無双がフタリ⑧
<6 天使の本当は何処だ>
神社の掃き掃除中だった夏牙は、龍に乗って下りて来た愉愉達に気付いて駆け寄った。が、愉愉に目を留めて、
「お?お帰り…だが…愉愉どうしたんだ?」
「日焼け対策です。」
これは嘘では無く冗談だ、と愉愉は思った。まあ、だとしても何にもならないが、とも。
「日焼けえ??」
疑わしそうに夏牙は、愉愉のフードを見た。愉愉は今ウインドブレーカーのフードを深々と被っていて、鼻すら隠れている。
「まあ兎にも角にも、…無事で良かった。すまなかった、こんなことさせて。」
「んなの求めてねぇ。謝罪より飯。」
「ごもっともダネ!」
「ぼくもお腹空いたあ。早くお昼ご飯食べよーよ。」
仏頂面の一人と無邪気に言い放つ二人に、夏牙は苦笑して答えた。
「…はいはい。変わらんなあ。」
「数年くれぇで性格変わるとか無いだろ。」
「だよねえ、本当。」
「全く…。やまだ達は俺が小屋に連れてくから先に家入ってろ。居間で食百寝てるから、起こすなよ。」
「山田っ?え、この龍さん山田さんって言うんですか?字は?山に田?違う?なんで!」
愉愉は龍の名前が、やまだ、きむら、さとうであることを知って一通り騒いだ。
「きむらさん、乗せてくれてありがとうございました。」
誰もいない方へ頭を下げる愉愉に、呆れながら夏牙が教える。
「空中に向かって話し掛けてるぞお。」
「なぁまぁ。」
「え?あーやっぱ見えないの不便ですねー。」
「この種は危険種には登録されてないが、そうか、愉愉君にゃ見えないか。」
「ごめんなさい、きむらさん。でも、この感謝は本物です!」
相変わらず空中に話す愉愉を、香路島はちらりと見やって、
「じゃあ、愉愉が小屋まで連れてったら?感謝として。新月、龍小屋の場所教えてやりな。」
「ええ?新月も疲れただろうし、俺行くぞ?」
「そこまで疲れていない。行って来る。」
無表情を崩さない新月に付いて行きながら、愉愉は不安げに彼の顔を見上げる。
「本当に大丈夫ですか?」
「ああ。龍小屋はあそこだ。」
夏牙達は離れて行く二人を見ていたが、十分距離が空いてから、曙が唐突に述べた。
「私は今、非常に混乱している。」
「なるほど、愉愉君に行かせたのはわざとか。なんだ?今回の仕事で愉愉君が何かしたのか?」
「何かどころではない。…何と言えば良いのだろう…。私は…あんな感覚、初めてだった。正直このまま愉愉を住まわすべきか、…分からなくなった。」
「駄目だあいつはおかしい。何か狂ってる。」
曙の迷いを切り捨てる様に香路島が言った。鵺破は顎を撫でながら、
「鵺破ともなももは愉愉入れテいいヨ?」
「はあ?!馬鹿か、あいつ見て邪物が自害したんだぞ。異常以外の何ものでも無い!」
「香路島、二人に聞こえるから声を落とせ。」
「…悪い。…鵺破、今回ばかりは譲れん。」
「へえ?じゃア、あの子これからドウするの?お家無いノに。路上?香路島さア世界に藤シカいないって勘違いしてル?」
「そんな勘違いしてんなら安心して生きるさ。藤以外の奴が藤を傷付けるんだから。」
「周りが見えテ無いって言いたいノ。愉愉の本当が見えてないンだヨ。」
「鵺破。香路島。」
声を掛けた夏牙に彼女は首を振ってみせた。香路島は一切反応しない。
「あいつの本当?目ぇ見ただけで邪物が自死したってこと?」
「そういう話しテ無い。もなももと鵺破には分かるヨ。あの子、変わってルけどいい子。見たデしょ?愉愉が絵を置いて来たノ。」
「その行動の意味なんぞ誰にも分からない。俺にも、お前等にも。」
冷ややかに香路島を見詰める鵺破と、苛ついた声の香路島の間で、もなももがおろおろしていた。
「香路島、分かる気あるノ?」
「鵺破、よせ。香路島も。曙、何に遭ったのか教えてくれ。」
「…ああ。…途中までは順調だったんだ。仕事は終わったと思ったが、新月がまだいると言った。その最後の一匹が強かった。体の大きな天邪鬼だった。」
夏牙が顔をしかめた。
「体大きい天邪鬼とは、珍しいし厄介だな。」
天邪鬼は基本的に小柄だが、稀に巨体の個体もいる。巨体の天邪鬼は、天邪鬼に元々備わっている人の心を読む能力が強い上、力や速さも通常より上がる場合が多く、中々手強い相手であった。
「それで、かなり厳しい状況だった。だが、…愉愉が、"やめろ"と言った。そうしたら天邪鬼は止まった。…何故か、私達も動けなかった。いや、物理的には動けるのだ。頭の中が支配された様な…。」
藤ノ舞成が香路島の肘を摑んだ。夏牙はそれを見、俯く曙に、
「それで、天邪鬼は?どうしたんだ?」
「愉愉を見て、…愉愉は見えていなかったのだろうが、それで、」
曙は、夏牙の右手を握った。足元に向いた彼女の瞳はぐらぐらと揺れている。夏牙は戸惑いながらも、空いている左手で曙の背を擦った。
「天邪鬼は、自分の首を捻じ取った。…まっ、まるであなたの為なら命をも投げ出せますと、愉愉に伝えている様だった。そのときっ、愉愉は、新月から天邪鬼が死んだことを聞いた愉愉は、まるでそうなるのが、己に命を差し出すのが、当然と言う顔だったんだ…。」
藤ノ舞成が溜め息を吐いた。鵺破が目を逸らす。
「夏牙、私は怖い。愉愉を穢れていると決めつけはしない。だが、愉愉が異常であることは、確かだ…。」
瞬きして瞼の裏が見える一瞬、何万回と聞かされた事実をまた聞かされた様な疲れた純黒の瞳が、見えた気がした。
「夏牙…私は怖いよ。」
「…俺は、よく、分からない。」
呆然とした、夏牙の声。
真っ黒な曇から、ぽつ、と雫が垂れた。それを皮切りに、辺りは雨に包まれる。
「家、取りあえず入ろう。」
雨は、固く強張った感情は、流ほさなかった。
◯
新月と龍三匹と共に、龍小屋に向いながら、愉愉は尋ねた。前を見たまま。
「怪我治ったの、"体質だ"って言ってましたよね。どうゆー体質なんです?」
「何と言うべきか。香路島が俺について"大量に邪物を食って"と言ったのは覚えているか?」
「あー、ボク試されてたときの?」
「そうだ。何故か俺には食べたものの力を意図して得られる力がある。だから天狗を食えば翼と風を操る力が、鬼を食えば体力と腕力が、吸血鬼を食えば再生能力が身に付く。それで傷がすぐ治るようになったから、この体質は俺固有のものでは無い。」
「へー、便利そうですが大変そうでもありますね。」
「便利だ。これが無かったら、俺は今生きていない。」
「大変だったんですね。」
「誰の人生も大変だ。」
ふっと、愉愉の目に笑みが浮かんだが、フードを被っていたため新月には見えなかった。
「それが分かる新月さんは凄い。」
「ならば俺に大変だと言った愉愉も凄い。」
「いえ、ボクにとって新月さんのことは自分事なので。」
「…そうなのか?」
「そうですよ。」
突然、愉愉はぱっとフードを上げて、新月に向かって笑顔を見せた。
「新月さんが見てるのは、"愉愉"ですから。」
「?」
きょとんと小首を傾げる新月に、愉愉は一層
笑みを強くした。
「でもまっ、ここにはもう住めません。」
「何故そう言う。そのようなことは無い。」
「だって、アレみせちゃいましたもん。失礼かもですけど、新月さんだけですからね、アレの後でもボクと普通に喋ってる人。」
「俺は人では無いが、光栄だ。」
愉愉は肩を竦めた。
「藤さんも香路さんも曙さんも鵺破さんも真っ青。今頃夏牙さんに説明してるでしょう。」
「だろうな。そうで無ければ、わざわざ愉愉を龍小屋に行かせない。」
「ね?」
「だが夏牙がいる。あの男が愉愉を追い出す筈無い。加えて、あの男が説得出来ない相手はいない。」
「なんで夏牙さんがボクを?」
上目遣いで尋ねる愉愉に、新月はあっけないくらいに答えた。
「愉愉を、では無く、全ての生物に対してそうだ。あの男は、頭が可笑しいからな。」