57.可愛い杖
教授のとても長い講義も終了し、辺りはすっかり暗くなってしまったので、この日はもうお開きにした。
散々ダメ出しを食らった生徒がため息をつきながら、同居人の待つ家の玄関を開ける。
「ただいまー……うん? いい匂いがする」
アッシュが鼻をクンクンさせながら台所に向かう。
すると、そこには夕飯を作るエプロン姿のルームメイトがいた。
「アッシュ君! おかえり!」
「これはカレー? マリコさんが作ったの?」
「そうだよ、もうすぐできるから待っててね!」
今夜の当番であるマリコは、同居人の帰りを待ちながらカレーを作っていた
アッシュは手を洗ってうがいをガラガラ。
席についてカレーを食べることにした。
「はい! お口に合うといいんだけど……」
マリコは自信無さげな様子だ。
アッシュは目の前に出されたおいしそうなカレーに食欲が湧く。
ずっと貶されていたせいか、すっかりお腹もペコペコだったのでさっそく頂くことした。
「いただきます」
「私も食べよっと、いただきます」
「っ⁉」
スプーンをパクッと口に入れると、びっくりするほどおいしい味が口の中に広がる。
そのあまりに美味さにスプーンを持つ手が止まり、目を大きく見開いた。
「どう、おいしい? 甘口にしたんだけど」
「おいしいさ! それに全然辛くない!」
「フフッ、甘口だからね」
プラス家のカレーは少し辛い。
子供舌のアッシュは甘口しか食べられないのだが、プラスとハリスが辛口が好きだ。
そのためステラが間を取って中辛にするも、まだ辛いためどうも苦手であった。
なので甘口のカレーがとても美味しく感じる。
ちなみにマリコも甘いのが好きだそうだ。
「こんなの初めてさ!」
初めて食べる甘口カレーに大満足のようだ。
そんな子供を見て、お姉さんも笑顔になる。
「よかった~、プラちゃんは甘いのイヤって言うから心配だったんだよね」
「マリコさんって料理上手なのか」
「フフンッ、私! 料理するの大好きなんだ!」
と大きく胸を張って答えた。
「っ!」
アッシュはその言葉に何かピンとくる。
「好き……か」
「ん? どうしたのかな?」
「いや、なんでもないさ」
「まあいいや、おかわりもあるからいっぱい食べていいよ!」
このカレーがおいしいのは何も甘口だからと言う理由だけはでない。
マリコは料理をすることが好きで、ただ自分が楽しいからやっていただけだ。
それで本人も気づかないうちに料理が得意になっていた。
最初から上手に作ろうなんて思っていたわけではなく、自然とそうなったはずだ。
ウィークオーブもそういうことなのか、少し違うような、アッシュはふと考える
「……そうか!」
「えっ⁉ 今度はどうしたの?」
急に同居人が大きな声をあげ、マリコがびっくりする
「ごめん、またひとり言」
「変なアッシュ君だな~」
プラスの料理が壊滅的なのは、その分オーブの才能があるからだとアッシュは一人で納得した。
完全に負け惜しみだ。
──カレーも食べ終わって、ただいま二人は食後のティータイム中。
アッシュはお茶を飲みながら今日あったできごとを同居人に愚痴っていた。
「プラスばっかり褒めてさ、オレのことなんか……」
「そうなんだ、でもプラちゃんすごいから仕方ないよ」
「そんなにすごいのかよ?」
「うん! でもそのぶん泣き虫さんなの! そこがすごく可愛んだよね」
「かわいい?」
マリコは話す。プラスと自分は同じ時期にオーブの練習を初めた。
だがあっという間に覚えてBランクハンターになると、自分を置いて中央教区から出て行ったという。
一人暮らしなんて泣き虫さんには無理だと引き留めようとしたが、聞く耳を持たないプラスは行ってしまったそうだ。
マリコは置いて行かれたように気がして、何とか追いつこうと今まで頑張っていたらしい。
「でもアッシュ君だってすごいよ! まだ小さいのにもうBランクだし」
「……そうかな」
「やっぱり姉弟なんだね! 生き別れの!」
「またその話か」
アッシュがまた始まったと肩をくすめる。
マリコには会うたびに「弟だよね」と言われていた。
自分としてはどこが似てるのか全くわからないし、おまけにオーブの才能だって全くない。
もし仮に本当に百歩譲って姉弟だとしたら、お姉ちゃんが色々取りすぎではと悲しくなる。
「へえ~、ういーくおーぶっていうのがあるんだ」
「へ? マリコさん知らないの?」
ウィークオーブの話をしたが、目の前のお姉さんは知らないようだ。
「初めて聞いたよ、おもしろそうだね!」
「でもプラスが雷を使えるの知ってなかった?」
「うん! 本人が自慢してたから知ってるよ!」
マリコの反応を見るにその単語を知らないだけで、もしかしてそういうのがあることは知っているのか。
そう考えていると、
「あーっ! ひょっとして!」
「うわっ⁉ いきなりなにさ⁉」
マリコが急に椅子から飛び上がり、アッシュはびっくりしてしまう。
「あっ、ごめんね」
「どうしたのさ?」
「フフンッ! 私ね、ういーくおーぶ使えるよ!」
「えっ?」
話を聞いただけで使えるようになったのか、アッシュが不思議に思っていると、
「見せてあげよっか?」
「へ?」
「私のういーくおーぶ見せてあげる! ちょっとお外に出ようね!」
「今から⁉ もう真っ暗なのに……」
夜は暗くて怖い。だから外には出たくない。
だと言うのにマリコが手を引っ張り、怖がりさんを外に連れ出した。
──アッシュは自宅の庭にいた。
これからマリコによるウィークオーブのお披露目会が始まるらしい。
「じゃあいくね!」
「どうぞー」
アッシュが雰囲気を盛り上げるためにパチパチと拍手して、マリコもそれに応えるように右手を遠慮気味に振る。
「えいっ!」
そして右手からピンクのオーブを出すと、それを何やら棒の形に伸ばし始めた。
それが完成すると、
「──可愛い杖!」
とアッシュに見せびらかす。
なぜか杖の先端はハートの形をしている。
「……なにさ、これ?」
「フフンッ、可愛いでしょ? 可愛い杖だよ」
「…………」
アッシュは男の子なので、マリコの杖の良さがあまり理解できない。
女の子だったらまだ共感できたのかもしれない。
そんな男の子がポカンとしているが、マリコは解説する。
「こうやって杖を振ったらオーブが出るの! ほらっ!」
と言って杖を振り、周りに三つのオーブが現れてふわふわ漂う。
「でね、もう一度振ると。えい!」
そのまま振ると建物に当たって危ないので、空に杖を振り上げると、マリコのオーブが独特な軌道を描いて登っていく。
「…………」
アッシュは真顔でそれを眺めた。
ノリノリなお姉さんが言うに、三つ一斉に飛ばすこともできるし、一つずつタイミングをずらすことだってできるそうだ。
それを最初キレイだなーと見ていたアッシュだが、自分も一度にオーブを三つくらいなら簡単に出せる。
これってただの分離ではないかと内心思ってしまう。
「フフフ、これだけではないのだよ。アッシュ君」
「ん?」
「実はこの杖にはまだ隠された力があるんだな」
「か、隠された……力……⁉︎」
そんな少年の反応に気がついたのか、マリコが特別に隠された力を見せてくれるそうだ。
アッシュは男の子なので、隠された力と言うのを聞いてワクワクした。
その様子にお姉さんも嬉しくなり、今度は杖を少年の前に向ける。
そして、
「──可愛い盾!」
「っ⁉︎」
杖から丸いピンクの盾がポンッと現れた。
アッシュはてっきりこちらに何か撃ってくるのかと思いビクっとなる。
「盾も出るんだよ! すごいでしょ⁉」
「すご……ん?」
隠された力に一瞬驚くも、よくよく考えるとただの丸盾だ。
だがマリコは得意げな顔で盾を構えている。
せっかくの良い雰囲気を壊すわけにはいかない。
アッシュは子供ながらに思ったので感心するフリをした。
「す、すごいさ! カッコイイさ!」
「フフンッ!」
なんとか雰囲気を壊さずに済みホッとするも、調子づいたマリコがさらに話し出す。
「私ね、本当はイービルハンターじゃなくて魔法使いになりたかったの」
「魔法使い? それって本の?」
「そう! 絵本の中に出てくる女の人、小さい頃いつも見てたんだ」
「でも魔法なんて、あるわけないさ」
「うん! だからオーブでできないかなって思ったの!」
とマリコがとても楽しそうに言う。
そんな笑顔のお姉さんを見て、アッシュは不思議とこれでいいような気がした。
それに話を聞いていたら、だんだん面白く見えてくる。
「それでねー……」
「……!」
同時にある考えがアッシュの頭の中に浮かんだ。
「あのさ、マリコさんって分離が得意なのか?」
「うん? そうだね、得意というよりは好きかな。魔法みたいだし!」
その答えを聞いた少年の口元が少し緩む。
どうやらマリコに決めたようだ。
「マリコさん! その、オレに分離を教えてくれない?」
「えっ、私が? アッシュ君に?」
「自分じゃどうしたらいいかわからなくてさ」
「で、でも私なんかじゃ何も教えてあげられないよ」
自分よりランクが上の人に教えることは何もないとアタフタしていたが、
「いやだ! マリコさんがいいさ!」
「へっ? ッ⁉ えっ⁉」
いつになく真剣な顔でお願いした。
こうなったら意外としつこいのがアッシュだ。
「~~っ⁉」
マリコはその引き締まったお顔にドキッとしてしまう。
それにプラスと重なる。
自分の顔が熱くなるのを感じた。
「も〜う! そんな顔で見ないでよ〜!」
そんなに自分のことが、いいのか。
終いにはマリコの方が折れてしまう。
「うぅ、わかりました……でもこっちにも条件があります」
「へっ? 条件?」
ただで教えてもらうなんて虫のいい話はない。
そんな悪い子には条件を出します。
そう思ったマリコが笑顔で条件を提示した。
「これから私のことは『マリー』って呼んでね」
「えっ⁉」
「ウフフッ、さあどうする?」
「別になんてことないさ、そのくらい」
「じゃあ言ってみなよ、はい! どーぞ!」
それだけでいいのか、それならお安い御用だ。
しかし、いざ言おうとしたら恥ずかしくなる。
「マ……ママ……マ」
「あれれ~? 言えないのかな~?」
このままではマリコが先生になってくれない。
それはとても困る。
アッシュは声を振り絞る。
「マ、マリー……さん」
「う~ん、今はそれで許してあげようかな!」
「ふぅ……」
「フフンッ!」
先生から許可をもらい一安心した。




