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第二部:観測者の帰還

時代は未来に移ります。

第一章:第五の信号

 2042年、チリ南部。モンテ・ヴェルデに建設された国際地中遺跡調査基地は、日没とともにその巨大なアンテナ群を空に向けた。遠い星々の観測ではない。対象は、大地の下に眠る過去の声であった。

 地中60メートルの地点で、AI観測装置エル・ミラドールが微弱な信号を捉えたのは、5日前のことである。それは地震でも磁気異常でもない。規則的な周期を持つ、明確な“振動”の列だった。

 ノエミ・アルマグロ博士は、赤いコーヒーカップを握ったまま、信号解析モニターを凝視していた。彼女は中米系の血を引く考古遺伝学者であり、地球上の「記憶物質」の専門家でもある。

 「第五信号…ようやく見つけたわね」

 囁くように言い、指先で画面を拡大する。そこには、明らかに人為的なパターンが映し出されていた。渦を描く振動、星の周期に似たリズム、そして…“空白”の周期。

 《エル・ミラドール》の電子音が静かに空間を満たす。

 『周期解析完了。紀元前12900年頃、氷期終末期に生成。文法構造:マヤ語・ケチュア語派生記号との一致率:65.2%。予測意図:記録・継承・通知。』

 「通知…?誰に?」

 彼女はつぶやく。だがその答えは彼女自身、心の奥で知っていた。

 これは未来への呼び声だ。タガラと名乗った誰かが、星の運行と共に再び誰かが来ることを信じて残した“語りかけ”である。

 ノエミは会議室に戻ると、各国の研究チームに告げた。

 「2042年の冬至、星の再帰座標が一致する。その時、大地の記憶が開くでしょう。これは仮説ではなく、周期的“鍵”です」

 世界は半信半疑だった。

 だが、NASA、ESA、JAXA、ALMA観測網の天文学者たちが次々と**「2042年12月21日、黄道交点にて太陽–地球–アルデバランを結ぶ直線上に重力干渉軸が形成される」**という異常を報告し始めたことで、様子は一変する。

 その日を「星の門」と呼ぶ者も出てきた。だがノエミはただひとつの名前で呼んでいた。

 「タガラの帰還」

 それは人類が、記録された“過去の目撃証言”によって、未来の知識に触れる第一歩だった。


第二章:星の門

 その日は、突如として静けさを破って始まった。2042年12月21日、冬至の朝。モンテ・ヴェルデ遺跡の上空には、**目に見えぬ“ゆらぎ”**が漂い始めていた。

 ノエミ・アルマグロ博士は、調査基地の屋上に立って空を見上げていた。空は晴れていた。風もない。だが、空間そのものが軋むような感覚が、肌を伝って感じられる。

 《エル・ミラドール》が緊急解析を開始する。

 『重力場干渉を検出。空間密度:1.23x標準。歪曲値:閾値超過。予測不能現象発生中。』

 そして、その時が来た。音もなく、風もなく、ただ光がひとつの点に収束し、それが反転するようにして“歪み”が開いた。

 人々は言葉を失った。

 そこに現れたのは、黒曜石のような輝きをもつ直立した円盤だった。大きさは人の背丈ほど。模様のようなものが表面に走っていたが、それは角度によってまるで“動いて”いるように見えた。

 「……これは、構造体ストラクチャーよ」  ノエミは静かに言った。「これは、自然物ではない。“構築された記憶媒体”よ」

 石碑には、言語らしきものが刻まれていた。  だがそれは、アルファベットでも、マヤグリフでも、ケチュア語でもなかった。

 それでも、ノエミには“意味”が見えた。

 「これ……タガラの記録にあった象形と同一系列よ。未来へ送られた“返答”だわ」

 AIが分析を進める中、石碑の中央が微かに光を放った。投影されたのは、氷の平原を渡る者たち――タガラたちの旅の“視点”そのものだった。

 「これは…映像じゃない。視点そのものを再現している……彼らの、記憶だ」

 博士たちは理解する。  これは観測だ。誰かが、あの時代を見ていた。氷の橋を渡る人類の旅を、上空から、あるいは並走しながら、記録していた何者かがいた。

 《エル・ミラドール》の分析結果が音声化された。

 『対象記録媒体の目的:知的存在の観測および評価。被観測種:ホモ・メモリア(記録するヒト)。判定:初期文明段階突破。観測層への“通知”開始可能。』

 「……タガラの記録は、“観測対象の試験”だったのよ」  ノエミの声は震えていた。  「彼が記録したこと、それ自体が、私たちが観測文明と認識される“鍵”だったの」

 黒曜石の構造体はゆっくりと沈黙を保ち、しかし確かに、返答の到来を告げていた。

 星の門が開いた。観測者は来た。だがその姿は、まだ見えなかった。  姿なき知性。それは記録を通じてのみ、人類に触れようとしていた。

 ノエミはそっと呟く。  「……ようこそ、観測者たち。あなたたちに見せたいものが、私たちにもあるわ」


第三章:映された記憶

 空に開いた門は、もう消えていた。  だが、その痕跡はモンテ・ヴェルデの調査基地全体に静かなる振動として残っていた。黒曜石の構造体は動かず、ただ沈黙の中で微かな共鳴を続けていた。

 ノエミ・アルマグロ博士は、研究室の暗がりでひとり座っていた。照明を落とした空間の中、彼女の顔だけが、構造体から投影される「映像のようで映像でない」視界に照らされていた。

 映し出されているのは、あの“旅”だった。  氷原を渡る裸足の子ども、槍を担ぐ若き男、獣の毛皮に包まれた女たち。星が落ちる空を見上げ、言葉ではない歌を口ずさむ人々。

 だがそれは、外からの観察ではない。  まるで、彼らの目で見、皮膚で風を感じているかのようだった。

 ──こんなものが、あり得るの?  ノエミは思った。

 ──これは映像じゃない。再現記録?いや、記憶そのもの。認知パターンの再投影……。  ならば、私がいま感じているこの匂い、重み、息遣いは……。

 **「タガラのもの」**なのか?

 《エル・ミラドール》の音声が静かに告げる。  『記録層の投影内容は、脳波・神経活動の模倣を含む多層構造。観測対象の主観的体験を“共感”により再現中。』

 「共感…」  ノエミはその言葉を呟いた。

 ──わたしは学者だった。  データと証拠、年号と解析結果。石の割れ目や骨の断面、DNA鎖と土壌粒子。  でも、今この瞬間、わたしは“誰かの記憶”を生きている。

 ──これは、科学じゃない。これは……対話だ。

 旅は続く。  タガラが祖母に問う夜。空の星を見上げ、記録の意味を考えるあの場面。タガラの声がノエミの耳ではなく、心の奥深くで囁く。

 「われらの声は、誰かに届くのだろうか?」

 ノエミの目に、熱いものが浮かんだ。

 ──あなたの声は、今ここにいる。時を超えて、わたしに触れている。  その記録は、化石でもデータでもない。生きている。呼びかけている。

 そして、投影の最後に、黒曜石の構造体がゆっくりと姿を変えた。  その表面に、ひとつの名が刻まれる。

 「Homo memoria」――記録するヒト。

 ノエミは震える唇で微かに笑った。  「それが私たちの名なのね。ようやく、名前をもらえた気がするわ」

 観測者はまだ姿を見せていない。  だが、確かに応じていた。

 記憶は語り始めた。


第四章:帰還の宣言

 モンテ・ヴェルデの夜は深く、星々が天蓋のように張り詰めていた。黒曜石の構造体は静かにそこに立ち続け、昼と夜の区別すら無視するように、淡く脈動する光を放っていた。

 ノエミ・アルマグロ博士は、基地の中央に設置された簡易ステージに立っていた。彼女の背後では、各国の科学者、技術者、記者が沈黙のうちに耳を傾けていた。全世界が中継するその場で、彼女は一つの宣言を行おうとしていた。

 「この数週間、私たちはかつてない“記憶との対話”を体験しました。これは科学では説明できない、と言う人もいます。でも私は違います。これこそが“拡張された科学”の始まりです。」

 スクリーンには、タガラの旅の記録――視点映像が静かに流れていた。氷原を渡る者、森で語る者、そして光の柱に記録を刻む姿。

 「1万4千年前、タガラとその民は、自分たちの言葉と記憶を残しました。それは観測者たちによって受信され、評価され、今――私たちの元に“返答”として戻ってきました」

 ノエミは構造体の前へ進む。

 「ここにいる“観測者たち”は、姿を持ちません。けれど彼らは記録を通じて、私たちを見ています。そして、タガラの記録が証明したように、私たちは“記録する存在”として認められました」

 構造体の上部に、新たな文字列が刻まれていく。翻訳システムを通して表示されたそれは、ただ一言――

 『Homo memoria――記録するヒト』

 会場に低いざわめきが起こった。ノエミはそれを制して、最後の言葉を告げた。

 「人類は、記憶を持ち、記録を遺し、未来に語り継ぐ能力を持つ。それが私たちの文明の核心です。観測されるだけの存在ではなく、これからは“観測する側”として歩みます」

 スクリーンに星々が映る。  その中に、かつてタガラが見上げた空の星々と、変わらぬ輝きを持つ幾つかの恒星があった。

 ノエミは静かに語った。  「これからは、私たちの番です。私たちが語る物語が、次の観測者に届くように」

 拍手はなかった。誰もが言葉を持たず、ただその“意味”の深さに沈黙していた。

 記憶は回帰した。  タガラの声は時空を越え、ノエミの心に届いた。そしてそれは、今や人類全体の声へと昇華されていた。

 “われらは記録を持つ者なり。次は、語る者となる。”


次は、第三部:記憶の星を越えて

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