◆スサノオ編 ~凶報の帰還~
あの日、あのこの世のものとは思えぬ恐怖を味わい、人間の王の城から解放されたミスラは、すぐに行動を開始した。
彼女は、潜伏していた仲間の一人に、エルフたちの監視継続を命じると、自らは、己の足で、獣人の国への帰路についた。
この、国の存亡を揺るがしかねない凶報は、誰かの口を介してではなく、自分自身が、直接、賢者ズリ様に伝えなければならない。
数日後。
獣王城、賢者ズリの執務室の扉が、控えめにノックされた。
「…入れ」
入ってきたのは、旅の汚れにやつれ、しかし、その瞳に、かつてないほどの緊張と、切迫した光を宿した、諜報部隊長ミスラ、その人だった。
彼女は、主であるズリの前に進み出ると、恭しく頭を下げる。
「ミスラよ、息災であったか。だが、その様子…ただごとでは、なさそうだな」
「ズリ様、火急のご報告がございます。」
ミスラは、自らを落ち着かせるように、一息ついた後、ゆっくりと続ける。
「人間の王は、我々の想像を、遥かに超え、この世の全てを把握しておるかのようでした」
ズリは、静かに、彼女に椅子を勧めた。そして、自らも、机を挟んで、彼女の向かいに座る。
「…聞こう」
ミスラは、あの日、あの謁見の間で起きた、全ての出来事を、語り始める。
エルフの国の長である、カイとソラの登場。
彼らの、あまりにも稚拙な「偽装」工作。
そして、その全てを、まるで、盤上の駒の動きでも読むかのように、完璧に見抜き、弄び、そして、絶望の淵へと叩き落とした、あの、恐るべき人間の王、「俺」の、言葉と、行動の、全てを。
彼女の報告を聞き終えた時、賢者ズリの顔からは、表情というものが、完全に消え失せた。
「…そうか。全ては、かの王の掌の上だった、というわけか」
「はい。そして、かの王は、最後に、ズリ様と、ライ陛下への『ご伝言』を…」
ミスラは、人間の王の、あの愉悦に満ちた顔を思い出しながら、震える声で、その、あまりにも傲慢で、そして、屈辱的な「最後通牒」を、その後に告げられたズリへの伝言も、一字一句、正確にズリに告げた。
全てを聞き終えたズリは、しばらくの間、何も言えなかった。
ただ、目を閉じ、じっと、何かを考えている。
やがて、彼が、ゆっくりと目を開けた時、その瞳には、もはや、恐怖も、絶望もなかった。
そこにあったのは、氷のように冷たく、そして、底の知れない、静かな、静かな**「覚悟」**の光だった。
「…分かった、ミスラ。大儀であった。下がって、ゆっくりと休むがいい」
「ズリ様…」
「お前の報告で、全てが、繋がった。そして、我らが、次に為すべきことも、な」
賢者ズリは、静かに立ち上がると、窓の外に広がる、自らの国を見つめた。
彼の小さな背中が、今、この国の、全ての運命を、一人で背負っているように、ミスラの目には、見えた。




