3. 誤算の始まり
片翼をもがれたドラゴンはそれでもなお、飛翔しようとした。右の翼は鳴るが、張るべき左の翼はもうない。
隻つの翼はその巨躯を宙に飛び上がるには非力が過ぎて、身動き取れず、セバスティアンの斬撃をもろに受け止めることになる。
さらに片翼になったことで、身体の均衡を保てず、戦局はますますセバスティアン優勢となっていた。
血の刃が大地を掻っ攫う。ドラゴンの巨躯は横転し、千の鉄血の矢が降り注ぐ。
ドラゴンは息吹を吐くが、至って的外れな方向で、セバスティアンの攻撃は止まらない。
《赤血の盟約・鎖》
体表に貼り付いた血液が沸々と蠢き、ドラゴンは厄災の炎こと赤血の牢獄に緘じられた。
禍々しい魔物の形をした赤黒い暗翳は、一つの死を体現させた巨大な花に呑まれる。
つまるところ、これは封印魔法だ。セバスティアンの封印魔法はその瑶緘が血であるため、封印が完成すれば術者がいなくとも独立して魔子を循環させるため、封印対象が生きていても一定の堅さを保ち続ける。
「……おう、じ……」
六華の前に辛うじて立つセバスティアンからは大量の血液が喪われていた。蹌踉しながら、堕ちたドラゴンの片翼の元へ辿り着き、両眼をぎらつかせノスフェラトゥのような牙を剥いた。
ぐしゃ、と生々しい音が木霊した。
魔物の血液は人間にとって毒ともなる場合があるが、セバスティアンには毒の耐性がある。というのも、血液の補給するのに他の生物の血液を摂取するという手段は容易に考えられるわけで、そのために耐性をつけたのだ。
それに彼の魔法は血液を操る。血液を飲むことによる毒死のリスクはないと考えてもいいだろう。
筋肉を引き裂き、魔法でも血液を回収していく。バトラーとしての作法などは非ず、セバスティアンは本能の傀儡となって死んだ肉に齧り付く。
裸の咀嚼音と、屍肉が削がれる悲鳴が遺跡に染み付いていく。
もうこの遺跡には殆ど命が残っていない。
血液を回収していくにつれ、セバスティアンは徐々に意識を取り戻していく。そもそも封印魔法なぞという、高等な技術のいる魔法は無意識状態で発動できるようなものではない。
だから、すでに意識は殆ど戻っていると考えてもいいだろう。
セバスティアンの顔に血の色が戻る。ドラゴンの翼はもはや骨と皮だけとなっている。
「……………王子!!」
セバスティアンは立ち上がり、崩壊した遺跡を見廻す。近くにヴァーメイルの気配は感じない。
得意ではないが、索敵魔法を行使した。索敵といえども、別に敵意を察知するような魔法ではないから、ヴァーメイルが生きていれば、もしくは魔子が循環していれば察知できるはずである。
セバスティアンは風前の灯であるが、たしかに魔力反応を察知した。
◇
封印されたドラゴンは体表にだけでなく、息吹を吐いたままの口からも血液は侵入していて、それが硬化しきっていたので、意識はまだ残っていたが、身動きなど取れるはずがなかった。
体温は急速に下がっていき(=魔物は概してホメオスタシスが安定していない)意識はやおらに薄れていく。
ドラゴンは薄れゆく思考で考えた。
なぜ、魔物もどきに封印されているのかを。なぜ、眼前の景色が全て闇色なのかを。なぜ、魔物もどきに戦慄しているのかを。
ドラゴンは生物としての恐怖を持ったのだ。
生物としての恐怖とは絶対的な「死」だ。それはいかなる生物にも待ち受けていて、「死」の要因は多岐に渡る。
殺害、病死、事故死……老衰、自死まで。
ドラゴンにとっては、老衰、病死以外は殆ど関係のないところで、保つ体温の高さでめったに罹患もしない。
したがって、殆どの種が天寿を全うする。
ドラゴンの思考はますます静かになった。
ドラゴンは過去を振り返った。
魔物の記憶力はどれほどのものかについては、全く研究が進んでいない。そもそも一般的に寿命が短い魔物の研究は簡単ではない。
だが、ドラゴンはたしかに過去を鮮明に覚えている。
いつでも心地の良い人間の断末魔をリピートできるように。
ドラゴンは火を吐いた。いや、吐こうとした。
グルゥ……
ドラゴンは抵抗をやめた。
覚ったのだ。もう、二度と心地の良いそれを聞けないことに。
もう、二度と魔物もどきを弄ぶことができなくなることを。
そしてやっと、ドラゴンは恐怖を知った。たしかに知った。
ドラゴンは死にたくないと思った。
ドラゴンは生きていたいと思った。
ドラゴンは生にすがり始めた。
ドラゴンは牙を爪を振り回したいと思った。
ドラゴンは幾星霜ぶりに街衢を焼き払いたいと思った。
ドラゴンはそれでも身動きがとれないことに
脳が沸騰しそうになった!!
そのころ、セバスティアンは瓦礫に埋もれたヴァーメイルの元に辿り着き、治癒魔術を展開した。
「「王子!! 王子!!」」
ヴァーメイルにのしかかっている瓦礫は敢えてどかしていない。土属性魔法を得意とするセバスティアンには寧ろ都合が良かったからだ。
セバスティアンにはもう殆ど土属性の魔子が残されていない。だからこそ、土を創成したり、移動させることは避けたかった。
瓦礫をそのままドーム状に変形させ、強力な結界魔法と治癒術式を付与した。
セバスティアンは立ち上がって、紅蓮の花を警戒した。
「……まさか!?」
――ドラゴンは底知れぬ怒りを覚えた。
恐怖は覚えるがそれは悲壮ではない。ドラゴンは魔物の王だ。生得的に弱い感情は持ち合わせない。
だが、その本能的な矜持を保ちつつも、魔物もどき(セバスティアン)を強き魔物と認めた。
紅蓮の花の内側より、切り裂くような一柱の閃光が走った。
光度のある紅のライトピラー。花弁は一枚一枚散っていき、新たに羽化したかのように魔物の王が姿を現した。
「なッ……」
セバスティアンは恐れる必要がなかったことをいま、恐れだしていた。
灼熱を体内に宿したドラゴンは残った自身の片翼を滑らかに切り裂いた。
グルルと静かに痛みに耐え、足元にいるちっぽけな宿敵を視界に収めた。
「ば、バカな…………」
セバスティアンが信じられなかったことは、自身の封印が破られたことではない。
いくら強固な封印魔法といえども、封印魔法には全て解除するための鍵は存在し、ドラゴンほどの魔力があれば強引にこじ開けることも可能だろう。
遉に突破されるのは早すぎたが――封印魔法でドラゴンを死に至らせる心算であったというのは彼の正直なところなのだが――問題はそこではなく、現れたドラゴンの腕から伸びているものだ。
(あれは……魔法……)
セバスティアンの目は一層見開かれた。ドラゴンの放つ灼熱の光に反して、瞳孔は拡張された。
現れたドラゴンは片腕に鋭い刃物のようなものを携えている。それは物質的な刃物ではない。
――魔法だ。
魔法師は魔物との圧倒的な魔力の差を魔力の効率性(=魔術)で覆してきた。
例を上げるならば、敵の方が魔力量が十倍高いとする。
この場合、逃げる、戦わないというのが正解である。が、もし、敵(=魔物)の魔法効率が1%(ここでは魔術の魔法効率を1とした相対評価を用いている)であれば、実質的に魔力面では十倍こちらが上回り、魔力面だけで見てもこちらが有利となる。
ドラゴンは持つ剣で世界を一薙ぎした。大振りであったから、見切ることはできるが、いかんせん規模が大きい。
剣は躱せても、漏れ出るように放たれる衝撃波からは逃れる術がなく、セバスティアンは魔法で受ける――が。
「ぐッ……………!?」
ドラゴンの魔法はただの一撃で、遺跡に崩壊を招いた。先までは外壁が捲られようと、地面を割られようと、構造は頑として護ってきた遺跡だ。
思えば、異様な丈夫さを持つ遺跡であったが、まさかドラゴンの魔法を想定して築かれてはいまい。
真正面から衝撃波を受けたセバスティアンは、未だ紅の稲妻の場で直立しているが、意識は飛ばされていた。
《赤血の盟約・界》
それをトリガーに術式が展開された。
崩壊する遺跡に逆らうように紅の球状領域が構築される。術者は更にその内側で二層の紅球に呑まれ、領域内にはドラゴンのみが残される。
ドラゴンが咆哮すれば、領域外縁は波打つが、領域は破壊されない。
そして上下を失った紅の空から炎の豪雨が降り注ぐ。その全てが赤血の剣であって、不可避の魔法だ。
領域内では【血盟】が強化される。これは大抵の領域魔法で起こる現象。簡単に原理をとくならば、自身の魔素以外に排他的な領域となるからだ。
だからこそ、いよいよ擦過傷でも致命傷なり得る。
だが、ドラゴンは防御魔法を展開した。誇る強度は人間の魔法師のそれと比べ物にならない。ドラゴンは完全に魔法を我が物顔として扱っていた。
当然のように、真紅の剣の雨を悉皆受け付けず――。
血涙が散った。
球状領域に一閃の刃が貫通する。
その時点で領域魔法は破綻した。
術者のセバスティアンは諸共灼け爛れ、崩落する遺跡とともに、奈落の底へ落つ。
ドラゴンは歓喜の火を吹き上げた。気がつけば、魔法による翼までも生えていたのだ。
なぜ自ら捥いだ翼を再び生やしたか。
それはドラゴンが天空を目指したからだ。
お久しぶりです。
大学が忙しかったり、忙しくなかったりしたので、投稿が遅れました。
最近、また創作意欲を取り戻してきたので、時間を作って書けていけたらなと思います。