無双がフタリ⑩
<7 天使の本当、朔の本当>
「あーあー、降っちゃいましたね。」
「この様子だとすぐ止むだろう。家は夏牙達が話し合っている最中だから、ここで待つ方良いと思うが。」
「そうですね。」
龍小屋は愉愉の予想以上にしっかりした作りだった。屋根も壁も床もあって、高床で、鼠返しが付いている。要するに、住んでいる龍達と雨宿りする愉愉達にとって良い場所であった。
小窓から大降りの雨を眺めながら、愉愉は口火を切った。
「そう言えば、ああいうとき、ボクのこと気にしないで下さい。」
「"ああいうとき"、とは?」
新月は愉愉の後頭部に向かって声を投げる。
「ボクが怪我するかも?ってときです。」
「それでは危険だ。」
「大丈夫です。」
「俺こそ大丈夫だ。俺は死なない。」
くるりと愉愉が振り返った。鋭い双眸。大量の小さい太陽が愉愉の瞳の中で廻っている。
「吸血鬼の力で怪我が治っても致命傷受ければ治すより先に死にます。」
「死なない。俺は昔、不死身の邪物の腕を食べた。だから、致命傷を受けても仮死状態になり少しすると完全に元通りになる。」
愉愉はぽかんと口を開け、やがて裏返った声を漏らした。
「…へ…?」
「逢飢と言う名の邪物だ。幾つかの古い書に書かれていた。一体しかいないため情報は少ないが、不死身であることは確かだ。確認されたのが、約千年前と六十一年前と五十年前だから。普通なら死ぬ場合でも仮死状態になり、少しすれば完全回復する。そう言った性質を持つ。」
「いや、でも、新月さんがその力を本当に手に入れてるかは分かりません。」
忙しなく頭を振る愉愉とは対称に、新月は、呑気と言える程淡々としていた。
「手に入れた。逢飢の腕を食べた直後、頭を銃弾で撃ち抜かれたが、この通り生きている。」
愉愉は足元に目を落とす。焦げ茶の木目。
「一体だけいる、邪物。不死身?」
愉愉は髪を掻き上げる。色白の手から、真っ黒な髪が零れる。
「え?いや、どーでもいいですけど、なんで、一体だって分かるんです?」
「俺の、食べたものの力を得られる力は、食べたものの希少性によって左右される。珍しい種は一体食べただけで食べた相手に近い力を得、沢山いる種は一体では食べた相手より大幅に力が劣る。逢飢は腕のみ、つまり、一体のみしか食べていないが、相手とほぼ同等の力を得た。相手との差は大体分かるものなのだ。だから、逢飢は一体しか存在しない。」
「…じゃあ、その邪物の居場所分かるんですか?」
「いや、力を得た瞬間に差が分かるだけだ。だから、食べた種が今はもう死んでいる可能性もあるが、不死身の逢飢に限って、それは無いだろう。」
「…へえ。」
愉愉はまた、小窓の方に顔を向けた。
「そっか。」
「どうかしたのか?」
ゆっくり新月へ体を向け直し、彼の紺青の目を真正面から捉える。
「…不死身だとしても、ご自身を大切にして下さいね。」
新月は少しの間無表情だったが、ようやく感情が追いついたのか、極僅かに、小さな微笑を浮かべた。
「分かった。ありがとう、愉愉。改善する。」
「ぜひ、そうして下さい。…もう、目の前で死なれるのは嫌ですから。」
新月は無表情に戻っていた。
「誰か目の前で死んだのか?」
「昔。…友達で。」
「そうなのか。それは…悲痛だっただろう。」
「悲痛。まあ、確かにそうですかね。でも、あいつの自業自得ですし。頭は切れる癖に、馬鹿って言うか、限度知らずって言うか…。」
愉愉の脳にそのときのことが蘇る。喋らなくなった相手に、愉愉がまず吐いた言葉は罵倒だった。"嘘つき。不死身だから死なないんだって言ったのに。"そう言う自分の声。
「だから、新月さんは、ご自分を大切にして下さいね?」
新月は表情を変えずに、ただ、頷いた。
それを見、何を思ったのか愉愉はこう言う。
「耳、貸して下さい。」
新月は、まともに結んでいないせいで耳を隠している髪を、耳に掛ける。小柄な愉愉は少し背伸びし、夏牙以上に長身の新月は少しかかんだ。
愉愉は戸を見て、誰もいないのを確認する。
そして
「 」
「え。」
新月が目を丸くする。愉愉は破顔した。
「と、言うことですので。あ、雨止みましたね。行きましょうか?」
「あ、ああ…。愉愉、だが本当なのか?」
「そうですよ。新月さんだから言ったんです。他の人に言っちゃ、駄目ですよ。」
口の前に人差し指を立て、続ける。
「聞いた人は、アレ、強力になるので。」
「良く分からないが、言わない。」
「そうして下さい。…新月さんはあいつみたいな無謀なこと、しないで下さいね。」
輝く笑顔で愉愉は言った。
「あなたは本物の不死身だと信じてます。」
○
「お帰り。ごめんな、雨なのに龍小屋行かせちまって。」
「途中から降って来ましたから。」
愉愉達を迎えに行こうと、夏牙が小屋の手前まで来ていた。愉愉は、被り直したフードの下から相手の顔を確かめる。さっぱりした表情。愉愉は新月の言葉を思い出す。"あの男は、頭が可笑しいからな。"本当にそうらしい、と愉愉は苦笑した。
「あのー、家入っていいんですか?」
夏牙はちょっと目を逸らし、しかしすぐに愉愉と向き合った。どうやら、香路島達が愉愉を拒否しているのでは、と自分が暗に聞いたのを分かったらしい、と愉愉は考えた。
「ああ。君がここでいいなら俺達は歓迎する。確かに心配はあった。信頼し切れずすまない。それに礼を言うのを忘れていたなあ。」
「なんのです?」
きょとんと首を傾げた愉愉に、夏牙は手の平を見せてから頭を下げる風世飲帝国における最敬礼をした。愉愉が、それが何か分かっていなくても。
「遅くなったが、俺の大切な子達を助けてくれて、ありがとう。心から感謝している。」
愉愉は戸惑って彼のつむじを眺めていたが、やがて、堪え切れなくなって笑った。
「新月さんの言う通り、あなたは可笑しい。」
「そりゃひどいなあ。」
夏牙は、眉尻を垂らして苦笑する。
あはは、と愉愉の笑い声が空に響いた。雨が綺麗さっぱり掃除した、絵になる空。
新月の瞳に宿る晴れやかな光に、夏牙は微笑んだ。




