10.リカードの回想2
リアーナが宮廷に来るようになってどれほど経過したろう。
彼女見たさに乗馬は完璧にマスターし、彼女が宮廷から家に帰るときは馬に乗ってこっそり護衛する日々。
そんなある日、生徒会の仕事に手間取って何日か離宮に帰るのが遅くなったのだ。学校を出る時間は既にリアーナが家にいる時間で、今日は会えなかったな。と思っていた。
生徒会の仕事が一区切りつき、いつも通りリアーナの帰宅時に護衛できるようになり、その日もウキウキと護衛に徹していた。
するとどうだろう。家に帰らず美味いと評判の食堂に入って行くではないか。
そんな報告聞いてないけど?と隣で澄まし顔の護衛を見る。自分がリアーナの護衛ができない時に護衛を頼んでいる者だ。
スンとした表情を崩さず前を向いたままの護衛。
「報告は?報告書上がってた?俺、見落とした?」
「リアーナ様は数日前からこちらで、副業として下働きを始めました!」
「はぁ!?」
リアーナが思っている“宮廷でのスキルの仕事“では、少なからずの給料が渡されている。
あの年齢からするとあり得ない金額。
なのに副業?しかも下働き??
今考えても仕方がない。
食堂で働いているのであれば合法的に眺める事が許されるのだ!
この日からリカードは自分の予定の中に、嬉々として食堂通いを追加した。
しかしだ。
やはりどう考えてもおかしくはなかろうか。
副業が必要なほど、お金に困っているのだろうか。
一度リアーナについて調べたが、商会が父親に世代交代してから不幸にも亀裂に遭い、“幸運隊“の栄誉を返上し、多額の借金を負った。その後、凄腕だと言われていたリアーナの祖母(リアーナと一緒に鑑定士のところへやってきた老婦人だった!)が残った資材でやり繰りして借金を返し終え、家や思い出の家財などを手元に残したと言う。
普通の老婦人であれば、何も残らなかっただろう。借金も返し終える事ができるような金額だったと記憶している。
その後その祖母は亡くなってしまったようだが、保護者である母親がそばにいてくれているし、今のリアーナの家には残った借金は無いのだ。
しかも母親と二人暮らしをしてあまりある給料が宮廷から支払われているはず。
「少しよろしいでしょうか。」
未だ侍従にはならず、自分の側で護衛をしてくれている者が口を開く。
「なに?」
「リカード様は日々リアーナ様の顔しか見ておられないでしょう?」
「え…そうかも。」
言われてみたら、リアーナの顔だけを見て癒される日々。父上から期限を切られはしたが、まだまだ猶予は残っている。顔を見て癒されるくらい良いじゃないか。と思ってしまう。
「はぁ…。良いですか?リアーナ様は宮廷仕事で普通の仕事人以上のお金をもらえています。年齢からして保護者であるお母上にそのお金を預けていたとして、それでもあの姿を見て何か違和感は感じませんか?」
ため息を吐かれ、ちょっと恥ずかしくなったが、今はそんな自分のことはどうでも良い。言われたことをゆっくり確認しなければならない気がした。
「うん。自分も今リアーナはお金に困ってないはずなのに、何で副業なんてしてるのかって思ってたところで…ん?あの姿?リアーナはいつ見ても可愛いけど…。」
そこで早々に食堂を出て裏手に周り、影からこっそりじっくり、リアーナの顔以外を確認してみる事にした。
「ん?あれ?」
魂の衝動に突き動かされるように、とにかくリアーナの姿を目に映すことばかりに専念してきたが、冷静に見てみれば、おかしなことに気がつけた。
「ねぇ。リアーナってあんなに細かった?あんなに髪がボロボロだったっけ?なんて服も靴も薄汚れて…。あれ?リアーナって何歳だった!?」
何もかも、なぜ今まで気が付かなかったのか。と言う視覚情報ばかりだった。
父上はなんて言っていた?宰相は?
『自分で出来ることをきちんとしなさい。』
『リカード。しばらく時間をやろう。成人の儀までだ。』
『彼女の命に関わることや国外に出るようなことがあれば手を出させていただきますが、それ以外であればこちら側は手を出さないと約束します。』
ガンガンと頭痛がする。
つまりは?つまりはどう言うことだ?
自分は自分が出来ることを精一杯しただろうか。
自分で出来ることをしろとは、自分の力を見せろと言うことではないのか。
リアーナの命にかかわると判断されるまで『こちら側』は手を出さない。
つまり、命の危険性以外で手伝うことはない?
こちら側…護衛たちを雇っているのは父上じゃないか!
報告が無かったのも当然だ。
味方であって味方でないのだ。
全て自力でやれと言われたのだ。
手を貸して欲しいと言えば、誰も拒みはしないだろうが、積極的な力添えもしませんよ。と言われたのだ。
この護衛は、父上の言葉に抵触しないギリギリの言葉と方法で忠告してくれたのだろう。
いや、見かねたのだ。自分の愚かさを。
「愚かだ…。自分は、何で愚かなんだ…。」
そこからは気持ちを入れ替えた。
好意“百対ゼロ“があるので、どうしてもリアーナの目の前に現れることだけは自信が無くて出来ないままだったけれど、彼女の周辺の調査に力を入れたのだ。
時間が取れない中、自力で調査するため時間が掛かってしまった。やっと情報が集まったので、その日は学校を休んで精査する時間に充てた。
そして後悔した。
なぜ出会ってすぐにでも情報を集めなかったのかと。
時々おかしな人間は現れるが、ここまでおかしな人間が存在すると思っていなかった。
思っていなかった?
いや、自分の想像力の欠如だ。
最大限想像して行動しなかった自分を呪いたくなった。
自分には優しかった母上の記憶しかない。
いや、ほんの時々だが、父上を呪うかのような言葉も耳にしたのは夫婦喧嘩の延長線だろう。(と思うことにする。)
まさか自分の実の娘から全てのお金を巻き上げ、それでも足りないからと副業までさせて、食べ物まで与えて居なかったなんて誰が想像出来たのか。
リカードにとってそれは、未曾有の出来事だった。
泣きそうな自分を叱咤しながら情報精査する。
宮廷法律に照らし合わせたところ、リアーナの件は保護の対象となること。
また母親の精神病は不治の病とされ、一進一退を繰り返す類のものらしかった。
医者が診断をおろせばすぐにでも病院へ移送できると知り、宮廷医師をすぐさま派遣するように手配した。今日中に移送されるだろう。
しかも、働けない母と子供の場合、それだけの理由で申請さえすれば生活保護対象となっていたのだ。オーマイガッ!
あとはリアーナの事だ。
あの幼さで母親が居ない家に一人で住まわせるのは忍びない。だからと言って孤児院に住まわせるとなると手続きはすぐには済まないだろう。
孤児院は宮廷管理外だからだ。
「ん?そう言えばリアーナは何歳なんだ?」
「「リカード様ぁ…。」」
いつもの護衛の二人が何とも言い難い声を出した。
「本当、ポンコツで申し訳ない…。」
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今、自分の隣の部屋にリアーナが寝ているっ!!!
リアーナに出会ってから、自分の家である離宮の寝室の隣、つまり自分の奥さん用に空けられていた部屋を、リアーナだったらどんな部屋が好きかな?なんて考えながら整えてきた部屋だ。
「あぁぁ!!早く目を覚さないかな。話をしたい!いや、しっかり休養を取らせるのが先かっ!?」
あわあわする自分を見る護衛の二人の目が可哀想な子を見るようではあるが、好きにしたら良い。自分は気にしない。
それどころではないのだ。
まさかこんなに早くあの部屋を使ってもらえる日がくるなんてっ!
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情報の精査をし終え、今後どうするかを自分で決めた。
リアーナの母親は病院へ移送されるので、ついにリアーナと話をする事にした。
鑑定士のところへ行けば年齢くらいはすぐに解るが、今までそうやって本人と話す機会を自ら放棄して来たことに気がついたのだ。
この勢いのまま今話さなければ、ポンコツな自分はきっと今後も勇気が出せないだろう。
気が付けばリアーナが食堂へ向かう時間となっていた。
気合いを入れ直し馬に乗ってリアーナが出てくるのを物陰から待つ。
しかし待てど暮らせど姿を見せない。
護衛が鑑定士のところまで確認しに行くと、今日は少し疲れているようだったから早めに返したのだと言う事だった。
と同時に聞かされたのは、リアーナは少し前から生えたスキルを使って本業として仕事をし始めたとのこと。
「また後手に回ってしまった…。」
とにかくこの宮廷に自分の味方が居ないのだ。
王位継承権を放棄したので仕方がないのだが、まさかこれほど違うとは。
嘆いて居ても仕方がない。
自分で選択した結果なのだから。
入れた気合いが抜けてしまう前に、食堂へ急ぐ。
食堂に併設された馬繋ぎはリアーナが働いている裏手に程近く、少し歩くと裏手がよく見えるという好立地である。
馬を繋いでいると少し先に到着していた護衛が慌ててやってきた。
「リアーナ様がお倒れになりました!頭をぶつけたようですので、宮廷医師に見せた方が良いでしょう!馬車の手配をして参ります!」
それだけ教えてくれると、慌てて馬に乗って行ってしまった。彼の馬術は王国一と言っても良い腕前なので、馬車も早々に到着するだろう。
「た、倒れ…。」
「リカード様!しっかりしてください!」
「そ、そうだな、ガードン。ありがとう!」
二人で裏手に回ってリアーナのそばへ寄る。
ガードンが脈を取ったり熱がないかと確認のためにリアーナに触るのを、苦々しく思いながら見つめる。
仕方がない!判ってる。緊急事態なのだ。
しかし、彼女に触れるのが何とも気に入らない。医者ならともかく。
ガードンが言うには熱はないが脈に不安を感じると言う。
「馬車が入ってこられる場所まで移動させましょう!」
とガードンに言われたところで、この食堂の女将が店側の扉から下働きの子供と共に現れた。
リアーナの雇用主である彼女に伝えてから行かねば、自分たちがリアーナを誘拐したと思われてしまう。
王族であっても、いや、王族だからこそ、そんな噂が立っては困る。
「頭を打ったようです!突然意識を失ったそうなので、検査ができる者のところへ連れて行きますが、よろしいですか?」
「え?なんでそんな事知って…あ、ええっ!?」
話している途中で、ガードンがサッとリアーナを抱き上げてしまった。
なんでお前が触ってるのさ!とリカードは睨みつける。しかし非力な自分ではいくら幼い子供であったとしても持ち上げて歩くなんて無理なのだ。
とても悔しかったので、今度は肉体改造をする事を誓ったのだった。
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また意識を失わせてしまった…。
また同じベッドに寝かせてもらった。ガードンに…。
何が何でも肉体改造しなければならないと心に強く誓う。
「十二歳…。」
しかし、年齢を聞けば十二歳だと言う。自分と三つしか違わないことに戦慄した。
もっと幼いと思っていたのだ。十二歳にはとても見えない。見えて十歳か。王族は比較的長生きの者が多いと聞くし、いくら年齢差があっても気にして居なかった。
ただ、幼い子供は精神が育って居ないだろう。好きだの愛しているだの言ったところで伝わらないかもしれない。百対ゼロだし。
そう思って尻込みしていたのだ。
「学校に通える年齢だったのは良かったですね。寮に入れば当面住まいも食事も安泰ですよ。」
護衛に言われ、そうだね…と呟く。
出会った時点で自分がさっさと調べて居たら、すぐに学校に行かせてやる事が出来たのだ。
無駄な二年を、苦しみの二年をわざわざ味合わせることは無かったのに。と思うと心が沈む。
あれほど話をするのを楽しみにしていたのに…。
あの怯え様は異常だ。
目が合わない程度の話ではなかった。
初めて見かけたあの花が咲く様な笑顔が幻だったかの様だ。
「はぁ…。」
学校に行って居ないと聞いて、ポンコツが発動した。
料理系のスキルを持っているのか?など、持って居ないのは周知の事実である。しかも聞いても答えられないスキル名まで聞く始末。
あの時そばにいた護衛たちの心の声が聞こえた気がした。ポンコツすぎ、と。
「落ち込んでいても仕方がありません。学校へはご一緒に通えばよろしいのです。登校時に馬車にお誘いし、生徒会へもお手伝いとして参加させて差し上げれば、周囲の者と話をする機会も増えるでしょう?そうやって少しずつお互い慣れていけばよろしいのでは?」
「もう本当、侍従になってよ…。」
未だに調整中だと父上は言うけれど、一体どんな調整をしているというのか…。
「はぁ…。」
彼女には子育て経験の豊富なオリビアを付けた。
オリビアはこの王国では珍しく二人の子供を育て上げた強者である。
実は自分の乳母でもある。信頼は厚いがその分頭が上がらない。
「ねぇ?あの食事の時の会話は…父上の“手を出した“に入ると思う?」
「リカード様?またポンコツが出ていますよ?あれは、流石に焦れただけではないでしょうか。なかなか進まずにいてイライラなさっていたはずですし、説明なさっただけですもん。」
「もん」とか言っちゃう?
それだけ自分が情けないと言うことなのだろうけど。
「頑張る他ありませんよ!明日からの楽しい毎日を思い浮かべましょう!何しろ同じ学校内にリアーナ様がいらっしゃるのですよ?」
「そうか。そうだね?そうだよね!明日から一緒に登校して、生徒会のお手伝いをしてもらえたら、お昼も一緒に食べられるね!」
「「ですです!」」
二人の護衛におだてられその気になる。
こうやって気持ちを浮上させておかないと、自己厭悪で泣いてしまいそうだったのだ。
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「父上!婚約の予約って一体どう言うことですかっ!」
リカードは賢王の執務室へ出向いて食いついた。
「んー?」
「んー?じゃありません!自分がどれほど頑張ってリアーナに求婚して承諾を得たのかご存知なのでしょう?」
話したわけではないが、どうせ筒抜けだろう。
何しろ王には影と自分が勝手に呼んでいる間諜たちがいるのだ。
どこに居るのかさっぱり解らないが、どこかに潜んでいるようで、こちらの情報は丸見えのはずだ。次期王教育で習ったから知っている。
こうやって次期王しか知り得ない情報を知ってしまったが故に、王にはならずとも片腕になれと言われているのだろう。
その辺りは理解して、納得して勉強をしているが、それと婚約の話は別ではなかろうか。
「んー。話してなかったんだけどねぇ。リアーナさんが王妃教育をしてるんだよね。つまり…。」
「リアーナさんと結婚した者が国王となるということになりますね。」
賢王と宰相に言われて正気を失いそうになった。
倒れそうになったのか、二人の護衛に両脇から支えられた。
「そ、それって…もうリアーナとは結婚できないってことなんじゃ…。」
既に王位継承権は放棄している。
どんなに勉強したって努力したって、リアーナは従兄弟と結婚すると言うことだ。
血の気が引いて、目の前が真っ暗になった。
「絶望だ。もう死にたい。死のう…。」
もう生きて居たって仕方がない。
リアーナと一緒になれないどころか、リアーナと結婚した従兄弟を一生支えていかなければならないなんて地獄でしかない。
自分には無理だ。
足から力が抜けていくが、筋肉隆々の二人に支えられて倒れることもできない。
「そう焦って結論を出すものではないよ?お前の王位継承権は保留にしてある。聞けば勉強の進み具合は二人とも同じ程度らしいからね。」
「え?保留?」
賢王である父に言われて、のろのろと顔を上げる。
「慣例に則るならば、王子が次期王になるものですからね。亡くなってしまったり、王に息子がいない場合は縁者から良い者を選んだと言う歴史はありますが、今代においてそのどちらでもないでしょう?」
声高らかに説明する宰相に、賢王も一瞬ニヤついたがリカードは気が付かない。気がついたのは護衛兼侍従の話をずっと保留にされたままの男だけだろう。
「それ…本当ですか…?」
地を這うような、寒々しいような声が執務室に響く。
「リ、リカードか?」
父親ですら理解できないほどのその声の主はリカードだった。
「本当ですか?と聞いています…。」
賢王と宰相から見ると、顔に影が掛かっているので表情は全く見えないし、声色から感情も読み取れない。そしてなぜか背筋が薄ら寒くなった。
「あ、ああ。リカードの王位継承権は保留。二人のうち次期王教育を早く終えた者が王となる。そして、リアーナさんと結婚させようじゃないか!」
少し怯えたようだったが、賢王は高らかに告げる。
王教育を受けた期間はリカードの方が遥かに長い。短期間で横に並んだ従兄弟はかなり優秀と言えるのだ。
リカードにとって、残りの勉強は死に物狂いで学ばねば、従兄弟が王となるだろう。リアーナという伴侶を横に並べて。
「言いましたね?言質は取りましたよ?取り消しはなしです。ここにはこれを聞いた証人もいますからね?」
勝てる見込みがあるのか。
どこにそんな自信があるのか。
この場にいた者たちは不思議に思ったが、賢王だけは小さく頷いていた。