90.ふわふわ事件
ギルドを飛び出したアッシュ。
彼は現在、ハンター専用宿舎の自室にいた。
そこで案の定、自分のベッドで横になっているヘルナを発見する。
「…………」
なぜ自分の部屋で寝ていて、しかもふわふわまで使っているのか。
アッシュは途端に腹立たしくなる。
「起きろよ」
荒々しい口調でふわふわを剥ぎ取った。
「う~ん……なに?」
ヘルナは欠伸をしながらのんきに身体を伸ばす。
アッシュの言いつけ通り服はちゃんと着ていた。
「っ! うん、良かった」
元気になった少年を見てホッとするも、
「答えろ」
アッシュが見下ろしたまま問いただす。
「はうっ……⁉」
その真剣な顔を向けられ、ヘルナはまたもやられてしまう。
「ゴーはどこさ?」
「ゴー……っ! あの人なら死んだ」
「……は?」
アッシュは顔をひどく歪ませた。
「君がいなくて寂しかった」
「…………」
「だから一緒に寝て」
と言ってヘルナは左にズレてあげた。
アッシュが入会中に、何度か病室に行っては添い寝を試みていたのが、番犬がいたためそれはできなかった。
なので、アッシュの温もりが枯渇していたのだ。
「早く来て」
それに君がここにやって来たということはつまり、自分と一緒に寝たい──
「──そんなわけないだろ」
アッシュはキッパリと否定した。
「どうして?」
この前は寝てくれたではないか。
ヘルナはさぞ当然かのごとく疑問を浮かべた。
しかし、今のアッシュは付き合うつもりなく、余裕だってない。
再び問いただす。
「死んだって、なんでお前に分かるのさ」
「お前じゃない、ヘルナ。ちゃんと名前で──」
「……ふざけんな」
「っ⁉」
相手がいきなり剣幕な表情に変わり、ヘルナはビクッとなる。
「答えろよ」
「……クロスオーブが、教えてくれた」
ヘルナが白状した。
自分はクロスオーブを通して、主の様子をある程度は把握できる。
あの大きな爆発が起きたと同時に、彼の反応が突然消えてしまった。
つまりそういう事だと。
なのでギルド長にも一応報告した。
プラス同様に淡々と説明する。
「なにさ……それ……」
話を聞いたアッシュは目を丸くしたかと思うと、
「お前それ⁉︎ 本気で言ってるのか⁉︎」
突然ヘルナに掴みかかる。
そのまま胸倉を掴んで、自分の元に引き寄せた。
「っ⁉ く、苦しい……」
あまりに急なことでヘルナはビックリする。
ただ、抵抗は一切しない。
アッシュの腕を握りながら、放して欲しいと懇願するだけだった。
「誰が! 誰がお前のことなんか信じるかよ!」
「っ⁉」
プラスはこんな奴を信じたっていうのか。
こんな訳の分からない女の言うことを鵜呑みしたのか。
そう思うと、感情がどうしても抑えられなくなる
「は、放して……」
どうして皆そんなに素っ気ないのか。
仲間が、ゴーが死んだというにドイツもコイツも端的に説明するだけ。
どうしてすぐ受け入れられる。
アッシュの言いようもない虚しさが激しい怒りへと変わる。
「お前の主だろ⁉ 何とも思わないのかよ⁉」
「……どうして、怒ってるの?」
「は?」
アッシュが血の気がサッと引くのを感じた。
「彼はもう、主じゃない」
「っ⁉」
冷めた表情のヘルナ。
どうでもいいと思ってる顔だ。
それを見て、アッシュの何かがプツンと切れる。
「っ!」
急にヘルナを無理やりベッドから引きずり下ろし、床に思いっきり投げつけた
「うぐっ⁉」
ヘルナは床にドサっと倒れ込む。
そのまま思いっきり上に跨り、今度はその細い首に手をかけた。
「フーッ、フーッ」
アッシュの目は血走っていた。
怒りで我を失っている。
「うっ……や、やめ、て……」
ヘルナは苦しいと訴えた。
相手の力が徐々に強くなり、首が少しずつ締まっていく。
それでも決して抵抗は見せない。
ただやめて欲しいと言いながら、悲しい表情を向けるだけだった。
「かっ……はっ……おね……が……い」
やがて涙を浮かべながら、腕を握る手がスルッと抜け落ちた。
すると、
「──アッシュ君⁉︎ 何やってるの⁉︎」
騒ぎを聞きつけて誰か入ってきた。
綺麗な黒髪で透き通った目をした大人の女性、エリー=レザーフット。
ゴーの飼い主だ。
そのエリーが慌てて止めに入る。
「大丈夫⁉︎」
「ゲホッ、ゲホッ……」
ヘルナの無事を確認する。
「あなた何をしているの⁉︎」
「くっ⁉︎」
「アッシュ君!」
現場を見られた犯人はとっさに部屋から飛び出した
無我夢中で走って病室まで戻る。
バタンッ!
「ハア……ハア……」
部屋に入るとすでにマルトンはいない。
「っ!」
鍵を掛けて閉じこもった。
──次の日、アッシュはいまだに塞ぎ込んでいた。
教会の病室を我が物顔で占拠しており、部屋の前に「立ち入り禁止」の紙を張って立てこもっている。
また、この半日でティゼットが5回もやって来た。
だが全てお引き取りしてもらった。
なので「ティゼットは出禁」という張り紙を新たに追加して、また部屋に引きこもる。
「…………」
中を覗いてみると、ベッドの上でふわふわにくるまった何かがいた。
時おりモゾモゾしたり、人間のすすり泣くような音声を発したりと、不思議な生命体である。
──コン、コン
部屋のドアがノックされた。
「っ!」
ふわふわもポンッと反応する。
「──ごめんなさい、私、エリーよ。お見舞いに来たんだけど、開けてくれない?」
「立ち入り禁止」の看板が見えないのか。
ふわふわは深くため息をつく。
「…………」
ドアをガチャリと開けて、手招きして向かい入れた
「あら? フフフ、お邪魔するわね」
エリーは微笑みながら入室。
暗く陰気臭い部屋を見渡す。
そこで、ベッドに背中を預けるような形で床に座るふわふわを発見し、彼の隣にお邪魔させてもらう。
そのまま後頭部と思わしき部位を優しく撫でてあげた。
「ギルド長さんが心配してたわ。他の子だって、私だって」
「…………」
他に心配すべき人がいるだろう。
それに、そんなこと言われる筋合いはない。
「エリーさんは、何とも思わないのか」
ふわふわが質問した。
勝手に死んだことにされたのもそうだ。
一番大事なペットが居なくなって、悲しい気持ちにならないのかと。
「そうね、とても悲しいわ。でもずっと落ち込んでても何にもならない、そうでしょ?」
そう言うエリーの目の下は赤く腫れている。
マルトンと同じだ。
そんな彼女の様子を見て、ふわふわは少し救われたような気がした。
本当はエリーだって辛いはずだ。
きっと自分よりずっとそうだろう。
自分より遥かに付き合いの長い彼女が何ともないはずがない。
「…………」
そのエリーが自分を励ましてくれている。
おそらく無理をしている。
本当は彼女だって泣きたいはずだ。
こういう時は自分がしっかりしないといけないのに。
でも、思いの丈を吐き出さずにはいられなかった。
「オレさ、何も出来なかった」
何も返せなかった。
「何度も助けてもらったのに」
命を救われたのはこれで3度目だ。
「そうね」
エリーは静かに相槌を打つ。
「何も言えなかったさ」
感謝の気持ちを何一つ伝えられなかった。
「酷いことばっかりしたさ」
ここ最近は特にそうだった。
散々無視した、修行をサボって特訓した、秘蔵のお宝本を全て焼き払った。
改めて振り返ると本当にひどい。
「こんなに早くいなくなるなんて、思いもしなかったさ」
あの悪人のことだ、遅かれ早かれこうなっていただろう。
でも早すぎる。
こんなことになるなら、もっとお話ししておけば良かった。
素直になっておけば良かった。
「最後の最後まで、迷惑を……」
あの時、大人しく訓練所で特訓をしていれば……。
「オレのせいで、ゴーは、ゴーは……」
全部弱い自分のせいだ。自分が殺したも同然だ。
「違うわ、あなたのせいなんかじゃない」
…………。
慰めてくれだなんて、別に頼んだつもりはない。
否定して欲しいわけでもない。
「ウフフッ、お互い意地っ張りなのよね」
何が分かる。
「ええ、よくわかるわ。だってずっとあなた達を見てきたもの。それに、彼はそんなことこれっぽちも思ってない」
本人がいないからそう言えるだけだ。
「ウフッ、あなたの修行がある前日はいつも楽しみにしてた。ちょっぴり懐かしくなっちゃう」
おかげでこっちは毎回ひどい目にあった。
「帰って来てもあなたの話ばっかり。正直私、あなたに嫉妬してた」
「…………」
「まるで自分の子供みたいに言うの、あなたのことを。少しは聞いてあげるこっちの身にもなって欲しかった」
ふわふわを撫でながらエリーは続けた。
「彼ったら、洞窟にいた頃なんかよりずっと楽しそうだった」
エリーは言う。
あの頃は明るく振る舞ってはいたが、やっぱり少し寂しそうに見えた。
火を見るその大きな背中は、どこか悲しげだったと
「でもあなたと会ってからね。そう、まるで生き返ったみたいに元気になったの」
あの人がいた頃のように、昔の彼が戻ってきた。
「きっとあなたが彼を出してあげたのね、あの真っ暗な洞窟から。代わりに私からお礼を言わせてちょうだい。ありがとう、アッシュ君」
「もういいさ、これ以上は……っ」
ふわふわは堪えきれず、エリーの胸に寄りかかる。
「いいえ、ありがとう」
全ふわふわが泣いた。




