無双がフタリ㊱
<回想 可愛い可愛い紅梅>
食百の両親は、心底彼女を愛した。毎日可愛いと言い、沢山の服を買い与え、売り物で彼女の求める物が無ければ作りもした。笑顔の溢れる家庭。彼女は幸せだった。
それを変えたのは、百年前に異国から伝わったとされる不治の病だった。
「ママ、なんだろう、おひさまがこわい。」
「え?」
吸血鬼病。日光に対する恐怖、跳ね上がる腕力、薬品への耐性、血の気の無い肌。異国の吸血鬼と言う邪物に似ていることから、その名が付いた。
「おかしいよ、わたしちょっともっただけなのに、こわれちゃった…。」
「…。」
食百がその病になったのは、三歳のときだった。両親は、可愛いと言わなくなり、服を買ったり作ったりしなくなり、話すことも目が合うことも減っていった。吸血鬼病に気付いて一週間後、彼等は、眠っている彼女を子預かりの前に置いて去った。
「君、どうしたの?」
朝に、子預かりの職員が見つけたとき、少女は美しい薄手の紅梅色の布が掛けられた籠の中で、ただひたすらに泣き続けていた。
「…ママとパパは、どこ…?」
「じゃあ一緒に行こっか。おいで。」
「いかない!ママとパパまってる!ぜったいにくるもん!いやあ!いやあ!!」
彼女は幼く、しかし吸血鬼病により力だけはあった。だから、癇癪で振った腕が職員に当たって、その人が殴り飛ばされるのは、必然とも言えた。
「こんにちは、お嬢ちゃん。」
業界最後の砦と謳われる男が呼ばれたのは、五、六人の職員が骨折した後である。
「…ママとパパは?」
「…分かんないなあ…。…今日一日は一緒に待つけど、明日になったら後ろのあのお家に行こう、それじゃ駄目?」
「きゅうけつきびょうで、わたしがかわいくなくなったから、ママとパパはいやになったの?かわいくないから、すきじゃなくなった?」
夏牙は籠の隣に座って、少女を見詰めた。
「好きと、可愛いは、ちょっと違うかな。好きだから可愛いと思うときもあるし、単に可愛いと思うときもあるからね。だから、可愛くないから好きじゃないなんてことは、ないよ。」
「じゃあなんでママとパパはわたしをおいてっちゃったの?きゅうけつきびょうだから…?」
夏牙は声が出なかった。自分が不甲斐無くて唇を噛んで、それから布の隙間から手を伸ばし隣の少女の涙を拭った。
「ごめん、おじさんも分かんないやあ。なんでだろう、吸血鬼病も、ほんの小さな違いなのにね。なんてだろうねえ…。」
「ちいさくないよ!もの、こわした。からだがまっしろになって、おひるのおでかけができなくなった。」
「小さな違いだよ。力は強くなったって調節出来るし、肌の色なんて関係無いよ。太陽より月の方が合うってだけ。…どっちも、些細なことなのに、なんでなんだろう。」
少女が、女郎花の瞳を見詰めた。
「"どっちも"って、わたしとなに?」
「ごめん、弟を思い出してた。そう変わらないのに、両親は随分言ってたから…。」
「きゅうけつきびょうなの?」
夏牙は首を振った。些細なことだった。吸血鬼病ぐらい、些細なこと。
「げんきになって、だいじょうぶだよ。」
布から食百は顔を出して、夏牙の頭を撫でた。
夏牙は目を見開き、それから笑い損ないの様な表情を浮かべる。
「君は可愛いよ。それとは別に、俺は君が好きだから、可愛いよ。」
「…ありがとう。」
「ねぇ。もしも今日待って、来なかったら、俺達の家に来ない?」
「…いこうかな。」
「勝手に連れてったら、後ろのお家の人に怒られちゃうかな。もし来なかったら、あっちと俺達の家を見て、君が好きな方をお選び。」
「うん。」
「大丈夫だよ。生きていれば、どうにかなるものだからねえ。」
手を繋いで夜まで待った。両親は来なかった。食百は悲しかった。愛してくれていると信じていたから。でも寂しくは無かった。手を繋いで一緒に帰る人がいたから。この病気になってから、まともに見れなくなった太陽を、一つだけの瞳に宿した人だった。




