素直になれない男
素直になれない男
薄曇りの昼下がり、翔太と僕は、路地裏の小さなカフェで向かい合って座っていた。窓越しに柔らかな光が差し込み、店内をぼんやりとした静けさで満たしている。テーブルの上のカップから立ち上る湯気が、僕たちの間に漂う空気をわずかに揺らしていた。
翔太は何も言わない。コーヒーを一口、また一口と飲む仕草には迷いと決意が絡みついているようだった。その目は遠くを見つめながら、何かを捉えようとしているのか、それとも何かから逃れようとしているのか、僕にはわからなかった。ただ、その沈黙が何よりも雄弁で、彼が抱えるものの重みが、目の奥に潜む微かな影として浮かび上がる。
「怖くなくなったんだよ。」
突然、低く呟かれたその声は、静かな店内で淡い波紋を広げるようだった。けれど、それはすぐに消えてしまった。自分自身に言い聞かせるための言葉なのか、それとも心の奥底から漏れ出た本音なのか、僕にはわからない。
「本当に?」
気づけば僕は問いかけていた。その言葉は自分の意思というより、沈黙を埋めたいという衝動のようだった。翔太は答えなかった。ただ、カップを握る指がわずかに震えている。それは彼の心の奥で何かが揺れている証のようだった。
沈黙が再び僕たちを包む。その静けさは安らぎではなく、目の前の彼と向き合うことを強いる厳しさを持っていた。翔太の中で何かが崩れ落ちようとしているのを感じる。でも、それを僕の言葉で助けることができるかはわからない。
「翔太、急がなくていい。」
声に出した瞬間、自分の心にもその言葉が響いた。焦るな、と。翔太はちらりと僕を見た。その目には、諦めにも似た不安と、消えそうな期待が微かに揺れていた。その視線を受け止めながら、僕の胸には痛いほどの無力感が広がった。
窓の外では、車の音や人々の足音が遠くで響いている。けれど、翔太の中で鳴り響いているものはそれとは違う。彼の心に広がるのは、無音の深い闇。その闇をどうすれば照らせるのか、僕はわからなかった。
「僕はここにいる。」
その言葉だけを、彼に向かって差し出した。簡単すぎる言葉だけど、それが今の僕にできる精一杯だった。翔太は微かに頷いたように見えたが、それが本当に彼の意思なのか、それとも僕の願望なのか、曖昧だった。
時間は静かに、しかし確かに過ぎていく。陽の光が少しずつ傾き、影が店内に長く伸び始めた。翔太は変わらず曖昧な表情のまま、けれどその奥で何かが決壊しそうな予感を残している。
僕たちを包む静けさの中で、彼の心の中にある「答え」が、いつか見える日が来るのだろうか。それとも、彼の中でそれは見つからないままなのか。どちらにせよ、僕はここにいる。彼が目を閉じた時、その横顔には、静かだけど確かな何かが宿っているように見えた。
光と影が揺れるカフェの中で、僕たちはただそこに座り続けた。その沈黙の中には、決して消えない熱が、微かに燃えていた。