無双がフタリ㊻
<29 天使と火の神>
丘に出掛けてスケッチ中の愛受取に、ロキは両親の死の直後と葬式のときの華読について語った。愛受取は家々と木の並ぶ風景を描きながら、相槌も打たずに聞いている。
「葬式でも、悲しそうだけど威厳は損なわない絶妙なラインを選んでいてさ。私、あの子に興味あるな〜。」
「ナンパする気か?奥さんを大事にしろ。ただでさえ恋人がうじゃうじゃ居んだから。他の奴になびくなら、奥さんにチクるぞ。」
「彼女は理解している。」
「じゃあ子供達に。」
「鬼畜の所業だ。」
呼吸のついでの様な笑い声に、ロキは表情を緩めた。
「葬式は、新月さんが顔だけ見に行ったらしいけど。」
「誰の顔だい?華読ちゃん?それか元両親?」
「華読さんに決まってんだろ。オレだったら元両親の葬式なんて行きもしねぇよ。」
唾を吐く勢いだった。直ぐに両親関連で思い出したらしく、大きな溜め息。
「そういや、もうそろ出雲行かなきゃ…。なんでか知らねぇけど、メッチャ怒っててさ。」
「あー、九十年くらい呼ばれ続けているのに放ったらかしなんだよね?」
「んな経ったか?なるほど、だから怒ってんのか…。」
スケッチは中断して、友人はごろりと寝そべった。草花が周りで踊っている。
「日帰りで行けばいいじゃないか。」
「…あいつに頼まなきゃじゃねぇかよ。」
やっぱりそこか、とロキは溜め息を吐いた。愛受得の嫌い方は筋金入りだった。
「ここで言語に不自由しないのも、あの御方のお陰だろう。」
「元は一助の神降ろしの力で賄ってたらしーから、ワンチャンさ、オレにも出来っかもよ。」
「一助のやつでは適当翻訳じゃないか。あの御方が翻訳を引き継いでくださって、想寧神社が神社じゃないって、私つい一昨日知ったんだ。」
「同じく。一助を殺したのが一昨日だからな。殺したら話せなくなって困ったけど、あいつが出てきてもっと困った。」
何の感慨も無さそうな顔だった。ロキは上から覆うようにして、
「後ほら、新月達を助けたときに、力をお貸しになった。」
「それは元々オレんだったのに、お前があいつにやっちまうからだろ。行き来の代償にさ。」
ジト目。ロキは笑おうとしたが、頬が上手く上がらないのに気付き、愛受取の上から身を引いた。
「「…。」」
いつもならば"でも私が来れて嬉しいだろう?"と茶化して、恥じらいも躊躇いも皆無の"まあな。"という返事を受け取る。ロキはそのお決まりな会話が好きだった。
それなのに声が出ない。嬉しかない、と言う愛受取の声が鮮明に耳元で響き、震えた。
「でもさ画力は兎も角、目の力は代償に入れて良かったんだぜ。邪魔でしゃーねぇ。」
「う、ん。そうかい?あ、ああでもほら、普段抑えられているだろう?大丈夫じゃないか。前なんて常にだだ漏れだったけれど。」
むくり、と愛受取が起き上がる。ロキは自然になるよう気を付けて目を逸らす。
でも、愛受取の視線が追っかけて来るのを感じた。
「ロキ。」
○
天使の翼をへし折って側にいさせ続けることは、どれくらい重い罪なのか、なんとなく分かってた。いつか翼が生え治り、罰が下るだろうとも。それが今で無いことだけを、ただひたすらに祈っていた。
「ねぇ愛受取。」
「愛受取聞いておくれよ〜。」
「愛受取、あの男の子可愛いと思わない?」
「いいこと思いついた、愛受取。」
「あーいうっえっるっ!」
ロキは娯楽の神に話し掛けた。何度も何度も。自分だけを見て笑って欲しかった。
愛受取は誰かに話し掛けるなんて、そうそうしない。愛受取は人気者で、焦らなくとも話し相手くらい五万と居た。
ロキはその中の一人。不死身だと嘘を吐いているから、ちょっと付き合ってくれやすいだけ。大概は雑な返事。でも偶に面白い発明には目を輝かせるし、上出来のギャグには笑う。だから余計頑張るのだ。
「なぁ。」
「あのさ、」
「おいちょっと。」
「今暇ー?」
「ロキ。」
愛受取が話し掛けて来るときもある。それは、面白くない遊びをいかにも楽しそうにやってるときとか、誰かの苛つく発言を聞き流した直後とか、笑えない冗談にゲラゲラ笑っている最中とかだった。
雑な口調で、絶対に見落とさず、ぞんざいな目をして、優しい声で、掬い上げる。
ロキは、友情と畏怖と敬愛がぐちゃぐちゃになった愛を隠して、嘘で固めて、娯楽の神の隣を独り占めした。
ぜーんぶ嘘っぱちだった。不死身なのも、愛受取の力に侵食されないのも。いつかホンモノが現われたら終わっちゃう、と考えては、よく膝を抱えて丸くなった。
「不死身なんて、居ないもん。」
そういうときは決まって、そんなことを己に言い聞かせた。
だから居ないと思っていた正真正銘のホンモノが現われたときは、絶望した。
ホンモノの新月は、不死身で愛受取の目の力が全然効かない。愛受取が己から離れきらないように残した目の力すら、愛受取の望む反応を示す。ロキと違い、素で。
本物だ。
なら、ニセモノはお払い箱?
○
「お前どしたん?」
黒豆の蜜煮みたいな瞳。あどけない顔のパーツに、気だるげと悟りの中間の表情をさせている愛受取は、見ようによってはただの反抗期の子供だった。
「うん?何が?」
首を傾げる。紅鼠の髪が視界の隅で垂れた。
「あっそ。オレそろそろ想寧に帰るわ。」
「そう、気を付けてね。…あのさ愛受取。」
スケッチブックを畳んだ愛受取が、顔を上げた。
「暫く、ここに住むのかい?」
「気が向くまでな。ああ、正月頃に一旦日本国行くけど。出雲の奴等怒らせちゃったし。」
唾を飲み込んで、喉からいつもの声が出るよう少し動かした。
「それは、君が放ったらかしにするから。」
「まーな。よっと。じゃっ。」
ぺいっと上げた手。ロキは笑顔を作って手を振った。
「じゃあねー。」
黒い背が段々小さくなる。見えなくなるまで彼岸に帰らずに見ているつもりだった。
「ロキ!」
見詰めていた背がくるりと回って、愛受取が振り返ったときには腰が抜けそうだった。愛受取は、基本別れた後に振り返らない。
「どうしたー?」
声を張り上げる。同じく叫び寄りな愛受取の声が届いた。雑な口調で、絶対に見落とさず、ぞんざいな目をして、優しい声で、すくいあげてくれる、友人の言葉が。
「さっき、奥さん大事にしろっつったけど、偶にはこっち来いよ?オレ、待ってっからな!」
本当に、勝てないな。
「分かったよ、甘えん坊!また来る!!」
目指すようなひとにはなれなかったけど、私も、本物だったのかも、ね?




