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第一部:氷の道を越えて

【プロローグ】――氷原の果てにて

風が鳴いていた。

それは万年氷の裂け目から漏れ出る、いにしえの神々の囁きのようだった。

その日、タガラは火を見た――空の上に燃える尾を引いた光。

北の空に現れたそれは、彼の部族では「カリ・ウニク」――神の警告と呼ばれていた。

「空の星が落ちるとき、海が怒り、陸が割れ、神の声が眠りから覚める」

祖父がかつて語った古い話だ。タガラはまだ幼子だったが、あの日の冷たい声を覚えている。

タガラは、ベーリンギアの民であった。

陸続きの氷原を越えて、獣と共に移動する、最後の狩人の一族である。

しかし、その「陸」は今や崩れてゆこうとしていた。

海面が上昇し、氷が裂け、北と南の世界が断絶されようとしていた。

「もう戻れぬ道だ」

部族の長は、今はタガラとなった。

若き彼は、決断を迫られていた――どこへ向かうか。何を遺すか。


第一章:風の記憶

 風は北から吹いていた。氷原を這うように、絶え間なく大地を削る風。遠く、空と氷が溶け合うような曖昧な地平に、ひとつの点が動いていた。毛皮に身を包み、槍を携えた若き狩人――その名は、タガラ。

 彼は、最後のベーリンギア人となる運命を背負っていた。かつて、無数の氏族がこの氷の橋を渡った。だが今、残されているのはわずかな者たちだけ。海面は上昇し、氷は音もなく崩れ、狩場は失われていく。

 「タガラ、獣の気配はないか?」

 肩を並べる老人が声をかけた。タガラの叔父、カム・ナルである。彼の顔には深い皺が刻まれていたが、瞳の奥にはまだ鋭い観察の光が残っていた。

 「足跡は南へ向かっている。だが…気になることがある」

 「何だ?」

 タガラはしばし黙り、風の匂いをかいだ。

 「風が、変わった。南の空が…赤い」

 そのときだった。空の端に、奇妙な光が走った。尾を引くように、天の一角が燃え上がる。

 「…カリ・ウニクだ」

 カム・ナルが呟いた。

 「空の神の警告。星の怒りが、また始まる」

 その夜、部族の円座にて、タガラは祖母に尋ねた。

 「空の星が落ちるとき、何が起こるのか?」

 皺だらけの祖母は、火の揺らめきの中で言った。

 「空の裂け目が開き、古き記憶が目覚める。だが、それを“聞く耳”を持たぬ者は、何も残せぬ。ただ消えるだけだよ」

 その言葉は、タガラの胸に熱を残した。風が、空が、なにかを語ろうとしている。彼はそれを記録したいと思った。石にも、骨にも、心にも。

 南へ。氷の終わりが近づいている。

 部族は移動を決意した。タガラは旅の先導を任される。海沿いの道を抜ける。骨の舟が作られる。アザラシの皮を張り、火打石を船首に納める儀式。

 「タガラ」

 叔父が静かに言った。

 「この旅は最後の航路だ。ベーリンギアは二度と戻らぬ。お前の目で、新たな記憶を刻め」

 夜、海岸線に沿って舟が進む。

 空には北極星。波の音。タガラは空を見上げる。

 彼の目にまた、あの光――金の尾を引く星が、南の空に吸い込まれていく。

 そのとき彼は感じた。

 「これは…ただの旅ではない」

 星が呼んでいる。記憶を持つ者を。

 タガラはまだ知らない。

 彼の記録が、遠い未来の文明にまで届くことを。

 その記憶が、時空の門を開く鍵となることを――。


第二章:沈黙する森、語る石

 舟が南へと滑るように進むたび、気候は徐々に緩やかになっていった。凍てつく風は潮の匂いを帯び、浜辺には時折、見慣れぬ貝殻や色鮮やかな羽を持つ鳥の死骸が流れ着いた。

 「この地には、違う命の匂いがする」  タガラはそう呟いた。舟の上、立ったまま風を受ける彼の顔には、幾重にも感覚が重なっていた。

 森が始まったのは、その翌朝のことだった。  彼らが上陸した場所は、後にモンテ・ヴェルデと呼ばれることになる大地であった。

 森は深く、静かだった。だがその沈黙は死の気配ではなく、何かを語ろうとしている沈黙だった。枝が擦れ合う音すら、意味を持って聞こえた。

 「見ろ、あれを」  先を行く狩人が指さす。そこには、人の手によって整えられた石の道があった。

 まさか、この地に先住の民が?

 やがて彼らは、焚火の煙を見た。慎重に接近する一行の前に現れたのは、褐色の肌に漆黒の髪を持つ一団。彼らもまた、槍を持ち、警戒を崩さなかった。

 しかし、衝突はなかった。むしろ、彼らは同じ旅人であることを互いに認め合った。

 言葉は通じなかったが、老女が一つの石板を差し出した。それは、黒く平たい石に奇妙な印が彫り込まれたものだった。幾何学的で、どこか星の軌道にも似ていた。

 タガラは目を見開いた。  「これは…夢の中で見たものと同じだ」

 誰にも理解できないはずの印。だがタガラは、それを“記憶”として見た。血の中に刻まれた象形。祖父から聞いた昔語りの中で、繰り返された形。

 「これは、語る石だ」

 部族の老賢者は言った。  「この地には、かつて空から来た者がいたという。彼らは記憶を残し、去った。そして語る石だけが残された」

 森は沈黙のままだった。だがその沈黙の奥で、確かに何かが覚醒しつつある。


第三章:光の柱、記憶の機械

 数日後、タガラは導かれるように一人、森の奥へと足を踏み入れていた。誰かに呼ばれたわけではない。ただ、石板の印が頭から離れず、あの形が「ここではない何処か」を指し示しているように思えてならなかったのだ。

 足元には濡れた葉が敷き詰められ、鳥の鳴き声すら聞こえぬ深い森。その静寂の中、やがて彼の前に岩が裂けてできたような洞窟の口が現れた。

 中へ入ると、冷気が肌を刺す。それでもタガラは迷わなかった。導かれるように、奥へ奥へと進んでいく。そしてその最奥――光が差すはずのない地中の闇に、ひとつの柱が立っていた。

 黒曜石のような、だがどこか金属にも似た光沢。触れようとした瞬間、タガラの脳裏に**声なき“振動”**が響いた。

 ──記録せよ。

 それは言葉ではなかった。鼓膜ではなく、**思考の深部に直接届く“呼びかけ”**だった。柱は振動し、タガラの記憶を読み取っていく。

 ──風の音、母の歌、狩りの手順、舟の揺れ……。

 すべてが、記録されていく。

 タガラは震えた。それは恐怖ではなかった。魂が解放され、宇宙の呼吸と一体になるような感覚だった。

 「これは…“記憶を刻むための装置”なのか」

 彼は語り始めた。彼の言葉は古の言語だったが、柱はそれを拒まなかった。むしろ、異なる時代の情報を受け入れる柔軟さすら持っているようだった。

 「我らは氷の橋より来た。星の落ちる光を見た。南を目指した。血の記憶を失わぬために、ここに記す」

 語るうち、彼の声は震えから確信へと変わっていった。柱はそのすべてを記録していた。

 「名はタガラ。われは“記録者”なり」

 柱の振動が強まり、まるで肯定するように洞窟全体が響いた。

 そしてタガラは最後に、自らの胸元にあった黒曜石のペンダントを外し、柱の足元にそっと置いた。

 それは、未来の者たちへの鍵となるだろう。記憶を読むための印として。

 彼はゆっくりと洞窟を後にした。

 外の森は変わらず沈黙していた。だが今、タガラは知っていた。  その沈黙の底に、宇宙の記憶が響いていることを。

第四章:記憶を刻む者たち

 洞窟から戻ったタガラは、しばらく言葉を発しなかった。仲間たちはその変化を敏感に察したが、問いただすことはなかった。彼の瞳の奥に、深く静かな決意の光が宿っていたからだ。

 ある晩、焚火を囲む輪の中で、タガラはようやく口を開いた。

 「この地は、語る場所だ。石に、木に、風に、すべて記憶が染みついている。おれたちは、ただ通り過ぎる者ではない。ここに、何かを遺さねばならない」

 長老たちは頷いた。旅の終わりが近いことを、皆感じていた。だがそれは「死に向かう終わり」ではない。始まりのための終わりだ。

 タガラは、語る石の元へ再び向かった。そして今度は、一族の者たちを連れていった。女たちが子守歌を歌い、男たちが狩りの手順を語り、老人が星座の名を唱えた。子どもたちは自分の夢を語った。

 それらすべてが、柱に記録された。

 黒曜石の柱はもはや冷たい機械ではなかった。それは“聴く者”となった。

 日が昇り、また沈む。数日間、彼らはただ語り、記録し続けた。そして最後の夜、タガラは火の前で立ち上がり、全員に向けてこう言った。

 「おれたちが残すのは、石や道ではない。記憶だ。それは時間を越えて、誰かに届く。まだ名もない誰かが、いつかこの地に来て、おれたちの声を聞くだろう」

 風が森を渡った。その音は、どこか微笑むように優しかった。

 「われらは、記録を刻んだ。だから大丈夫だ」

 その言葉を最後に、彼らは南へと再び旅立った。

 タガラは一度も振り返らなかった。だが彼の心の中には、あの柱の光と、語られたすべての言葉が、燃えるように刻まれていた。

 星は変わらず、頭上で瞬いていた。  それは、未来の誰かが“記憶の声”に気づくその日まで、黙して語る観測者のように。


AIによる。SFです。

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