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無双がフタリ  作者: 片喰
25/49

無双がフタリ㉕

<16 天使と元神主>

「ロキ。」

 その者は、愉愉に久し振りに名前を呼ばれたな、と思っていた。

「お前は出るな。…ヤバくなったら、そのときは力を貸してくれ。」 

 その者は、緊張を帯びた表情を緩めた。

「勿論さ、私の天使殿の為なら喜んで。」

「そーゆうのは自分の奥方に言いな。」

「無論、彼女にも言うよ。」

 愉愉は肩を竦めた後、相手に手を振った。帰れという意味だ。その者は抵抗せず帰る。来たときと同じように、突然消える帰り方。それを見送ってから、愉愉は居間を通り、玄関へ。扉のすぐ向こうに人の気配があった。

 相手が開けるより先に、愉愉はその扉を開け放つ。

「なええっ!?」

 間の抜ける驚き方だった。愉愉は思わず苦笑して、叫んだ男性を見る。

 だが、その顔はすぐに驚愕に一変した。

「中に。」

 夏牙の肩に、赤茶の布が巻かれていた。その色がなんの色か分からない程、愉愉は鈍感では無かったし、穏やかな生活をしてきた訳でも無かった。 

 夏牙の焦げ茶の寝間着は所々破れ、腕や足に布が巻かれていたが、彼は大したこと無さそうな顔で、壮年の女性を背負って家に入る。その後ろを歩く曙も、服が寝間着で無い以外は夏牙と同じようなものだった。

「ところで、愉愉君はどうして着替えているんだあ?もう寝てたんじゃ…。」

 居間の机に包帯とハサミが、ごとごとど、と音を立てて投げ置かれた。軟膏と痛み止めの薬が続く。

「あ、ありがとう…ええと、愉愉君。何処かに行くつもりだったのか?」

「ボクのことを聞く前に、皆さんの手当てと事情説明を求めます。」

「くっハッハッ。夏牙、お前また変な奴を呼び込みおって。」

 掠れ声だが飄々とした口調のその言葉は、夏牙の背に乗った女性が発したものだった。

 元々紺色だったのだろう。白髪が混じって、白縹色になった髪を背中に流している。くすんだ灰色の服や薄汚れた肌を見るに、ついさっきまで劣悪な環境下にいたのだろう。しかし彼女は、勝者の微笑みとでも言うべき軽やかな笑顔である。

「その人、夏牙さんの知り合いの方でしょう?」

 台所で水を汲みながら、愉愉は声を投げた。女性を曙と横たわらせようとしている夏牙は、

「あ、ああ。そうなんだあ。知り合いって言っても、ただの知り合いでは無いと言うか…。」

「新月さんの元両親を殺したって言ってた人。」

 淡々とした愉愉の言葉を聞き、夏牙は頷く。

「知ってたんだな。」

「こんなときに、しかもそんなボロボロなってまで迎えに行く人なら、その人しか思い付かないだけです。大方、華普と一助の家にいたんでしょう?」

 水を張った桶を居間へ運ぶ。布団に女性を寝かせようとする夏牙と曙と、元気だし!と言う顔で抵抗する女性がいた。

「この人の話で、"最近って、いつから"って聞いたのは、華普と一助が拉致してる可能性が頭にあったからか?」

 じたばたする女性に無理矢理布団を被せて、夏牙は尋ねた。なんだこの状況は、と愉愉は思うが、同時にそこに疑問を持ったら一層収拾がつかない予感もあり、結果そこには触れないことにした。

「少し。」

 ぼそりと愉愉。曙が溜め息を吐いた。

「夏牙の話を聞いた愉愉を見て、何かあると思った。例えば、夏牙の知り合いが華普と一助に拉致されていて、だから噂が無くなったと、愉愉が予想している、とかな。」

「曙からその話を聞いてな、こりゃ不味いと思った。陶師匠…あっ、この人な。陶師匠の安全も心配だったけど、それ以上に愉愉君が師匠を助けに行くかもっていう心配も大きかった。」

「…ボクが?まるっきり他人のその人を?助ける?本気でそう思ったんですか。」

 愉愉は笑って首を傾げた。女郎花色の瞳を、真っ直ぐに向けられて、その顔から笑みが消える。

「君ならなあ。」

 愉愉は目を逸らした。曙はまた溜め息。

「だからって夏牙、誰にも言わずに一人で乗り込もうとするなあ…。」

「愉愉君より先に行かなきゃだからな。それに俺の我儘にみんなを巻き込む訳にはいかない。いやあ、それにしても、その格好を見るに間一髪俺達が先だったらしいな。」

 夏牙は、愉愉の行動を阻止する為に華普邸に乗り込み先に知り合いを助けようとし、愉愉の予想の予想を言ってから夏牙の危うさに漸く気付いた曙が、彼に無理矢理同行した、ということらしい。

「事態は大凡分かりました。で、腕のそれは華普達にやられたんですか?」

「違う違う。華普達とは会ってない。見回りしてる人達がいてな、その人達に。だが曙に治して貰ったからなあ、ほら、綺麗なもんだろ?」

 ぺらりと包帯を外して見せる夏牙。ざっくりと切れた服の間から、蚯蚓腫れの様な大きい傷跡が見えた。それと交わる薄っすら茶色の線は昔の傷であろう。あまり"綺麗なもん"という表現はしっくりこなかった。

「かろうじて今は傷が閉じているだけだ。神降ろしの力で誤魔化したに過ぎない。早く手当てしよう。」

 言いながら曙は夏牙の手当てを始める。彼女の方も手当てが必要だろうが、夏牙が一段落するまで、意地でも自分のものをほっとくことは察せたからか、夏牙は大人しくされるがままになっていた。

「君君、愉愉と言うのだっけ?今まで何があったか詳しく教えてくれないかい。」

 暇潰しとでも言う様な顔で、夏牙の知り合いの女性は愉愉に話し掛ける。

「はい、ええと、陶さんと言う御名前でしたよね。」

「トウリターシャナが本名。みな陶と呼ぶがね。」

「え!?陶師匠の名前、ずっと陶真薬(とうまや)だと思ってましたよ。トウリターシャナなんて名だったんですか。」

「嘘だ。」

「嘘かよ!」

 夏牙が凄い勢いで陶真薬を振り返った。無言で無理矢理体の向きを戻させ、手当てを続ける曙。愉愉は遠い目をして尋ねた。

「…この人達はいっつも、こんなんなんですか?」

「藤ノ舞成と香路島によれば。陶真薬さんは、夏牙の一代前の想寧神社神主だから、昔からの付き合いらしい。」

「曙さんの来たときには陶真薬さんは居なかったんですか?」

「藤と香路、その後新月、私、鵺破、間が開いて頭兜、食百の順で来たからな。陶真薬さんが神主だった頃はまだ、藤と香路しかいない。それと良さんの姉上か。」

 最後の言葉に愉愉は反応した。

「え?良さんのお姉さんがここの人だったんですか?」

「そうさ。懐かしいものだ。曙、あいつは元気かい?」

「ええ。会いはしませんが、噂の限りは、よくやっていらっしゃるようです。元々、路視(ろみ)族らしい頭の良い方でしたからね。」

 なるほど、姉が世話になっていたならば良の夏牙への心酔っぷりも納得である。

「そりゃ良かった。…て、あ〜違う違う。私は昔話をしに来たんじゃない。で?今まで何があったのだい?」

 愉愉と曙は夏牙に目をやる。彼は口をひん曲げて陶真薬を眺め、溜め息を吐いた。

「陶師匠。先に教えて下さい。あなたは、何をしたんです。」

 陶真薬の勝色の瞳が、そのほとんど黒い濃紺には相応しく無い、とろんとした笑みを浮かべた。

「何も言ってこなかったから、私も言わなんだが、こうしてお前の目を見ると思う。久しく、会っていなかったのだな…。」

「そうですね。…そりゃ、そうですよ。あなたとまともに話したのは十二年前ですよ…。」

「おや?九年程前にも会ったろう。」

 手当てが終わった夏牙は、陶真薬から目を離し、曙の手当てを始めた。

「あんときは、あなたが話したいことだけ話して帰ったでしょ。俺の質問には何一つ答えない。陶師匠、あなたは何をしたんです?」

 寝っ転がったままの陶真薬は、弟子をじっと眺めている。夏牙は、一瞬だけであるが、彼女に目を向けた。途端、彼女の表情に罅が入る。すぐに立て直してから、陶真薬はくくっ、と笑った。

「お前は、教育者向きだよ、本当に。」

「師匠。はぐらかさないで答えて下さい、今度こそ。」

 声色がいつもより荒い。布団の下で足を組んだらしく、膨らんだ。天井を見詰める勝色の目。

「新月の両親を、殺す気だった。」

「九年前のあなたは、"殺した"って言っていた。」

「嘘だ。」

 曙が夏牙の顔を覗き込む。彼はそれに気づき、曙に微笑み掛けた。

「あなたの嘘だけは、分からない。」

「お前が分かるのは嘘でなく、嘘を言ったときに感じる罪悪感や躊躇いだ。それが無い私の嘘は、一生分からんさ。」 

「…知ってますよ。あなたには、一生追い付けないし、追う気も、もうありません。」

 陶真薬の口から笑う様な息が漏れた。

「お前だったら、殺そうだなんて思わないものな?私は思えるし、殺せさえする。…だがな、あいつ等は殺せなかった。」

 曙の腕に包帯を巻き終えて、夏牙は陶真薬に向き直った。

 女郎花色と、勝色の瞳。

「華普と一助に、勝てなかったんですか?」

「うーうん。」

 手で目元を覆って、彼女は苦笑した。

「見たんだよ…見ちまった。」


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