無双がフタリ⑫
<8 天使は元気>
「愉愉、今日のお昼ご飯何?」
「炒飯ですよ。」
「ゆゆゆゆゆー!」
「待って下さい、待って下さい。今炒めてるので危ないですから。」
足に突進しようとした食百を止めつつ、愉愉はフライパンを振った。多分、ここではフライパンとは言わないのだろうが、雑な異世界パワー翻訳では、フライパンとなっていることを、愉愉はやや呆れていた。
「うわ!何やってんだよ!米炒めるなって!」
「はい頭兜さん先入かーん。文句は食べてからですよ。このフライパン、どう見ても中華鍋でしょ?あ中華鍋って分かりませんか。夏牙さんからこれ見せてもらって、炒飯作ろうって思いまして。」
「たーはんって、ゆゆの国のご飯?」
「炒飯です、食百さん。日本ではなく中国の料理ですね。」
ふんふん、と楽しそうに食百は頷く。
「前から思ってるんだけどさあ、愉愉って何処の人?」
「最初言った通り異世界ですよ。」
やれやれ、と言いたげに肩を竦める頭兜。愉愉はそれに怒ること無く、むしろ愉快げであった。食百がカルタをしたがったので二人は台所から去る。新月は台所の隅で桃を噛りながら、二人の後ろ姿を見送った。それから愉愉の方に目を戻す。愉愉はひょいとフライパンを振る。ぱらぱらと舞った米は、意思を持っている様にフライパンへ帰る。
「見事だな。」
「ありがとうございます。…と言うか、食事前にそんな食べていいんですか?それ、八個目ですけど。」
「全く平気だ。」
この三日で、新月の胃袋の巨大さは理解していたので、愉愉はそれ以上何も言わなかった。彼が朝に大量の米と肉と野菜を食べたのを知っていても。
「へふ!へふ!」
「え、なんですか?」
「へふって名前の虫がいる。食百、羽を摘むんだ。」
「なんだ、名前呼ばれたかと思いましたよ。」
新月の胃袋以外にも、愉愉が直近の三日で知ったことは幾つかあった。頭兜と食百が仲の良い兄妹の様だということ。料理は夏牙と曙の担当で、頭兜もよく手伝うこと。藤ノ舞成と香路島はほぼ毎日来ていること。新月の髪は意図的に無造作ヘアにしているのでは無く、彼の不器用さが為せる技だということ。
昨日の朝、洗面所の鏡の前で一生懸命結ぼうとする彼の姿を、愉愉は見たのであった。何だあれ可愛い、と思い回れ右した。きっと本人はポニーテールを目指しているのであり、そこそこ器用な愉愉は結んであげるのが人情だろう、とは思ったが、そうはしなかった。あの髪型は保護対象だ、と愉愉は主張する。
ちなみにこっそり愉愉が聞いたところ、夏牙達も新月の髪型については知っていた。夏牙は昔結んであげようとして拒絶され、傷心から手出し出来ず、彼を慕う曙はこの野郎…!くらいに思っている。藤ノ舞成と香路島はお互いの髪を結び合っているそうで、二人で完結している。鵺破は…え、必要かナ?という顔だった。
そんな愉愉の回想を露程も知らぬ新月は、桃を飲み込む。
「愉愉は、慣れるのが早い。」
新月は、半信半疑という顔ながらしっかり信用し始めている香路島と、彼の信用の促進力となっている完全信頼の藤ノ舞成を思い出していた。食百と頭兜も胃袋を奪われ、その上、彼等の遊び相手としても活躍中。誰が相手でも警戒心が砂一粒の夏牙は、愉愉を元々の住人と同じだけ愛情深く接していた。お陰で曙もすっかり信用している。食事の用意と子供の遊び相手、神社の防御、邪物殺しで破れた服の繕いに買い出しと、あれこれ気安く手伝う愉愉に、随分助けられていることも関係しているだろう。夏牙か曙から教わった風世飲帝国の料理を作ったと思えば、愉愉の世界の料理を作って皆を驚かせる。そして毎度皆は美味しいがる。器用だ、と新月は感じる。
「唯一の自慢ですね、適応力は。」
「他にも沢山あるだろう。絵も料理も歌も上手い。」
「料理と歌も?あはは。」
炒飯を皿に移し、愉愉は新月を振り返った。朗らかに破顔した愉愉。
「やっぱり、新月さんは面白い。」
「そうか?」
にこっと新月に笑い掛けてから、愉愉は居間を見やる。
「ご飯出来ましたよー。」
食百がカルタを投げる。
「ちゃーはん!」
「スプーンって何処でしたっけ?え?ああ、えー、匙!匙ですよ匙!」
"すぷーん"とは何だろう、と思いつつ新月は食卓についた。仕事で汚れたため風呂に入った鵺破ともなももも湯気を立てて来る。食百と頭兜はバタバタとカルタを片付けていた。
「はい、じゃーん!後、台所にスープが…。あ、夏牙さん、ありがとうございます。」
「美味そお。」
夏牙が"スープ"を持って来ながら破顔する。愉愉が来てから食卓に乗るようになった一品だ。
新月は耐えきれず、皆より先に手を合わせ、目を閉じる。
「頂きます。」
「ありがとうなあ、朝も昼も作ってくれて。」
「居候ですし。それに、食百さんと頭兜さんが可愛いのでやめられませんねー。」
「分かるわあ。」
「はあ!?食百はいいけど、やあが可愛いっておかしーだろ!!」
すっ、と真顔で愉愉は頭兜の目を見る。
「頭兜さん、可愛いには種類があるんですよ。食百さんは純可愛、頭兜さんは表裏可愛。」
「な、何それ…?」
「あーはいはい、伝わりませんよねー。あの世界じゃこうやって生きなきゃ、やってらんないんですよ。あーあーあー、頂きます。」
「本当に愉愉、どんなとこにいた訳え?」
「ここの前は日本国ですよ。娯楽の地、日本。漫画にアニメ、猫カフェにコスプレ、アイドル、ゲーム、エトセトラ。あの国の人はどんだけ疲れてるのかと呆れましたよ。」
「…何言っテるノ?」
「色々あるのだな。ちゃーはんが美味い。」
「良かったです。焦げてません?」
「ああ。」
「なぜ新月満月ハすらすら会話出来るノ…。」
一心にもぐもぐしている新月に、鵺破は恐怖の眼差しを向ける。夏牙は苦笑してから、重要なことを思い出して手を打った。
「そうだ!そろそろ今年も清めの式をやろうと思う。そこで愉愉君、君幾つなんだあ?…と、冷めちまうな。食べながらにしよう。」
夏牙は丁寧に手を合わせ目を閉じる。
「頂きます。」
鵺破達も同じ様に挨拶を行い、匙を取る。愉愉はそれを眺めつつ、一人呟いた。
「…一日目の昼食から感じてたけど、夏牙さんの教育の賜物かね。」
「何が?」
「いーえ。それで?ボクの年がなんですか?」
「ああそうそう。清めの式をやるから。きちんと聞いていなかっただろお。幾つなんだ?」
愉愉は天井を睨み付け、暫く固まっていたが
「一番上の桁が一だと思います。」
「いや、一番上の桁が一じゃなかったら驚くわ。知りたいのは十の位じゃなくて一の位だよ。」
「一の位ですか。うーん…五、だったかな…。」
「その年で物忘れするなあ…。十五なら愉愉君も清めの式要るな。」
「滝修行ですか?嫌ですよ。」
「未成年に滝修行させるかって。周りに染まりやすい子供の魂を清め、健康を神々にお願いする儀式だ。」
聞いたことの無い儀式だった。この様子だと"神社"と言うのも雑翻訳によるものかも知れない、と愉愉は思った。
「ごうの実をとってね、半分はささげて、半分はわたしたちが食べられるの。」
「ごうの実?なんです、それ。」
「甘酸っぱい実だよ。パン包みの中身にしよう。やあ、作れるよ。」
「へえ。作るときボクにも教えて下さい。」
「もちろん!」
元気良く頷く頭兜。その横の新月が炒飯を飲み込み、
「今年は明鳴池に行くのだろう?」
「毎年違うことろに行くんですか?」
「十箇所くらいの池や湖を順番に回ってるんだ。夏の慰安旅行の意味もあるしな。今年は確かに明鳴池だ。でもなあ、近くで邪物が大量発生してるしなあ。」
「明鳴原だネ。雑魚が大量、報酬は百二十貝塊ダよ。まあまあじゃン!」
これも三日で愉愉が学んだことだが、各神社には縄張りがあり、その中で邪物殺しを行う。しかし、神社の者だけでは処理し切れない大規模な邪物発生の場合は、報酬を出して外部の者に頼む。他の神社の者とか、個人経営の邪物殺しとか。
そのため、金欠の想寧神社では、縄張り内は絶対自分達で処理するし、他の神社が処理出来る者を募ろうものなら報酬を掻っ攫う。
とは言え、報酬有りの邪物殺しは、その地域の神社が無理だと見なした案件のため、普段より危険である。それで、新月達が心配な夏牙は気が進まないのであった。
「ちょっと待てえ。まさか仕事する気か?」
「俺達はもう儀式が要らない。三人が儀式している間に一稼ぎしよう。なあ鵺破。」
「そうダヨ!ネー、もなもも。」
「まいいなあね!」
「夏牙さん、ボクの知ってる慰安旅行の意味とここでの慰安旅行の意味って違うんですか?」
「多分違わない!な、ほら、折角の休みなんだから休もうぜ、みんなで。なあ?」
新月はもう決まったと言わんばかりにスープを味わう。鵺破が代わりに答えた。
「仕事終わったラ休むヨ。曙は夏牙っちの方にいなきゃでしょ?新月、藤香路呼ぶ?」
「足りると思う。だが、そうだな…一応呼ぶか?」
「今日来たら、二人に聞いてみヨっカ。」
「駄目だあ駄目。この日くらい休みなさい!」
「がく
「ああ!もう分かった!頼んだぞ!怪我に気を付けて!!やばそうだったら俺も援護するから呼べ!」
新月と鵺破ともなももは、満足そうに頷く。きょとんとした顔で食百が夏牙を見た。
「きゅうに夏牙、どうしたの?あぶなくないの?」
「平気だよ食百。三人はやあ達より強いから。な?」
「そうダよ!夏牙もそれを思い出したノサ。」
あー、分かった、と愉愉は一人で頷く。新月が言いかけた"がく"とは、学費のことだろう。つまり、食百と頭兜の学費がもうすぐ支払いだが金はあるのか?という意味だ。多分、無いのだろう。確かに食百と頭兜の手前、君達の学費がさ…などとは言えなかろう、と愉愉は思う。特に夏牙は。どうも、頭兜は分かっているらしいが。
「うん、逆可愛。」
「…?」
頭兜の表情は無視して、愉愉は新月達を見る。
「御札か何か描きますか?」
神降ろしの力のある者が描いた御札には、防御や火炎、放水などの効果を込められる。戦いには頼れる手段の一つであった。
「え?愉愉君、御札なんていつ知ったんだ?」
ヤベ、と愉愉は目を逸らすが、もう遅い。夏牙はぐいっと愉愉に近づいた。
「いつ、どこで、誰から、聞いたあ?あのな、下手な相手に神降ろしの力あるって話したら、拉致られるかもなんだぞ?愉愉君みたいに強い力があるなら尚更!」
「それについては大丈夫です。犯罪の都、東京で鍛えられた危機察知能力によって平気そうな相手に絞って聞いたので。」
「…え?」
「ジャパニーズジョークです。」
愉愉は買い出しの際、余裕があるときに神降ろしの力について聞き込みをしていたのである。想寧神社が金欠で、自分の持つ神降ろしの力がそれなりに希少なものだと知ったときから、愉愉の頭の中では計画が進んでいた。
その名も、この力を売ってみよう計画だ。無論、愉愉も力まるごとあげる気は無い。紙に紋を描くだけで結界などの力を使えるのだから、その紙を売れば良い。聞き込みによれば、神降ろしの力が強い人は貴族の中でもお偉いさんがほとんど抱え込んでおり、貴族でない人には御札など届かない。大体の人はそれでも支障がないが、神社や個人経営の邪物殺しは困る。
つまり、そこに愉愉が売ればそれなりの儲けが期待できる。…まあ、神社は贔屓の貴族から買っているので、そちら以上だと思わせるポイントが必要だな、というのが目下の愉愉の論題であった。
「兎に角!気を付けろ。上級貴族なら拉致って一生閉じ込めて、神降ろしの力を出す為だけに生かす、なんてことざらにやるぞ。」
「はーい、気を付けます。」
「貴族は、…。貴族とは、関わるな。」
新月がぼそりとそう言った。愉愉は少し驚いて隣を見る。静まり返った碧い瞳。一欠片の表情も無い顔。
「ご馳走様でした。」
きちんと手を合わせて新月は目を瞑った。
○
鵺破が邪物に盛大に服の袖を破られたらしく、愉愉は昼食後、皿洗いと交換で繕うことにした。袖から腕を出して戦ってるから確かに破られやすそう、と愉愉は考えつつ縁側で作業を始めると夏牙が隣に腰を下ろした。
「…新月はあ…貴族にな、いい思い出が無くてな。あれでも君のことを心配して言ってたからそこのところ、分かって欲しい。」
「分かりますよ、ボクだって。」
軽く肩を竦める。夏牙はほっとしたのか微笑んだ。
「なら良かった。ははっ。いや、新月は無愛想だから勘違いされやすくてな。分かってくれてるなら、嬉しいよ。」
「嬉しんですか。」
「嬉しいよお。」
「ふうん…。」
ちらりと隣を見てみる。形としては鋭いのだが、何故か柔らかい雰囲気の目。澄んだ女郎花色のせいか、と愉愉は予想する。
「ありがとう。君が来てくれて、本当に良かった。」
「…こちらこそ、どーも。」
愉愉がそう返すと、夏牙は年に似合わず子供っぽい笑みを満面に浮かべた。
「じゃあ、俺買い出し行くから。愉愉君、何か欲しいもんあるか?」
「あ、米無くなりそうでした。」
「分かった、買って来る。ありがとう。」
わしゃりと愉愉の頭を撫でてから、夏牙は財布の中身を確認する。
「なんか小銭増えた気ぃする。曙入れた?」
「知らないが?」
「そうかあ?まあ、いいか。」
夏牙は食百と頭兜をめちゃくちゃ撫で回し、曙に留守番を頼んだ。
「いってきまあす。」
「夏牙あ、きをつけてねえ。いってらっしゃーい。」
「米と卵よろしくー。いってらっしゃい。」
食百と頭兜の声が聞こえたのか、もなももと鵺破と新月も現れて玄関の夏牙へ声を掛けた。
「ここふぁさ!」
「いってラっシャい!あ、新月が桃食べ尽くしたからよろしくー。」
「いってらっしゃい。桃は一個残した。」
曙は少し微笑んでいた。
「いってらっしゃい、気を付けて。」
愉愉は縁側に座ったまま、頭だけ振り返って言った。
「…いってらっしゃい。」
○
「鵺破のかあ?」
夏牙が買い出しに行ってすぐ、愉愉の元に来たのは曙だった。
「そうです。」
間があってから、曙は愉愉の隣に腰を下ろした。さっき夏牙が座ったところ。
手際良く動く手元では無く、黒い目を、曙は見詰める。彼女は前置きしてから何か話すのが苦手だったので、本題を口にした。
「拾ってもらったようなものなのに、夏牙のこと嫌いなのか?」
「へ?」
素っ頓狂な返事と共に、きょとんとした顔を上げる愉愉。最初は戸惑いと驚きだけだったその顔に、やがて理解が浮かぶ。
「ああ、さっきそんなに変な顔してました?」
「…変な顔では無いが。いつもよりは不機嫌そうだった。」
「不機嫌では無いんですけど。いや、まあ…すいません。夏牙さんには感謝してますし、あの変人っぷりは好きですよ。」
「不機嫌では無いのなら、なんだったのだ?」
「ん……ちょーっと思い出して。それだけですよ。」
何か隠されている気がしたが、曙は深掘りしないことにする。夏牙のことを良く思っているのは確からしい、下手な追求は悪い結果に繋がる、という考えからだった。
そんな判断を知ってか知らずか、愉愉は悪戯小僧の目で曙を見上げる。
「にしても、随分夏牙さんを慕ってるんですね。いや、見る目あると思いますよ?でも他の皆さんは曙さん程はっきり慕ってないから。」
曙は柔らかに微笑んだ。
「恩人なんだ。とても、感謝している。」
「ここにいる奴みんなそうだろ。」
食百と一緒に愉愉の方へ来た頭兜が、そう言った。
「やあも、夏牙がいなかったたら、とっくの昔に死んでるし。」




