信じていた愛に裏切られて疲れた英雄は悪女に絆される。
イレーネ・フィルブルク公爵令嬢は、自分の生まれの高貴さにも容姿に自信があった。
銀の髪にエメラルド色の瞳、歳は17歳。
勿論、名門フィルブルク公爵家の令嬢。婚約の申し込みは引く手あまたであったが、イレーネはどうしても結婚したい相手がいた。
マリ王国の英雄、ルディウス・ガード将軍である。
マリ王国は隣国トリス帝国との長い戦をしていた。
国境の前線で戦っていたガード将軍は何度も敵軍と戦い、戦果を挙げて来た。
だが、敵軍も強く戦は一進一退を極めていた。
そんな多忙な彼であったが、国王陛下への報告の為、王都へ訪れる際に、彼は王宮の夜会に出席する事があった。
黒髪碧眼で美男の英雄である彼に憧れる令嬢は多い。
彼は人気が高くて、イレーネはダンスを踊って貰った事がない。
そもそも、18歳をすぎないと、両親と共に夜会を社会勉強をしに出席する事は許されてはいるが、男性とダンスを踊る事はこの王国では許可されていなかった。
いつも遠目でガード将軍を見つめていたイレーネ。
彼はダンスも上手で、背が高くとても美しかった。
とある夜会で金髪のとても美人な女性と踊っていた。
学園の一つ上の先輩である。アーリア・エルデルク公爵令嬢だ。
あまりにもお似合いの二人に、イレーネは嫉妬の炎を燃やした。
わたくしが18歳だったら、ガード将軍と踊って貰うのに。
その時のイレーネはまだ17歳だったのだ。
悔しい悔しい悔しい…
調べでは彼は以前からアーリア・エルデルク公爵令嬢に想いを寄せていたようなのだ。この日の夜会をきっかけに二人は文通する仲になった。
その報告を受けて、イライラするイレーネ。
フィルブルク公爵家は実はマリ王国の王家の影を統括する家である。
諜報活動は得意なのだ。
兄が今、王家の影の実権を握っており、イレーネもその仕事を17歳ながら手伝っていた。
だから、王家の影を動かす事が出来たのである。
何とかして、ガード将軍を手に入れる方法はないのか?
あの邪魔なアーリアを排除する方法は無いのか。
王家の影を使い、情報を集めまくった。
そして…王家に秘宝がある事を突き止めたのだ。
悪魔の玉、そして金の玉。
悪意を持って悪魔の玉を使えば、相手を破滅に追いやる事が出来る悪魔の玉。
愛を持って金の玉を使えば、相手に幸福を与える金の玉。
丁度いい…
アーリアには双子の妹、カレンシアがいる。
そもそも、アーリアはこのマリ王国の王太子ミルドの婚約者だった。
それをカレンシアが身体を使って奪い盗った。
この妹は姉を憎んでいる。
この姉妹の仲の悪い事は有名だ。
だったら…
そっと囁いてやろう。彼女の手に悪魔の玉が手に入るように協力してやろう。
「カレンシア様。よろしくて。」
王立学園の廊下でカレンシアに声をかける。
「貴方はどなただったかしら。」
「わたくしはフィルブルク公爵家の娘、イレーネ・フィルブルクと申します。王家の秘宝の話に興味はありませんか?」
「何故?わたくしにそのような話を?」
「悪魔の玉を使えば、貴方が憎く思う相手を破滅に陥れる事が出来ますわ。」
「その話、詳しく聞かせて貰えないかしら。」
アーリアと瓜二つのカレンシア。
金の髪の美しい令嬢は、アーリアと区別をするために、髪型を変えていた。
アーリアが学園では後ろ一つに縛っているのに対して、カレンシアは両サイドで金の髪を縛っている。すぐに区別がついた。
中庭のベンチに座り、声を潜めてカレンシアが聞いてくる。
「お姉様を破滅に陥れるのってどういう事かしら。」
「貴方がアーリアを憎んでいる事は解っております。ですから…悪魔の玉を貴方の手に渡るように致しますわ。」
「確か、フィルブルク公爵家は王家の影の統括者ですわね。でも、そんな事をしたら…」
声を潜めて、
「悪魔の玉を実際に王家が使う事はありませんわ。そんな秘宝は他の物とすり替えておけばよいのです。これは大罪。でも、それによって邪魔なアーリアを破滅に追い込む事が出来るのならよいのでは?」
そう…思いを寄せるガード将軍が手に入るのなら、わたくしはどんな手を使っても構わないわ。
カレンシアは頷いて。
「見返りは?わたくしはどんなお礼を貴方にすればよいのかしら。」
「未来の王妃様。末永く、我がフィルブルク公爵家をお使い下さい。特に王妃様には便宜を図りますわ。」
「貴方のやっている事は王家への裏切りよ。貴方の本心を教えて頂戴。」
話しても良いのだろうか?
「わたくしは、ガード将軍が欲しいのです。」
「ああ。姉が熱を上げて文通をしているというあのガードね。」
「だから、アーリアが邪魔なのですわ。」
カレンシアはにこやかに微笑んで、
「利害は一致したわね。解ったわ。わたくしに悪魔の玉を。姉を破滅に陥れて見せる。」
「了解致しました。カレンシア様。」
わたくしは必ず、ガード将軍を手に入れて見せる。
イレーネは内心、ニンマリと笑った。
しばらくして、アーリアが行方不明になった。
王家の影に調べに調べさせたら、どうもカレンシアが悪魔の玉を使ったせいで、アーリアは敵国トリス帝国のグリフィス皇帝陛下の元へ飛ばされて、彼と共にいるとの事。
敵国にいるのだ。
もう、戻って来られないだろう。
これでガード将軍は自分の物になる。
しかし、彼は隣国との国境で戦っているのだ。
どうやって彼と接触をしようか…
王家の影から報告があった。
「なんですって?彼が金の玉を国王陛下に頼んで、借りたがっているって?」
「はい。ガード将軍は今朝、王都へ戻って参りました。国王陛下に謁見して、頼んでいます。アーリア様を助けたい。だから、金の玉を貸して欲しいと。」
金の玉は愛の玉である。
たまらなくイラついた。
彼の心はアーリアにある。アーリアを助け出したい…アーリアの傍にいたい…
わたくしだって貴方の傍にいたいのよ。ガード将軍。
わたくだって貴方の事、憧れているの。
でも、貴方はわたくしの事を認識すらして下さらない。
「ガード将軍に会います。手紙を渡して頂戴。」
影に頼んで、ガード将軍に手紙を届けて貰った。
彼は馬を飛ばして、すぐに屋敷へやって来た。
彼を客間に通す。
近くで見る彼はとても美しくて、イレーネはうっとりと彼を見つめた。
客間の対面のソファに腰かけてガード将軍は慌てたように聞いて来た。
「金の玉を手に入れる事が出来ると聞いた。君は?」
「わたくしは王家の影を統括するフィルブルク公爵家のイレーネ・フィルブルクと申します。統括しているのは兄ですけれども、わたくしも動かす権限は持っていますわ。」
「アーリア・エルデルク公爵令嬢がトリス帝国の皇帝の元に捕まっている。助けたい。だから、金の玉を使いたい。だが、国王陛下は首を縦に振らないのだ。どうか…金の玉を手に入れて貰えないだろうか?」
「王家への反逆になりますわ。」
「私が何も気が付かないとでも?」
「さぁ、何の事でしょう。」
「何故、アーリアはいきなり、帝国のグリフィス皇帝の元へ?それもいきなり…悪魔の玉が使われたのではないのか?」
「知りませんわ。」
「君が…」
「金の玉を手に入れる見返りが欲しいですわ。」
「見返りとは…」
「貴方の心。わたくしと結婚して下さいませ。」
「我が心はアーリアにある。」
「それでも、わたくしと結婚して下さいませ。このまま、アーリアが敵国で苦しんでいるのを見ていられる程、貴方は愚かではないでしょう?」
「心が無い結婚程、辛い物はないだろう?君はそのような物を望むのか?」
永遠にガード将軍の心が手に入らないまま、結婚をする。
確かに、それはとても辛くて苦しいだろう。
でも…傍にいたい…彼の傍に。
彼が欲しい。どうしても欲しい。
「わたくしは貴方が欲しいのです。」
「君と結婚しても、夫婦生活もない。君を愛する事も出来ない。私は自分に嘘はつけない。それでも、アーリアは助けたいんだ。」
ああ…なんて真っすぐな方…
そんな貴方だから、わたくしは余計、好きになってしまったわ。
「解りました。金の玉は手に入れて貴方様に渡しましょう。」
「いいのか?」
「貴方様の真っすぐな想いに打たれました。交換条件なしに、叶えましょう。」
彼はアーリアを助けて、彼女と結婚してしまうかもしれない。
あまりにも辛くて悲しい。
それでも、交換条件なしに、金の玉を渡す事にした。
真っすぐな彼の思いを叶える為に。
王家を裏切る真似を再び犯してしまった。
何の為にカレンシアを焚きつけたのだろう。
彼の真っすぐな思いに絆されてしまったのだ。
金の玉を手に入れて、ガード将軍に渡してしまった。
結果、どうなったかというと、アーリアは帝国のグリフィス皇帝に惚れたらしく、戻って来なかった。
なんて酷い女なのかしら。ガード将軍の想いを蹴って、敵国の皇帝と結婚するだなんて。
心の底からそう思ったのだ。
そして、事態は思わぬ方向へ動いた。
戦が終わった。
ガード将軍が帝国のグリフィス皇帝へ願った終戦が、両国の話し合いによって実現したのである。
ガード将軍が王都へ戻って来る。
一度は諦めたガード将軍への想いが燃え上がった。
今度こそガード将軍を手に入れて見せる。
彼が王宮へ報告へ現れる日なんて調べ済みだ。
国王陛下へ報告を終えて、王宮の廊下を歩く時間さえも、だいたい見当がついた。
それならば、廊下で彼に声をかけよう。
イレーネは思いっきり着飾ってガード将軍を廊下で待ち伏せる事にした。
国王陛下への報告を終えたガード将軍が廊下を歩いて来る。
あの日以来の再会だ。
「ガード将軍。お久しぶりです。」
「君はイレーネ・フィルブルク公爵令嬢。あの時は有難う。君のお陰でアーリアに会う事が出来た。」
「庭でお話しません事。」
「そうだな。」
二人で庭に出て、話をする。
ガード将軍は庭を歩きながら、
「思いっきり振られてしまったよ。アーリアの心はグリフィス皇帝陛下にあるそうだ。
私はずっとアーリアの事を思っていた。だが、所詮、戦人。傍にいることすら出来なかった。
それでも、アーリアに会って思いを告げる事が出来た。有難う。フィルブルク公爵令嬢。」
「イレーネですわ。イレーネとお呼び下さい。」
「イレーネだな…」
「それならば、わたくしが貴方様と結婚したいと言いましたなら、今度は受けて下さるのでしょうか?」
ガード将軍は首を振って、
「私は一生結婚はしない。王都に小さな屋敷がある。そこで、暮らすつもりだ。職は騎士団の剣技指導を国王陛下に頼まれた。少しはゆっくり過ごせるだろう。」
「王都の小さな屋敷ですのね?」
「あ、ああそうだが…」
「解りましたわ。」
イレーネはよい情報を手に入れた。そう思った。
まだまだ自分にチャンスはある。
諦めてなるものか…
★★★
ルディウス・ガード将軍は疲れていた。
やっと戦も終わって、少しはのんびり出来るだろう。
小さな屋敷で、骨休めをしながら、騎士団の剣技の指導をし…好きな古道具屋で古い趣味の剣を探して…そうだ。読書をしよう。今まで本を読む時間も無かった。
王都には沢山の本があるだろうから、退屈しないで済みそうだ。
ずっと文通をし、想いを寄せていたアーリア・エルデルク公爵令嬢。彼女をトリス帝国へ金の玉の力で助けにいった。
でも…彼女はトリス帝国のグリフィス皇帝を選んだ。
もう、自分の出る幕は無かったのだ。
悲しかった。でも、彼女の気持ちを聞いて、素直に祝う事が出来た。
グリフィス皇帝の元で生きるのが、優秀で美しいアーリアにはふさわしい。
戦が終われば、自分はただの人である。
美しく気高いアーリア。
忘れる事は出来ないが、遠くで彼女の幸せを祈ろう。
そう思って自分の屋敷で過ごしていたとある日、
部屋のソファで転寝をしていた。
小さな屋敷とはいえども、部屋は8部屋ある。
そして、どの部屋も乱雑で散らかっていた。
広い庭も雑草が生えていて、怪しげな動物が住み着いているような荒れ様である。
何もする気が起きず、ただ、街へ買い物へ出かけ、騎士団で剣技を教え、屋敷では読書に励み、暮らしていたのだが…
ソファに寝転がって読書をしていたら、ドアの方から声がした。
「酷い屋敷ですわね。」
「イレーネ??いつの間に、部屋に?」
「呼び鈴を押しても誰も出てこなかったですわ。いるのは解っておりましたから、勝手に上がらせて貰いました。」
「そうか…使用人もいない屋敷だからな。」
「わたくし、今日から、ここへ住みますわ。」
「え?」
「王家の影の総括はお兄様がやっておりますし、わたくしも手伝っておりましたが、もう、その仕事も嫌になりましたの。わたくし、貴方様と結婚してここに住みますわ。」
「イレーネ。私は君の事を愛するつもりは…」
イレーネに唇を塞がれた。
あまりにも急な事で対処出来なかった。
でも…とても柔らかいイレーネの唇が…唇を離したイレーネの顔を見ると真っ赤になっている。
「わたくしは、貴方様の事をずっと前から、愛しておりますのよ。」
「解った。解ったから…」
追い返す訳にもいかない。
だってあまりにもイレーネが可愛らしかったから。
イレーネの為に使用人を雇った。
屋敷の中を整理整頓し、庭も綺麗に手入れした。
イレーネに愛するつもりはないと言い切った。
今でも疑っている。
アーリアがグリフィス皇帝の元へ飛ばされたのには悪魔の玉が絡んでいるのではないのか?
イレーネがもしかしてやった事なのか?
自分に恋するあまりに、アーリアに悪魔の玉を使った?
恐ろしい女である。
しかし、彼女の兄が乗り込んで来て、しっかりと責任取れと言われて…
なし崩し的に結婚した。
彼女の事は愛するつもりはない。
白い結婚を貫くつもりだ。
と、最低な言葉を言ったけれども…
「貴方。お庭に花を植えましょう。せっかく広い庭ですもの。綺麗な花で一杯にしたいわ。」
イレーネがいるだけで、何て生活が華やかになった事か。
もう、何もかもどうでもよくなった。
グリフィス皇帝に金の玉のお陰で会う事が出来て、戦の終結を願いそして、終わった。
もう、アーリアへの想いに蓋をしようと思う。
あれは遠い日の恋の思い出。
私はイレーネに告白しよう。
例え、彼女が悪女だとしても、
アーリアが彼女のせいで殺されていたかもしれない。
それでも…
もういいのだ…
英雄である事に疲れた…
信じていた愛に裏切られて疲れた…
イレーネは自分だけを見てくれる。
愛してくれるのだ。
彼女がいればいい。もう、何もいらない。
ニコニコしてこちらを見るイレーネは銀の髪が風になびいて、とても綺麗だった。
「イレーネ。有難う。君がいるお陰で生きる張り合いが出来た。どうか、私と本当の夫婦になって欲しい。愛しているよ。」
「まぁ、嬉しいですわ。ルディウス様っ。」
愛しい妻を抱き締めて、ルディウス・ガードは幸せに浸るのであった。
イレーネとルディウスは、堅実な生活を送りながら、男の子二人に恵まれて、
生涯仲良い夫婦で幸せに過ごした。
マリ王国のカレンシア王妃と、トリス帝国の皇妃アーリアの姉妹は憎み合っていたが、仲直りをし、二人が権力を握っている間は、マリ王国とトリス帝国との間に戦は起きず、二度とルディウス・ガードは戦場へ出向く事は無かったという。