無双がフタリ㉓
<15 天使の見つけられなかった人>
「ただいまあ!」
「ただいま~。」
食百と頭兜の声。学校から帰って来たらしい。
「おおう、お帰り。」
ぱたぱたと走ってくる食百。彼女を追う頭兜は、兄の顔で、
「こら、手ぇ洗ってからだあ。」
「わすれてたのー。」
またぱたぱたと駆け、ちゃんと洗ったか心配になる程に間を置かず、ぱたぱたとと駆け戻って来た。頭兜もやや遅れて来る。
「食百さんと頭兜さんにも言っておきますが。」
そう前置きして愉愉は、自分をこの世界に連れて来たのが華普と一助であること、理由は新月を殺すためだろうこと、つまり、自分が皆に多大な迷惑を掛けていたことを語った。
「それで出て行こうと思ったんですがね。」
ちらり、と新月を振り返る愉愉。見事愉愉が出て行くのを阻止出来た彼は、ちょっとだけ自慢げに見えた。
「実は、」
愉愉は笑い話として、新月に止められたことを話そうと思っていた。同時に、食百と頭兜の反応を見て、自分が残ることをどう考えるか知ろうとしていた。彼等が嫌がるならば再考すべきだろう、と。
それだけだったのだが。
「だめ!行っちゃだめ!」
「いえそれは、」
「ごめんなさい、わたしのせいなの!ゆゆは悪くないの!わたしが…」
「え?いや、食百さん。どういうことですか?」
泣きじゃくる食百の口から、叫び声が溢れ出す。
「わた、わたしぃがっ、う、うらぎりものなの!!」
背中を撫でていた頭兜の手が止まる。愉愉は少々の前にしゃがんだは良いものの、そこからどうすれば良いのか全く分からなかった。代わりに、夏牙が近寄り、
「食百。大丈夫、大丈夫だから。な?うんうん。」
ゆっくり彼女の頭を撫でるまめだらけの手。食百は夏牙に抱き着いて泣いていた。
「ごぉっ、めん、なさい。わたっしのせいでぇ…。」
「そんなこと無い。大丈夫。食百。なあ、俺達にちゃんと教えてくれないか?どういうことなんだあ?」
「わだし、おねえちゃんに、みんなのこと話しちゃった。おねえちゃん、ここにね、家族がいるって。だから、げんきか、知りたいって…。ごめんなざいぃ…。だって、だって!わたしも時々ママとパパが心配になるから。」
愉愉は半開きの口で、少女を見つめていた。
夏牙が抱きしめた食百の背を、頭兜がそっと撫でる。食百は少しでも詳しく伝えなければと思ってか、苦しそうに説明を続けた。
「おかねっ、ないんでしょ、ここ。おねえちゃん、おかしくれるって言うから、だからわたし、おかしの代わりにおかねくれるならっ、話すって…。おねえちゃん、わるい人じゃなかった!あのねっ、夏牙にあげるって、言ったら、バレないように小銭にしましょうってぇ…。ごめんなさい。」
夏牙は目を見開いていた。財布に増えていた小銭の出所に気付いたからか、金欠であったことに気付かれて驚いているのか、気付かせてしまったことを悔いているのか。
「おねえちゃん、学校のかえりに会うの。頭兜とかえる時間がちがうときに。にこにこした、あおい目の、ちゃいろっぽいかみの、おねえちゃん。」
それまで静観していた新月が、ふいに尋ねた。
「…食百。その人、左掌に傷が無かったか?」
「あったよ。びーぃって、長いきず。じぶんできっちゃったって、いってた。」
食百の答えを聞くと、新月は絶句した。無性に不安になって、愉愉はその肩に手を乗せる。
「その人とお知り合いですか?」
「華読だ。」
「それって…!」
彼はゆっくり瞬きした。
「妹。」
「シャデイ?!じゃア、家族って言ウのは新月ノこと?」
「ちょっと待って!ぐちゃぐちゃし過ぎだって。その人は本当に妹なの?」
「特徴は一致している。」
「だったら、愉愉をここに連れて来たのは本当に華普と一助なの?つまりさ、連れて来た奴と明鳴池の奴は同じだけど、そいつ等が華普と一助では無かったってことは無い?だって、親が躍起になって仕掛けてるのに、妹はのんびり兄の近状確認なんて変だよ。」
「確かめるのに良い方法があります。新月さん、それと藤さんと香路島さんも、見てて下さい。」
そう言って、愉愉は取り出した紙にさらさらと何かを描いていった。すぐにそれが何か皆が分かった。人の顔である。痩せ気味の中年男性の顔。
「一助だ。」
藤ノ舞成の呟きが斜め後ろから聞こえ、愉愉は一瞬目をやる。歪んだ表情だった。
「この顔はボクをこの世界に連れて来た人のです。なら、あれは華普と一助だったとしていいでしょう。皆さんの話を聞くに、華普の方が一助より殺されにくそうですから、夏牙のお知り合いが一助だけ殺し損なったというのは、現実的で無い。」
「そもそも、夏牙の知り合いが殺したって話はなんなんだ?俺達だけで答えを見つけるには、情報が無さ過ぎる。そいつが何処にいるか、少しくらいは見当つかねぇの?」
夏牙は緩慢な動きで首を横に振った。
「これっぽっちも。前は一応、子預かりとかの施設で噂程度に話が聞けたんだが。灰色の髪の女が、急に現れて大活躍の後、急に消えたってな。だが、ここ最近はそれすら聞かない。」
「そっちは放っといて良くない?華普と一助が生きてるのはもう確定なんでしょ。」
「確か二それはそうだネ。夏牙の知り合いの行方も気になるケド、今の鵺破達にその人を探ス余裕は無いヨ。」
愉愉は障子の方を見る。襲撃を警戒中の想寧神社では、障子はあまり開けられないため、中庭は見えなかった。
「夏牙さん。"最近"って、いつからですか。」
「もう一ヶ月程になるなあ…。」
「ふうん…。」
「ていうか、話戻すけど、愉愉はどうすんの?ここから出ない方いいよな?外に出たらいつ襲われるか分かんないだろ。」
頭兜の不安そうな言葉で、夏牙は唸った。
「新月は反撃出来るし、仕事休まれたらここが動かないから出て貰っているが…そうだなあ。」
「え〜ボク平気ですよ。今回は狙われていると知らなかったから危なかったですけど、知ってれば結界張ればいいだけです。」
「華普は神降ろしの力が強い。一助は強くは無いが、力について研究して使い方や精度を向上させ続けている。愉愉の結界が突破される可能性もある。どうか家にいてくれ。」
「発芽多邪で邪物の侵入を許したこともある。愉愉の結界も万能では無いんだ。」
「愉愉は家にいテ、帰ったって噂流せバいいヨ。」
「ももなあ。」
愉愉は口をひん曲げ、彼等の言葉を聞いてはいるが、不満げである。夏牙にはその理由が察せた。
「確かに、自分だけ家にいるのは嫌だろう。だけど愉愉君が家にいれば、みんながいざというときここに避難しやすいし、安全性も上がる。愉愉君、ここにいてくれないかあ。」
愉愉は下を睨んでいたが、やげて溜め息を吐いてのっそりと頷いた。
「分かりました。」
○
夏牙から貰っている一人部屋で、愉愉は着替えていた。夜中で辺りは暗いが、灯りは点けない。気付いたら、彼等は止めるだろうから。
今日の昼に聞いた、夏牙の知り合いの話がまだ頭に引っ掛かっていた。
着ていた寝間着は畳む。今着ているのはいつものウインドブレーカーとズボン。右ポケットには結界用の札、左ポケットには相手の動きを止める用の札が大量に入っていた。全て愉愉自ら作った高精度の物である。
"だって!わたしも時々ママとパパが心配になるから。"食百の言葉が、ずっと、愉愉の頭を回っている。
「こーんな真夜中に、どこへお出かけだい?」
唐突に、愉愉の真後ろの机に座る者が現れる。薄い紅鼠色の髪の左の一房は、はらりと肩に垂れ、右は耳に掛けている。性別はよく分からない。にまにま胡散臭いのだが、何故か人好きのする微笑。
何よりも印象的なのはその赤い目だ。鵺破の健康的なそれとは雲泥の差。見詰められるだけで毒が侵入しそうな禍々しい真紅である。
その相手にも愉愉は全く臆さず、突然現れたことに疑問を持つことすら無く、
「"どこへ"なんて知ってる癖に聞くんじゃねぇよ。」
「…本当に、華普と一助の家に行くのかい。」
「うざったい聞き方しやがんな?」
「ねぇ。
彼等の屋敷に、夏牙に殺したと言った人がいると?確信はないし、本当にいたらそれはそれで危険だ。」
「うっせぇよ。」
真紅の目から笑顔が消えた。その者に対して愉愉はいつも口調が荒いため、口の悪さで表情を変えたのでは無い。愉愉の声色から本気さを感じたからであった。
「危ないだろう。」
「ん。」
「それ程に大切かい?君にしては珍しい。前は人間とは関わらないに越したことは無いとかと、よく言っていたものだけど。考えが変わったのかい?彼等が変えたのかな?」
「ピーチクパーチク、黙れよ。」
札を弾いて枚数を確認する音だけが、部屋に漂う。組んだ膝に頬杖をつき、その者は囁いた。
「危ないよ、君。」
「"危ない"?笑わせんな。オレが誰か忘れたのか?」
「…ここは、私達の知らないものが多過ぎる。何が起こるか、いくら君でも予測が出来なかろう。」
その者は、愉愉のことを"愉愉"と呼ぶのに抵抗があった。その名で呼んだら、愉愉が本当にこの世界の住人となってしまう気がした。
「オレはオレの為に動く。いつもそうだ。これもそう。」
「そうかい?私にはね、彼の為の様に見える。ここに来てから、君の行動はずっと。」
愉愉がこの日初めて、その者の方を振り返った。逆にその者は愉愉から目を逸らす。
「お前、マジで何が言いたい訳?」
「…それ程に彼が気に入った?」
しかめっ面の愉愉。やがて溜め息を吐いた。
「だったら何?オレはオレの為に行く。それは変わんねぇだろ。」
そう言いながら、愉愉はすでに部屋の戸に手を掛けている。紅鼠色の髪の者が、その手を摑んだ。
「お願いだ、どうか安全にしていてくれ。」
「お前、その立ち場でよく言うな?」
「だから私は、」
「黙れ。」
「聞いてくれ。」
「黙れ。」
「愛
「黙れっつってんだろ、外から声が聞こえる。」
「こえ?」
その者も愉愉に倣って耳を澄ます。すると確かに外から声が聞こえた。周りに気を配った小声だが、かろうじて聞こえる。三人だ。そう若くない男性、若い女性、それから掠れた弱々しい声。
「夏牙さんと曙さんだな。…もう一人は誰だ?」
愉愉は外の三人を見据えるように、目を眇める。そして答えを見つけたのか、見つからないと見つけたのか、前触れ無く戸を開け放った。
「あっ、ちょ、」
「ロキ。」
愉愉が振り返る。




