28.櫻井家での夕食→片恋の相手に恋の悩みを打ち明けられる
その晩は幾分か気分が盛り上がることがあった。
よく気がつく〝従姉妹〟が不在となり、少々ずぼらなぼくが家に一人だと知った可奈子が櫻井家の夕食に誘ってくれたからだ。
一度家に戻って着替えて隣家に向かうと、可奈子と可奈子の母親の裕子さんと、今日は早くに帰宅した父親の信二さんが出迎えてくれた。
「久しぶりだね、要君」
「どうも、おじゃまします」
「ゆっくりしていってね、どうせお隣さんなんだし」
櫻井夫妻はぼくが赤ん坊の頃からぼくを知っていて、自分の娘と同じ高二という扱いが微妙になっているはずの今でも昔と変わらず接してくれる。
挨拶を終えたぼくは可奈子と裕子さんの手伝いをしながら、テーブルに夕食を並べていった。数分の後に全てのセッティングが終わると、ぼくは促されて席に着いた。
長方形のテーブルには可奈子の両親が並んで席に着き、向かい合う位置に可奈子、今日はその隣にぼくが落ち着いた。櫻井家の間取りはぼくの家と同じだから、リビングやダイニングも同位置にある。だからこうやって櫻井家の人達と同じテーブルに着くと、自分の家で起きていたことが再現されている気もして少し既視感も覚えた。
「要君、遠慮なく食べてね」
「はい。ありがとうございます」
「おかわりもたくさんしてくれよ、要君」
「そうだよ、遠慮しないでよね、要」
順番に声をかけられ、ぼくは言葉以上の感謝を感じながら箸を手に取った。
「そういえば要、朝はちゃんと聞いてなかったけど時雨ちゃん、実家に戻ってるんだっけ……?」
思い出したように隣の可奈子が話を振る。
「そうなんだってね。寂しいわね、時雨ちゃんがいないと。なんだか物足りない感じね」
賑やかな食卓で時雨のことが話題に乗る。既に時雨に慣れ親しんでいる櫻井家の人達にとって、彼女は欠かせない存在になっているようだった。
何度も言うように時雨はぼくの従姉妹という設定になっている。詳細まで言うと、彼女はぼくが会ったこともない東北在住の父の兄の娘ということになっていて、でも実際にはその伯父さんには息子しかいないという確実な事実があり、あまりこの部分を掘り下げられてしまうとあっという間にボロが出てしまいそうな嘘でもある。実家云々に関してはこの虚偽の中でも特に危険度の高い部分であるので、ぼくは時雨不在のこの件を曖昧にぼやかしたい一心で話題の移行を図った。
「えーと、そうですね。いないと結構寂しいものです。あ、でもあと三、四日で戻るそうですよ。それよりこの前、時雨が裕子さんに教わったっていう料理を作って食べさせてくれたんです。すごくおいしかったです。今度はぼくも教えてもらおうかなぁ」
さりげなくできたかはあまり自信がなかったけれど、話題を料理の方に誘導する。運よくこの話に可奈子が乗ってくれた。
「料理かぁ……要は結構そういうの得意だよねー。小学校の調理実習の時とか、何気に手際よくやってたし」
「へぇ、そうなのね。でもそれなら可奈子とは逆よねぇ。あなたってやる気があるのは認めるけど、ちょっと空回りしてるって言うか……ねぇ要君、この前可奈子がグラタンを作ってくれたんだけど、味が何もついていなかったのよ。同時進行のサラダを作るのに精一杯で、グラタンの味つけする過程、スコーンって抜けちゃってたのよね」
「もー、お母さん、それ言わないでよー。恥ずかしい……」
「いや、あのグラタン、なんだかんだでなかなかよかったぞ。食感だけは」
「信二さん、あんまりそうやって可奈子に甘くしないで。将来旦那さんにあんなもの食べさせたらすぐに嫌われちゃうわよ」
「そうかぁ……? でも旦那さんか……うっ……可奈子もいつかそんな相手が……」
「なに? あなた、もしかして泣いてるの?」
「な、泣いてない!」
「泣いてるわよ。いやぁねぇ、今すぐって話でもないのに」
「あ、当たり前だ! い、今すぐなんて!」
「もー、やめてよー。二人とも」
感傷的になる父親とそれをからかう母親、それを恥ずかしがりながらも取りなす娘。
テレビドラマのワンシーンのようなそのやり取りを聞いていると、近くにいるだけのぼくの方も知らぬうちに和む。けれど話題の中心にいたくない可奈子が話題の転換を図った。
「でもさ、料理って言っても要は普段あんまりやってないよね? 面倒臭がりだから?」
ぼくは可奈子の意図に同調して言葉を返した。
「うーん……やらないって言うより、食べるのが自分しかいなかったらなんか面倒臭くて、適当に済ましちゃう感じかな」
「えー、駄目だなぁ」
「でも一人だと、そういうものだよ」
そう言ってしまってからぼくは気づく。
その〝一人〟という言葉は割と気軽に発したものだったのだけれど、食卓の雰囲気が少しの翳りを帯びた。
「あ……でも結構気楽っていうか、こういうのもあの……割と……」
場を取り繕おうとぼくは言葉を続けるけれど修正するのはもうどうやら無理のようで、語尾を萎ませながら黙るしかなかった。
賑やかだった食卓がしんと静まる。
箸を置いた裕子さんが、ぽつりと零した。
「ごめんなさいね、要君……今でも時々寂しくなって……でも要君の方がもっとそう思ってるのにね……」
「……そ、そんなことは……」
「もー、お母さん。要が困ってるでしょ」
「そうね……本当にごめんなさいね、要君」
「いえ、大丈夫です……すみません……」
裕子さんはまた謝って、その後少しだけ雰囲気を盛り返した食卓で食事を続けた。夕食を終え、片付けを手伝っていると可奈子が部屋で一緒にケーキを食べようと声をかけてきた。「ここはいいから」という裕子さんの言葉と「先に行ってて」という可奈子の言葉に甘えて、ぼくは一足先に可奈子の部屋に向かうことにした。
可奈子の部屋に招かれたのは久しぶりだった。前に来たのは確か春の終わりぐらいで、可奈子が草野と付き合う前だった。ぼくの部屋では押し入れになっている場所は、改装してクローゼットになっている。そこには扉がなく、吊り下げられた制服や私服や、畳まれた体操服などが丸見え状態になっていて、少しわくわくするけれど少しと言うか相当悪いことをしている気がして、無理矢理目を逸らす。
「お母さんがね、今日ケーキと一緒にちょっといいコーヒー豆を買ってきたから、淹れてみたよ」
いきなり扉が開いて、マグカップとケーキ皿が載った盆を手にした可奈子が入ってきた。ぼくは部屋のあちこちを記憶に擦り込むようにじろじろ見ていたことや、密かに深呼吸を繰り返していたことを悟られないようにしながら「う、うん……」と返事を零すと、ぎくしゃくした動きで床に腰を下ろした。
「ごめんね、今日は変な感じになっちゃって」
可奈子が隣に腰を下ろしながらそう言う。だけどぼくは本当にもう気にしていなかった。逆に気まずい雰囲気の原因を作り出してしまったことに罪悪感を覚えていた。
「ううん、本当に大丈夫だよ」
ぼくはなるべく明るく答えて、この話は終わりにする雰囲気を醸し出した。それを察した可奈子が表情を変えて声を上げた。
「そうだ、お祖母さんの所に行った時のおみやげ、色々ありがとう」
そう言って微笑むと可奈子は傍らのマグカップとケーキ皿をぼくに手渡す。ぼくは「どういたしまして」と返事をして、それを受け取った。
「お祖母さんが作ったお漬け物はお父さんが晩酌のおつまみにして食べてたよ。私ももらって食べたけど、すごくおいしかった!」
「そう? それはよかったよ。祖母ちゃんも喜ぶよ」
「あの見送りに行った後、鈴木君まだずっと心配してたんだよ」
「マジで? ホントに変な奴だなぁ。まぁいつものことだけど」
それからはなんとなく可奈子と世間話をしていて、ふとぼくは壁に掛かったカレンダーに目を留めた。十月もあと一週間ほどで終わる。十一月に入ってすぐのイベントのことを思い出した。
「来月の一日、可奈子の誕生日じゃなかったっけ?」
「うん、そうだよ。十七才。要より一つ年上になるよ」
ぼくは大晦日生まれなので、二ヶ月ほどの間は可奈子より年下になる。だからどうだということもないのだけれど、こういうことを口にする可奈子を少し可愛いというか微笑ましく感じる。だけどその誕生日の話題を振った後の可奈子の表情が、どこか暗いことに気づいていた。その翳りは他愛ない会話が再開された後も、何度も彼女の表情を過ぎっていた。
可奈子自身は何も言わないけれど、その原因は草野なのかなとなんとなく思う。何かあったのかな、とそう思うなら、それを訊ねてみるべき場面かもしれないけれど、それは完全な自爆行為のような気もして惑う。自傷的その行為に積極的に挑むほど、ぼくはまだ自虐の終着地点には辿り着いていないようだった。
「可奈子、草野となんかあった?」
でもなんだかぼくは訊いてしまっていた。
惑いの狭間に落ち込んで填って、考えより先に言葉が出てしまった感じだった。
「えっと……それは……」
それを受けた彼女は戸惑いのまま言葉を濁す。
ぼくの部屋と同じ間取りの部屋。
壁掛け時計の音だけが響く沈黙が続く。
その時間が永遠に続くようにも思われたけど、しばらくの逡巡の後、彼女はこの頃草野とうまくいっていないことを告白した。
毎度何かが、と言うほどの出来事が起きている訳でもないのだけれど、時々訳もなく黙り込んで機嫌が悪くなってしまう彼氏によく振り回されている。近頃は会えば意味もない諍いになることも多くなっている。けれど関係が悪化したままの状況は望んでいない。できればこれからも付き合っていきたいと、彼女は最後に告げた。
「そうなんだ……」
ぼくはあまり感情を織り込まない、「そうなんだ……」を返した。
ぼくがこのことについてどうしたらいいかと言えば、どうもしないことが自分の利益に繋がるという予測が立つ。だけどそうすることがいいことなのかと問えば、きっと違うと思う。だったらどうすれば? と言えば、本当はこの件についてなど考えたくもないし、どうもしたくもないし、やっぱり訊かなければよかった……というのが本音だった。
その後の会話はあまり弾まぬままぼくは帰宅した。出されたケーキとコーヒーはストレートにおいしかったけれど、自分の心内は複雑で、それを直視するのもなんだかちょっと嫌だった。




