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無双がフタリ  作者: 片喰
26/49

無双がフタリ㉖

<回想 紺青の夜>

「こんばんは。」

 夏牙が声を掛けると少年は、つと、彼を見上げた。紺青の双眸は、その目で相手を食らおうとする様な、鋭利な殺気があった。

 生唾を飲み込んで、夏牙は努めて和やかに切り出す。

「今、いいかい?」

「…邪物を殺して欲しいのか?」

 少年が口を開けると、歯まで真っ赤に染まっているのが見えた。血の色。何も口の中を怪我したのでは無いだろう。さっき少年が土蜘蛛を完食したのを、夏牙は見ていた。今この場には、骨すら無い。

 枯れ木ばかりの森。村は近いが夜だからか、辺りには静寂だけがあった。

 "邪物を殺して欲しいのか"という少年の言葉が、夏牙の喉に引っ掛かる。この子はずっと、それで、邪物を殺すことで、稼ぎ、命を繋いできたのだ、と改めて実感させられる言葉だった。

 泥濘んだ地べたに座った血だらけの少年の前に、夏牙はかがんだまま、聞く。

「新月君、で合ってる?」

「そうだ。何処の邪物を殺せば良い?」

「仕事じゃあ無いんだ。」

 途端、少年の目に火花が弾けた。それは輝きの一種なのだろうが、その凶暴な光以外の彼の全てが暗いことが際立ち、逆に少年を陰鬱に見せていた。

「ならば失せろ、糞爺。」

「待ってくれ!!俺は想寧神社の神主で、そこには君くらいの年の子も住んでる。それでだから、新月君、俺達の家に、来ないか。」

 少年は眼差しの鋭さを和らげず、問うた。

「俺を養って何がしたい。」

「…幸せに、なりたい。」

 少年の眉が歪む。そらそうか、と思い夏牙はたどたどしいながら説明した。

「俺はな、金持ちでは無いが貧乏でも無い家に生まれて十二分に食って寝て、学校も行かせてもらって友達もいた。だけど、なんか、心の奥が、違和感?穴?みたいな?あって、ずぅっと。もっと苦しい人も、いっぱいいるだろうに、俺はそんなだけで、なんか、生きづらい気ぃすんなあって思っちまってた。」

 言葉を紡ぐ。ただ一心に、少年に伝わることを願って。

「でもそれってそんな罪なんかなって。十分食ってようが寝てようが学校行こうが働こうが友達いようが苦しいときゃ苦しいし、もっと幸せをって願うのって、もう、普通じゃないのかなって、思って。だからもう、開き直って、この穴埋めて幸せになってやろおって思ったんだ。で、そんで何で埋まるかなって考えたら、綺麗な世界を見たいなっていうのに、辿り着いて。」

「き、れい。」

「ああ。ええっと、だから、ああごめんな、俺大切なときばっか上手く話せない。で、だから。」

 女郎花色の目が、ふっと、細められたのを見、少年は綺麗とはこういうことだろうか、と思った。

「だから、一緒に、幸せにならないかなあ?」

 ゆっくりと、少年は瞬きをする。それ程に自己中心的考え方で、こんなにも利他的結論になるのか、と何処か呆れた。

 夏牙は、少年の隣に座った。土蜘蛛の血と、泥が尻に染みたが、彼は頓着しない。胡座をかいて少年を見る。少年は夏牙の方ではなく、前に顔を向けたまま。

 少年の横顔。古い血と新しい血に染まった、赤黒い髪。服も顔も赤く、碧い両目だけが例外だった。

「新月君。新月君は、今、幸せ?」

 少年は微動だにせず前を見ていた。夏牙には答えを考えてくれているのか無視しているのか分からず、少年が答えてくれるのを願ってただ待っていた。やがて、ゆっくりと、少年が夏牙の方に顔を向ける。女郎花色の目をしっかりと捉えてから、少年は言った。

「幸せでは、無い。」

 微かに、狼狽えた声。

 夏牙は胸が絞めつけられる思いだった。少年はずっと、苦しみを奥に隠して生きてきたのだ。自分がそれを掘り返してしまったのが、申し訳なかった。少年がそれを隠さねば生きられない状況にいたのが、どうしようも無く可哀想だった。

 彼は何も言えず、代わりに少年の頭に触れた。少年は僅かに身じろぎしただけで、大きな抵抗はしない。夏牙は撫でずに、ただ手を置いた。動かしたら、土蜘蛛の血を延ばしてしまうと思ったから。濡れた感触と、古い血で固まった髪の束の感覚。

「俺達の家に、来ない?」

 少年は黙って目を瞑った。夏牙は、返答を待った。二人に気づかない小鳥が、囀る。夜波鳥かな、と夏牙は思った。鳥だな、と少年は思った。

 同じようで違った、違うようで同じ、感性の二人だった。だから何にせよ、その状況は二人にとってそれなりに幸せと言えるものだった。

 朝日を感じた様に、少年が目を開ける。そして、夏牙の目を見て答えた。

「行く。」

 その瞬間、夏牙の顔がぱっと輝く。彼は少年の細い体を両腕で包み込んだ。少年は最初は驚いた様子で固まっていたが、やがて苦笑の様な息を吐いて、力を抜く。

 雲が流れ月光が差し、新月はようやく今宵が満月だったと知った。

          ○

「いい髪の色だなあ。」

 風呂から出て来た新月を見て、夏牙は初めて彼が金髪だったと知った。

 帰って来てすぐの為、朝日も上がっていない。香路島と藤ノ舞成に会わせるのが明日にるのが不安だったが、起こすのも忍びないと夏牙は判断した。

「もう少し茶色い方が綺麗だ。」

「そうかい?君の色、綺麗だぞお?」

「妹の方が綺麗な色だ。」

 夏牙はぎょっとして彼を振り返る。妹がいるならば、彼女も劣悪な環境なのでは?と思ったせいだった。

「その子は何処にいるんだ?」

「家。多分。妹は二人にも愛されているから、俺は心配していないが、お前は心配か?」

 兄妹で扱いに差があったのだろう。夏牙は少年の頭を撫でる。さっきとは違い髪に指が入った。どうも毎日毎日沐浴の如き大量の血を浴びていたため、却って大部分が乾かず、上手く流れたようだ。一応偶に川で洗っていたらしいから、それもあるだろう。

「…俺は俺を可哀想だとは、決して思わない。」

「可哀想という訳ではなくて、」

 夏牙の師匠はよく、子供の頭を撫でた。神社の子も近所の子も、泣いている子も得意げな子も、彼女に撫でられると皆幸せそうな顔をする。

 初めてそれを見たとき、夏牙は泣いた。この世にこれ以上綺麗なものは無いと思った。

 今はもう、陶真薬は目指せ無い。夏牙の考えでも、陶真薬の意志でも。それでも夏牙には、彼女の様に頭を撫でた。それ以上のものを彼は知らなかった。

 だが彼は、核心を語らぬ彼女と違い、全てを有り体に語った。

「可哀想じゃなくて、頑張ったなって、言いたいんだあ。」

 少年は、紺青の瞳でぐっと夏牙を観察している。

「何を頑張ったと?」

「生きることを。誰も彼も、生きるのは大変なんだ。だから、今ここまで生きて来て偉い。良くやったよ、新月君。」

 ゆっくりと新月は瞬きする。そして、低い声で問うた。目を鋭利に光らせて。

「あいつも似たことを言っていた。"生きてるだけで重労働、挨拶はその労い"だと。…お前は、あいつの知り合いか?」

「"あいつ"って…。」

 新月の目には、会ってすぐのそれと同じ狂気的な殺気が戻っていた。

「家が無くなった俺を拾った、流れ者の邪物殺しだ!お前もあいつと同じで俺を闇市にでも売る気かっ!売られるよりはましだと自ら逃げた俺の気持ちがっ理解出来るか…!

 俺はっ…俺は、必死で生きている。だからッ外野は黙ってろ。」

 少年の瞳の殺気は見る見るうちに膨らんでいく。会ったときのもの以上、いや、これは別種ではないか、と漸く夏牙は気付いた。

 生まれたときから愛さなくて当たり前の両親より、一時でも夢を見せてくれた流れ者の邪物殺しや夏牙の方が、彼の心を占めている事実に、夏牙は言葉を失った。

「言えっ!!殺されたく無ければ吐け!!あいつと知り合いかっ!!」

 傷にまみれた少年の手が、夏牙の首を摑んだ。その状況でも尚、彼は少年の手の痛々しさが不憫だった。

 死にたくない、と夏牙は思う。怖い、と。

 だが死ぬこと自体よりも、香路島と藤ノ舞成を置いて逝くことと、新月の心を傷付けまま去ることの方、彼にとっては恐ろしかった。

 幸せになって欲しい。自分がそれを見て幸せになりたいという自己中心的な理由でも、幸せにしたいのは本当だから。本気で、心の底から、彼の、全員の、幸せを願っているから。

 嘘をつくことにした。

「質問に、答えろ!」

「知らない人だ。」

 少年の喉仏が上下した。親を捨てられ、拾われた邪物殺しに裏切られた少年は、女郎花色を見詰める。

「……本当、だな?」

 手の力が緩まり、離れた。夏牙は直ぐ様、彼を抱いた。

「不安にさせてごめんなあ…。」

 小さく頷いた少年の様子に、安堵して微笑みながら、夏牙は心の中で師匠に尋ねた。

 闇市って、あなたは本気で何がしたいんですか?"生きてるだけで重労働、挨拶はその労い" その主義は変えてないのに、あなたの行動は前とは違う。何が変わったんですか?

 答えて。

          ○

「限界をね、知ってしまったのだよ。」

 新月が住み始めて一週間も経たない内に、前触れ無く陶真薬は神社に現れた。何がしたいのだと問い詰めた夏牙に、彼女は微笑んで返した。

「意味分かりませんよ。師匠、ていうか今まで何処いたんですかっ。」

「流れの邪物殺しをしながら、ふらふら。」

「…新月という少年を知ってますよね。拾って、育てて、…っ闇市で、売ろうとしたんですか?」

 玄関の柱に寄り掛かる陶真薬。勝色の瞳が、早朝の空を漂う。それよりもやや鮮やかな紺の髪には、白いものが混じり始めている。

「あの子の親は、華普と一助という夫婦だ。知っていよう?あの有名な古呼来(ここらい)一族の当主さ。有力貴族でありながら、表舞台には殆ど現れず、しかし神降ろしの力の研究には熱心で、その力に皆が恐れる一族…。」

「新月から聞きました。」

「あれと暮らしていたら、その周辺が騒ぎ出すわ騒ぎ出すわ。あの夫婦は、息子を家から追い出して殺せた思っていたのだろうから、生きてて恐ろしかったのか、毎夜襲われた。」

「だからって…!」

「闇市を通して売ってくれりゃ私には関与しないと言ったのでな、堕ちたふりして情報を引っこ抜こうとしたんだが、あれに勘違いされて、逃げられた。」

 夏牙は肩から力が抜けるのが分かった。陶真薬がまだ、彼女の芯を持っていたことが嬉しかった。ほっとした。

「新月にそれを伝えましょう。きっと喜びますよ。家に入って下さい。もうそろ新月は起きてきます。」

「いや、いいよ。私のことも話さんでくれ。私は罪を犯したから。」

 夏牙の動きが止まる。何か言いかけ、失敗し、何度目かで声になった。

「何をしたんですか。」

「新月の両親を殺した。」

「…。」

「新月に伝えるかはお前に任せる。じゃあな、夏牙。」

「師匠!」

 向けられた背に、夏牙は手を伸ばし掛けた。だが先に陶真薬が振り向く。

「お前はお前で生きろ。」

 朝日が、訳知り顔で師匠を真横から照らしていた。

 夏牙は結局、新月にこれを話さないことにした。彼が両親に頓着していなかったからと言うのと、両親を失った妹の心配をさせたくなかったからだった。

 その朝も、新月はいつも通り起きてすぐに、きちんと挨拶をした。師匠の教え通り。


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