131.ファミリー壁ドンお姉さん
辺りもすっかり暗くなり、教会は月明かりに照らせれた。
夜鳥がホーホーと鳴いている。
「……すー……すー」
部屋の一室で、アッシュがスピスピと眠っていた。
あらかじめ自分のマイふわふわを、従者のヘルナに持って来させたため、とても気持ちが良さそうだ。
──ドンドン!
そんな幸せ空間を妨害する、窓を叩く音がした。
何者かが外部から叩いているようだ。
「う、う~ん……」
アッシュは寝返りを打ち、窓に背を向けた。
ドンドンドンドンドン!
──こらアッシュ! 開けなさい!
相当焦っているのだろう。
外から聞き慣れた女性の声がする。
──お願い! 早く!
「…………」
ムカッ
耐えかねたアッシュは飛び起き、窓をガラッと開けた。
「っ! 開いた!」
そこにいたのはなんと、入会用のパジャマを着たプラスであった。
ただ窓が開いただけなのに、えらく喜んでいる。
「プラス! こんな時間に一体なんなのさ!」
一方、眠りを妨げられたアッシュは激おこである。
いくら相手がお姉さんと言えど、声を張り上げずにはいられない。
「そんなことより早く入れてちょうだい! 見つかっちゃうわ!」
「あっ、おい」
プラスは許可もなくズケズケと入ってきた。
すぐに窓を閉めると一安心。
ホッと胸をなでおろす。
「フ~、危なかったわね~」
そのまま近くにあった椅子に腰を掛け、お疲れな様子で手をパタパタした。
「お帰りアッシュ! さっそくお見舞いに来たわ!」
シーン……、無言のアッシュ。
──しまった! ギルド長が脱走したぞ!
──あっちに行ったぞ! ついてこい!
真夜中だというに外が騒がしい。
「な、なにかあったのかしら?……オホホホホ」
お口を押させて誤魔化すギルド長を、アッシュは白い目を向けた。
視線を合わせようとしないパジャマ姿のお姉さん。
──アッシュに会えないのが我慢ならなかったプラスは、今夜脱走を決行した。
念入りに脱走経路を確保した、実に計画的な犯行だ。
現在、それに気づいた部下たちが犯人の捜索にあたっている。
「みんなして部屋から一歩も出るなって。じゃあお手洗いはどうしろって言うのよ! ねえ?」
「だからってなんで夜なのさ」
「し、仕方ないじゃない、昼間は警備が厳しかったの! それに脱獄は夜が基本なの!」
ここに来るまでにどれだけの苦難があったかを力説する。
「プラスだってまだ入会中だろ」
同じ患者の身でなぜお見舞いに来ようと思ったのか
「あら、わたしは明日退会よ」
「そんなの見れば分かるさ」
「まあいいじゃない。それにアンタだってわたしに会いたかったでしょ?」
「…………」
心配はしていた。アッシュは顔をそむける。
「そういえば、夕方にマリーの声が響いていたけど、何かあったのかしら?」
夕方、マリコの泣き叫ぶ声がしたたため、プラスは気になっていた。
「なんでもない。それにマリーだって反省してるさ」
「反省?」
「ああ、だから心配はないさ」
「ん?」
もう全て終わったのだ。
アッシュはそんな顔をして勝利に浸っている。
今頃、ヘルナの抱き枕として存分役に立っていることだろう。
涙を流すルームメイトの姿を想像し、アッシュは心からほくそ笑んだ。
「教王はどうしてるのさ? この街に来てただろ?」
「あら、ジャックおじさんならもう帰っちゃったわよ?」
「えっ……」
「『今回は俺の負けだ、だが次は必ず勝つ。また会おう』って子供たちと対等にバイバイしてたそうよ」
夕日に染まる彼の大きな背中が印象的だったそうだ。
ジャックおじさんの声真似をするプラス。
声の質が違いすぎるため若干低クオリティだった。
教王は、最後にプラスのところに寄って、そのあと中央に戻って行った。
別れの言葉もなし。
ただ子供と遊んでただけ、一体なにをしにここに立ち寄ったのか。
アッシュは甚だ疑問になる。
「ジャックおじさんと言えば、聞いたわよアッシュ! 大きな戦果をあげたそうね!」
プラスは両手をお膝に置き、身体を前に乗り出す。
「いいや、良いところ取りをしただけさ」
アッシュはまた謙遜して見せた。
ヘマをこいたことを忘れない、とても良い姿勢だ。
「ギルドでもあなたの話で持ち切りだそうよ、なんだか鼻が高くなるわね」
「そんな、やめて欲しいさ」
「いいえ! 本当に凄いわ! お手柄よ!」
「ハリスさんもそうだけどちょっと大袈裟さ」
「フフッ」
本当はもっと早く褒めてあげたかった。
プラスが他の誰よりも喜んでいる。
アッシュもそれを見て、不思議と嬉しくなった。
「それで、ジャックおじさんから報酬は何かあったのかしら?」
「特にはなかったさ」
「ダメじゃない!」
「えっ」
ギルド長は口を酸っぱくした。
アッシュは今回大きな成果をあげたのだから、それ相応の褒美を頂くべき。
貰えるものは遠慮なく貰うべきだと。
「いけない! 早くジャックおじさんに手紙書かないと! まったく、こういう所はケチ臭いんだから!」
アッシュの手柄はギルドの手柄。
自分まで何かブツを頂くおつもりだ。
ギルド長は目をキラキラさせている。
「そっちは大丈夫だったのか?」
「うん?」
「オレたちがいない間、敵が攻めてきたんだろ?」
あのゲイリー=ゲリードマンが単独で襲撃してきたと聞いた。
今思えばそういうことだったかとアッシュは顔を曇らせた。
「ええ、今回も余裕だったわ! あんなインチキ科学者なんてイチコロよ!」
エッヘン、プラスが胸を張って見せた。
本当はかつてないほど大苦戦したのだが、アッシュを心配させないように配慮している。
「そっか……」
しかし、アッシュはそれを聞いて、どこか浮かない顔になる。
ゲイリー=ゲリードマン。
怪我の手当てしてくれたのに加え、レクスの写真までたんまり頂いてしまった。
敵だったとはいえ、少なくともあの時は、ただの気の良いおじさんであった。
場所が違えば、きっと良いお友達になれたはず。
そう考えると悔やみきれなくなる。
でも戦いとはそういうモノ、こればかりは仕方がない。
アッシュはそう思うしかなかった。
「アッシュ……」
一方、プラスは心配そうにしている。
話には聞いていたが、あのマッド野郎によほど酷いことをされたのだろう。
表面上は元気そうに見える。
でもやっぱり無理をしている。
心に深い傷を負っているのは明らかだ。
それに、
「…………」
自分たちは、今の前にいるこの少年は……。
プラスの顔つきが柔らかいモノへと変わる。
「少しお話があるのだけど、いいかしら?」
「なにさ?」
「あのね……」
少し間をおいて、
「これが落ち着いたら、一度わたしの家に来ない?」
「っ!」
「うちの親に挨拶に行きましょう」
プラスは言う。
戦いがひと段落ついたら、実家の中央教区にアッシュを連れて行くと。
「ママ──母さんたちにあなたを紹介するの」
「で、でもさ、前にプラス……」
前にハリスが言っていた。
プラスは、自分を保護してることを両親には黙っていると。
自分が行ったらきっと迷惑をかけてしまう。
なのでアッシュは断ろうした。
「迷惑だなんて……ううん、ホントはもっと早く紹介するべきだった」
ここ最近はお仕事と登山で忙しくて無理だったが、遅かれ早かれ紹介するつもりだった。
プラス自身まだ、心の整理ができてない。
両親になんて説明したらいいのか分からなかった。
だけどちゃんと伝えないといけない。
家族として、自分の口から言わないとダメだと思っていた。
「大事な話があって、母さんたちと一緒に聞いて欲しいの」
「話? なにさ?」
「それは秘密」
「は? なんで勿体ぶるのさ」
アッシュがすねた。
今はまだ戦いの最中で、しかも拷問で受けた心傷も治ってない。
あまりアッシュを動揺させたくはなかった。
「実家でちゃんとお話しするから、それでいいでしょ……ねっ?」
「……もういいさ、別に」
「わたしたちのこと、これからについて、色々お話しすることがあるわね!」
「えっ、なんかそれ……」
その言い方だと何か誤解が生まれてしまう。
アッシュは身体一つ分引いた。
「ママ──母さんは口うるさいから気をつけなさい! いいこと? 何か聞かれても簡単に答えちゃダメよ! 話が終わらなくなるから」
プラスが親の攻略法をレクチャーし始めた。
「父さんはー、そうね。昔は厳しかったのだけど、今はそうでもないかも。たぶんアレね、孫を溺愛するタイプだわ」
「ま、孫……⁉」
アッシュは突然、目を大きくした。
「きっと2人ともあなたを歓迎してくれるはず……ってどうしたの?」
「い、いや、だってさ……」
「うん?」
確かにプラスは美人である。
実情はコレだが、誰もが振り返るほどの美しさだと、第二教区でも有名だった。
しかし、日々ギルド長として、部下たちには尊敬と畏怖の念を抱かれおり、憧れはあれど、どこかのマリコ以外にそういう対象としてみる者はゼロに等しい。
また、誰かの懐に収まる器ではないことは、皆が理解している。
良い寄ろうものなら、その者はギルドから総叩きにあうことだろう。
さらに、最近では良からぬ噂まで立っている。
話によると、おかしな格好をした見知らぬ女性とキスしようとしていた所を、ギルドの者が見たという。
もしかして、そっち方面なのではないかと。
状況は絶望的、孫を見せるなんて夢のまた夢のお話
まさかマリコ同様に自分と?
挨拶に行くとはそういう意味なのか?
アッシュのうぬぼれがさらに加速していく。
「フフッ」
プラスの見る目がなんだが優しい。
「な、なにさ?」
「別に、ただ可愛いから見てただけ」
アッシュは顔を引きつらせた。
「…………」
しばらく見ていたが、
スッ、
「っ!」
アッシュのお顔に手を伸ばす。
「ホント、兄さんにそっくりね」
相手の頬に手を置いてそう言った。
アッシュはどうやら父親似みたいだ。
「でも目や髪の色が違う、兄さんはわたしと同じだったし」
この柔らかい雰囲気は母親によるものなのだろうか
祖父母とは違う。
それとも、この子特有のものなのか。
どちらにせよ、アッシュという存在はあって、それは確かにここにいる。
プラスはほっぺをフニフニしながら、そんな考えに浸っていた。
「フンッ、また兄の話かよ。オレはオレって何度も言ってるだろ」
アッシュはプイッと顔をそらす。
まだ知らぬ父親に嫉妬していた。
「うん、ちゃんと分かってるから」
「…………」
「そろそろ戻るわね」
早く部屋に戻らないと、明日退会できなくなる。
プラスは立ち上がって窓を開けた。
「また外から出るのか? 別に中からでも……」
「心配には及ばないわ! 誰にも見つからずに戻って見せるから!」
完全ステルスを狙うそうだ。
このお姉さんはやる気満々である。
「また明日も来るわね、あと今日のことはハリスには内緒よ?」
アッシュも立ち上がり、プラスを見送った。
「……少し背が伸びたわね」
「今度はなにさ、今日のプラスはどこか変だ」
「なによ、それにまだわたしの方がおっきいけど!」
プラスは背伸びをして少年と比べた。
「同じくらいだろ、なんでそこで張り合うのさ」
アッシュも負けじとつま先立ちになる。
「フフッ、じゃあもう行くわね。おやすみアッシュ」
「ああ、おやすみ」
プラスは窓から身を乗り出す。
たくさんお話もしたし、約束も取り計らったのでもう満足。
そのまま部屋から出ようとした。
「大きいと言えば、プラスもさ……」
しかし、
「ちょっとだけ胸が──」
バンッ! 一瞬でアッシュを壁ドンする音。
「っ⁉」
バチッ、バチバチッ、シュウウウゥゥゥ……
衝撃で壁に穴が開き、手のひらがめり込んでいる。
「なんですって?」
目に雷が血走っている。
「…………」
終わった。




