5. 実習の許可
◇
レイは校内にあるハウリの木の前にやってきていた。
「レイ、それは食べるには早いんじゃないか……?」
「食べないよ。というか食べられないよ。この時期のハウリは毒性が強いから」
ハウリは春先に生る果実。これに似た果実であるりんごは、まさにこの頃、秋から冬に生る。実はハウリも確かに実を持つが、間違っても食べてはならない。
もともとハウリは戦時に春先に生るように魔法的な改良を施したもので、その際に秋口と春先に実をつけるという不自然な生態を持つようになったのだ。
実際、これを知らずに占領地のハウリを食べた中隊が行動不能に陥ったという話もあるくらいで、毒性を含むのはわざとだったのかもしれない。
「この時期のハウリには麻痺作用のある成分が含まれているって聞いたんだ。ちょっと使えそうだなって思って」
毒なって抽出して、一体何に利用する気なのか、カインは少し気になったが、その疑問は口には出さなかった。
レイはハウリを一つもぎ取り、石版の上で思い切り叩き潰す。果汁は石版に染み込んでいく、思えばその石版は魔法陣が描かれていて魔具の類だった。閉鎖-開放の魔法陣、通称"バッグ"
「レイ、前から思ってたんだが、その魔法陣の仕組みどうなってんだ? 水とかを吸収できるのは解るんだが……」
バッグは通常、自然系統の主要五属性、主に水について採用されるべき代物だ。魔法陣魔子が固定された形で存在し、それらの活性不活性を調節して、客体を召喚及び収納する。
だが、今回の場合客体は「ハウリの毒成分」である。収納する分には問題はなさそうだが、召喚ができるとは思えない。
カインがそこまで理解していて聞いたのかは不明だが、なるほどレイのバッグの使い方は違和感を覚えずにいられない。
「うーん、それはちょっと秘密かな」
だが、レイは回答を拒否した。意地悪というより、単に面倒だったのだろう。それに説明するわけにもいかなかったのだ。
「な、なんでだよ!」
「だって説明してもわからないでしょ?」
「ぐっ…………」
カインは自身の術式理論学の成績を思い出していた。
レイはその後、幾つか実を潰して成分を抽出した。
「じゃ、行こうか」
「ああ」
◇魔法公学校 訓練場
「実習科目か」
海女内は提出された紙を一瞥し、学生の方に顔を向ける。
「実力としては伊那は申し分ないな。七里、お前も校内戦での成績を鑑みるに許諾されるだろう」
訓練場にいるのは実技科目が終わったあとだからだ。
「潤女、お前は学生会であるから問題があると困るが……。まぁ、お前も武技競戦で優秀な成績を収めているからな。魔法技能がなくても許可は降りるだろう」
海部内は敢えて後回しにしたニーナの方を向いた。
「クィーソード。お前はどうなんだ?」
「ぁ……」
ニーナは名指しで言われ、案の定と言うべきか、怯んでしまう。
ニーナには無意識発動の兆候が見られる。これがニーナが一度カインの誘いを断った理由だ。魔法の技量が低いのもあるが、ニーナが最も恐れたのは無意識に他者を傷つけてしまうことだ。
「先生、だいじょッ……!」
カインが割り込もうとしたところをカエデが手で制止した。
「ニーナ。海部内先生なんかに怯んじゃダメ。外に出れば悪い人なんてもっといるのよ?」
海部内は「なんか」という表現に少し引っかかりを覚えたが、不問にした。それよりもいまはニーナを見極めねばならない。
「……私は、」
ニーナは体側で手を強く結んだ。
「……他の人、が、怖い、です」
「で、でも、このままじゃ、いけないってこともわかってます」
辿々しく言葉を紡いでいく。
「……だ、だから、私は実習に参加したいです!」
ニーナは順接を使ったが、幾つか言葉が飛んでいる。だが、それより海部内には懸念事項がある。
「……実習は集団で学外を動く。それには最低限の自衛力があればいい。実習は実戦演習ではない。基本的に交戦は起きないものだ」
海部内はニーナだけに言っているように見えて、三人にも伝えている。
「ニーナ。お前の魔力量、魔力容量は伊那に匹敵する。だが、魔法技量は遠く及ばない。……もし、実習でお前が孤立した時、暴漢にでも襲われたら自衛力を行使できるのか?」
海部内は「匹敵する」と言ったが、実際はニーナのほうが明白に上回っている。
「……そ、それは」
「学外というのは開かれた世界だ。学内ではその殆どの脅威が取り除かれているから、お前たちは呑気に笑っていられる。いまの世界では戦争はないと言われているが、不届きな輩は五万といる。大人、子供、男、女問わず倫理を侵すものは数え切れない」
「……わ、私は、ひ、人を傷つけたくないです!」
「ならば、お前は自分を犠牲にすることを受け入れると?」
海部内の視線がより鋭くなった。
「その時は僕が彼女を守ります。僕にはその術があります」
一歩前に出て、答えたのはレイだった。傍から聞けばどうもくさいセリフだが、レイはそのようなことに気がついていなければ、そのような意図もなかった。
「お前は魔法が使えない分、守られる側のはずだが」
そもそも「ニーナが孤立した時」のシチュエーションだ。レイの言い分は本来的を射ていない。
「僕は学生会です。学生を守る使命があります」
「それは学内の話だろう?」
「いえ。学内に限定する『規定』は存在しないです」
そも、学内で一般学生を守る義務を規定するものも存在していないが。
「ならば、証明してもらおうか」
「なッ!?」
その言葉と同時に海部内の魔力が大きく狼れた。いや、狼したのだ。
それにはレイ以外の三人はすぐに察知し、そのうちの二人はすぐに各々の行動を取った。
カインは間合いを取って腰を落とし、カエデはニーナの腕を掴み、風属性魔法で後方に跳躍した。
特に訓練もしていないであろうに、カインとカエデの息はピッタリで、海部内は心の中で感心する。おそらく、カエデがカインの性格を鑑みての行動を取っただけの可能性が高いのだが、それでもだ。
しかし、レイは魔力、魔子波動を察知できないので、二人に対して反応がわずかに遅れた。
海部内は言い終わると同時に跳躍し、レイの頭上を飛び越え、ニーナとカエデを標的に【風刃】を展開した。
「えッ!?」
カエデはその展開速度に驚きを隠せなかった。
最初に見せた魔子の乱流はあくまで「いまからテストするぞ」という合図に過ぎなかった。だからこそ、二人(三人)は実質的な不意打ちは受けなかったし、海部内も乱流に対してワンテンポ遅らせて動いている。
だが、【風刃】の兆候をカエデは掴めなかった。いや、気づけていたとしても、それに対抗する魔法を放つ時間などない。
どのような魔法でも「魔法兆候」というものが必ず先行する。このメカニズム及び理由は解明されていないが、明らかになっていることは、魔法兆候の大きさは魔法の規模に比例するということだけだ。【風刃】は規模の大きい魔法ではないが、この距離で兆候をキャッチできないとカエデは思わなかった。
だからこそ更にカエデの動きは遅れた。しかし、冷静になれば「魔法の展開と兆候」がほぼ同時に起きただけだ。
思えば相手は魔法公学校でも一等教諭にあたる。同級生を相手にしているわけではないのだ。展開速度も普段目にしている同級生たちの比ではない。
魔法戦闘は先手必勝な側面がある。専守防衛など、よっぽどの実力と魔法技量がなければできない。
かといって、カエデは体勢の崩れたニーナを掴んだままその魔法を回避することなどできない。それに自身が風属性魔術師だ。【風刃】の効果領域は比較的変更しやすい。少しの回避では領域を拡大されて無防備のまま吹き飛ばされるのが関の山。
だからこそカエデは怪我を覚悟で相殺する向きの風魔法を展開する――が。
「なにッ……!?」
空中で展開されたはずの【風刃】が突如として笑い飛ばせるような微風に変質する。残ったのはカエデの申し訳程度の杜撰な魔法。
摩訶不思議な現象だったが、その際に悪戯な紫の閃光が散ったので、魔法が消えた原因はその場にいた全員が簡単に推察できたろう。
「……潤女。説明をお願いできるか?」
四人のちょうど真ん中に降り立った海部内は徐にレイの方を向いた。紫の閃光(=紫影)に魔法的な気配がなかったので、迷わずレイの仕業であると見抜けたのだろう。
「みんなにも言うのは初めてなんですけど、僕はこの夏休みで【無機魔術】という魔法を直接消滅させる術を手に入れました」
「え!?」
「……は?」
カエデの方がやや早かったが、カインとカエデほぼ同時に声を出した。ニーナは目を丸くする。
レイは飄々と言ってのけるが、魔法を直接消す魔法などおよそ七〇〇〜八〇〇年間存在していない上に、不可能魔法の一つだ。魔法のメカニズムから、それが不可能なのは明らかなのだ。
だから、このようなことを言っても信じられる者はいないだろう。こうして現に経験しない限り。
「……聞いたことのない魔法だな」
その声には少しの困惑が含有されていた。他の学生なら「戯言」と一蹴できるものだが、レイは魔法が仕えないだけで魔法学には精通している。事実、魔法陣を作れるということは魔法を作れるということだ。
「便宜上『魔術』と呼んでいるだけで、これは魔法じゃないです。実際、僕には魔子が循環していないですし、それに無機魔術は魔子を一切消費しないので」
海部内は目で続きを促した。
「僕も無機魔術のメカニズムとか効果を全て把握できているわけではないんですが、解っていることは魔法の発動を阻害することと、展開された魔法の効果を取り消しできること、そして気質が雷属性魔法に似ていることです」
実際には無機魔術を解放すると身体能力が上昇するということも挙げられたが、ここで言う必要性が感じられなかったので、明言しなかった。
「つまり、お前は魔法が自分に届く前であれば魔法を消し去ることができるのだな」
「はい。ただ、万能でもないです。複雑な構造の魔法とか規模の大きい魔法はその分、術式を破綻させるのに時間がかかりますし、無機魔術が届くのはせいぜい前方一〇メートルくらいです。ただ、【紫影】の速度は対象の魔法が雷属性であっても遅れを取らないので、魔法が発動したことが解れば対象の術式を解除できます」
「なるほど。だからこそ、ニーナを『守る』と言えたのだな」
「はい。仮にニーナの魔法が暴走しても、無機魔術があればニーナの魔法を安全に解除できます」
レイの無機魔術は魔法に拠って引き起こらされた現象には干渉できないが、魔法の無意識発動は基本的に本人の意思と無関係に魔法が待機状態になるだけで、現象化の前段階である。だから、ニーナで言う炎属性魔法の暴走、《発火》《燃焼》が破綻すれば、炎は消滅する。逆に現象化された炎、及び現象次元の炎はいくら紫影を発動させても消火することはできない。
つまり、レイが破綻させることができるものは魔法が絡む現象に限るということ。
このこともレイは把握してはいたが、わざわざ伝えることではないと考えた。
「なるほどな。魔法の発動も阻害できるのなら、お前が得意とする純然な武技での戦闘に持ち込めるわけだな」
「はい」
海部内は一度、紙に目を落としてから、
「わかった。この紙は受理しておこう」
海部内は実は最初から受理する気ではいた。ニーナの懸念はあるが、他の三人は実習を履修する上で十分な実力がある。結局は第3クラスの実習だ。戦闘演習ではない。せいぜい魔法技術の施設や近くの村を訪問する程度のもの。道すがらで暴漢や賊に出くわす可能性はゼロではないが、それを言えば彼ら彼女らが家から学校に行ったり来たりするほうがよっぽど危険だ。
――と海部内は考えていた。それはもちろん学校側も同じ意見だろう。
◇
「それにしても、レイ。お前いつの間にそんなのできるようになってたんだよ〜」
「つい最近だよ」
「でも、あんたそれがあったらもう向かうとこ敵なしなんじゃないの?」
カエデはやや不信感を一匙、声音に含ませた。
現代では戦闘魔術師でも武術や武技は必要最低限のレベルでしか体得していないことが多い。
「いいや。僕の場合魔法が発動されたあとに紫影を合わせなきゃならないし、紫影の射程圏外で魔法が展開されたら、僕にはどうしようもなくなる」
「でも、魔法を発動させなくできるんじゃないの?」
「それも結局紫影の範囲内じゃないといけないし、一時的なものだから……」
この年頃の男子にしては、レイはやや冷めた評価を無機魔術に下していた。おそらく多くの男子は、このような「魔法を打ち消す能力」などという世界中探しても自分しか保有していない特別な能力を有していたら、飛んで喜ぶのが普通だろう。
隣を歩くカインなどはその典型例だろう。
だが、レイには喜べない理由があった。
レイは世界で唯一、魔子を保有しない人間だ。故に魔法も扱えず、挙げ句魔法を受け付けない。さらには無機魔術という魔法を打ち消してしまうような能力を得てしまった。
魔法学校に来たのに、どうして魔法を否定する能力を覚醒させているのか、ますます世界から孤立していく気がしたのだ。森にいれば「孤独」なんて抱かなかっただろう。レイと雀兎しかいなかったのだから。
レイは縋るように傾き始めた陽の方を見上げた。
心のなかで呟く。
(お日様。僕は世界から嫌われてしまったのでしょうか)
ええと、普通に大学と課外活動で時間がないのです。
一日にアディショナルタイムって適用されたりしないですかね。しないですね。
相対論とかでどうにかこうにか時間伸ばせないかなとか考えてみましたが、その時間が勿体ないことにやっと気が付きました。
まぁ、忙しいといえども、休むときはガッツリ休んでいるので、むしろ休んでいるから時間がないまでありますね。




