無双がフタリ㊺
<28 紺青の満月>
「なるほどね…。私にも呪いが現われたから、解析してるところだったのさ。アイウエルの仕業ならば納得さ。この呪い、表層すら解けない。」
書斎で向かい合った夫婦は、敗戦と言うよりも、研究所の空気感と言う方が相応しい。彼等が今優先すべきは、愛娘の進路を妨害する男の処理でも、その片棒を担ぐ奴等の始末でも無く、自分達にかけられた呪いを解くことだったからだ。
「呪いをかけた直後のあやつの言葉を信じるならば、これに即効性は無い。しかし、途方も無い条件付き爆弾であることは確かだ。」
「アイウエルの言葉だけでは、何処までが無事で何処からが死ぬ設定なのか不明だしね。危険極まりない。」
「全く。新月の生存を知ってから、異界の往復方法を見つけ、あれより強い種を探して、漸く見つけて連れて来た手札が、まさか逢飢で、しかもあれと馬が合うなんて。オマケに私達にこんな目に遭わせてる。うんざりだ。
一助、解析は任せる。私は設定についての探りを入れてみる。神降ろしの力なら幾らでもやるから、必要なら言いなさい。」
「ありがとう、華普。くれぐれも気を付けてね。」
眉尻を垂らした一助に、彼の妻は笑って応じた。
「安心して。ヘマはもうしない。それとそう、華読の誕生日が近いから、用意をしなきゃね。」
「今年の服は何色にしようか?」
「去年、紅碧にしたら、あの子"もっと青いのが好き"と言ってたからね。」
「次縹なんてどうだろう?」
「似合いそうだ。後で華読に聞いてみよう。」
口元を緩め、彼女が立ち上がったとき、書斎の扉が叩かれた。
「お母様、お父様。今いいかしら?」
二人は同じ温かな笑顔で、呼び掛けに応じた。
「勿論。」
「お入り。」
ぎぃ、ときしんで扉から少女が入室した。母親譲りの金髪を煌めかせ、紺青色の瞳をたおやかに細める。
「ちょっとお話に来たの。いい?」
「勿論。ほら、こっちに座りなさいな。」
異国から買い求めた柔らかなソファに、華読は着物の袖を整えつつ座った。両親は笑んでいるまま。自分の心臓がうるさい、と華読は思っていた。
駄目よ、今日と決めたの、と華読は己に言い聞かせる。
「何の話かな。」
「…兄様の件よ。二人はどうするつもりか、聞かせて?」
二人は渋面になる。彼等は愛娘が新月に肩入れしていたことは知っているが、現状の彼女がどんな感情なのかは知らない。華読が話さないからだ。自分が兄を守ろうと話す程、二人の彼への憎悪は強まると、華読は学習済みだった。ならば話さない方良い。
だが、今はその状況を通り越したのだ。
「華読にはまだ分からないだろうがね、あれはお前が族長になるのに、いない方がいいのだよ。だから、私達は最善策をとる。いい子だから、お前は分かるだろう?」
「…彼が今まで通り生きる可能性を、断つと言うこと?」
「端的に言えば、そうだね。」
「この世はそういうものさ。ほら笑って、愛しい子。」
華読は息を吸う。私は兄様の妹だもの、彼みたいなポーカーフェイスも出来るわ、と心で呟く。
少女は笑った。朗らかで、目に入る全てが愛おしいと言わんばかりに。
「ええ、お母様、お父様。」
果たして両親は騙された。一層、目を細めて彼女を眺める。
「そうだ、もうすぐ私の誕生日でしょう?今年はどんな服なのか楽しみだわ。」
「丁度それを話してたんだ。ねぇ、次縹のね、柔らかい素材で裾の広い着物なんてどうかな。」
さあ笑って、と華読は自分に指示をとばす。
「まあ素敵!青って私大好き。」
兄と自分の目の色だからだった。両親は仲間外れで、兄と二人家族みたいに思えるからだった。
「そうだろう?去年言ってたから、今年はそうしようと思ってな。早速、布を手配しよう。」
「異国のドレスのシルエットを真似よう。きっと可愛い。」
「おやまあ、華読は何を着たって可愛いと言うのに。のう?」
「それは勿論さ。」
「二人共、それは言い過ぎだわ。」
笑って。歯を見せないで。キザたらしくない手の形を意識して口元を覆う。目尻を垂らして。今は、ナメられていいから可愛く。
「異国の服と言えば、華読に似合いそうな帽子を見つけてな。確かこんなかた
「そろそろだわ。」
自分の口角が墜落するのを感じた。よく今まで笑えていたなと、我ながら感心する程の差だった。
十六年、耐え続けたのだ、と彼女は実感した。
「これから何か用事かい?」
「外に行くなら送る。何処だ?」
華読は二人を見た。腐っても、自分は古呼来の娘だと感じる。強大な神降ろしの力を持ち、その使い方の開発にも適性があったのだから。
この二人はそれを知っている。それでも、それを使って殺されるなんて、思っても無いのだろう、と華読は可笑しかった。
彼女は完成させたのだ。
自分に罪がかからずに両親を殺す方法を。
「古呼来族長になるのが、ずっと夢だったの。そうして、頭のイカれた貴族を打ちのめして、兄様の様な人々の生活を少しでも改善させるのよ!私はその為に生きていたし、生きるわ。だから、あなた達を殺したことは隠し通す。」
「華読…?」
ぽかんとして座ったままの二人を、立ち上がって華読は見下ろした。
「汚い者共!私はあなた達が憎いわ、心底ね!今の今まで怖くて動けなかった私も憎いわ。そして嫌い。大っ嫌い!でも私は変わる。」
胸に手を当て、自身が祭具とでも言う様に、もう一方の腕を振るった。
「私めを見ている神々よ!私はこの罪を胸に、生きてゆきます。褒められた人生ではありませんが、精一杯、理想郷の為に努力する所存でございます。どうか、御力添えをっ!!」
華読の作ったものは、発動条件があった。対象者と五百秒共にいること。
華読は時計を見上げる。
三百七十秒。
「最期に、言いたかったの。溜め込んだまま終わりなんて嫌だもの。」
「ど、どういうことだ。」
華読は、蒼白な顔の一助を一瞥する。
「私は、兄様を愛していて、あなた達が憎くて、だからあなた達を殺すの。お分かり?」
「殺す…?」
「発芽多邪での邪物の出現理論を応用し、異界往復方法を利用して、完成させた正真正銘の、殺人術でね。」
「…。」
四百秒。華普の顔つきが変わってくる。驚愕から、思案へと。次の手を考えているのだ、と華読は理解した。彼女に呼応して一助の気配も硬くなる。
四百二十秒。華読は懐から札を取り出す。華普の手が伸びたが、盗られる前に札を床に叩きつけた。
四百二十四秒。神降ろしの力が書斎に満ち、床に広がった紋が紺碧色に輝く。華普が何かの紋を宙に描いたが、床の紋は華読以外が神降ろしの力を使うのを妨害する為だけのものだ。
四百三十秒。本命の、殺害目的の札を取り出す。華普と一助が同時に飛びこうとする。血走った目の色は煌々と紫を宿し、指は邪物の爪のように曲がり、八重歯と歯茎がしかと見えた。
「え。」
だが彼等は華読に届く手前で、ダンっと音を立てて床に落ちた。華読は罠を警戒しながら見下ろし、迷った末ピクリとも動かない首元に指を当てた。
いくら待っても、脈は感じられない。
「死んでる…!」
自分はまだ何もしていない。なら何故?華読は無闇に左右に頭を振って原因を探した。
「おや…。」
そうして、その者に気付いた。薄い紅鼠色をした髪で、中性的な赤い瞳。
華読は瞬時に察した。人間では無い、と。
「どなたですか。」
「ああ、勝手にここに入ってすまない、麗しの華読。彼等に危機が迫っていると感じて来たが…、遅かったね。」
「私ではありません。」
赤い瞳の者は首肯した。
「知ってる。私の友が殺ったのさ。彼等は多分病死と診断される。私達には計り知れないストーリーが、もう出来上がってるのだろう。安心して、君は決して疑われないだろう。」
「あなたは…?」
赤い瞳がきゅっと細まる。
「ロキ、…の亡霊ってとこかな。」
「…!と言うことは、これは愉愉殿が…?」
「あのひとの呪いが発動条件を満たしたんだ。直前に、何があったんだい?」
ロキが首を傾げた。華読は目を逸らしかけたが、思い留まり赤の瞳を見返した。
「私が彼等を、罵倒しながら、殺そうとしていました。」
ロキは瞠目し、続いて窶れた微苦笑に変わった。
「…華普。普、ね。」
苦々しく呟き、それを誤魔化す様に溜め息を吐く。
「どうなさったのです?」
「聞かない方がいいと思うよ。」
「…呪いの発動条件ですか。」
ロキは黙った。華読にはそれで十分だった。
「普。…そうですね、それが私達の普通です。幻滅しましたか?」
ロキは肩を竦めながらも、首を横に振った。華読は深呼吸をして、ロキを見る。
「ロキ殿。ここでの話は内密にお願い申し上げます。」
「無論。」
「ありがとうございます。」
華読ははきはきと述べてから、二人の死体に歩み寄った。
「…!?華読、そんなことしても彼等はもう死んでいるよ!」
事もあろうか、華読は心肺蘇生を始めたのである。彼女は金髪を跳ねさせ、無表情で母親の胸を押していた。
「存じてます。しかし、両親の死体を見つけたのに何もしないのは不自然ですわ。ロキ殿、これから叫んで隣家の方々をお呼びしますから、お帰りになった方が安全でしょう。」
「…これから、どうするつもりかい?」
華読は母の口に息を吹き込んでから、また胸骨圧迫を開始する。
「計画と変わったのは、手を下したのが誰かという、それだけ。この後は同じ道筋です。
隣家の方々を呼んで、葬式を大々的に行い、そこで古呼来族長の華読という存在を他の貴族にはっきりと見せつけます。神降ろしの力による従属は無い方が良いでしょう。威厳を出し、利益で魅せ、実際は意のままに操る。
手始めに各神社の支援。そして子預かり職員の教育。同時に規模拡大。また、介護施設の増築。その後、相談出来る環境の整備や学費の減額。まだまだ、やることはあります。」
ロキは目を見張って、少女を見詰めていた。この子は、一体どんな思いで今までここに居たのだろう、と立ち尽くした。
「どうして…。」
「…私の愛する兄をお救いになった方は、兄様達を救った理由についてこう仰った。幸せになりたいから。」
処置する手を一度止め、彼女は赤い瞳を射抜いた。
まあるい紺青。燃えたぎる蒼。兄妹の青。
「私は、死ぬときに笑いたいのです。愛する人々と、笑い合いたいのですわ。きっと、だからです。」
ロキは微笑んで、頷いた。
「分かる。」




