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決別の足音



「長くつきあわせてしまったわね。セピアは、もちろんこの私よ。ホゥアン儀礼官」

「やはり。ああ、やっと胸のつかえがとれました。大使はヴィタリー氏の薫陶でそれからも大変な研鑽をお積みになったのですね。なるほど……そしてその折の時計が、いま大使がお持ちのものだというわけだ。イェリス出の家庭教師殿との思い出の品。二国が親しく交わり始めるその端緒をその時計に目撃させようと」

 

 ホゥアンは自分の中でうまく繋げられた線に満足げだ。

 セピアは、まだ開く様子のない隣国からの扉を見やる。


「そうできたらいいわね。ヴィタリー先生が、そこまで見越して私にこの時計を渡してくれたのかはわからないけれど」

「聡明な御仁のようなので、きっとそうでしょう。政変の折、人質を解かれてからも、国に戻らず雲隠れしていた姑息なエリストラートフとは違いますな」


 出自ゆえ隣国にあまりいい印象をもっていないらしいホゥアンには答えず、セピアはふと窓の外に目をやる。


「先生が時計をくださったあのとき、ほんとうにうれしかった。自分の名に、両親が込めた祈りを知ったことも。でも、それから先生との別れは、突然にやってきたの」

「ふむ。閣下、まだ手紙の謎が残ったままですな。『別れ』と関係があるとこの爺は踏んでおりますが……」

「もう、ホゥアンは本当にせっかち!」


 セピアが笑うと、一羽の白い鳥が、夕焼けの空をはばたいていった。


   ◇


 すべては順調だった。

 成長を見据え、セピアの元には芸術や音楽の専科の教師も通うようになり、いまではかつて彼女が野生児とさえ罵られていたとは誰も思いもしなかった。

 ヴィタリーはいつもそばにいた。

 博学なヴィタリーの元での勉学は、セピアにとって楽しいものだったし、外部の講師を招く時にも通訳として欠かせなかった。

 そんな平穏な日々が続くとつゆほども疑わずセピアは過ごしていたが――。

 あるいはそんな広がり始めたセピアの世界が、ヴィタリーの平穏を脅かしたのかも知れなかった。

 フィン=ファムの屋敷に不穏な知らせが届いたのは、ヴィタリーが屋敷に来て二年ほどたった春のことだった。


「シーナさま、近ごろ屋敷の周りを見かけない顔がうろついています」

「浮浪者のたぐい? 気をつけなさいな。まだ廃屋が残っていますからね。女手と老人ばかりの家だもの。住みつかれでもしたら厄介……」

「それが……」

「どうも、ヴィタリーさまを探しているのではと」

「ヴィタリー先生を?」

「庭師が言うには、イェリス訛りのある不審な男たちだそうです。お耳に入れておこうかと」

「そう、ありがとう。女手だけでは難しいかもしれないわね。人を呼んで対処するようにしましょう。すぐにツテに手紙を書くわ。セピア様には、しばらくはおひとりで外に出ないように伝えて。あなたたちもよ」


 フィン=ファムの屋敷はにわかにざわつきはじめたが、セピアには、理由を伏せたままこう伝えられた。


『おじょうさま、一人で外に出ないでください』

『どうして?』

『どうしてもです。絶対ですよ』


 手話を覚えて日の浅い女中(メイド)たちからおぼつかない手つきで伝えられたが、理由の伏せられた制限におとなしく従うセピアではない。

 セピアの中にはいたずら心と反骨心がまだ息づいていた。

 なにかを隠しているくせに、まるでなんでもないかのようなメイドたちの口ぶりもしゃくに障った。

 せわしなく動き回る女中たちから隠れ、セピアは様子をうかがう。

 エスケープは得意な方だ。

 窓の外には抜けるような青空が広がっていて、白い雲がのんきそうにぽっかりと浮かんでただよっていた。

 こんないい陽気なのに、屋敷にいる法はない。

 首尾よく外に出たセピアは、周りに目を配りながら本邸へ向かった。

 見上げる。

 深く木々に覆われていく、懐かしい家。時経て焼け跡は太いツルやツタに絡めとられ、どこかいまはみずみずしさを宿してみえる。

 崩れ落ちたものさえ、新しい息吹は包んでいく。時は進んでいく。

 ヴィタリー先生は教えてくれた。

 とまらぬ時の中で、セピアが動かしうる命運があるのだと。

 あの日の恐怖や悲しみが薄れることはないけれど、ここはセピアがこれから乗り越えていくゆくべき象徴だ。

 セピアはいつも服の隠し(ポケット)に忍ばせている銀の時計をポン、と叩き白い頬に笑みを浮かべた。

 きっと本邸の裏の木苺のしげみが、赤く色づいてセピアをまっている。

 ヴィタリーは木苺のジャムが好きだ。

 シーナのジャムは絶品だから、たくさん摘んで作ってもらおう。きっとよろこぶ。ヴィタリーは休暇ででかけているけれど、今日の夕方には帰ってくるはず。

 セピアは服の裾をつまみ、駆け出し――。

 本邸の裏でセピアは、女中たちの危惧通りに二人組の男たちに捕らえられたのだった。

 口を強く押さえ抱えられ、もがけどセピアの力では抵抗することもかなわなかった。

 セピアが連れ込まれたのは薄暗い小屋の中だった。

 古い農具小屋のように思われた。こんなところがどこにあったのだろう。

 本邸の庭園のすみだろうか。それとも、荘園と屋敷の境目の――。

 考えても、いまセピアにだせる答えではなかった。

 ちらりと見えた、周囲は荒れ放題になった藪が覆っていて人目につきにくい。

 セピアが口を読んだところによると、男たちはここに数日ひそかに潜んでいたらしかった。土間にちいさな火が灯る。


「おいおい、今日はやけに冷えるな。こんな火じゃたりねぇよ」

「耐えろ。これ以上は藪も隠しきれん」


 セピアは口を塞がれ、手足を縛り上げられていた。

 恐怖にすくんではいたが、泣きはしなかった。

 フィン=ファムの女は誇り高く強くあれ。母の言葉とシーナの教えは少女の中に生きている。

 じっと男たちを観察した。

 ひとりはもじゃもじゃの黒ヒゲのある中年の男で、陽気な顔つきだが頬には大きな傷跡があった。欠けた歯で笑う顔にセピアはおぞましさを感じてぞっとする。リーファの農夫のいでたちだがあまり清潔なみなりではない。

 もうひとりは赤毛の男で、同じく農家風のボロを着ていたがこちらは頭髪も顔立ちもずいぶん整っていた。だが、二人とも銃を持っていた。

 ヒゲの男は酒の瓶を口にしながら、縛り上げたセピアのそばにしゃがみこむと、少女のアゴをちょいと指先で持ち上げた。


「まちがいねぇ、屋敷の娘だな。いい手札になる」

「ああ、だが耳が聞こえないようだな。反応がない」

「ほーお、じゃあ、字を書いてみるのはどうだ?」


 髭面の男は胸元から取り出した汚れた紙に、旅道具のペンでスラスラとクセのある字を書いた。


《ヴィタリーという男を知っているか》


 セピアはぴくりとも動かず、答えない。

 どう動けばいい? 必死に考える。

 髭の男は腰に短銃を差している。赤毛の男のそばにも同じものがある。

 下手に動くことができないのはわかっていた。

 こんな男たちの用事が、ヴィタリーにとっていいものであるはずがない。


「こりゃだめだ。わかってないみたいだな……」


 無反応のセピアに髭の男は肩をすくめ、赤毛の男は表情ひとつ変えずに息をつく。


「まあいい、聞こえないとわかれば話しやすい」

「どうする、このまま脅迫と洒落込むのか。それとももう一匹伝令役に、屋敷の女でもとっつかまえるか? せっかくならいい女がいいな。ハハ、戦役のころを思い出すな」

「ろくな隊にいなかったと見えるな。婦女子への蛮行は御免被る。あの男の所在を確かめ、交渉できさえすればいい」

「へっ、お利口さん、ガキを捕まえといてそりゃないぜ。まぁ、この屋敷に潜んでるのは確かだというからな。交渉なんて笑えるぜ。書簡のありかを聞いたら殺すんだろう? 生きてたって邪魔なだけだ」


 カッと頭が焼けつくような感覚があった。

 ところどころ読み取れない会話の断片をつなぎ、脳裏で必死に形にしながら、セピアは破けた窓から見える夕日を確かめる。やがて夜だ。

 ヴィタリーは屋敷に戻った頃だろうか。

 どうにか、この危険を知らせねばならない。

 縛られた足首をすり合わせる。どうにか縄がゆるまないかと試みる。

 だが、髭の男にその様子はすぐに気づかれたようだった。

 男は腰の銃を左手の指先にひっかけ、子どもをあやすようにクルクルと回しながら少女の元にしゃがみ込んだ。


「おぉや、お嬢ちゃん抵抗はよしな。ケガしたくないよな?」


 セピアが睨みつけると、髭の男は銃を腰におさめ、からかうように少女に向かって手や指先をふりかざし、ニヤリと欠けた歯を見せて笑った。

 セピアが驚いて、ぎゅっと握りしめていた手をほどくと、赤毛の男は冷たい調子で言葉を投げた。


「変に構うな。情がわいてはつまらん」

「余計なお世話だよ、お利口さん。屋敷に火でもつけてあぶりだせれば楽なのにな。また現場がココってのは因果なもんだ。前の火事もあんたがやったんだってな? 親前王派の筆頭だったからな、ここの死んだ主は」


 セピアの方を向いたまま綴られた言葉に、少女はサッと顔色を変えた。


「あのときとは目的がちがう。我々の主の王権がかかる。書簡は必ずあの男が持っているはずだ。『王杖』のありかを、前王がヴィタリーに託している」

「前の王さまから、拷問の末に聞き出したんだってな? やっこさん、ずいぶん耐えて苦しんだとか。しかし、火付けの次は子供の誘拐とは、せせこましい所業の上に乗った新しい王様だぁな。国の存亡に関わるご大層なことをオレらに頼むなんてのが、そもそもの間違いなんだよ。人望がないってのはあわれだよなぁ。あのお坊ちゃんで、荒れたイェリスが治められるのかね」

「口を慎め、不敬だぞ」

「はいよ、お利口さん」


 髭の男はニヤニヤと笑い、つまらなそうに空になった酒瓶を放り投げた。

 男たちの会話の間。セピアは燃える怒りを押し込め、じっと息を殺していた。

 いまは耐えなくてはならない。

 彼らの口唇を必死に読んで記憶した。

 逃げなければ、ヴィタリーに教えなければ――。


「このお嬢ちゃんはどうするよ。もう屋敷の連中にお嬢ちゃんがいないのがバレたころだろうし、そろそろ動かねぇと――」


 髭の男が言いかけた時だった。

 黒布の外れかかった窓のすみにチラチラと光が瞬くのが見えた。

 見慣れた光だ。

 あれは、鏡? 

 セピアが注意を向けてすぐ、赤毛の男がもたれていた壁の窓から桶いっぱいの砂が、浴びせるようにあとからあとから雪崩れ込んだ。  


「くそっ、誰だ。おいっ!」


 ひとりの目を塞がれたと同時、小屋の戸が破られ黒い人影が転がり込む。傷んでいた木材が弾けるように折れたのをセピアは見た。

 木戸のそばに立っていた髭面の男は、その瞬間痛みにうめいて左腕を押さえ体を折った。間をおかず、かがみ込んでいた黒い影に足を引かれ無様に地に伏せられる。

 たてかかっていた農具が髭の男の上に、ガラガラと崩れ落ちていく。

 赤毛の男は、砂の入った目を開けられないまま、砂を噛む口で咆哮した。


「ぐっ!! ヴィタリー!」


 赤毛の男は叫びと共に、地に放っていた銃を手探りにさがす。

 それを遮ったのは灰色の目の少女だった。

 セピアはほどけて足元にわだかまっていた縄を置き去りに、男の手が短銃に届く前に駆け出していた。

 片目を覆う男がのばした指先から、銃を蹴る。

 だが、非力な少女にできたことなど何ほどのこともなかった。

 腕を縛られたままのセピアを赤毛の男はたやすく捕らえると、細い首を軍人の腕で締めて抱え上げ、ふさがれた口からくぐもった苦鳴をあげさせた。

 小屋の中に鋭く声が響いた。


「セピアッ!」


 飛び込んできた黒い人影と声の正体は、ヴィタリー・オゼロフその人でしかなかった。

 その手には鈍い色の銃が握られていた。突入と同時に、それであの黒髭の男の左腕を撃ったらしかった。

 銀の髪は日没後の闇にわずかな光を弾き、怒りのこもる薄青の瞳は冷たく冴えている。

 赤毛の男は叫ぶように言った。


「ヴィタリー、銃を捨てろ。子どもの命は惜しいだろう? 杖の在処はどこだ! ……おい、お前。いつまで寝てるつもりだ!」


 赤毛の男がうながすと、倒れ込んでいた髭面の男が肩をかばいながらむくりと起き上がる。

 男の腰にはまだ抜かれない銃がある。

 ヴィタリーの表情が険しくなる。

 セピアは必死に視線をヴィタリーに投げ、かすかに首を横にふった。


「ヴィタリー、娘の命はあんたが握ってる。わかるだろう?」


 赤毛の男がニタリと笑い、セピアのほそい首を締め上げる強さが増す。

 少女の顔はみるみるうちに赤く染め上げられる。

 左腕をダラリと下げた黒い髭の男が、無言のうちに右手でぎこちなく銃を抜く。

 ヴィタリーに、銃口を向ける。

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