買われた花嫁
よくある「君を愛することはない」でこういう方向に覚悟決めちゃってるの読んだことなかったので書いてみました。
多少お下品。頭空っぽにして深く考えずに読んでください。
アレクシアは金で買われた花嫁である。
夫となったのは、平民と劇的な恋に落ち、「この人じゃなければ結婚しない!」と駄々をこねまくった伯爵家の嫡男だ。婚家のガーランド家にはあいにくとこの男しか子供が生まれず、さりとて分家に家の恥となる話ができるわけもないため養子をとることもできず、妥協という言葉を知らない嫡男に業を煮やしたガーランド伯爵が実家は困窮しているけれどかろうじて伯爵令嬢だったアレクシアを買ったのである。
「君とは白い結婚だ、伯爵夫人の役目さえ果たしてくれれば君は好きに過ごして構わない、三年後に離婚する」
それが、新婚初夜にアレクシアが夫から投げつけられたセリフだった。
「わたくしすっかり困ってしまって。貴族夫人の役目といえばまずもって世継ぎを産むことでしょう? なのに白い結婚と言うのですわ。これはあの方なりのジョークなのかと悩んでしまったほどですわ」
困った、と言うわりにさして困っていなさそうな、どちらかといえば困惑した表情でアレクシアが言った。
「そ、それは本当か? いや、本当なのだろうな……。なんということだ」
「きちんと手切れ金まで払ったというのに、あの平民娘っ」
アレクシアに報告されたのは彼女の夫の両親、トレイン・ガーランド伯爵とマーガレット・ガーランド伯爵夫人である。
「わたくしも、実家を支援していただく約束で結婚したわけですし、愛がないのも、恋人がいらっしゃるのも覚悟しておりました。ですが、このような無理難題を言われてしまうと……」
いかに金で買われたとはいえ、貴族が婚姻に関して相手方の調査をするのは当然である。
アレクシアの実家が困窮しているのは別に散財などが原因ではなかった。続いた災害とその復興費用を捻出したためである。運が悪かったといえるだろう。
金はなかったが愛のある家に生まれたアレクシアは、家族に大切に育てられた。領民のために私財を投じ、家財道具や母親の宝石まで手放して伯爵家として民と共に苦労してきた家族をアレクシアも愛している。結婚適齢期、貧乏伯爵家の令嬢を借金と共に背負い込むもの好きの同世代の令息はそうそうおらず、アレクシアは修道院に行くか、いっそのこと美貌を活かして金持ちの後妻にでもなろうかと覚悟を決めていたのである。
そこに来たガーランド伯爵家からの縁談。弱みに付け込むのは世の常、とはいえアレクシアは貴族令嬢として、窮地を救ってくれた婚家の恩に報いようと決意したのだ。
そういう気骨のある令嬢だと知っていたからこそトレインに選ばれてしまった。
ある意味トレインの見る目があったということになるわけだが、
「事情はわかった。それで、アレクシアはなぜここに?」
伯爵夫妻の寝室に来る理由はわからなかった。
ちなみに現在は新婚初夜。良い式だったわね、これであの子も伯爵家次期当主の自覚が芽生えるでしょう、なんて夫婦で話し合いしみじみと眠りについた深夜である。
アレクシアは、言うだけ言って若夫婦の寝室を出ていった、夫のはずの男を追うでもなく、その足でこちらに来たのだ。
「ええ。貴族夫人の役目を果たすためですわ」
当然の顔をしてアレクシアが答えた。
「は?」
「え?」
義両親の戸惑いなど知ったことか、とばかりに突き付ける。
「ガーランド家の血を引かぬ子でもよろしいとおっしゃるならば、適当に見繕ってまいりますけれど……。養子をとるのではなく、わたくしと結婚させたからにはそういうわけにはいきませんでしょう?」
浮気して妊娠して良いのならそうする、とアレクシアは言った。
さすがにトレインの眉が寄る。
「当然だ。ケイトンの子を産むのが君の務めだ」
「あの方が拒否なさったのですわ」
スパン。アレクシアが切って捨てた。
「まさかわたくしに、そこまでなんとかしろ、などとはおっしゃいませんわよね? そちらの不始末ですもの。納得できずとも理解するまで説明するのが当主の役目でしょう」
まさに「それでもその気にさせるのが妻だろう」と言おうとしていたトレインは、気まずそうに口をつぐんだ。正論である。
「ガーランド家の血を引くのであれば、なにもあの方でなくとも良いのではありませんこと?」
そこで、チラッ、とアレクシアがマーガレットを見た。
息子の言動が父親譲りなどでなければ間違いなくケイトンはガーランド家の血を引いている。つまり現ガーランド伯爵には、実績がある。
「そのために、こちらに参った次第ですの」
「な……っ?」
それはつまり、トレインに抱かれに来た、ということである。
息子の嫁からの宣戦布告にマーガレットは真っ赤になってベッドから飛び出した。手を振りかぶり、アレクシアを打ち据えようとする。
だが、アレクシアはひょいと避けた。
つい数時間前まで貴族の令嬢であった娘が、淑女にあるまじきことを決意した。
「なんということを……っ! そこになおりなさいっ!」
母として、息子をとられたという嫉妬心と、夫を奪われる焦燥感、若い娘への妬み嫉み。それらがごちゃまぜになってマーガレットに襲い掛かる。
「マーガレット、やめなさい!」
「あなた! こんな、不埒な娘など離縁させます!」
「言わせたのはケイトン、いや、我々だ……!」
結婚できるのは大人だけだ。親に駄々をこねてあの子じゃないなら結婚しないと言い張る息子を強引に結婚させたとしても、既婚となったからには周囲はそういう目でケイトンを見る。理性ある、責任をとるべき、次期当主として。
大人になりきれていなかったとしたら、それはトレインとマーガレットの教育の結果なのだ。誰であれ、成人年齢に達したら即中身まで大人になれるわけではないのだから。
「アレクシア……、君は、それで良いのか?」
「あなた!!」
ベッドから降り深いため息とともに問いかけたトレインに、マーガレットは悲痛な叫びをあげた。
「もちろんですわ」
「だが、君はその、乙女だろう?」
「はい。もちろん」
「その、こういったことは……」
若い娘、アレクシアは貴族令嬢らしく気品あるうつくしい娘だ。そんな女性に夜のあれそれを話すのは、と言い淀んでいたトレインは、その先を言えなくなった。
アレクシアが、ひどく皮肉げに、笑ったからだ。
好いた相手とするべきだ。トレインはそう続けようとした。
アレクシアを金で買ったのは、トレインだ。
だからアレクシアはここにきている。購入者に対し、どうするのか問うてきている。
「ご心配なく。わたくし、母から閨については教わっております」
男と違い、女に閨教育はなく、嫁ぐ前の心得として母が娘に教え諭すものだった。
「目を閉じて、AからZまで単語を思い浮かべていれば終わる。長引くようならしりとりでもしていれば良い――と」
表情を消し、淡々と述べたその心得に、トレインとマーガレットが目を丸くした。
「は?」
「はぁっ?」
聞き間違いかとアレクシアを見るも、彼女はいたって真剣である。
「他にも、口での奉仕を強要されたら肝心なところでくしゃみをしてやれば二度目はない、とも」
トレインはきゅっ、とネズミが潰れたような悲鳴を漏らした。とっさに内股になってしまう。
「あとは」
「まだあるの!?」
アレクシアの母はいったい何を教えているのか。マーガレットは叫んだ。
「あ、はい。どうしても嫌悪感が消えず、閨を拒否したくなったら「短い」「早い」「下手」をさりげなく会話に含ませれば良いと」
「ひィ」
男の尊厳を地味に削り取る気だ。トレインが蒼褪める。
やめてくれ、男というのはけっこう繊細なんだ。止めようとするトレインより早く、アレクシアが口を開く。
「そして万が一、暴力をふるわれた場合は、相手が子猫ちゃんになるまで調教しろと教わっております」
「こ、子猫ちゃん!?」
「はい。こちらを侮って暴力をふるうような男は、反撃されないと思っているそうです。もちろん暴力はよくありませんので、ハラスメントの気配がしたら迷わず、容赦なく、徹底的に、わからせるように、と。母の記した『淑女の心得』にありますわ」
幸いわたくし、領地復興のため両親や兄たちと領民と共に働いていたので腕に覚えがございます。
強くあらねばならなかった娘の苦悩と誇りがアレクシアの瞳に現れていた。
初夜をすっぽかして三年後の離婚を宣言、は充分にハラスメント行動である。
なるほど。アレクシアは母の教えを守りつつ、貴族夫人としての役目を果たそうと、それでいて容赦なく最大のカウンターをかましてきたのだ。
「それで、どうしますの?」
金で買った花嫁。
彼女の実家の困窮にトレインは関与していないが、弱みに付け込んで利用しようとしたのだ。アレクシアの気持ちも、プライドも、思いやることなく。
若くうつくしい娘に「あなたの子供を産ませてほしい」とねだられて喜ばない男はいない。トレインとて、妻と同衾していなければ鼻の下伸ばして食いついただろう。
そうして子が生まれて、ケイトンが自分の子ではないと訴えても、まぎれもないガーランド家の血を引いた子供なのだ。その子が世継ぎとなれる。
むしろそのほうがケイトンとマーガレットをより深く傷つけることができただろうに、アレクシアはそうしなかった。フェアではない、と思ったのかもしれない。
「わたくしに、AからZまで数えさせてくださいますの? それともご子息の調教をお望みですか? どこの馬の骨でも良いのであればそういたしますが?」
ああ、今から説得するなんておっしゃらないでくださいね。その時間は充分に、あったはずですから。
お前らの教育の失敗をこっちに押し付けるな、の意味である。マーガレットは激昂しすぎてもはや言葉も出なかった。
「わたくしをお買い上げになったのはガーランド伯爵であると記憶しております。代金分のお勤めは、させていただきますわ」
にっこり。アレクシアは冷笑でもって現実を突きつける。
もう駄目だ。さきほどからアレクシアは一貫してケイトンの名前を呼んでいない。ケイトンが改心したところでアレクシアが彼を愛することはないだろう。
当主夫妻の寝室で、新婚の花嫁が選択を迫った。
「天井のシミ数えてろ」ってよくある表現だけど、なーろっぱ世界に天井のシミ、ないな…そもそも天蓋付きベッドなイメージだったので「AからZまで」になった。つまんなかったら途中で寝る、の含みもありそう。