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6 災いのもと


 船室の小窓から差し込む光の色が、寄港する国ごとに少しずつ違って見えた。数カ月かけて魔女の一族を探し求めたと思うと目眩がしそうだ。そうして同じだけの日数をかけてエンデは故郷へ戻ろうとしている。


 エンデは伯爵と言うらしい。料理番はいるけるど、船での食事はエンデが作っている。そうやって皆が過ごしやすいように心を配るのが仕事だそうだ。まだ二十三歳なのに、凄く働いているとタビタは言う。


「おひいさんに食べてもらいたくて頑張ってるッスよ。試行錯誤してるッスから、おひいさんの口に合ったら『美味しい』って言ってあげてほしいッス」


 タビタは食事が終わる度にそう告げた。果物ばかり食べる日が続いていたから、心配したのだと思う。


 受け入れれば、何が食べたいと張り切ったエンデが部屋まで訊きにきた。キラキラした目は期待に満ちていて、私はフェイスヴェールの下で魚のように口をぱくぱくさせる。私の言葉を聞きたがる人がいるなんて思いもしなくて、何度も喉の奥が狭くなる。


「……温かい、もの……」


 料理の名前も知らないから、ただ、そう答えた。エンデが用意してくれたのは、温めたミルクだった。


「どうだ、飲めるか。栄養が豊富だからな。それ飲んで卵が食べられれば取り敢えずは大丈夫だろう。本当はオレが手取り足取り教えてあげられれば良いんだが……タビタ、頼むな」


 私がフェイスヴェールの内側にカップを持って行ってゆっくりと飲むのを見届けたエンデは、また忙しそうに部屋を出て行く。それでいて私との時間は別に作るから、いつ休んでいるのかと心配になるほどだ。


「チサ! 今少しだけ良いか!

 ……やっとキミに会いに来られた」


 私と過ごす時間がほしいと言ってからエンデは毎日実践する。ほんの少ししか取れなくても。


 エンデの手が空く時間はまちまちだった。昼の方が多いから、彼の碧い目が海の色と同じだと私が気づくのはすぐだった。


「長い船旅もそろそろ終盤だ。来週にはドルン領に着くぞ」


 昼日中に時間ができた時、船の上は日差しが強いから、とエンデは決まって大きな傘を差して私と甲板へ出た。今日は特別に天気が良い。まだ夕にも夜にも遠い時間、少し汗ばみそうなほど太陽は照りつけている。傘がなければすぐに汗をかいただろう。


「キミがいるだろう島に上陸する時はワクワクしていたのに、不思議だな。キミを迎えて帰るというのは」


 エンデはくすぐったそうに笑った。不思議だ、と彼が言う感覚は私には判らない。けれど彼が楽しそうに笑う様子は心地良い。全然喋らない私といて何が楽しいかとは思うけれど、何を見ても楽しそうに笑うエンデだ。キラキラとしたその目に映るもの全てが美しく見えているのかもしれない。


「キミにはほとんど構えなくて残念だ。タビタやギフトはキミの暇を紛らわせられた?」


 エンデには私が暇そうに見えていたのだろうか。私も私のことはほとんど話さなかったし、忙しいエンデにはそう見えていても仕方ないかもしれない。私はかぶりを振った。


「二人には色々と教えてもらいました」


「タビタに裁縫を習ったと聞いたよ。そのうち刺繍を教えるんだとタビタが張り切っていた」


 私の動向を知っているのか、とエンデの言葉に頷いた。それともそうやって習うことが暇潰しに見えただろうか。いずれにしても私たちは肝心なことを話していない。この船旅で、エンデは私の体調を気にかけるばかりだった。何が食べられるかと毎日毎日、気にかけて。


 彼にも、言いづらいことがあるのだろう。あの森で墓石だと気付いてくれたのはきっと、彼も痛みを抱える人だからだ。


「……呪いのことを、タビタから聞きました」


 エンデが切り出さないのなら私から切り出すしかない。口火を切った私に、エンデが視線を向けるのを感じた。私は動かず目を細める。キラキラと碧い海は彼の笑顔を思わせた。


「あなたも、ギフトも、タビタも、呪いを受けているんですね」


 だから呪いを解いてほしいと彼は言ったのだ。


 キスをすると、あるいはされると死んでしまう呪い。


 キスの範囲は、何処から何処までなのだろう。


 母がくれた温かくて優しいキス。父はいつも複雑そうな表情で見ていたけれど、額や頬に母の柔らかな唇が降ってくるのが嬉しかった。面をしてからはキスをするところがない、と母が不貞腐れていたことも覚えている。話さなくても面を外して母の望む通りにしてあげれば良かった、と思った時にはもう二人ともいなくなっていた。


 ――あたしたちの先祖も家族に好きを伝えるためにキスをしたって話ッス。


 呪われてからは誰も確かめなかったのかもしれない。家族への好きを伝える行為が、命を奪うことになったら。そう思うと試してみるなんてできないのだろう。


「私に呪いを解く力はありません。魔女の一族でも、言葉の力持つ一族でもあるのに。私たちの力はあまりに弱くて……魔女の呪いに太刀打ちできるようなものではないんです」


 私は船から見える景色の中に命を探した。渡鳥が飛んでいる。餌となる魚を食べに降りてきたところだ。周囲にエンデしかいないことを確かめてから、鳥に呼びかけた。


「“おいで”」


 す、と軌道を変えて渡鳥は私の差し出した手に飛び込んでくる。鉤爪が優しく腕を掴んで止まった。


 あの森で見ていただろうに、エンデが息を呑んで身動ぎするのが見えた。ありがとう、お帰り、と私は鳥を放す。


 抜け落ちた羽毛が数枚、風に乗って飛んでいくのを見送って私は彼に向き直った。恐ろしくて顔を見ることはできない。両親以外の誰かに意図して見せたのは初めてだ。


 沈黙が落ちる。その間を波音が掻いていった。


「……これは“願いが叶う”力。父が持っていた力です。父でさえ小さな傷を治せたくらいで、私は小型の動物に言うことを聞かせられるくらい」


 穏やかな波は心地良い音を響かせていた。私は更に目を伏せる。ほとんど俯いてエンデの爪先を見ていた。彼にはどう見えているだろう。顔を上げて確かめるのは怖かった。


「あなたがこの力を求めていたのは分かります。もっと力があれば、悪い魔女の呪いを解くことができたでしょうから」


 口に出した言葉が現実になるなら。


 呪いは解かれたと、そう言うだけできっと良かった。呪いをなかったことにする力。


「チサ、オレは別に……」


 ぐっ、と傘の柄を握ったエンデが絞り出すような声を出す。私はそれを遮るように首を振った。呪いを解きたいと強く願わなければ、こんなに長い航路を行くはずがない。そんなこと私でも解る。


「……追われたんだろう。正直言って羨ましい力だ。でも権力者にとっては脅威になる。だからあの森に、いたんだな」


 落とすような声でエンデは言う。自分で足を踏み入れたあの森を思い返しているような声だった。


「お互いを理解できたんだ」


 エンデは続けた。彼の目に映る世界はきっと、優しいのだと思う。私の両親がそうだったと言われているようで切なさに胸が温かくなった。


 私にそんな想像はできなかった。だから。幼い私は好奇心で言いつけを破り、一生消えない醜い傷跡を残すことになったのだ。


「せっかく迎えにきてくださったのに、私にできることはありません。本当に、何も。

 あの島を出たのは私の願いを優先したからです」


 次を、望んだ。帰れないあの日をやり直すことはできないから。


「この、口は――」


 私はフェイスベールの上から唇に触れた。肌触りの良い滑らかな生地をするりと指が撫でていく。


「災いの元だと呼ばれました」


 エンデが何か言おうとして、言葉にならない息だけが零れた。

 

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