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2 踏み出す一歩


「そういえばキミの家族は? 挨拶したい。全員連れて帰れるように準備してきたんだ」


「……」


 私は二人にくるりと背を向けて足を進めた。チサ、とエンデが驚いた声をあげ、ついてくる。二人とも森に棲む獣を刺激しない歩き方だ。自分が異邦者であることを知っている人の足音だった。


 私が二人を案内したのは、両親の眠る跡だ。両親と住んだ家は万が一を考えて捨てたけれど、此処へは足繁く通った。ただの大きな石を目印にしただけの其処は、私以外にはそうとは判らないだろう。誰かが通りがかっても通り過ぎるような、そんなありふれた森の光景に過ぎない。でも。


「……これは」


 エンデはすぐにそれが何かを察した様子で胸に手を当て、沈痛な面持ちで項垂れた。心からだったかは判らない。それでもそれが何かを悟り、胸の内で死者へ語りかける様子を見て私は彼の話に耳を傾けても良いのではないかと感じた。無言で語る両親の話に彼は真っ先に耳を傾けてくれたから。


「……もう、誰もいません。此処には私ひとりです」


 くぐもった声で私は言葉を落とす。エンデがハッとした様子で私を振り返った。その表情が痛みを堪えるようで、どうしてそんな顔をするのか私には疑問だった。そんな顔、両親以外に向けられたことはない。


「仰る通り、私は魔女の一族の末裔です。昔の人が願ったように、魔女の一族と言葉の力持つ一族は手を取り合いました。でもどちらももう、私以外にはいません。両親は三年前、揃って他界しました」


 魔女の薬も、言葉の力も効かなかった。私たちの力は時を経るごとに弱まり、悪い悪い魔女の呪いを解くなんてまるで夢物語だ。


「私にできるのは母から教わった魔女の物語を忘れないことだけ。父の願いを叶え、赦される日を待つことだけ。私に呪いを解く力はありません」


 あるなら、両親を助けられただろう。みすみす病に連れ去ることを許しはしなかったはずだ。力がないから、ただ見送った。泣きながら墓を掘り、二人並んで埋葬することしかできなかった。


 涙が乾くまで三年の月日を要した。家を捨てることも、ひとりで生きていくことも、できるようになった。


「お力になれずごめんなさい」


 深々と頭を下げた私に、二人は何も言わない。期待外れの結果に失望するのは明らかで、でもそれも仕方がないことだと解っていた。


「そうか。だとしても、キミにはオレたちと一緒に来てもらいたい」


「え」


 エンデの声が耳に届いて私は驚きから顔を上げた。狭い視界の中、エンデの表情は労るような優しさを湛えている。


「ご両親の思い出が残るこの地を離れるのはつらいだろうけど、キミに墓守をさせ続けるつもりはないんだ。キミにはキミの人生がある。ご両親もそれを、望まなかったか」


「……」


 言い当てられて返す言葉を見つけられなかった。古今東西、親は子の幸せを願うものだからね、と彼は穏やかな声で続ける。


 そう、だろうか。そう、だったかもしれない。少なくとも私の両親は。


「この森に根ざしたご両親を掘り起こすのはやめておこう。なに、此処へ来たいならいつだって連れてきてあげるとも。こんな東の果てまで追われたのはキミの一族だけだ」


 先祖が悪かったね、とエンデは繰り返した。数百年の罪を、お互い洗い流さないかとも。エンデは一瞬だけ目を伏せた。


「呪いが解けるならそれに越したことはないけれど、呪いが解けなくてもキミはドルン領の民だ。オレがキミを拒む理由はない。キミも此処で隠れ住まなくて良くなる。返事はすぐにとは言わないよ。

 でもまぁ、何日かかってもキミを連れ帰るつもりでいるからキミには帰る以外の回答はないのだけどね!」


 最後のそれは別に言わなくても良かったことなのでは、と思うけれどエンデはニコニコと笑っていた。少し離れた場所でギフトがやれやれとばかりに頭を振る。口を開いて忠告するような響きを伴わせた声が言った。


「時間は余るほどある」


 まぁまぁ、とエンデはギフトに笑みを向けた。ギフトは目を逸らして伏せる。その様子に息を漏らし、エンデはまた私を向いた。


「チサ、キミが自分で決めることが大切だ。無理矢理連れて行ったのでは馴染めるものも馴染めないからね。ご両親とゆっくり話して、出発の日を決めると良い。オレたちはずっと待ってる」


 微笑んで、彼は墓跡に向き直ると小さく礼をした。それから私の横を通りすぎて奥の木立で佇んだ。ギフトも彼の傍に寄り、護衛のように腕を組む。二人で何か話す声は此処まで届かない。


 私は両親の墓跡に近寄った。木々の葉が擦れる音に、鳥や虫の声、動物たちの息遣いが感じられる森で、私たちもその一部だった。人だけは森の外で村を作り、寄り集まって過ごしたけれど、私たちは。


 人里に紛れることもできず、忌まれて遠巻きにされた。近づけば怯えられ、石を投げられることもあったと聞いている。だから森に紛れたと。人の言葉は捨てられないまま、森の獣たちの気配を真似て。


 魔女の一族とは、言葉の力持つ一族とは、そういう存在だった。それなのに西から来た異国の人は私を恐れない。帰ろうと言う。見知らぬ土地に帰ろうと。その力が正しく伝わっていないのかと思えど、呪いはあると言う。解けなくても迎え入れてくれると。それが本当かどうか、私には判らないけれど。


「お母さんは……帰りたかった……?」


 先祖の土地に。追い出された故郷に。


 墓石に震える指を伸ばした。冷たい石は何も言わない。


 正直に言えば、私は彼らと一緒に行きたかった。もし、次があるならと泣き濡れて夢を見ていたから。


 赦されたい。あの日に帰ってやり直したいことが沢山ある。でもそのどれも、叶わないから。だからもし、次があるなら。


「お父さんの“加護”があるから私は多分、平気。二人のこと絶対に忘れたりしない。思い出は連れて行くけど、三人で過ごした此処の記憶はなくならない。

 お父さんが願ってくれたこと、多分あの人たちについて行く方が叶えられると思うの」


 判らない。進んでみないとその先にあるものなんて見えはしない。確定させることもできない。それでも。


「行っても、良いかな……?」


 私は問いかける。死者の沈黙が破られることはない。あの日、両親が沈黙する少し前に私の沈黙は破られた。胸が張り裂けそうな寂しさに嗚咽を零し、森の静寂を切り裂いたあの日。


 両親は物言わず土の下で眠り、私はひとり語りかけるようになった。赦される日まで同じ毎日を繰り返すと思っていた。でも今日は、昨日の続きではなかった。


 私のことを想い、願ってくれた両親を残していくのはつらい。でも此処に縋り続けても何かが変わることはない。


 ざぁ、と背後から風が吹いた。都合良く捉えただけかもしれない。けれど私にはそれが、両親の返事のように思えたのだ。


「……うん、行ってくる。見守っていて」


 悪い魔女なら、人の魂さえ見ることができただろうか。私にそんな力はない。けれど記憶の中の両親が幼い頃からずっと見守ってくれた顔で私に笑いかけたから、私は意を決して振り返る。エンデはすぐに私を見て、近づくのを待った。


「行きます。すぐにでも」


「やぁ、それは好い返事だ。ようこそチサ。

 さぁ、支度を整えたら行こう。遠い遠い西の国、我がドルン領へ!」


 エンデのキラキラとした笑顔が、ただ眩しかった。


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