表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

7 沈黙の理由


 事実、そうだったのだろう。現実に干渉する力。


「父より力の弱い私に災いを呼ぶ力はありません。それでも外で生きている人には分からなかった」


 誰もが欲しがり、怯え、手に入らぬならと牙を剥いた。それでもその力で、彼らは他者を排除しなかった。


「……十歳の時に一度だけ、森を出たことがあるんです。海を、船を、見てみたいと思って。こっそり抜け出して、私はすぐ村の人に見つかって。

 そうしてこの口は――縫われたんです」


「な……っ」


 エンデは眉根を寄せ、目を見開いた。何度も見た色だ。悍ましいものを見る目。あの日に一生分向けられたと思ったその色を忘れることはないだろう。


「森へ逃げ帰ったら糸は父が切ってくれました。できる限りの言葉をかけて、傷が塞がるよう尽力もしてくれました。でも、私は……こんな力があるから森で生きているのだと、知ってしまって。そんな目に遭ったのは両親のせいだと、八つ当たりしてしまったんです」


 あの時の両親の傷ついた表情を私は今でも夢に見る。謝りたい。赦されたい。もう二度と、かけられる言葉はないけれど。


「私はそれから話さなく、なって……。

 父も母も以前と変わらず接してくれましたが、私は意固地で。甘えていたんでしょうね。話すのが怖くなってもいました」


 喋った言葉は戻らない。どれだけなかったことにしたくても、事実は消えないと知ってしまった。


「私は私の言葉で両親を傷つけ、謝る機会を逃して二人を喪ってしまいました。最期に言えたのはごめんなさいじゃなくて、行かないで、なんです。最期まで私、自分勝手で――」


「チサ」


 エンデが呼ぶから私は口を噤んだ。怖くて顔を上げられないまま、私は目を伏せる。何を話そうとしていたのだろう。これを言って、どうなると思ったのだろう。判らない。でも私に期待してはいけないと、言いたくて。


「チサ、すまない、触っても良いだろうか」


「え」


 エンデの手が伸びた。白い手袋が私の頬に触れる。傘の柄を肩にかけて、エンデは私に一歩近づいた。傘の中でエンデの影も重なって。え、と思っている間にエンデの指は私のフェイスベールを捲った。体に力が入るのが自分でも判る。あぁ、こんな、醜い傷痕を。


「……船医に診せる必要はなさそうだな。お父上は言葉を尽くしてくれたんだろう。傷痕はない。綺麗だ、チサ。成長と共に消えたんだろうな」


 エンデが安堵の息を漏らす。表情から嫌悪が流れていって私はわけが判らないままエンデを見つめていた。村の人と同じ悍ましさに彩られた目が、今はいつもの優しさに満ちている。けれど何処か痛むかのように眉根は寄せられたままだ。


「酷いことをする。幼いキミに暴力を働いたとあっては到底赦せない。ギフトにもっと懲らしめてもらうんだった。キミに石が当たってそれどころではなくなってしまったからね」


 オレの不徳の致すところだ、とエンデは言う。彼の眉間の皺が深くなったと思った瞬間、一度固く目を閉じてふうと息を吐いた。私は首を傾げた。


「キミが隠したいと言うなら止めないとも。だがもし、傷痕があると思うならそれは安心して良い。本当に綺麗さっぱりないんだ。まぁキミに傷痕があったところでオレの気持ちは変わらないけどね!」


 ニコニコとエンデはいつものように笑った。眩しい。私はぱちくりと目を瞬いて、それからゆっくりと言葉の意味を理解した。


 傷痕が、ない。それが父の力だとするなら。


 あの日、痛みに泣き叫び向けられた悪意に打ちひしがれていた私は、父が何度その言葉を繰り返したか覚えていない。何度も、何度も、言葉を重ねて父が私の傷を癒そうとしてくれたなら。私はやっぱり、どうしてあんなに酷いことを口にしたのだろう。


「チサ、キミは自分勝手だと言うけれど……勝手を言えるのはキミが確かにご両親に愛されていたことの証明だと、オレは思う」


 エンデがゆったりと、私に意味が届くように言う。問い返せない私にエンデは微笑んで目を細めた。


「キミが言った通りだ。キミはご両親に甘えていたんだろう。でも甘えられるのは、甘えることが許されていたからだ。ご両親はキミを本当に大切にしていたんだろうね。

 そしてキミも。キミも、ご両親を大切にしていた。そうでなければひとりであんなに立派な墓所を用意することはできないし、三年も墓守なんてできない。後悔からだとキミは否定するかもしれないけど、その根底にはご両親への愛があるんだと思うよ」


「……」


 そう、なのだろうか。私は、ただ。


「……行かないで、と言った私に父は『生きなさい』と言いました。母は、『忘れないで』と。最期の言葉は、それで……。私、は……」


 魔女の力も、言葉の力も、私に影響を与えているとは思わない。けれどそれは、私が明日を続けるには充分な理由だった。今日を越え、明日になることを。もしも次があるならと願うに、充分な。


「キミのご両親は、キミに願いを託した?」


 そう、だろうか。エンデの問いかけに私は答えられない。それでも。


「願いだったのか、判りません。でも私はそれを聞いたから、生きてきました」


 うん、とエンデは頷いた。声が柔らかくて優しいから、私は恐る恐る彼を見上げる。碧い目は慈しむように私を見ていて、何だか泣きたい衝動に駆られた。喉の奥がツンとして、私は咄嗟に息を詰める。


「そのおかげでオレはキミに会えたわけだ、チサ。それならオレはやはりキミのご両親に感謝しなくては」


 ありがとう、とエンデは言った。


「チサ、生きていてくれて良かった。オレはキミに会うためにこの長い船旅を越えたのだから」


 エンデの人差し指がフェイスベールの上から私の唇を掬うように触れた。ベールと手袋越しに触れたその指を彼は自分の唇へと持って行く。


 ふふ、とエンデは穏やかな陽の光のように笑った。少し照れ臭そうに。


「生きてる。これがキスとは見做されないなら、何度でもできるな」


 もう一度、私の唇に布越しに彼の指が触れて。その指を自分の唇に持って行って笑うエンデは相変わらず、眩しく微笑んだ。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ