無双がフタリ㊾
<32 てんしさま>
「そう言えば、不思議だったのですが、兄様が愉愉殿をここに連れて来た理由って何なのですか?藤殿と香路島殿がうるさそうですのに。」
小首を傾げる華読に、香路島は不平を垂れた。
「"うるさい"って本人の前で言うか普通?」
「えー、ボクに聞く?新月さんに直接聞いた方が速くない?」
華読は口をすぼめた。
「だって兄様が外出中の今思い出したんですもの。兄様は愉愉殿の目の力には無反応でしょう?兄様がひと目で信頼したなんて、不思議な気も致しますが…。」
「まっ、そーねー。」
愉愉はにたりと笑む。
○
「ありゃー、先客がいたか。」
岡を上ったところに居たのは、長い金髪をはためかせた少年だった。年は六つか七つ。青い瞳でじっとこちらを観察する様は野生動物のそれである。
風で顔の前に来た黒の髪を叩いて、少年に笑い掛けてみる。この岡は気に入ったので、暫くここでのんびりしたかった。そのためには、近くにいるとのんびり出来ない人間は退かしておく必要がある。
「ご飯ここで食べてんの?いいなー、オレにも一口頂戴。」
馴れ馴れしいのは嫌いそうな相手。サングラスで目を隠している今ならば、うざがって去るだろうと黒髪は思っていた。
「あげるかどうかは、おまえのひとくちの大きさによる。」
予想は外れた。珍しい。非常に珍しい。黒髪は少年に興味を抱く。
少年をじっくり見る。栄養状態は良さそうだが、年に似合わずくまが酷い。まめや傷だらけの小さな手。ペンダコなどでは無い。もっとこう、使い方も教わらず武器を振り回し続けた様なまめ。
それに服もやや変だ。多分大人用の着物を捲って、たすき掛けをして、着ている。何の為に、いや、きっと選択肢が無くて。
そんな子供が、ハムスターみたく握り飯をもぐもぐ食べながら、しかし眼光鋭く黒髪を睨んでいる。
「お前は、どうしてここで食べてんだよ。」
「いえよりいいから。」
「…ふうん。」
少年の隣に座る。少年は小首を傾げた。
「ひとくち、どれぐらい?」
「もーいい。お前は近くに居ても、のんびり出来そーだし。」
「のんびり、は、たのしいのか?」
「楽しいぜ。せかせか生きんのはだりぃだろ。」
「のんびり、せかせか、のんびり、せかせか…。」
体に馴染ませようとしているみたいに見えた。黒髪はくくっ、と喉の奥で笑う。
「なぜ、わらった?」
「面白えからだよ。」
むう、と頬を膨らますなら可愛いものだが、少年は無表情のまま機嫌をちょっぴり損ねたらしく、無言で黒髪のサングラスを取った。
「おい!!」
対応出来ない素早さにぎょっとし、すぐに、まだ目に力の残りがあることを思い出して舌打ちが出た。
「くろい、めがね。はじめてみた。」
損ねた機嫌は珍しい眼鏡で回復したらしい。糞餓鬼、と喉元まで出掛かった。少年がサングラスを凝視している内に、つまり目を見られない内に、サングラスを奪い返したい、と黒髪は手を伸ばした。が、それが不味かった。
少年が手に反応して顔を上げたのだ。
「「……っ!」」
お互いに目を見開いて、しかしすぐに黒髪は怠そうな顔に、少年は無表情になった。
「これ、なに?なぜ、くろい?」
黒髪が一瞬固まる。少年はサングラスを指差していた。
「え、マジで言ってるお前。」
「まじ…?」
黒髪は少年の青い瞳を見詰める。彼はまた、小首を傾げた。
「おいおい…お前なんにも感じてねぇのか、今。」
「めがきれい、だとはおもう。すごいなと、おもってはいる。だが、くろいめがねが、きになる。」
「そんだけって、お前相当変わってんな〜!」
自分の声が紅潮しているのは、久方振りに聞いた。対して、少年は硬い声で応じる。
「へん、とは、よくいわれる。」
黒髪の笑みが薄まる。その"へん"が、黒髪の様な好意的な思いとは、対極の思いから来ているのがなんとなく分かった。長く生きてる黒髪の勘と言って良かった。
「上等じゃあねぇか。お前の変わってる部分は、誰かを救えるかもしれないぜ。」
「できない。」
丸い青の瞳には、年相応の明るさが欠けているように、黒髪には思えた。
精一杯優しく見えるように、…目の力を使えば誰の感情も思い通りな黒髪にとって、その行動はイレギュラーとさえ言えたが、黒髪は努めて柔らかく微笑んだ。
笑い返してくれたら、と淡く想いながら。
「少なくとも、ひとりは確実に救ったぜ、お前。」
瞬きをする少年。金の睫毛が踊った。
「もし、不安になったり、ヤなこと言われたりしたときの、おまじないを教えよう。」
少年の髪を、前髪か後髪かも分からないが顔の前に垂れていたので、黒髪は耳に掛けてやる。
「オレは必死で生きている。外野は黙ってろ。そう、唱えろ。」
波一つ無かった瞳が、微かに揺らいだ。微かだが、確かに。そして少年はこくりと頷く。
「おれは、ひっしで、いきている。がいやは、だまってろ。」
黒髪がすたっと立ち上がる。
「上出来!じゃあーな少年。」
「ばいばい、ありがとう。」
「オレの方こそ、あんがとうな。」
黒髪に純白の肌の、一五歳程度の、小柄で性別の分からない、その者は、笑顔で言った。
「お前の幸せを願ってるぜ、オレの天使!」




