スーツ第一話夢か現実か
新緑深い春の日差しを受けて心地よい思いにふと我に返る。
こんな気持ちは久しぶり。
河原の小石をつかみ童心に帰った様に投げてみると当たり前に、弧を描いて水面に自然と消えていく。
こうしてみると初めて自分が疲れを感じていた事に気が付く。
少し大袈裟に言うと、鬱患者は自身ではなかなか分からないらしい。
そんな思いにとらわれていた。
明るく暖かい日差しのなか、ふと、何か違和感を感じた。
明らかにいつもの情景とは違う。
これは何なのか…。
雲一つ無い晴天を眺め、目線を下し、木立の奥深くにそれはあった。
金ぴかに光っている、おそらくはプロに磨いてもらったであろう革靴、目線をパーンするとこれまた上等なスラックスが見えてくる。
今時珍しい三つボタンのスーツを着て、整った頭頂部も見えてくる。
横たわっている男性を俺は見つめていた。
俺の他に周りにはランニングしている若い男女や親子づれ、休日によくある風景だが、誰一人として彼の存在に気が付いていない。
その初老らしき男性の死体?(近づいて見えたのでは無いから詳しくは分からないが?)はまるで俺に探してもらいたかったように見えた。
高鳴る鼓動を無理やり抑えつつ俺の指はポケットに忍ばせてあるスマホで110番通報をしていた。
「○○公園の近くの河原で男性が倒れています。」
「すいませんが、お名前は、住所は、ご職業、会社名を教えてください。」
まるで尋問を受けているようでいささか気分が悪い。
「残間道郎、35歳男です。住所は近くの○○レジデンス401号室です。」
「情報ありがとうございます。まことに申し訳ありませんが、これから、そちらに向かいますので、そのままお待ちいただけますか?」
「はい、分かりました。」
暫くすると、さすがに周りの人々も男性の近くに集まっていている。
日本の警察はさすがだ。
5分もするとサイレンを鳴らした警察車両が2台やって来て、俺を見つけ「通報して頂いた、残間道郎さんですか?」
聞いてきた。
「わざわざ通報して頂いてなんですが、身分を証明するものお見せください。」
まるで犯罪者扱いだとは思ったが、この状況下ではさもありなん。
持っていた社員証を警官に手渡して「これしか持っていませんが」
「ありがとうございます。」
「株式会社残間薬品代表取締役社長残間道郎さん、35歳、」
「お若いのに社長さんなんですか?すごいですね。」
こんな時に何言ってんだ。
随分と余裕があるじゃないかっと思ったが、警官だからか。
「いや、親父の会社を継いだ2代目なだけなんです。」
そんなやり取りを数分間やってると、鑑識らしき人が尋問していた警官に耳打ちをしている。
「残間さん、貴方の発見された方は亡くなっていました。」
ゆっくりと景色が回っている。
みっともないが、俺はその場で倒れこんでいた。
ゆっくりと目を開けるとそこは病院のベッドの中で周りに誰かいるようには思えない。
案の定、ベッドの脇にコードが付いていてそれはナースコールにつながっているように思えた。
ゆーっくりと、確実にボタンを押す。
「はい、今行きますよ!」
そんな返答が帰って来たような?
暫くすると期待外れに中年の看護師がやって来て、なんやかんや、話していたような。
「気が付きましたね。よかった。ここは○○病院の集中治療室です。近くの公園で倒れて担ぎ込まれたんですよ。覚えてないですか?」
「いえ、はい。」
「警察の方が貴方を連れてきたんですが、大変でしたね。警察の方が言うには頭は打っていないらしいですが、一応これからCT画像取りますね。それまで待っていてください。
決して動かないでね。トイレの時には必ずこのナースコール押してね。あ、大きい方の時ね、管が繋がっているから、その他は大丈夫。」
冗談を言って緊張している俺を気遣っているように感じられ、少し安心感に包まれている。
そんなやや一方的なやり取りをしていると病院長と名札に書いてある人物が部屋に入って来て、「気が付かれましたか、貴方は第二公園で倒れたんですよ、警官が連れてきました。どうやら大変な思いをされたようですね。何処か痛みを感じる場所があったら、うなずいてください。」
50代半ばに見えるその病院長は静かに話しかけてくる。
「先生、俺、普通に話せますよ。痛みは全く感じませんが、ともかく記憶があいまいなようで、少し気分が悪いようで…。」
「無理しないで、ここで十分休んでください。何かあったら、彼女、看護師の柳井が対応します。時計置いておきますね。今は午後3時です。夕食は5時です。それまで休んでいてください。」
小さな置時計を置いて行ってくれた。
正直、着けていた腕時計の文字を見るのはしんどい。
思った以上に、俺の状態は悪いのか?
が、やはり思った以上に疲れがあったのか、また俺は眠りの世界に入ったような?
自身の状態に不安が頭をよぎるが、その思いをかき消すような元気の良い声が聞こえてきて、我にかえる。
「こんにちは、今日は柳井の変わりに私、冨里がお世話させて頂きます。」
明らかに柳井さんより若い看護師。
心の中で「やったー!」柳井さんには悪いが感じずにはいられない。
おそらく柳井さんは病院長と同じ50代後半くらいだろう。
そういえば、病院長の名前見てなかったような、思い切ってこの年若い看護師、冨里さんに聞いてみよう。
「すいませんが、先ほど来ていただいた病院長の名前教えてくださいませんか?」
「あ、まだ、意識がハッキリとしていなかったんですね。十条タケシ病院長です。すいませんが、お話はこのくらいで、まだ、お疲れが残っていそうで。何かあったら、このナースコール押してください。私共は常に残間さんの状況は把握していますので、仮になにか変化が会ったら気づく形になっておりますが。」
その言葉に安心感が増して、俺はまたうとうとし始め、どうやら眠ってしまったようだった。
浅い、心地良い眠りから目覚めると、あたりは薄暗い。
枕元に置いてある時計を見ると、恐ろしい事にもう9時をとうに過ぎている。
俺の行動に反応したように例の若い看護師、冨里さんが待ってましたと言わんばかりに入室してきて、「やはり、お疲れの様でしたね。おなか空いてますか?夕食お持ちいたしますが。」
「いいえ、まだ食欲が戻っていないようで。」
「そうですか、では一階のコンビニにいって飲み物でも買ってきましょうか。」
そこまでの仕事を看護師がやらなくてはいけないとは。
これじゃ、離職率が高くなるわけだわ。
負担が大きすぎる。
そんな俺の思いを察したのか冨里さんは「遠慮なくお申し付けください。これも私どもの仕事なのですから。」
笑顔で答えたが、そういえば俺の持ち物はどこに…。
「俺の財布とか持ち物は何処にあります。」
「すいません、ベット横の引き出しに入っていますが。説明不足でしたね。」
「いえ、なんかやたら疲れていたせいか眠ってしまったからですね。」
「そう、おっしゃって下さると有難いです。」
「じゃ、500ミリペットボトルのミネラルウォーター2本とゼリー飲料を買ってきてください。それくらいしか、喉通らないようです。」
「はい、分かりました。」
思い切って上半身を起こし、引き出しの財布の中で暫く休んでいた、カードを彼女に渡す。
「現金持たない主義で申し訳ない。」
「いいえ、慣れております。この頃の患者様はカードの方は多いですから、コロナ禍で増えたようですね。レシートだけは失くさない様にお願いいたします。退院される際ご確認お願いしているもので。」
「分かりました、よろしくお願いします。」
彼女は静かに部屋を出ていった。
暫くは静寂の中で己思いにふけっていたが、少しづつだが頭の中がハッキリしていくようで、だんだんと、時間の経過を意識してきた。
枕元にある病院長が置いて行った時計が9時半を指し示す。
軽いめまいの中、警察が言った一言が思い起こされてならない。
「残念ながら亡くなられていました。亡くなられて、亡くなられて…。」
堂々巡りな考えのループにはまっていいたら、若手の看護師冨里さんがペットボトルとゼリー飲料が入っているビニール袋を下げて入って来た。
「所で、私が発見した男性は誰だったんですか、分かりますか?」
思い切って聞いてみたが、
「え、何のお話ですか、残間さまが第二公園で倒れていたのを近所の方の通報で、警察の方によって運ばれたんですよ。病院長が言うにはだいぶお疲れがあったようで、おそらく無理なランニングが原因なのではとの事ですが?。一応明日CTを取って異常が無ければ明日中には退院かと。」
「えええ、俺が見つけたあの初老の男性は、ピカピカに光った革靴履いていて、少し頭髪が薄くて、立派そうなスーツを着ていて、あの男性はどうなったんですか?」
「私共にはさっぱり。」
意味が分からないとでも言いたそうだが、それは俺のセリフ。
いくら連日のコロナワクチンと治療薬の研究チームの進捗具合が気になり睡眠時間が削られていたが、意識はハッキリしていたはず。
絶対に他社に追い抜かれては、株価に反映してくるし、副反応次第で訴訟にもなる。
いつの間にか、仕事頭に戻っていて。
「すまないが、テレビかスマホなんでもいい、見せてくれ。」
いつの間に、部下に対する口調になっていて、「すいません、無礼な口調になってしまった。」
「いいえ、慣れています。残間様は相当お疲れの様ですね。じゃ、ゆっくりとお水を飲んでゼリーをおなかに入れてください。決して焦らないでくださいね。ゆっくりと、ね。」
笑顔の残し冨里看護師は退室していった。
「さっぱり、わからん。何なんだ、この違和感は?人が亡くなったのに、なんて扱いなんだ、訳が分からない。」
自然と時計の針が戻って行こうとするが、おそらく薬が効いているようで、ミネラルウォーター2口とゼリー飲料をいっきに腹に入れたら再び眠りに入った。