17.カフェでの一触即発と暗がりで土を掘る男
次の日のぼくはがんばった。
夕暮れも近いおしゃれなカフェ。日々の生活に於いて、もっとも無縁で必要すらもないそんな場所にぼくはいた。周囲には若い女性や、若い女性や、やはり若い女性しかいない。
向かい合う席には純菜がいる。
化粧をして服装を変えるだけでとても中二には見えない彼女は、とても違和感なくその場にいる。けれどぼくはただ落ち着かなくて、尻の据わりも悪かった。
「ねぇ、ちょっとは落ち着いたら? いつまでもそわそわしてて見てらんないんだけど」
純菜の説得には一時間強を要し、そうしてまでようやく外に連れ出したにしては彼女はかなり堂々とした様子でその場にいる。いつまでも挙動不審であり続けるぼくに、至極妥当な助言をした。
「それよりさぁ、何か食べるもの頼んでいい? お腹空いちゃった。何頼んでもいいよね? そう約束したんだから」
「う、うん……」
ここに来たのは純菜の強い要望であり、その要求もぼくが呑んだものだった。いつもファストフード店とかファミレスとかコンビニとか、そのような場所にしか縁のないぼくがこんな店に入ったのは初めてで、こういった店のメニューの高額さも見て初めて知って驚いたけれど、そんな泣き言を今更言ってられなかった。ぼくは財布の中身を思い返しつつ、自分用にはブレンドコーヒー、もしくは水のおかわりを頼もうと決めた。
「なんか、こーゆーとこって久しぶり」
純菜は周りを見回して、満足そうに微笑んでいた。そんな様子を見ていると、こじれた彼女の機嫌が直るのもそんなに難しいことではないように思えてくる。
話を聞いただけだと引きこもりの原因は友達との仲違いの延長ということで、深刻なイジメとかがあったようには窺えなかった。家に引きこもり続けていた彼女がここに来たことは些細な出来事なのかもしれないけれど、こういったことを積み重ねていけば彼女の気持ちも割と早くに学校の方に向くのかもしれなかった。
「ねぇ要君ってさぁ、まぁ見られないってこともないけど、いいってほどでもないよね。ルックスも含めて全体的にちょっと残念かなぁって感じ」
「あ……そう、それはどうも……」
忌憚ないその感想に、好きだった男の子に似ているという件はどうなったのだろうと思う。でもたとえそうだったとしても、キラキラした思い出の中のその子とぼくとでは雲泥の差がある。何かが滲み出ているぼくに対する評価は常にそんな感じなのだろう。
「お姉ちゃんの彼氏……って訳でもないよね?」
運ばれてきた秋仕立ての特製パスタを食べながら、純菜が何か企んでいそうな顔で訊く。
「違うよ」
「だと思った。だって全然お姉ちゃんのシュミじゃないもの。でもさ、私は割とそうでもないよ。だから私と付き合ってみる?」
「……」
ちょいちょい悪態を紛れ込ませながら、彼女はぐいぐいと来るのだけれども、なぜか迫り上がってくるものがない。理由は歳のせいかと思うけれど、時雨も姿だけなら年下の様相をしている。でも時雨の中身は百六十年ぐらい熟成されていて、十四才の本物の女の子とは違う。けれどそんな表面的なことだけではなく、理由は純菜の言葉のせいかもしれなかった。彼女の言葉にはどこか真実味がなく、上っ面だけで何かを言っているようだった。
「ねぇ要君、聞いてるの?」
「あれぇ、純菜じゃない?」
彼女が無言相手に突っかかろうとした時、別の声が割り込んだ。それを聞いた純菜の表情が、瞬時硬直する。見上げれば女の子が三人、テーブルの傍に立っていた。どの子も純菜と同じぐらいの歳の子で、純菜と同じような雰囲気の子達だった。
「へぇー、学校には来ないのにこんな所には来られるんだー。相変わらずやることがかっこいいねー、純菜ちゃんは-」
三人のうちの背の高い黒髪の子が先制的にそう言って、他の二人がくすくすと笑う。それに反応した純菜がフォークをテーブルに叩きつけた。
「あー、あー、ホントにうっさいなぁ! あんた達こそ三人でブヒブヒ言いながらつるんでなきゃ何にもできないくせに、偉そうに上から見下ろしてんじゃないよ!」
この場に吹き抜けた瞬間最大風速のようなやり取りを聞いて、ぼくは再度なんかビビる。そしてたった一巡の言葉の応酬で、既に取っ組み合いの喧嘩になりそうな空気が充満したことに、とても焦った。
「ちょ、ちょっと、みんな落ち着いて!」
ぼくは立ち上がり、殺気を放つ彼女達に声をかけるけれど一斉に睨まれる。だけどぼくの声より周囲の視線が気になった彼女達は、不満そうな表情を残しつつもテーブルを離れていった。
「もう帰ろ! 要君! 空気が悪くなった!」
パスタはまだ半分以上残っていたけれど、純菜は立ち上がって店を出ていってしまった。ぼくは慌てて代金を支払うと彼女の後を追った。
家に戻るなり、純菜はまた部屋に閉じこもってしまった。ぼくは家にいた曽田さんに経緯を説明し、彼女から聞いた話を総合して改めて状況を把握した。
カフェで会った子達が、純菜と仲がよかった友達らしかった。でも見た限り、仲違いの原因はどちらにもあるような気がした。お互い様のように見えた。
「ごめんね、大変だったでしょ」
謝る曽田さんはそう言って塞いでいる。
「ううん、大丈夫。それにまだ諦めてもないよ」
そのように言葉を続けると、曽田さんは少しだけ笑った。
明後日また来ると次回の約束をして、ぼくは曽田さんの家がある十階からエレベーターで下りて外に出た。辺りはすっかり暗くなっていた。閑静な住宅街は行き交う車も歩行者も疎らで、マンション前の洒落た街灯が暗い地面をぼんやり照らしている。
「ちょっと……疲れたかな……」
独り言を零してエントランスから足を踏み出すと、どこかから規則的に響いてくる音に気がついた。
曽田さんの住むマンションの建物は外観にまで手入れが行き届いていて、前部分には季節の花が咲き誇る花壇、隣にある建物との間はその空間を埋めるように植え込みになっている。その更に後方は背の高い樹木が緑の葉を生い茂らせている。
音はその後方にある木の陰になった辺りからだった。ざっざっざっ、と規則的に響くそれは、地面を掘り返している音のようだった。
音が響いてくるその暗がりに目を凝らせば、ぼおっと白い人影が浮き上がってくる。もっと目を凝らせば、それは白いシャツを着た男の背中のようで、その男は一心に木の根辺りの土を掘っていた。
息をするのも忘れて、ぼくはその男の背中を見続けていた。
耳に届く、ざっざっざっ、という音は未だ続いている。
あの男は明かりも点けずにあんな暗がりで一体何をしているのか。そんな疑問が浮かんだけれどその答えを導き出したいと思わなかった。ただ嫌な感じがして、止まらなかった。それは暗がりで土を掘るという不可解な行動に対してだけでなく、あの男から漂う説明のできない嫌な空気が嫌だった。
その時、男が急に手を止めた。
男はゆっくりとした動きで背後を振り返ろうとしている。ぼくは身の底から怯えを感じ、男の顔が完全にこちらを向く前にその場から駆け出していた。
見ていないふりとか身を隠すとか、何も取り繕わなかったから男の視界にぼくの姿は入ってしまったかもしれない。けれどそんなことより振り向いた男の顔を見たくなくて、ぼくはただ逃げるように駆け続けていた。




