27.ひとりの朝
連休が明けてもうじき二週間が経とうかという頃、朝起きたら時雨の姿が消えていた。
ぼくはシミが所々浮かんだ築二十年の年季漂う押し入れの襖を開けて、その場で立ち尽くしていた。
「本当にいなくなったんだ……」
畳んだ夏布団がしまってあるだけのその空間には、誰の姿もない。けれどこの時雨不在は急に起こった出来事ではなくて、昨晩予告されていたことが実行されただけだった。
――要、悪いが三、四日家を空ける。
――えっ、どうして?
――私がここに来て半年が過ぎた。その間の活動報告と今後の予定調整のためだ。
昨晩の夕食時に交わした短い会話はそれで、その翌日、ぼくは部屋の押し入れを開けて彼女が言ったとおりのことが起きているのを目にしていた。
「……今後の予定、か……」
ぼくは無人の場所を見下ろして、時雨が一時去る理由を繰り返す。
時雨が言う報告だとか調整だとか、それがどんなものであるかはぼくに知る由はない。時雨が普段見せない別の一面でどのようなことをしているかも、想像の範疇外にある。
だけど彼女にさらりと言われた〝今後の予定〟という言葉には、少し胸に詰まるものがある。ぼくに少なからず関係のあるその言葉を聞くと色々な思いが押し寄せてくるのだけれど、それに関してはまぁ仕方がないなとしか言えないものだった。
ぼんやり眺める押し入れの内部には、何の気配も残っていない。きちんと整えられた布団が入っているだけで、そこには誰かがいた形跡も、誰かがずっと寝床に使っていた形跡もなかった。
空虚なその光景を目にして自分の心に折り合いをつけようと試みてみるけれど、どことなく心許ない気分に襲われる。もしかして彼女の存在そのものが最初から無かったのではないかとふと感じて、ぼくはその不安がなだれ込む腹部を無意識に押さえる。でも同時に胸元に何か違和感を拾って、ぼくは着ていたTシャツを捲ってみた。
――心配するな、私の代わりは置いていく。
時雨が最後に言っていた言葉を思い出す。
見下ろした胸元には、古びたペンダントがぶら下がっていた。黒ずんだ鎖は少々青白いぼくの肌に沈み込んでいるようにも見える。ペンダントトップになっているのは闇のような色合いの黒い石で、手に取ると少し重かった。
「これが、代わり……?」
ある理由から、ぼくと時雨は離れることができない。けれども一時の不在を余儀なくされた彼女の代わりに、ぼくにはこの古びたペンダントが与えられたようだった。
「なんか……ホントに犬になった気分だな……」
寝ている間に首にぶら下げられたそれを眺めて、ぼくは感想を零す。
「でもまぁそれはいいけど、これはちょっと男のぼくにはフェミニンすぎない?」
女性もののようにしか見えないそれを手に取って呟くけれど、その言葉に応える相手はこの部屋にはいなくて、この家中どこを探してもいなかった。
ぼくの脳裏に、疑似家族という言葉が浮かんで消える。
血の繋がりなんかがなくても、法的に認められていなくても、互いの気持ちがあれば家族のようなものにはなれる。ぼくはいつの間にか時雨にそれを感じていて、彼女の不在を寂しく思っている。だけどそのように思うこと自体がこのぼくに許されることなのかどうかは、かなり微妙だった。
「いや……いいわけないか……」
ぼくは再々度呟いて辺りを見回す。でもこの言葉に応える相手はやはりどこにもいなくて、孤独と静寂が沈殿していく気配を確認するだけに終始すると、珍奇な笑みが浮かんだ。




