない一線を越えて、取り返しのつかない罪を犯してしまった。探偵は一連の謎を解くけれど、探偵が全てを知った時にはもう全てが終わってしまっている。その虚しい心情を吐露する探偵の姿を見ながら、ぼくはふと思った。

 ぼくはもちろん探偵じゃない。でも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……そんなとても曖昧で、酷く不穏な予感に不意に襲われていた。


「ひゃっ!」

 突然部屋中に軽快な電子音が鳴り響いていた。場の不穏さを掻き消すように響いた現実の音に我に返ったぼくは、傍のスマホを手に取った。

 確認すると普段ほとんど使わないメールアプリに着信がある。そのタイトルだけを見て、ぼくは何も考えずそれを開いた。メールに文面はなく、余白にリンク先だけがある。そのリンク先も何気にタップすると途端暗い画面が浮かび上がり、動画らしきものが再生され始めた。


 画面は真っ暗のようにも見えた。けれどよく見ればその中で何かが動いているのが分かる。

 それは下着姿の女性のようで、彼女は自らの両手首を拘束する荒縄を解こうと必死に藻掻いている。剥き出しの肌にいくつもの擦り傷を残しながらようやく拘束を解いた彼女はふらつく足で部屋を飛び出すと、その先も闇が続く廊下を駆け始めた。


 誰か助けて! 誰か!

 彼女は大声で何度もそう叫ぶ。でもその思いは誰にも届くことはなく、画面の中の彼女は迷路のような暗い廊下を必死で駆け巡り、目にした扉の先に救いを求めて順に開いていく。けれどどの扉の先も行き止まりでしかなく、それを確認する度に彼女は絶望の悲鳴を上げる。

 その時ぼくはあることに気づいた。彼女を捉えるカメラは定点ではなく、ずっと彼女の背中を追い続けている。叫び、転び、それでもここから逃れようとする彼女の姿を、カメラのレンズは冷然と追い続けていた。


 いやだ、やだ、離して!

 突如カメラ側から伸びた男のものらしき手が、彼女の腕を掴んだ。彼女は死に物狂いでその手から逃れようとするも、それは虚しい抵抗でしかなかった。その様はついに彼女が追い詰められてしまった姿にも見えた。でもそうではなかった。彼女は最初からずっと追い詰められていた。男はただ、彼女が逃げる様を映画の観客のように愉しんでいただけだった。


 カメラが手持ちから三脚に固定されたものに変わる。

 男は隠し持っていたナイフを取り出し、彼女の目の前に翳す。 

 絶望の絶叫が響き、男が振り上げたナイフが彼女の右腕を切り裂く。

 響く絶叫。ナイフが再び振り翳され、今度は彼女の腹部を切り裂く。

 そして絶叫、またナイフが閃く。


 彼女を切り裂く傷はどれも深くもなく、浅くもなかった。でも決して生かさず殺さず。カメラからナイフに持ち替えた男の手は、今度は彼女の命を弄ぶように切り刻んでいった。

 響き渡る叫びも次第に弱々しいものになり、微かなものに変わっていく。彼女の必死の抵抗も力尽きようとした頃、充分満足を得た男の手が彼女の頭上に翳され、最大級の絶叫が響き渡った。

 躊躇いもなく振り下ろされたナイフは彼女の顔面に……。


「……!」

 それ以上直視できず、ぼくは手にしたスマホを放り出していた。ソファの上に伏せられたスマホからは今も彼女の絶叫が響いている。

 ぼくはしばらくソファに座り込んだまま茫然としていた。でもふと〝あること〟を思い出し、弾かれたように立ち上がっていた。


「可奈子!」

 そのままリビングを飛び出し、ぼくはその名を叫びながら隣家へと急いでいた。ぼくが何も考えずにメールを開いたのは、タイトルが〝可奈子〟になっていたからだった。

 櫻井家に到着したぼくは焦燥する指で何度もインターフォンのボタンを押し、声を上げながらドアを連打した。間もなく鍵が開けられ、扉が開かれた。


「要……どうしたの?」

 姿を見せたのは可奈子だった。彼女は困惑と驚きが織り交ざった表情を浮かべている。彼女が無事であるのを確認したぼくは全身の力が抜け落ちるような安堵を感じていた。

「どうした? 何があったんだ、要君」

 続けて信二さんと裕子さんが顔を出した。冷静さを取り戻したぼくは謝罪を口にした。

「……す、すみません……こんな夜中に……」 

 既に時刻は夜十一時を回っていた。そのような時間に必死な形相でドアを叩き、大声を上げる行為など誰が見ても正気とは思えなかった。


「要君、一体どうしたんだ? 何かあったのか?」

 信二さんが心配そうな顔で再度訊ねる。隣の裕子さんも同様の表情でこちらを見ていた。ぼくは適切な言葉を思いつくことができず、うまくない言い訳を零すしかなかった。

「すみません……ちょっと寝ぼけてたみたいです……」 

「もしかして何か心配事でもあるのかい……? なんだったら今晩はここに泊まってもいいんだよ」

 ぼくの様子を見た信二さんが優しく申し出てくれる。だけど彼等の善意にここぞとばかりに甘える訳にはいかなかった。今夜のぼくのこの非常識な行為が、親切な彼等に許されただけで充分だった。


「……いえ、大丈夫です。お騒がせして本当にすみませんでした」

 櫻井家の人達にもう一度謝罪すると、ぼくはドア前を離れた。浅薄としか言いようのない自らの行いを猛省しながら家の前まで戻ると背後で声が響き渡った。

「要!」

「……可奈子」

「大丈夫じゃなかったら、いつでも言ってくれていいんだからね!」

 投げかけられたその言葉が心に染みた。けれどぼくは再び何も返せず、無言で頷くしかなかった。可奈子はぼくが無事に家の中に入るまで、見届けるようにその場に立っていた。


 項垂れたままリビングに戻ったぼくは、まずソファからスマホを拾い上げた。

 動画の再生は既に終わっていた。しばらくその暗い画面を見つめた後、ぼくは意を決してもう一度動画を再生した。再び耳に絶望の叫びが届き始め、でも今度は目を逸らさず、最後まで見ていった。


「……これ……もしかして……」

 意図されてそうなっているのか動画の映像は粗く、音声も割れていた。何度見ても女性の姿が鮮明になることはなかった。けれどそのぼやけた輪郭が三浦カオルに似ているような気もしていた。でも数日前に行方不明になったと聞いていたから、そう見えるだけかもしれなかった。


「だけど……」

 このようなものがぼくの元に送られてきた意味、何らかの意図を持ってタイトルにされた可奈子の名……。その理由を考える度にぼくの中の不安は増大して、未だ膨張を続けていた。


『可奈子ちゃんか、可愛いね』 

 城崎の整った相貌に浮かび上がる胡散臭い笑顔が脳裏によぎる。

 様々なことがいつまでも頭の中を巡って、その夜は眠れなかった。

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