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無双がフタリ  作者: 片喰
28/49

無双がフタリ㉘

<17 引きこもり天使>

「おはよう。…?何か変な匂いがするが、夜明け前に誰か来たのか?」

 愉愉は振り返る。寝癖頭の新月は眉を顰めて居間を見回していた。

「夏牙の知り合いです。華普と一助の家にいたのを、夏牙さんと曙さんで救助して来たそうですよ。今、町に送ってて。」

「どうりで嗅ぎ覚えのある匂いがすると思った…。あいつ等の家に行くなんて、本当に勝手な奴等だ。」

 呆れ笑い混じりの声。愉愉は"嗅ぎ覚えのある匂い"という言葉に、内心ひやりとしていた。その匂いは、確かに華普達の家から持ち帰った匂いかもしれない。だが同時に、陶真薬の匂いの可能性のあった。

 研ぎ終わった米を水を切って土鍋に入れる。経験と勘で水の量を決めた。

「愉愉。夏牙の知り合いとは、青い瞳で六十程の年の女ではなかったか?」

 水の入った柄杓を傾ける手が、ぴたりと止まる。

「え?どうしてですか?」

 新月へどこまで話すか夏牙に聞き忘れたことに、愉愉は今更気付いた。舌打ちを飲み込む。

「血の匂い。」 

 水を全て入れてから、愉愉は彼の方へ体ごと振り返る。新月はぼんやりと言うべきか、じっっとと言うべきか迷う目つきで、居間の畳を眺めていた。

 元両親について語った際の、無関心を極めて記憶すら朧げであると言わんばかりの、空っぽな瞳では無い、と愉愉は感じた。愉愉には、例えば、好きな食べ物何?と聞かれた後に嫌いな食べ物何?と聞かれると思っていたら、これは物凄い普通って食べ物何?と聞かれて笑いつつきちんと考えるような、そんな風に見えた。

「…その、青い目の人って、誰ですか?」

「一時的に俺を育ててくれた流れの邪物殺しだ。今もその仕事をしているかは分からないが。闇市で売ろうとしていたから、逃げた。」

「じゃあ恨んでます?」

 否定するのは分かっていた。ただの確認だった。予想通り、彼は愉愉に無表情の顔を向けて、

「昔は。今は特に。夏牙が多分何か知っている。彼が怒らないならば闇市の件には理由があったのだろう。」

「ふうん…夏牙さんって本当愛されてますね。」

「信用はしている。そうか、やはり来たのは真薬だったのだな?」

「まや?陶真薬さんとおっしゃっていたのですが。…ああ、まあ、そうか。」

「偽名だったのだな。」

「仕方無いでしょうね、夏牙さんは"陶師匠"と呼んでましたから。」

 愉愉は、"教育者向きだよ"と言った彼女の表情を思い返していた。あの女郎花色の瞳に尊敬を宿して真っ直ぐ見詰められていたのだから、それから脱するには、そのときの自分から外れるには、偽名くらい必要だろう。

 新月も察したらしく、目を細めて畳に視線を戻す。

「それならば、そうだな。」

          ○

 陶真薬以来、想寧神社に特記すべきことは無かった。予定通り愉愉は家に閉じこもって、故郷に帰ったとの噂を流した。その効果か別の理由かは知り得ないが、華普達からの襲撃は、ぱったりと途絶えた。

 邪物の殺害依頼の方はどかどかと発生し、もしかすると華普等が邪物を作り出しているのかもしれないが、今のところさしたる問題は無かった。藤ノ舞成と香路島が最近泊まりに来て、邪物殺しの仕事を手伝っているお陰でもあったし、愉愉が専らの家事をこなし尽くしているのもある。

 穏やかな日々だった。その日常の、柔らかな感覚に、途方も無い久しさを愉愉は感じた。

 それは、一週間と続かなかった。

 その日は、愉愉と夏牙と、学校が休みの頭兜と食百が家にいた。後は皆、大規模な邪物発生により出払っていた。藤ノ舞成と香路島も含めた全員で行くのは珍しく、夏牙はいつも以上に不安げだった。

 夕方に近づく風の匂いのする、昼過ぎ。

 そこに、現れた鵺破ともなもも。

 彼等は、とても慌てていて、息を切らしていて、汗と血を流していた。

 夏牙が駆け寄って、抱き締める様に彼等を支える。

「どうしたんだあ!!一体…。」

「もウっ、すぐに、邪物が来ルっ。ここ、囲ま、レ、げふっ、ゲホ、えほえほ、…ペッ。」

 口から彼女は血を吐き出す。もう手当てし始めている夏牙に、鵺破は伝えた。

「華普ダ!!みんな、やらレテっ、…。鵺破の爆弾もっ曙の銃弾モ、無イ。新月と、藤香路の武器モ壊レた…。もう、駄目、みんナ。」

 見開いた女郎花色の瞳から、それは一滴だけ垂れた。硬直した口元が、へにゃり、と動き、掠れ声が漏れる。

「…え………?」

「お願イ、みんなハ、みんなダケでも助かっテ。明鳴池ノとキの、愉愉の結界ナら、耐えられルかもしれなイって曙が…。」

「だ、"だけでも"って、あっちいるみんな…みんな、し、死ぬの?違うよねっ、だって、だっ、だって、ほら、新月は?武器が壊れたって、新月は前もあったじゃん!あんときはみんなで帰って来たじゃん!!」

 頭兜の悲鳴に、鵺破はびくりと震えた。ここに向かう直前に見た、彼を思い出して。 

「新月は岩に、潰さレて、いつもナラ、自分で持ち上げルのに、うごっ、かなクテ…。特殊な岩かモ。…鵺破達モみんなに伝え終わったから、戻ルヨ。」

「鵺破達は家にいろ。」

 心臓を引っ掻く様な硬い夏牙の声。大人達の様子を見て何が起きているのか大凡理解したのだろう、食百が涙目で頭兜の腕を摑んでいる。彼女の頭を撫でる頭兜もまた、似た顔だった。

「夏牙まで、行っちゃうの…?」

「うん、ごめんな。でも、俺に出来ることは、やらないと。」

「…夏牙無シで、ここどうすんノ。」

「みんながいるから、俺なんだ。」

 夏牙が笑った。くしゃりと、あくまでも、彼らしく。

 彼は薙刀と弓矢を持つと、戸に手を掛けた。

         ○

「…ッ、ぐっ、ふっ…」

 新月は混乱していた。上にあるのは、大して重くない岩だ。腰の辺りで体が分断されているが、両腕は残っている。岩を退かし、下敷きになっている体を直す。それだけ。出来る。

 出来る、はずなのに。

「新月?どうしたっ!?」

 曙の声。間を置かず、銃声が三発。最後の一発は間の抜けた音だった。

「くそ!」

 彼女は空の銃を放って、自棄気味に薙刀を振った。その薙刀も先が欠けている。

「良く分からないが、出られない。」

「はあ!?」

 鵺破が手榴弾を使う頻度が減っている。藤ノ舞成と香路島の小刀も予備が殆ど無い。

 邪物は、続々と襲いかかっている。

「…鵺破あ!!」

 牙を避け、小刀を相手の口内にねじ込みながら、香路島は叫んだ。

「もなももと、想寧に、夏牙んとこに行け!」

「ガッダオ!なんデっ!?鵺破ハ爆弾ほぼ無イケド、みんなダッて似た状態デショ!?」

「新月が駄目なら、こん中で移動が速いのお前等だろ!夏牙に伝えて来い!!」

「なんデ?!夏牙来ちゃウヨ!駄目ダヨ!今年三十九歳ニなるんダヨ!?戦ってイい年ジャないヨ!」

 邪物の首を締めながら鵺破が叫び返す。

「そこは妥協しろ!想寧神社が襲われるかもしれねぇ!新月が動けないなんて華普以外考えらんねぇだろ。あいつ等なら、俺等はオマケで、きっと想寧の奴等が本命だ!そうゆう奴等なんだ…。もしかすると愉愉の結界を突破する方法を見つけたのかも知れない。」

「鵺破!もなもも!香路が気付いたのを無駄にする気?手遅れになる前に行けっ!」

 目の前に現れた邪物に、新月は引きちぎれる程に首を伸ばして噛みつく。

「いつものでは無くて、明鳴池のときの、食百と頭兜を守った愉愉の結界なら防げるかもしれない。つくるように言え!」

 首の筋が切れたがすぐに直して噛み千切る。血の味。肉も骨も噛み砕いて飲み込んだ。だがそこまで力のある邪物では無く、大した力は得られなかった。

「俺も駄目そうだ。鵺破、行ってくれ。」

「…ッ!分かった。死ぬナよ、みんな!!もなもも、飛ばしテ!」

「まあなあ!どるっしぇ!!」

 そうして、鵺破ともなももは想寧神社へ向かったのであった。

          ○

 想寧神社で、彼等は立ち尽くしていた。

「もう、いいだろ。」

 扉を開けようとしていた夏牙の動きが、止まる。固まる。

 純黒の双眸の内側で、光が揺らめいていた。この世の全ての色、では無い。

 白。

 唯一、一色。

「もういい…もういいだろ…。」

 喪服の様な黒い服を着た"バケモノ"は、上を睨み付けている。

「もういいだろっつってんだよ!聞こえてんだろ糞がっ!!オレからあれ以上何を奪えば満足なんだ!!あれからオレは!」

 夏牙は茫然と立ち尽くして、その子を見ていた。そう言えば、この子の泣いたところ、初めて見たな、と心の片隅で思いながら。

「オレは…。」

 指の細い白くて小さな手が、手荒に目元を拭う。

「…ボクはっ、」

 手の下から現れた目に、さっきの揺らぎは無かった。

 純黒の瞳。鮮明に刻まれた真っ白な光。

「ボクは、絵と洗脳の大天才。ボクは自己中心的な魔術の使い手。ボクは神でも動植物でも天使でも悪魔でも無い異端児。」

 八重歯が覗く。歪んで上がった口角。柔らかに細められた瞳でギラつく光。

「オレは!倫理も人道も知ったこっちゃねえ。オレの愛するひとを、どんな手だろうが、離してやるか。」

 きつく握った手。連れを呼ぶ迷子みたいに、その"カイブツ"は叫ぶ。

 この世に、死者を蘇らせる技は無い。禁止されているのもあるが、それ以前に、神降ろしの力の強い者は感じるのだ。

 生物としての、禁域を。

「生かせ!!殺せ!」

 鵺破は感じた。今、自分は禁域を見ている、と。神降ろしの力とは相性が悪いとさえ言われる、彼女でも感じられた。

 音は無かった。気配は、消えた。神社中を取り囲んでいた禍々しい気配が、あっさりと。

 誰が手を下したか、それは静寂が物語っていた。

「怪我も治しましたが少しの間は体に違和感が残ると思います。安静にしていて下さい。ボクは皆さんを迎えに行ってきます。」

 フードを被りながら、愉愉は呟く。鵺破はただ頷くしか出来なかった。

 その声や身動きした音を聞いて、黒の髪や色白の肌を見て、頭の中が支配されていく。独知の地のときは異常であることは感じられた。今は、鵺破を含めた全員が異常さすら感じられないでいた。

 太古より、その存在に従うのが当たり前の様な…。

「…あ…。」

 夏牙の掠れた声で、彼等は漸く愉愉がもう去っていたことに気がついた。

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