無双がフタリ⑲
<12 天使の脳には羽があるのか>
「兎に角、空腹ではいざというとき動けない。それに頭も動きにくくなる。」
「つーことで、まずたらふく食べよう!」
ごとりと大皿が置かれる。曙と頭兜の作った今日の夕飯は、ごくの実と煮込んだ鹿肉だった。各々の茶碗の米から湯気が立つ。味噌汁と呼ばれているが正確には味噌でない何かを使った汁や、ほうれん草寄りのとりあえず葉物野菜であることは確かなおひたしなど、いかにも風世飲帝国らしいメニューであった。
「賛成ダヨ!お腹ぺッこペコ。」
「おお!美味そうだな。」
「これ、わたしたちがとった実!」
「頂きます。」
「おい待て新月、先に一人で食べるな。」
「頂きます!」
「藤も食べているが。」
「なら許す。」
愉愉はけらけらと笑って食卓に着く。全員が数口食べた辺りで、香路島が箸を止めた。
「話、戻すけど。まず俺達がすべきは、華普と一助の生存確認だな。夏牙の知り合いが殺しそこねた可能性もあるし。」
「はなあまね?って人といちじょ、と言う人が新月さんの元両親なんですね?」
新月の元両親について知っている新月、藤ノ舞成、香路島、夏牙の四人が頷く。愉愉はちょっと唸って、
「ですが生存確認なんて、どうやってするんです?居場所に心当たりが?」
「んなもんあるか。だが、アイツ等は根っからの貴族だ。自分でどうこうするって思考回路がハナから無い。つまり、今回の件もどっかの誰かに頼んだ線が濃い。」
色白な愉愉の頬が持ち上がった。
「なるほど。そのどっかの誰かを見つけるんですね。そっちの心当たりは…。」
「無い。」
途端愉愉の口角が下がる。
「えー…。じゃあ元両親探すのと変わんないじゃないですか。」
「そんなことは無いよ。華普は警戒心の塊だからね。探すのは一苦労。一方で捨て駒さんなら無防備。見つけるのも話させるのも簡単だよ。」
「まあなるほど。…あれ、でも庶民はガン無視のヤバヤバお化けじゃないんですか?」
「や、え?や…お化け…?」
混乱しながら、説明を求めてキョロキョロするが、誰も説明してくれなくてしょげる夏牙が可哀想なので愉愉は言い直した。曙は愉愉の発言を理解出来ないだけで、出来るならば説明したのだろうが。口調から大まかに理解した良は、ニヤニヤした食百と頭兜に止められているし。
「要するに、庶民は警戒しないのに、想寧神社の関係者は警戒してるのかって話です。」
「"想寧神社の関係者"と言うより、もしもあの二人が犯人ならば、警戒相手は俺だろう。」
唇に付いた煮汁を舐め取ってから、新月は説明を開始する。
「俺は一助と華普の第一子だった。だから順当に行けば家を継ぐのは俺だった。二人も、その考えだっただろう。だが、妹が生まれて変わった。無愛想な俺と違って、妹は愛嬌も賢しこさも優しさも持っていた。」
"妹"と言う口調に、元両親に対するものとは違った響きを感じ、愉愉はおやと思った。
「元々跡継ぎなどしたくなかったし、妹の方が向いているのも明白だったから、俺としては賛成だった。だが多分、二人はそういったことでどうにかなるのでは無いと重々知っていた。」
「そうだな。長子を差し置いて二番目が跡継ぎなんて、本人が良くても周りがなんて言うか。」
「この国はそういった風習ですものね。」
眉尻を下げる良。ここでは珍しい眼鏡から考えても、他国の出身なのかもと愉愉は気付いた。
「特にあの家は長く力を持ってて、疎ましく思う人も多い。揚げ足取り祭りになるだろうね。」
「揚げ足取り祭り、その後目障り一家崩落お祝いだ。」
肩を竦める香路島に、新月は淡白に頷いた。
「そうだろうな。だから二人は俺を殺すことにした。」
愉愉の喉が微かに上下した。
「二人は邪物に俺を襲わせた。しかし俺には食べたものの力を取得する力があった。殺して食べて力が増え、二人はより強い邪物を使うが、それを食べれば俺もより強くなった。そうやって生き延びた。」
「…よく、生きてましたね。」
「まあ苦労はあったが。結局、セコか狢に道に迷わされて、一週間ほど歩き回ったら一家全員引っ越ししていて、あの家とはそれっきりだった。その後、色々遭ってここに来たんだ。今更家に行こうなどとは思わないし、長男死亡で妹が継げば良いと思うが、俺の消息を知って不安だから"消しておこう"とでも考えているのだろう。」
「最近になってどっかで新月のことを知ったのか…。」
「今になって襲ってきたということは、そうだろう。」
そこで良がおずおずと、
「えと、でも、華普さんの情報網って結構有名ですよね。あの人なら、いなくなってすぐ消息調べるだろうし、そのときに見つかってないって変じゃありません?」
「それもそうだなあ。うーん、新月がピンピンしてんのは元々知ってて、何か別の要素が最近生まれたってことか…?」
夏牙は首を傾げて考えているが、良は"別の要素"が分かっているらしく、肩を縮めて愉愉をちらりと見た。愉愉はそう言えばそうだった、と手を打つ。
「本当だ。ボクは最近来ましたね。」
「馴染み過ぎテテ忘れてタヨ。」
「なあまあ。」
「でも愉愉が想寧神社にいると、二人は何故知ったんだ?愉愉は買い出しには行っていたが、ここにいるとは誰にも言ってないだろう?」
「…そうですね。」
あまり良い展開では無いな、と愉愉は思った。夏牙も顔を歪める。
「誰かが、情報を流してる…?」
愉愉と夏牙は、内通者について話さずに探すつもりであった。この状況でも何も言わない理由が分からない以上、下手に刺激しない方が得策と考えたのだ。
だが、こうなってはどうしようもない。愉愉はここで、みんなを信じましょう!などと叫ぶタイプでもない。どちらかと言うと、それは夏牙の領分だろう、と愉愉は彼の方を見やる。が、彼はじっと全員を見るばかりで特にフォローする様子は無い。
「誰か裏切ったってことか。いいじゃん、上手く使えばあいつ等引っ張り出す道具に出来そうだ。」
「そうだね。その為にはまず、裏切り者を見つけよっか。」
にっこりと口角だけを上げ、目を爛々と妖しく光らせた、藤香路従兄弟が爆弾発言。不穏な空気に恐怖したのか、食百が慌てる。鵺破ともなももは目を合わせて、何かを相談している風だ。
誰だ、と愉愉は心の中で呟く。
「ご馳走様でした。皿は俺洗う。みんな、気を付けて過ごすようになあ。」
そうして、夕食は終わった。
○
「どうかしましたか。」
皿洗いを手伝いながら、愉愉は尋ねる。夏牙は暫く黙っていたが、二つ皿を洗ってから、
「新月が、…変だった。」
愉愉の手から、たわしが落ちる。夏牙は流しからそれを拾って愉愉に渡す。受け取ろうと左手を出し掛けてから、鍋を持っていることに気づいて、愉愉は右手を出し直した。
鍋に目を落としたまま、愉愉は尋ねる。
「"変"ってなんですか。」
「いつもと違うって言うか、隠してる?様な…。愉愉君に何か伝えてないかと思って…。」
「何も。」
「そうか…。」
鍋を洗う音だけ響く。夏牙も皿を拭くのに集中する。
「"何か"。…。新月さんは、この状況をどう考えてるんでしょうか。」
「多分俺の勘違いだ。うん。別に大丈夫だろ。勘違いだったんだな。」
やや間があってから、愉愉は微笑んだ。
「ですね。勘違い。ボクもそんな気がしてきました。」
「…嘘だなあ。」
ぼそりと呟いた夏牙に、愉愉は片眉を上げて不敵な笑みを返した。
「夏牙さんこそ、さっきの嘘でしょ?夏牙さん語尾に母音付ける癖あるの、気付いてないでしょ。だあ、とか、なあ、とか。」
「語尾?そんなの付けてるかあ?あ、あー…。」
納得して顎に手を当てる夏牙。愉愉は微かに笑い声を投げた。しかしすぐに真顔に戻り、
「嘘つくの下手なのに、見抜くのは上手いですからね、夏牙さん。新月さんに何かあると見て間違い無いでしょう。」
「いやでも…。なんかこう、嘘でなくて、別の違和感って言うか。」
「隠してる?」
「うぅん…。」
「ねぇ、夏牙さん。新月さんは凄く耳がいいですよね。」
「それが…あっ!この会話も聞こえてるのか?」
洗い終えた鍋を置いて、愉愉は居間の方を振り返る。
洞窟、もしくは海溝でも覗き込んだ気にさせる、真っ黒な瞳。完璧な形の弧を描いた唇が、ひとつひとつの音を丁寧に発音する。
「新月さん。聞こえているのなら、来てくれませんか?」
こうして見ると案外この子も警戒心が強くて、そして自分達には心を開いてくれてたのだな、と夏牙は感じた。
「…。」
気付くと新月がいた。彼が突然現れることはよくあることで、そこは別段驚かない。愉愉もここ何日かで学習したらしく、そこに関しては特に反応しない。
いつも通り。
何かよく分からない違和感が新月の顔に張り付いてて、愉愉が何処か鬱屈とした目をしていて、夏牙が立ち尽くしている以外は。
「新月さん。今の、聞いてた?」
愉愉は微笑んでいて、新月は無表情で、二人の感情は読めない。
「聞いていた。」
「何か隠してる?」
新月の目が揺れた。息を吹きかけられた、蝋燭の火みたいに。騒めく紺青に、夏牙の心にもさざ波が立つ。
「新月さん。何か、隠してるんでしょ?」
「…どう、すれば、良いのか分か、らない。」
ぶつぶつ区切れた文字と文字の間から、混乱と恐怖が垣間見える。一度崩壊したせいで止まらなくなり、新月は喘ぐ声で、しかし依然として無表情で続けた。
「華読が華読な、ら。誰かを脅したのは、華読、かも、知れない。」
感情の揺れひとつ無く激動の人生を生き抜いた彼が、そんな声を出すのは初めてで、夏牙は一拍動くのが遅れた。愉愉は状況の理解より先に新月の肩を支える。そして首を傾けて、床に落下した彼の視界に無理矢理侵入した。
「待って。落ち着いて下さい。新月さん。新月さん、ボクの方を見て。ゆっくり。かどく、と言うのは?」
最初は焦点がぶれていた新月の目だったが、徐々に漆黒の瞳に定まり始める。
「華読は、俺の妹。」
「誰かを脅したのはその人かも知れない、というのは、その人が想寧神社関係者に情報を喋らせたという意味ですね。何故そう思うんですか?」
「華読は、強い神降ろしの力を持っている。そして昔、神降ろしの力で記憶の一部を消す方法を見つけた。」
「喋らせて、その記憶だけを消す…。」
愉愉が目を眇める。その姿が余計不安に火をつけたと見え、新月は愉愉の腕を摑んだ。
「妹が、妹が脅したのか?」
「それは分かりません。その方法、他に知る人は?」
「華普が妹に、話すことを止めていたから、いないはずだ。」
「情報が漏れてた可能性もあるし、その華読さん自身も、両親に脅されて行動したのかも知れません。」
「二人が華読を脅すのはあり得ない。二人は妹を何よりも愛している。」
漆黒の瞳が伏せられる。浅く頷き、静かな声色で、
「じゃあ、嘘つかれたのかも。ボク等はまだ何も確信が無い。下手に決めつけて盲信的になるのは危険です。」
「…。分かった。」
こくんと首を縦に動かした新月。夏牙は、彼の瞳の穏やかな光に、安堵する。夏牙と会ったばかりの頃は、彼はこんな目をしなかった。段々と凶暴さが消え、代わりにたまに、今の様な穏やかな光が浮かぶようになった。
愉愉が来てから、その目をする頻度が増えた気がする、と夏牙は思う。
目や髪の色も出身も口調も特技も違う二人は、お互いの目を見て、何を思ったのか夏牙には分からないが、微苦笑した。




