無双がフタリ⑯
<10 邪物、貴族、天使、エトセトラ>
「…"どう"とは、邪物が何故入れたのかというのことだな。」
曙が言った。少し強張ってはいるものの、概ねいつも通りだった。
「そうです。傲慢なつもりはありませんが、ボクの結界はそこそこいい強度のはず。どんなに弱く見積もっても、こんなに大量の邪物が一気に入れる貧弱さではありません。」
「確かにそうだあ。だが、入ってきた。」
夏牙に抱えられたままの食百が、同じく抱えられた頭兜の袖を引いた。頭兜は夏牙側の右手でなく自由に使える左手で彼女の頭を撫でてやる。
と、俄かに新月が呟いた。
「発芽多邪。」
「…!」
息を呑んだ夏牙の横で、愉愉は首をひねる。
「はつがたじゃ?なんです、そのジャガイモ感満載の単語は。」
「ジャガイモ感あるか?」
「肉じゃが的な。」
「ああ、前に作っていたな。美味かった。」
「新月新月、一旦その話やめてくれないか?俺の情緒が追いつかないからさ。」
自覚の無い新月はきょとんとした。項垂れた夏牙に代わって曙が、
「発芽多邪…。確か神降ろしの力を使って邪物の"芽"を発生させる技だな。確かに邪物の"芽"なら結界にも存在出来る。だが、禁じられていたんじゃ無かったかあ?」
「禁じられてはいるが、使ったら死ぬ訳でも無い。」
「あれには大量の神降ろしの力が必要だし、力があっても上手く制御出来なきゃ成功しない。発芽多邪を使える人なんてこの国に数える程度だろ。しかも大体は、好条件での貴族お抱えで不自由無いはず。なんで禁忌を犯してまで、明鳴池なんかに仕掛けるのか…。」
夏牙は唸るが、新月は大して考えた素振りも無く答えた。
「俺だと思う。」
「…、…。」
夏牙はすぐには否定出来なかった。
「いや、だが…。」
夏牙の眉がぐにゃりと歪む。愉愉は、おおよそ冷静に新月へ尋ねた。
「なせですか。」
「危険種、または危険だと政府に判断された個人が、邪物。そして俺は数年前、危険な個人として邪物に登録された。」
愉愉が、フードの下で目を眇めた。
「個人が邪物として登録されるには、平民十人か、貴族一人の請願が必要。俺の場合は、おそらく後者だ。」
「その貴族が今回のを仕掛けたってことですか?」
「十中八九。」
「目星の貴族が、いるんですね。」
新月は淡白な仕草で頷く。
「ああ。俺の、元両親。」
曙は瞠目したが、夏牙は予想済みだったらしく苦々しい表情をしただけだった。愉愉が何か言い掛け、しかし口を閉じ、それからぼそりと言葉を洩らす。
「こりゃあ…、」
新月以外には、続く言葉が聞こえない。
○
「はア?」
それから少しして現れた鵺破ともなももは、息が上がっていて、夏牙から今までのことを聞きながら息を整えた。鵺破は全て聞き終えると、夏牙の想定に反して、その場の全員を睨み付けた。
「何ぼおっト立ってるノ?また襲われるかも知れナイ!!今直ぐ帰るヨ。支度しテ!」
「…確かに、何処に相手がいるか分かりませんね。」
「た、確かに…。…。すまん、取り乱した。」
夏牙は食百を頭兜をきむらに乗せ、荷物を背負った。顔はまだ本調子で無いのがはっきりと分かる程だが、行動はしっかりとしていた。
「また?またくるの?」
食百が夏牙の袖を摑む。彼は、彼女と頭兜の頭を順に撫でた。
「来るかも知れない。いいかあ、頭兜、食百。自分を守るんだよ。」
「夏牙達は?本当に大丈夫なの?」
「へーき。」
そう嘯いてから夏からはきむらに乗る。鵺破はもなももを自身の頭の定位置に戻してから、曙とさとうに乗った。曙も夏牙も片手に薙刀を持ち、鵺破は袖を下げたままだ。戦闘を想定している。
愉愉は新月の前に乗せて貰いながら、
「結界を張ります。移動しながらなので強度は落ちるかも知れませんが。」
「ありがとう。そんなに力使って疲れないか?」
「大丈夫です。」
そう答えた愉愉の、フードで隠した目に鋭利な光が浮かぶが、誰にも見えない。
風で、池の水面はざわめいている。
○
いつもならば歩くのを面倒がって、家の近くに下りるのだが、夏牙は神社の結界に入ることを優先させて、今日は神社の出入り口に下りた。
「お帰りなさい、皆さん。」
すぐに箒を持った女性が近づく。ひとつ結びにした生成色の髪を肩に垂らした、色白の人物。柔らかな白茶の瞳を丸眼鏡が囲っている。
夏牙は食百と頭兜をきむらから下ろしてやりつつ、そちらに声を投げた。
「留守番ありがとう、良。」
「いえいえ。…あの…何かあったんですか?」
「その…ああ。あった。…それで、ここは…危険かも知れない。すぐここを出……いや、もう良の存在を認知されてるか?いっそ一緒にいた方が安全か…?」
良と呼ばれた女性は戸惑った様子で夏牙を窺う。彼は額を手で覆って、そこから動かない。
代わり、と言う訳では無いが、愉愉が良に近寄る。フードを指でちょっと上げて、上目遣いに彼女を観察しながら。
「はじまして、ですよね?ボク、愉愉って言います。どうも。」
「あっ、はじめまして。良と言います。愉愉さんのことは、夏牙さんから聞いてます。」
「ああ、そうでしたか。留守番と言うと、良さんは邪物殺しの方?」
「そうだったらもっとお役に立てるんですが…。神社には邪物以外でも、お祈りやお清めの為にいらしたり、守護身を買われる方がいらっしゃるので、その対応を。」
「守護身?なんです、それ。」
「持つ者を守るんです。」
そう言いながら、良は袂から手のひらくらいの板を出した。鶴の絵が描かれている。
「へえ、綺麗ですね。なるほど、御守りみたいな物ですか。」
「あっ、そっか。愉愉さんは異界のご出身なんでしたね。考え無しの発言でごめんなさい。」
「…ふうん。」
悠然と、天使が翼を上下させる様に、愉愉は唇を緩めた。
「異世界の話、本当だと思うんですね。」
「本当じゃないんですか?」
「本当ですよ。」
良はぱちぱちと瞬きをする。不思議な笑顔を浮かべたままの愉愉。夏牙はそれを見てはっとした。
「愉愉君、良君は昔からここを手伝ってくれてる、信頼出来る人だあ。だから、そんな風に、警戒しなくていいから。」
「"昔から"っていつからですか?」
「えっ?うーん…手伝ってるのはかれこれ十年くらいだなあ。その前から出入りはしてる。」
「ふうん…。ごめんなさい、さっき色々あったから。」
にっこりと愉愉は微笑む。フードからは手が離れた。良はまだ戸惑いを見せながらも、愉愉の言葉に頷いた。
「あっ、あぁのっ、本当に、何があったんですか?」
「話は家でネ。鵺破は境内見回って来ル。新月、一緒ニ来てくレル?」
「分かった。」
「…気を付けてなあ。曙は四人と先に家に行ってくれ。きむらさん達連れてったら俺も戻る。」
そこで愉愉は手を挙げた。
「ボクも夏牙さんと一緒に行きます。」
「え?どうしてだあ?」
きょとんとした夏牙に、愉愉は、境内の奥の方にある御神木を指差した。
「結界の確認に行きます。相手は人間でしょう?こっそり神社に入って紋を破壊することも出来ます。」
「…確かに。そうだな、破壊されてたら俺じゃあ直せないし。よし行こう。曙、そっちは頼んだ。」
「了解した。」
愉愉と夏牙は龍小屋にきむら達を入れ、それから御神木を見に行った。御神木に巻いた縄に付けた紋の紙を見ながら、愉愉は唸った。
「…大丈夫そうですね…。となると明鳴池で仕留められると思ってたのかな…。そうなると、仕留め損なったと知ったらここに来るかもな。夏牙さん、人間用の結界も張りますか?」
「そうだな…いや、でも…。……一応張った方いいかあ。…、お願い出来るか?」
「はい。ただ純粋な参詣客まで入れないのは困りますからね、彼等だけが入れない様に…。これで良しと。」
くるりと愉愉は彼を振り返る。フードが風になびいて一瞬目が見えた。
「本題に移りましょう。」
「"本題"?」
「そうです。分かってるんでしょう?新月さんが元両親の話を持ち出したとき、あなたは動揺していた。なぜです?」
「それは…っ…。」
鬱陶しがる様に愉愉はフードを履いだ。僅かに力の名残りが宿る純黒。夏牙はそれが現れる前から、彼には珍しく、目を逸らしていた。
愉愉は無表情に言った。
「内通者がいる。」
「えっ?」
「えっ?」
目を丸くした夏牙を見て、目を丸くする愉愉。二人は暫し見つめ合った後、結論を出した。
「…なんか、違うこと考えてたみたいですね。」
「そうだなあ。…だが、"内通者"ってどういう意味だ?俺が、みんなを裏切ったって言いたいのかあ?」
暗い瞳でからりと笑う夏牙。愉愉は苦笑した。この人の中には、周りの誰かが裏切った、と言う考えは端から存在しないのだ、と。
何食ったらこんな綺麗な三十八歳が出来上がるのか、と愉愉は思った。
「あなたとは言ってませんよ。」
「はあ?…。それって!!」
「聞いて下さい。」
真っ直ぐに見詰めると、夏牙は不満げに顎を引いたものの黙った。
「何故、ボク等は明鳴池で襲撃されたんでしょう?」
「そりゃ、神社には結界があるし、仕事で新月が出かけるときは戦闘準備が出来てる相手に突っ込む訳で、勝ち目は薄いからだろ。」
「結界はボクが来てから張られました。」
「…そうだった。なら最近襲撃を決めたか、家には戦える人ばっかだから警戒したんだろ。」
「…なるほど。家の人を警戒した可能性もあるのか。まあ、ボクが言いたいのはそうではなく、何故ボク等が今年明鳴池に行くと分かったのか、です。」
夏牙はちょこんと首を傾げた。
「想寧神社は色んな人に恨まれてるんでしょう?なのに、今年明鳴池に行くんだよ〜なんて言いふらさないでしょう?去年行った場所が分かれば予想がつくかもだけど、去年の場所だって知る人は少ないですよね。今年は更に、近くで邪物の大量発生があり、余計明鳴池に行くかは不確定でした。」
愉愉は結論を述べた。
「誰かが情報を漏らさなければ、こんなこと起こり得ないんですよ。」
「…だが…。」
「別に"内通者"と言いましたが、分かりやすさを重視しただけで、裏切り者という意味はありません。要するに、自白剤みたいなので本人が望まないにも関わらず情報を言ったのでは、という可能性も含みます。」
夏牙の眉間の皺が若干緩む。愉愉は片目を眇めて、
「それでも、この状況で誰も何も言わないのだから、例えば変な人に会ったとか、その後の記憶が無いとか、そういったことを誰も何も言わないということは、脅されている可能性もある。このことを言ったら殺す、とかね。その場合、ここで追求しないのは、その人にとっても最悪の事態を招きかねませんよ。」
夏牙の眉間の皺がまた深まる。彼はそのまま暫く考えていたが、やがて浅く頷いた。
「で、結局、新月さんが彼等の話を持ち出したとき夏牙さんが異様に反応したのは何故だったんです?」
夏牙は、忘れてくれなかったか、と言う様に苦笑し、首を振った。それは特に否定の意味は無く、ただ余計な考えを振り払う為のものだった。
「うん…みんなに、話せるだけ話す。」
本当に、どうしたらこんなに綺麗に生きられるのか、愉愉は不思議でならない。羨ましくてならない。




