50.ぶつかる二人
「──父さんのところへ向かう、お前も来い」
思いもよらぬ一言だった。
レクスはこれから父親の元に向かうと言い放ち、それにアッシュも連れて行こうとした。
「一体どういうことさ、レクス」
「父さんから手紙をもらったんだ」
「手紙? いつからそんな」
「Bランクになった時だ」
「は?」
Bランクに昇格した時、グレンの元使用人から手紙を受け取っていた。
なんでも、娘がBランクになったら渡せと言いつけられていたそうだ。
手紙の内容は、自分のところに戻って来いという内容だった。
「手紙なんて無視したらいいだろ!」
「そんなことできるか!」
自分から離れて行ったくせに。
なんとも身勝手な言いぐさだとアッシュは怒りが込み上がる。
「それにレクスだっておかしいぞ! 親の言いなりかよ!」
「強制はされていない、これはワタシの意思だ!」
「っ⁉ どういうことさ……」
グレンは強制していない。
あくまでも判断は、娘に任せるとのことだった。
従ってレクスは手紙を放棄することもできたが、そうはしなかった。
アッシュにはそれが理解できない。
あんな酷い父親のことなんて気にかける必要はないし、会う必要もない。
この時のレクスが正気とは思えなかった。
「もう一度言うぞ、ワタシは父さんのところに向かう」
「ヴァリアードになるって言うのかよ⁉」
「そうだ、だからお前も来い! アッシュ!」
レクスが強い口調で言う。
冗談ではないことは明らかだ。
「さっきから意味がわからない!」
レクスの言うことが信じられない。いや、信じたくなかった。
だがいつもみたいに、からかっているわけではない。
アッシュも動揺のあまり、いつもより声が強くなる
「あんな奴のことなんかほっとけばいいだろ!」
「お前に何がわかる⁉ 親のいないお前に!」
「そんなのわからないさ!」
「記憶がないくせにッ、偉そうなことを言うな!」
「ッ⁉ レクス、お前ッ!」
アッシュはギッと睨んだ。
言って良いことと悪いことがある。
その小さな手が震えた。
「なんだその目は! 本当のことだろ!」
確かに今の自分は、親の事なんてわからない。
もしかしたら本当にいないのかもしれない。
でも、歳は近いけど、親代わりになってくれた人はいる。
だから少しはわかっているつもりだった。
それをレクスに真っ向から否定されて、アッシュは悔しかった。
「それにもう一つ、大切な理由がある」
「まだあるのか⁉ これ以上なにか言うならオレだって……っ⁉」
これだけ好き勝手言われてしまい、もう我慢できそうにない。
アッシュが掴みかかろうとしたが、
「ワタシは……」
レクスが自分の胸にぎゅっと手を当て、アッシュの目を見た。
「ワタシは、お前のことが知りたい」
「っ⁉」
「お前が誰なのか知りたいんだ。ワタシは」
呆気を取れたが、すぐに理由を聞く。
「それが何の関係があるのさ」
「以前がザイコールが言ってただろ、来るならお前のこと教えると」
ザイコールが逃げ出す直前、アッシュを仲間に引き入れようとした。
自分の元に来るなら知っていることを全て話すと。
それは、レクスの耳にもちゃんと届いていた。
「聞いてたのか⁉ だってあの時はレクスは……」
「聞いたら悪いのか⁉ お前が気になるんだ!」
「そんなの、あいつのウソかもしれないだろ!」
「お前だって自分の事を知りたいはずだ!」
「それとこれとは話が違うさ!」
「お前を想うこの気持ちは、そんなにいけないことなのか⁉」
「っ⁉ レクス……」
その瞳には涙を浮かべていた。
アッシュはそれを見て言葉が詰まってしまう。
「…………」
自分のことが気にならないわけじゃない
でも正直なところ、知るのが恐かった。
ザイコールが言うにあまりいい記憶ではないからだ
なんとなくそんな気がしていた。
なぜなら自分は悪魔から出て来たのだ。まともなはずがない。
目の前の少女にも本当の事を知られたくなかった。
「さあどうする⁉ ワタシと来るか、来ないのか!」
「そんな……」
「これはワタシの我がままだ、無理強いはしない」
「いやだ……」
「できればこの手を握ってほしい……早く決めろ!」
「…………いやだ」
アッシュは差し出された手を握ることができない。
ここには大切な人がたくさんいる。
何よりプラスを裏切ることはできない。
そして、
「……ごめん、行けない」
アッシュはそう答えるしかない。
黙ってうつむく事しかできない。
「……そうか」
返事を聞いたレクスは一瞬悲しげな表情をするも、すぐ後ろを向いて立ち去ろうとした。
「ここにはお前の大切な人がいる、ワタシにはいない。仕方のないことだ」
「…………」
「もう行く、これでお別れだ」
「……待ってくれ」
「なんだ、見苦しいぞ」
引き留める少年を、レクスが冷ややかな目で見た。
アッシュは振り絞るように声を出す。
「こんなのいやだ」
「お前が決めたことだ」
「お願いだから行かないでくれ……離れたくない」
「……そうか」
少し間をおいて、アッシュの方に身体を向けた。
「ならワタシを止めてみろ!」
「えっ……」
「ワタシを倒して、無理やりでも止めろ!」
「そんなこと……」
「できないのか⁉ これしかお前に選択肢はないぞ!」
「いやだ! 戦いたくない!」
「ワタシと戦え!」
レクスはそう言ってオーブを出した。
どうやら本気で戦う気のようだ。
しかしアッシュはオーブを出さない。
使えばどちらかが怪我をする。
それにレクスとはもう戦いたくなかった。
「ぐっ、ぐぐ……貴様ッ!」
その態度にレクスがしびれを切らし、オーブを引っ込めて殴りかかった。
「いい加減にしろ!」
「うがっ⁉」
「ワタシがどれだけッ!」
「がはっ⁉」
「お前のことをッ!」
「はぐっ⁉」
「考えていたと思ってる⁉︎」
「ぐはっ⁉」
アッシュはなにもせずただ拳を受けるだけだ。
この日、レクスの様子が変だったのはこれが理由だったのか。
父親のグレンがいなくなった寂しさを埋めるため、自分に甘えてきてるとばかり思っていた。
でもそれは違ったみたいだ。
やがてアッシュが立てなくなり地面に倒れ込むと、レクスが上に乗っかりまた殴り続ける。
「お前が黙ってッ!」
「…………」
「ワタシのところに来てくれたらッ!」
「…………」
「こんなことしなくてよかったんだ!」
「…………」
「そんなにあの女のことが好きなのか⁉︎」
アッシュはもはや声を出す力もない。
「ハア、ハア……」
レクスは疲れたのか息が上がると、その腕を止めた
「クソッ!」
「っ⁉」
すると、今度はアッシュの両腕を押さえつけてその顔に迫る。
アッシュは振り解こうとしたが、相手の力が強くて動かせない。
「どうして何もやり返してこない⁉︎」
「…………」
「ワタシのことどう思ってるんだ⁉︎」
「…………」
「黙ってないで何とか言え!」
「……行く……な」
「ッ⁉︎ だまれッ!」
アッシュは泣いていた。
顔がとても痛い。
でもそれ以上に、目の前の少女と別れるのが嫌で、涙が止まらなかった。
レクスは拳が赤く染まり、その瞳に涙を浮かべていた。
「…………」
それが少年の顔にポツンと落ち、二人の涙が重なる
「…………」
二人は見つめ合う。まるでこれが最後かのように。
やがてレクスが立ち上がり、背を向けて歩きだした
「もういい、お前にはガッカリだ」
「うぅ……レクス……」
「こんな腑抜けな奴だったとは……いや、元からそういう奴だったな。お前は」
「いやだ……いやだ……」
「今度会う時は敵同士だ。次は殺す」
「レク……ス……。」
アッシュはそこで意識が途切れた。
「……じゃあな」
意識がなくなる直前、レクスが振り返る。そう見えた。
「…………はっ⁉」
アッシュは目を覚めた。
周りを見るとそこは自分の部屋で、窓には朝日が登っていた。
「ッ⁉ レクス⁉」
隣を見たが誰もいない。
そこには一つのベッドに、枕が二つ置いてあるだけだった。
「そんな……やっぱり……」
夢であって欲しかった。
アッシュは顔を枕に埋めて、レクスがここにいたことを思い出す。
もう行ってしまった、止められなかった、どうすればよかったのか、後悔で頭がおかしくなりそうだ。
「……?」
ふと自分の首に何か下がっているのに気づいた。
それはアッシュの体温で少し熱い。
首から取り外して確認すると、
「これは……」
ペンダントだった。
母親の形見であったレクスの大切なペンダントだ。
「……レクス」
また涙がこみ上げてきた。




