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「余計なお節介はやめとくれ!何度言ったら分かるんだい!子供のあんたに説教されるなんて真っ平ごめんなんだよ!そんなことより飯はまだなのかい!?」


父親が行方不明になって幾年月が経っただろうか。

幼少期だったので、父の顔はとうに擦り切れ思い出すのにも苦労するほどだ。



---



母は、今の賢王と名高い王様を成人の儀で見て一目惚れしてからと言うもの、王様がいつか自分を迎えにきてくれると信じて疑わないような、ふわふわとした人だったらしい。


当時国王様には既に再婚した皇后様がおられたので、迎えになんてくるはずもなく、結局父と結婚したのだが。


では何故父だったのかと問えば、


「騙されたんだよ!」


と亡き父と祖母を悪様に言う母だが、周囲の人が言うには


『身なりが良かったから。らしいわよ。』

『そうだったわ!当時あの子はそんな事を言ってたっけ。』

『あなたのお父さんは身なりも見た目も良かったから。』

『あの子らしいってみんなで話したわよね。』

『まぁ、王族と結婚したいなんて馬鹿げたことを言っているような子だったから、結婚出来て御の字だろうよ。』


だそうだ。


結婚当初、父の実家が大手の商会で羽振りがべらぼうに良いうえ、父は相当な美男子だったらしい。

お陰で引く手数多だったと言う話だ。

では何故母のような人と父結婚したのだろう。


父の知り合いだったと言う人に尋ねてみても、誰一人父側の話は知らないと言う。


それもそのはず、父はかなり物静かな人だったらしい。

友達とお酒を飲んでも愚痴も言わなければ自分の話ものらりくらりとかわす。どちらかと言えば人の話を聞くのに長けた人だったのだそうだ。


両親がどう言うわけか結婚し、私がシュルシュルポンと生まれヨチヨチと歩き出す頃、父と祖父が他国へ買い付けに行ったまま戻ってこなかった。


噂によると、亀裂に巻き込まれたのではないかと言う話だが、詳しいことはわかっていない。


この星ではちょくちょくある事。

他国へ買い出しに行き、無事に帰ってこれる商人が少ないため、戻ってきた商会は“幸運隊“と呼ばれ、それにあやかろう、あやかりたいという人たちで店が潤うのだ。


祖父母はそうやって何度も無事に帰ってきて、商会を王都一まで大きくしたそうだ。


しかし、それも父に世代交代してから初めての買い付けで行方知れずとなり、あっけなく“幸運隊“の名は返上された。


買い付けに行くためにした多額の借金を、祖母がどうにかこうにか返し終えた時には、今住んでいる大きめの家と少しの家具しか残らなかったそうだ。

逆に言えば、祖母が頑張ってそれだけは残るように手を尽くしてくれたのだろう。


店も無くなり、お金もなくなった家に取り残された祖母と母と私。

祖母は私を可愛がってくれたが、私にスキルという魔法が生えた頃、心労がたたってこれまたあっけなくあの世へ帰還してしまった。


同じ頃、皇后様がご病気で崩御されたのだが、それを聞いた母は、


「やはり私が王様の運命の相手なのよ!」


と、自分磨きを始めた。

私がスキルで稼いできたお金を使って。


年齢と共に生え始めた白髪を二週に一度染め直し、弛んだ体を引き締めるために家の中を歩き続ける。


そんな暇があるなら掃除をして欲しいし、洗濯をして欲しい。なんなら働きに出て欲しいのだが、


「こんな見窄らしい姿を見られたら、王様に見初められるどころじゃないだろう!」


と騒ぎ出してしまう。

なかなか思うように体が引き締まらない事にイライラすると、家の物に八つ当たりをするので、どんどん食器は無くなるのでやめて欲しいと切に願う。


気がつけば、頑張って稼いできたお金はつゆと消え、今日のご飯にも困る始末。



こんな母でも、話し合っていたらいつか分かり合える日が来るはずだと、手を替え品を替え、言葉を変えて語ってきたが、いつだって『余計なお世話』『余計なお節介』だと取り合ってもらえなかった。


給料が安過ぎると文句を言われ、少しでも食べるものを増やそうと仕事を掛け持ちするようになった。

疲れた体を鞭打って作ったご飯は汚く平らげられ、美味しくないからと自分の分は捨てられてしまう事もある。


あまりにひもじくて、その捨てられたご飯を漁っているのを見られてからは、口汚く罵られ叩かれるようになった。



だんだんと気持ちが麻痺してきて、自分なんか生きている資格が無いのだと、思う事も増えていく。


私は何故、今生きているのだろう。

こんな“出来損ないの自分“が生きている意味も意義も感じられなくなっていた。



---


毎日スキルの仕事を終えた後、掛け持ちしている食堂へと急ぐ。


母が言うには、“見窄らしく愛嬌もない自分“は店先に出るような仕事なんてもっての外だそうだ。

こんな私でも出来る裏方の調理補助の仕事をさせてもらっている。誰にも会わないので都合が良い。


仕事内容は、補助とは名ばかり。

料理の下ごしらえをさせてもらっている。

野菜の皮剥きとカットが主な仕事で、女将さんに何度か教えてもらってやっと出来るようになった。


下ごしらえなどは一度見れば誰でも出来る仕事なのに、何度も聞いたり教えてもらうなど恥ずかしい事なのだと母は言う。

そんな事とは思わず、母に話してしまったら、


「なんて恥ずかしい子だろう!自分の子だなんて思いたくない!この恥晒し!」


と罵られた。それを耳にして、辛うじて残っていた自信が跡形も無くなってしまった。

もう何を言っても無駄。何をしても罵られる。

母に褒められたことなど一度もないことに、こうしてやっと気がついた。



そんな変わり映えのしない日々が続く。


とにかく、“こんなグズな私“を雇ってもらえているのだ。大変有り難い。

いただけるお給料に見合うよう休みなく身体を動かして働くだけだ。


今日もいつもと変わらず、お腹をぐーぐー鳴らしながら、痩せっぽっちな体をより縮めてジャガイモの皮を剥いていた。


はずが、気がつけば暖かな布団に寝かされていた。


「え?ええ?」


回らない頭で考えるが、何も記憶にない。

毎日水で絞った布切れで体を拭いてはいるが、自分が持っている服は今着ている服ともう一着、後は寝巻きだけ。

毎日洗うと乾かないことがあるので、数日続けて着用するのだが、明日が服を洗う日なのだ。

つまり、今日が一番汚い。


こんな高級そうな布団に、小汚い自分が寝かされていることに気がついて、慌てて布団から飛び出て布団を叩く。


布団に汚れが移ったようには見えないが、匂いはついてしまっただろう。


「弁償するお金なんてないわ。どうしましょう。」


焦って布団の端を持ち、バサバサとはらうが元に戻る事はないだろう。


そんな風にバサバサと音を立てていると、ガチャリと扉が開いて、見たこともない美しい少年が入ってきた。


「なっなっ!ど、どなたでしょうか?ここはどこですか?あ、あの、私は何故ここに寝かされていたのでしょうか?」


こんなに美しい人の目に映るわけにはいかないと、慌ててうずくまり質問を投げかける。


「お前の不細工で憂鬱そうな顔なんて見たら、誰だって嫌な気持ちになるよ!下を向いてな!一体誰に似たんだろうね!」


そう言って叩かれるようになってどれくらいの年月が経過しただろうか。


そんな暴言をたまたま耳にした周囲の優しい人たちは、気にする事はないよ。あなたは可愛いよ。と言ってくれるが、こんな自分にそんな優しい言葉を掛けてくれるその人が素晴らしいのであって、自分はそんな言葉をいただけるような人間ではないのだ。


母からのありとあらゆる暴言はしっかりと刷り込まれ既に洗脳されていた。



「あぁ。良かった目が覚めたのですね。自分はリカードと言います。食堂の裏手で倒れたところに通りかかりまして、倒れた原因が不明だと女将さんが慌ててらっしゃったので、医者のいるここへ馬車でお連れしたのですよ。」


リカードと名乗るその少年は、育ちが良さそうな言葉遣いと所作で、自分を起き上がらせようとする。


「あ、あの!私は汚れておりまして!どうか触らないで下さい!」


カメのように床に丸まって、自分からどうか離れてくださいと続ける。

自分の態度が頑なであると理解したのか、少し離れてくれたようだが、部屋には居座っているらしい。

少しだけ、そう、ほんの少しだけ顔を上げて、少年の方へ視線を送る。


どうやら部屋にあるソファに腰をかけ、こちらの出方を伺っているらしい。

私は彼の視界から逃れたくて、床に丸まったままジリジリと扉の方へ移動する。


しかし、助けてくれたらしい彼にお礼も言わずに出て行くわけにはいかないと思い直し、彼の視界に入らないよう、ソファの後ろへ移動した。


「あ、あの。助けて頂いたとは知らず、失礼致しました。あと、助けて頂いてありがとうございます。」


「あぁ、いえ。自分の自己満足ですので、お気になさらず。あの…座っていただけませんか?お話したいのですが…。」


自分が床に頭を擦り付けたまま、しかも後ろに回り込むとは思わなかったのだろう。彼は少し困惑したような声色だが、お目汚しするわけにはいかない。ぜひこのままで!


「お話はこちらで伺います。あ、あの!お医者様へ支払った金額はいかほどでしょう。た、多分一度に払い切ることが出来ません。どうしたら良いでしょうか。」


自分は記憶がある限り、お医者様に会ったことはない。

病院にはお医者様という職業の方がいらっしゃって、そのスキルを持つ人は大変少ないため平民が行くようなところではないという認識だ。


今月分のお給料で支払い切れるだろうか。

いや。そんなことをしたら母になんて言われるだろう。いつもよりもひどく叩かれるだろうが、他人様に不義理をするよりも断然良い。


「あぁ、お気になさらず。医師はここに常駐しておりますのでお金はかかりません。それよりもどうぞソファへお座り下さい。」


再度、彼の正面に座るように促されたが、とんでもない!誰かの正面に行くなど無理に決まっている!

こんな私を正面から見たら、この少年の目玉が潰れてしまうかも知れない。


「いいえ!ご勘弁を!」


震える声で許して欲しいと願えば、彼は小さくため息をついた。


呆れられてしまった。

いつも、誰に対しても同じように、母が教えてくれたように対応するのに、決まってため息を吐かれてしまう。


「わかりました。ではそこで構いません。私がそちらを見なければ、頭を上げられますか?」


「え?あ、はい。」


「では、そのまま聞いてください。」


「は、はい!」


そっと上半身を上げて彼の方へ向く。


「あなたの名前はリアーナさんでお間違えありませんか?」


「はい。間違いありません。」


なんで名前を知っているのかと疑問に思ったが、おそらく女将さんから聞いたのだろう。

女将さんのところで倒れたらしいし、辻褄は合う。


「年齢を教えていただけますか?」


「あ、はい。今年で十二歳となります。」


「十二歳?お住まいは食堂の近くだと女将さんから聞きましたが。失礼ですが学校へは通っていないのですか?」


「学校…。」


この王国において貴族も平民も、十一歳になる年から十六歳までの六年間、無料で学校に通うことができる。

義務ではないが、通いの子には昼食が出る。

親が居ない子や地方から通う子のために、寮も備わっており、そちらに入れば三食学校の食堂で食べることができる。しかも全て無料。

素晴らしいシステムが備わっているのだ。


この有り難いシステムが構築されて以来、ほとんどの子供が学校に通っているし、通わない選択肢を選ぶ子は殆どいない。

いるとすれば、生えたスキルが相当有用である場合のみ。そう、例えば火を起こす『ライト』のスキルが良い例だろう。


学校に通いさえすれば、読み書き計算歴史が学べるし、卒業してから働きに行けば、お給料の基本給が高くなるので、かなり有用なスキルでない限り、学校に通った方が人生設計がしやすくなるのだ。


このシステムを整えてくれたのは賢王と名高い現国王様だ。当然平民の自分は見かけたことはないが、素晴らしい方なのだと耳にした。



学校。

リアーナだって、通うつもりでいた。

しかし、学校に通えば働き手が居なくなってしまう。あんな母だが、リアーナにとっては唯一残された家族なのだ。

働かない親を一人置いて学校に通う選択肢もあるにはあったが、


「ここまで育ててやったのに、学校に行ける歳になったら捨てる気か!この恩知らずが!」


祖母が隠しておいてくれた入学許可証を母が破り捨ててしまった。


目の前でビリビリと破られ投げ捨てられたその証は、持っていかなければ入学が出来ないという重要なものだった。


「スキルが生えたのだから、働けば良いのよ!そうよ!働きなさい!」


そう言って、仕事を見つけるまで帰ってくるなと家から追い出されたのだ。


あの時の悲しい気持ちが思い出され、鼻先に熱が集まる。

グッと我慢したが、我慢しきれずに少しだけ涙が滲んできてしまった。しかし彼の真後ろにいるので、気が付かれることはないだろう。

ハンカチなんて洒落たものは持っていないので、袖でそっと涙を拭う。


「学校へは通っておりません。スキルが生えたので、仕事をしております。」


「それが食堂の裏方の仕事?生えたのは料理の補助スキルですか?」


「えっと…はい、いえ、違います。食堂の仕事は、その…副業で…。」


「では、生えたスキルは?」


「申し訳ございません。お教えしたくございません。」


この王国では、スキルは個人情報なので、仕事関係の人以外には通達義務がない。故に話したくない教えたくない時は伏せても良いことになっている。


「そ、そうですよね。すみません。忘れてください。」


少年は何故自分の事などを知りたがるのか。

リアーナは少し不安になった。


相手の意図がわからない。

真後ろに陣取ってしまったので、表情から読み取ることは出来ない。

感情の乗らない少年の声色から読み取ることも出来ない。

何を考えているのかさっぱりわからない相手との長い会話に不安が煽られる。


「あ、あの!助けて頂いたことは感謝いたします。ありがとうございます!でもそろそろ帰らなければ!女将さんのところへ寄って今日のことも謝りたいですし…。」


煽られた不安から、この場から早く逃げ出したいと思い始める。


「あぁ、長々とすみません。あの、最後に一つだけ。リアーナさんの倒れた原因は、魔力の使いすぎと疲労と…栄養失調によるものだそうです。」


「え!?魔力の使いすぎ?」


「あ、はい。魔力がゼロに近かったようです。しばらくはスキルを使わずに安静にするようにとのことです。」


この星ではスキルという魔法があり、それは人が持つ魔力によって発動させることができる。

魔力量は人によって異なるが、ゼロになるまで使うことは絶対にしない。魔力がゼロになると言うことは、死ぬと言うことだからだ。


リアーナはことの重大性に気がつき、体が震え始める。寒くもないのに歯がカチカチとなり始め、自分で自分を抱きしめる。


「リアーナさん!?」


死んでも良いと思っていたはずなのに…。

私はまだ生きたいと思っていたのね。


リアーナはその場で意識を失った。


---


次に目が覚めたのは、やはりふかふかの布団の中だった。

窓から差し込む光の感じで、今が朝か夕方かどちらかであることは理解できた。

どちらにしても、かな。長い時間寝ていたことだけは分かる。

一度起きて少年と話した時は夜だったのだから。


またしても布団を汚してしまったと、慌てて布団から出ると、自分の服装が着心地の良い寝巻きに変わっていることに気がついた。


「へ!?な、なんで!?私の服は!?」


慌てて周囲を見渡すが、服がどこにも見当たらない。このままでは外に出ることも出来ない。家に帰れないのだ。


「ど、どうしたら…。」


一晩家に帰らなかったので、めちゃくちゃに叱られるだろうが、帰らないと言う選択肢は思い浮かばない。


それにしても綺麗な色の寝巻きだな。と漠然と考える。手のひらで服の表面を触ってみたいが、手を洗った記憶がない。そんな手で触ったら汚してしまうだろう。


自分が家で着ている寝巻きは、母が購入して着なくなった外着から自分で作ったものだ。裁縫は誰に習ったわけでもなく、自己流なので、寝巻きは既にボロボロだ。

サイズも合わなければ、子供に似合うような可愛い色合いでもない。本来外着なので寝心地だって良くはないのだ。


「スキル…裁縫系の物が生えたらよかったのにな。」


それに比べて今着ている寝巻きは着心地抜群である。寝巻きとは、本来こう言うものなのだなぁと、ちょっぴり感動していると、部屋の扉がノックされた。


「はい。」


「お目覚めですか?お着替えのお手伝いをさせていただきます。」


聞き慣れない言葉が聞こえたな。なんて言った?と思っているうちに、女性二人組がおはようございます。良く寝られましたか?不都合はございませんでしたか?などと言いながら部屋に入ってきて、あっという間に寝巻きを剥ぎ取られた。


「ひゃっ!じ、自分で着替えられます!あ!触らないで!見ないでください!」


拒否の言葉を伝えつつも、自分が暴れたらメイドさんたちに怪我をさせてしまうかも?と思ったらされるがままになってしまった。


あぁぁ!恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしいっ!!


こんな痩せっぽっちで傷だらけの体を見られてしまった!

なんていうお目汚しだろう。なんと言う恥晒しなんだろう。


「あぁ…もう死んでしまいたい…。」


下着姿で床に這いつくばって丸くなる。


何故こんな目に遭っているのか、

何故自分は家に帰れないのか、

仕事は無断欠勤でクビになってしまうかもしれない。


色んな感情が一気に押し寄せ涙腺が崩壊し恥ずかしくて情けなくて、一気に死にたくなった。

いなくなってしまいたくなった。

それでも死にたくないと思ってしまった。


すると、良い香りのシーツが被せられ、背中全体に暖かな何かを感じた。


それはもう何年も感じたことのなかった人の温もりだと気がついた時には、多分その温かさを分けてくれている人が泣きながら話し出していた。


「痛かったですね。苦しかったですね。」


あぁ、背中の傷を見られてしまったんだな。

諦めに近い気持ちが浮かんでくる。


女性はそう言って、私が落ち着くためなのか、その方が泣き止むための時間だったのか、長い事優しい手つきで背中をさすられ続けたのだ。




互いに落ち着いた頃、シーツから顔だけ出した自分に、その女性は着替えの服を見せてくれた。


とても可愛らしいその服は、またしても手触りが大変良さそうで、こんな自分には勿体ない。


遠慮したい、自分の服が着たいと言ったのだが、着ていた服は洗っている途中で破けてしまったからその代わりだと言われてしまえば受け取らざるを得ない。下着姿で家に帰るわけにはいかないからだ。


一緒に来ていたもう一人の女性がそっと扉から顔を出して、湯浴みの準備が出来ましたよ。と呼びに来た。


「ゆあみ?」


疑問に思っている間に、あれよあれよと移動させられ、温かいお湯に漬けられた。


「ふわぁぁ…。これが、ゆあみ?」


良い香りがする。

お湯には花が浮かんでいた。


温かくて気持ちがいい。

湯浴みの準備をしてくれたと言う方が、絡んだ髪の毛を丁寧に解し何度も何度も洗ってくれた。


お二人には部屋から出てもい自分で体をしっかり洗う。良い香りのする石鹸と言うものを初めて使わせてもらった。

泡を立て泡で体を洗うのだと教えてもらったので、言われた通りにタオルに擦ってたっぷり泡をたてる。


「ふわぁぁ…。これが、泡?柔らかい。優しい香りがする。」


初めての泡は、体に当てるとぐんぐん萎んでしまって泡が保たない。


「な、なぜ?」


泡で体を洗うなんて到底無理そうだ。


自分の体がそれだけ汚れているからなのだが、知識のない自分には訳がわからなかった。


とにかく言われたようにしなければならない。

“グズな自分“は言われたことくらい出来なければ生きている資格がないのだから。


何度も何度も泡を立てて、石鹸が半分くらいになる頃には泡で体を擦る事が出来るようになっていた。


「この石鹸と言うもの…絶対に高級品よね?私、生きている間に支払いを終える事が出来るのかしら…。」


ゆあみを終えて端っこで身体を拭いていると、シーツで体を隠してくれた女性が、ひょっこり顔を出してニコリと笑う。


「これ、よく効く傷薬です。背中はご自分で塗れませんから、私に塗らせてくださいね。」


と言って、傷薬の器を一つ手渡してくれた。

見える場所は自分で塗りたい気持ちを察してくれたみたいだった。

背中に薬を塗ってもらっている時、女性は何やら呟いているようだったが、なるべく汚い肌を見せないように必死に隠しながら塗っている私の耳には聞き取る事が出来なかった。


着替えを終え、髪を乾かしてもらっている頃には、女性たちと簡単な話が出来るくらいになっていた。


お二人はこの家に雇われた侍女さんで、この家はあの少年の家だそうだ。


「もの凄くお金持ちなのね。」


寝かせてもらっていた部屋も広くて見たことのない家具も沢山あったし、湯浴みのために廊下に出たら、廊下は長く扉がいっぱいあって一人で元の部屋に戻ることはできないだろうなと思った。

お湯だって、平民の家ではあんなにたっぷり使うことはない。火をつけるスキルを持つ人は希少で、お湯を沸かすのにも相当なお金がかかるからだ。


「こんなに良くして頂いて、お返しできることなんて一つもないのに…。」


なんて呟きが口から出てしまう。


「心配されずとも、大丈夫ですよ。リカード様やお館様はお金を要求するような方ではございません!」


自信たっぷりに侍女さんは言うが、赤の他人で、たまたま倒れた時に通りがかったと言うだけの関係性でしかない。


「それでは申し訳が立ちません!何かでお返ししたいです!」


侍女さんはそんな自分に微笑みかけ、


「それでしたら、お返しとして、リカード様とご一緒にお食事をお願い出来ますか?」


「え?」


侍女さん二人に押されて廊下に出る。


助けてもらったお礼に、助けてくれた人と一緒に食事をいただく?

それはお礼になりうる行為ではないのでは?


そう思い至った時には、既にテーブルに座らされていた。


な、なんで…?


「あ、あの!お礼でお食事というのはいささかおかしいのではありませんか?あ、あの!」


侍女さん二人に問いかけるが、ニコリと笑うだけで忙しそうに食事の配膳を始めてしまった。

お仕事の邪魔になる行為は慎まなければならない。


他の誰かが来るか、侍女さんたちの手が空いたら話して退出しよう。

そう思って椅子に座ったまま事態の推移を見守る。


しばらくすると、侍女さんたちが壁際に立って動かなくなった。仕事がひと段落したのだろう。


「あ、あの…。」


声をかけようとした時、あの美しい少年と少し歳の離れたくらいの美しい青年が部屋に入ってきた。


自分のような人間の声を聞かせるわけにはいかないと、口を噤む。


二人は自分の正面には座らず、少年は右斜め前に、青年は上座に座った。

青年が座ると、侍女さんたちは一礼して部屋から出て行ってしまった。


この美しい二人は一体何者なのか。

部屋の様子、廊下の様子、周囲の者たちの様子から、明らかに貴族なのだろう。

貴族にも上下があると耳にしたが、学がない自分では見当も付かない。


「さぁ、お腹が空いているだろう?覚めないうちにいただこうか。」


美しすぎる青年は、声まで品があった。


テーブルに並べられた見たことのない料理からは湯気が立ち、鼻腔をくすぐる。


グゥゥゥ…


「す、すみません…。」


消え入るような声で謝罪する。

なんてはしたないお腹、なんてみっともない自分なのか。


「いやいや、これだけ良い香りがすれば、誰でも腹が鳴るよ。気にせずにいただこう。」


青年の言葉で、少年は食事を始めた。

汚しい平民の娘である自分の顔を見せまいと、俯いたままなので、目の端に動き出した少年が見えただけだが。


一向に食べようとしない自分に見かねたのか、青年は先程自分の世話をしてくれた侍女さんを呼び寄せ、自分の隣に座るよう言った。


「食べられないものはございますか?」

「消化に優しい物が良いですね。」

「こちらも美味しいですよ!」

「リアーナさんのためにシェフが腕によりをかけて作りました!」


侍女さんは、お二人が静かにお食事をしている中でも、先程と同じ笑顔を自分に向けてくれて、沢山話しかけ、赤子にする様に食事を口元に運んでくれた。


もう小さな子供ではない。自分で食べられるよ。と思うが、お世話される感覚が懐かしくて涙がじんわり溢れる。

口に入れられる食事はとても温かくて美味しくて、でも少し涙の味がした。


普段ほとんど食事をとれない胃袋は、あれこれ一口ずつ口に入れられるだけで許容量を迎えてしまった。


手を付けて残すなんて、母が見たら叩かれても仕方がない行為だが、


「無理をすることではありませんよ?食後は消化を促すカモミールティーにしましょうね。」


侍女さんは席を立って部屋を出て行った。


「随分と彼女と仲良くなった様だね。」


青年に微笑ましいと笑顔を向けられ、恥ずかしくて顔を下げる。


「さて、リアーナさん。学校に行けずにいたと聞いたが、行きたくないわけではないのだね?」


「あ、は、はい…。あの…入学許可証を、あの、ふ、不注意で失ってしまいまして…。」


「ふむ。君はとても優しいのだね。」


「え?」


会話のキャッチボールの返球が少しおかしいなと、失礼ながら顔を上げてしまった。

至近距離で見えた青年はやはり見た事がないほどキラキラと輝いていて、返球がおかしかろうがどうでも良くなった。


この方はリカード様のお兄様だろうか。


人の素性を考えるなど、母がいたら叱られるだろう。慌てて意識を霧散させる。


「あぁ、いや、こちらの話だよ。入学許可証ならどうとでもなる。寮も準備するから、準備出来次第寮から学校に通うと良い。」


「へ?あ、あの…!」


自分が、学校に?

行きたかった学校に通えると、寮も準備してくれると言う。

喜びに心が弾むが母の顔が脳裏に浮かび、気分が落ちた。


「お家の方は気にしなくて大丈夫ですよ。保護事案でしたから。宮廷の保安隊からお母さんを保護したと連絡が既に入っています。」


少年が青年の言葉を継いで説明してくれた。


「保護事案…?」


「はい!」


少年が言うには、我が家のような“働けない母親“と子供の二人家族の場合、申請さえすれば生活保護の対象なのだと言う。

今回母親が働かないのか働けないのかを確認するために保安隊が動いてくれたそうだ。


結果として、母は病気であると診断が下された。


子供への虐待は、病気だと言うこと?


何か腑に落ちない感じがして、それが表情に出てしまったのだろう。青年がさらに話を追加する。


「リアーナさん、君の母上は精神的に病んでいる。元々精神的に弱かったのだと、診断書が病院に保管されていたんだ。」


そんな話、聞いたことがなかった。

一体いつそんな診断がされたのだろう。

祖父と父が居なくなって、祖母はとにかく忙しくしていた。何年もかけてやっと借金が精算できた頃に亡くなってしまったし、自分自身幼かったので、落ち着いて話を聞くなんて出来ていなかった。


「そ、そうなんですね…。知りませんでした。」


「そうか。そんなわけでね。しばらくの間入院させて治療することになった。だから君も学校でしっかり勉強しなさい。」


勉強…出来るの?私が?


「リアーナさん!自分も学校へ通っています!三歳差ですので学校で会えますね!仲良くしてくださいね!」


一年とちょっとだけど、同じ学校に通えるなんて嬉しいな。と、少年は花が咲いた様な笑顔を向けてくれた。


眩しい!眩しすぎますぅぅ!!



こうして、私の生活は想像だにしていなかった方向へ進むことになったのだ。

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