無双がフタリ⑳
<13 天使へ告ぐ>
「あれ、久しぶりだね。」
八百屋の店主が愉愉に声を掛ける。明鳴池の件の後から、外出は控えている。だが食料が無くなり、夏牙が渋々買い出しを許可した。彼自身が行きたかっただろうが、夏牙は神社の仕事らしい。祈祷とかそこ等辺だろう、と愉愉は勝手に予想する。
新月と鵺破は仕事に行かなくてはならなかったし、食百と頭兜は学校があり、良は夏牙に心配されながら帰った。結局外出を控えると言っても、大体出なくてはいけないことの方多いのだ。
「今日二人?香路島の野朗が来るなんて珍しいね。」
「そお?まあ、荷物持ちとしてね。」
にっこりと香路島。そう言えばこの人外面お面主義者だったな、と愉愉は思い出す。
愉愉はてっきり、香路島と藤ノ舞成がばらばらで行動するのは拒否するかと思ったのだが、彼等はそう考え込まずに、香路島は愉愉の護衛を、藤ノ舞成は神社の留守番且つ護衛を、引き受けた。彼等的には、ヤバい目の持ち主と完璧結界内神社の護衛など、危険では無いからまあいいか、という考えだった。
八百屋でいくらか買い込み、周りを見ると魚屋が目についた。驚く程安い。愉愉はいそいそと近づいた。
「こんにちは。安いですね。」
確認しながら話し掛ける。傷んでる訳でも無い。何かあるのか、愉愉は訝しんだ。
「でしょう?」
店の女性が微笑んむ。途端、香路島は愉愉の背中側の服をぐいと引っ張った。戸惑う愉愉の耳元に、香路島は低めた声で、
「違う店にするぞ。」
目だけで頷く。そのまま去ろうとし、しかしすぐに叫び声。
「伏せろ愉愉!!」
言いながらガッと背を押さえつけられる。突然のことに体は滑らかに動く筈無く、愉愉は直角お辞儀をする羽目となった。その背を押さえつけた状態で、香路島が小刀を構えた。さっきまで愉愉の首があった位置だ。かつんっと音がして、何かが弾かれる。
鼻の利く香路島には、その正体が分かった。
「毒針だな。この匂い、魚から採った神経毒か。」
逆に何故直前まで匂いに気付かなかったのか、彼は大凡検討がついた。華普ならば、匂いを消す小規模の結界をつくるくらい、児戯に等しい。
「あんまりね、いつもは一発で仕留められるから、あんまり、こういうのは得意じゃないんだけれど。仕方が無いし、ね、ほら、相手してあげようか。殺し合い、久しぶり。」
魚を売っていた女性が、要領の摑めないことを言いながら立ち上がる。それで愉愉は、この人が毒針で自分を狙ったのだと知った。
その横で、香路島は苦く笑っていた。安い魚で愉愉を釣れると判断するあいつ等も、まんまと釣られた愉愉も、みすみす直前まで気付かなかった自分も、みんな馬鹿だと笑った。
それと同時に、ある疑問が彼の胸に浮かぶ。何故、自分達を狙ったのか。彼等の狙いは新月だけでは無いのか?そう言えば、今になって新月が狙われる理由は、愉愉が来たことではと話したものの、愉愉を問題視した訳ははっきりしない。神降ろしの力があったから?あの異様な目か?戦闘前に情報を得るべきだ、と彼は愉愉を見る。愉愉も分かってますと頷いた。
「おい、お前はなんて言われて俺等を襲った。」
「うーん?あなたのことは、襲ってないない。そっちの子だけ。そこの黒い、髪と…目、の…。」
女と愉愉の目が合うのはそれが初めてだった。
女の目と口が極限まで開かれる。開き切った口から、言葉になり損なった声混じりの息が漏れた。彼女の双眸に宿る恐怖と愛に、香路島は愉愉を振り返る。あの、よく分からない力を発散させた愉愉を見たときの、人や邪物と同種の目だったからだ。
当の愉愉はいつも通りだと言うのに。しかし愉愉が、まただよあ゙ーあ、と言いたげな気怠げな表情をしていて、愉愉は検討がついてるのだと分かった。だったら愉愉に任せた方良い、と香路島は顎で女を示す。愉愉はう…、もしくはえー…の顔で彼を見上げてから、選択肢の無さに嘆息した。
「レディ、いくつか聞いても?」
声が投げ遣りだ。下手なことをやらかさないかと、香路島は若干心配になる。
「ちっ違います!さっきのは、違くて、言われて、どうしようも無かったから…!」
「大丈夫、ボクは何も気にしていません。」
「ありがとうございますありがとうございます。ああわたし、そうです、この世で一番あなたをお慕いしてます。」
「ありがとう。とても嬉しいです。」
愉愉は英会話の日本語訳を諳んじる気持ちだった。その気の無い言葉を吐くときは、こうするのが精神衛生上最も良いと思う。相手がこういう状態だと、尚更。
「さて、質問させてね、マドモアゼル。ボクを殺してって言われましたか?」
震える顎が上下した。首肯しているつもりらしい。
「ボクについてなんて言われました?つまり、名前を言われてこいつを殺せ、ではあなたは分からない。どう説明されましたか?」
「く、黒い髪と目で、変な服を着た、小柄な奴って。」
"変な服"と言うのは愉愉のウィンドブレーカーとズボンのことだろう。ここに来たとき着てたものに似せて、何着か作り着ていたが、良い目印にされていたらしい。
「他にこの件について何か聞いてません?」
「金髪蒼眼の、長身の男が一緒だったらそいつも殺すように、言われました。」
愉愉は眉を歪めた。途端、女性は泣き叫んばかりに悲鳴を上げる。
「その人はボクの大切な人だから、もし殺そうとすれば、あなたでも容赦はしませんからね。」
「絶対傷つけません。絶対に、絶対あなたさまのお嫌なことはしません。」
ならまずそれから直せ、という言葉を愉愉は飲み込む。
「今更ですがあなたにそれを命じたのは華普と一助、という名の人達?」
「そ、そうです。一助様…い、一助は、あまりそうでも無いですが。どちらかと言うと華普、が、仕切ってて。」
「そう。有益な情報をありがとうございます。あなたはもう彼等と関わらない方いい。」
「分かりました、そのように致します。」
「どうも。香路島さん、帰りましょ。買い物どころじゃ無さそうです。」
二人の冷え切った瞳が一瞬交差し、どちらからとも無く溜め息を吐いた。
○
「要は、新月だけじゃなくて愉愉も狙われてたんでしょ。」
藤ノ舞成の明確な答えに、愉愉は雑に頷いた。
「そーゆーことでしょーねー。」
帰宅後、愉愉は明らかに鬱々としている。頬杖を付いて俯き、偶に視線を上げると思えば睨み殺さんとする様な眼光。幾らか説明して舌打ちし、頭を掻きむしり、途端ぴたりと固まり、長々と溜め息を吐いた。
「おい、どうした?」
「……ごめんなさい。」
「は?」
予想外の言葉が聞こえた気がして、無論人狼の血によって五感の鋭い従兄弟が聞き間違えなどするはず無いのだが、それでも彼等は正しく聞き取れた自信が無くて、聞き返す。
「本当にオレだったんだ…。」
「愉愉、どうしたの?ちゃんと説明して。」
目を隠した手の下で、口が小さく動いた。
「待って。」
藤ノ舞成と香路島は目を合わせる。二秒と掛からず、二人は結論を出した。
「落ち着いたら教えろ。俺達は自分の部屋にいるから。」
こくん、と真っ黒い頭が上下した。それを見て、そっかこいつまだ一五だったな、と香路島は七年前の自身を思い返していた。




