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第八世界の無機魔術師  作者: 菟月 衒輝
第二章 夏休み
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16. 特訓

                  ◇



 月の里には高度のある霊峰、月下霊山と呼ばれる山があり、その中腹に一際巨大な滝があるのだ。すらりと懸垂幕を下ろしたような直瀑で、滝壺近くは騒がしいことこの上ないが、滝口のある緩やかな上流部は、ほどよく減衰した水音に、取り囲む緑の独特の匂いでとても落ち着いた場所である。


 霊峰、つまり山も森と同様に魔子濃度は高い。しかし、霊峰と呼ぶからには登山道は存在し、なるほど山奥は魔子濃度が高く危険だが、このように開けた川周辺、登山道などのエリアは安全が確認されているのだ。


 

 その川岸に薙刀を以て、仮想敵との実践的な訓練を行っていたのは、陸道右門だった。


 袴のみを身に着け、腰から上は日光に照らされている。巌のような筋骨ではないが、日の白光を乱反射させる汗に、艷やかな肌。無駄のない肉付きは、弛みのない研鑽を隠しきれていない。



 彼がこうしてわざわざ家で修練しない理由は複数あったが、そのどれもが大したことはなかった。


 

 右門は静かにすっと息を吸って、地を蹴った。

 ()()()に対して、間合いを破壊する突き。

 片足で一度地面をタッチしたかと思うと、身体を回転させ、斬り上げに派生する。


 薙刀だからこそ、その動きは「派手」ではなく、「華麗」となるのだろうか。



「「――――スゥ…………やァァァァァア!!」」



 薙刀を振り下ろし、遠間を一歩で詰め、水面を抉り取る薙ぎ払い。


 

 無言で流れていた清流は捲り取られたように二つに裂け、荒海の水飛沫を上げ、対岸を驟然とさせる。



 身体強化を使っているものの、彼の動きはまさに「武技」、世界東部の舞の一つを体現していた。



「……まだだ。これではまだ勝てぬ」



 右門は水面に反射する己の姿を確かに瞳孔に映し、薙刀を強力な無力感とともに握りしめた。


 陸道としての矜持を喪失した武器競戦。結局、レイは英をも追い詰めるほどの実力を持っていたからこそ、陸道の家からも情状酌量の余地があると、破門は免れたが、彼は自身のことは赦せていなかった。


 確かにレイとは全力で戦ったが、心に一切の曇りもなく、レイを実力者と看做せていたかと問われれば、「否」という答えしか選べない。


 それは完全悪とは言い難い。実力は置いておいて、レイは所詮は庶民。我流の剣術しか使えない。


 逆に右門は名門の生まれ。これまで積み上げてきた研摩、経験、そして()()()()()による自信とも言える。


 自分は正しく確かに努力してきた武術を持っているからこそ、レイには負けるはずも、そして負けてはならないと今でも考えているのだ。



「――よぉ、右門」


 ふと、彼の背後から声がかかる。彼にとってはあまり聞きたくない声であって、あまり聞くこともないはずの声の種類だ。


「なんのようだ。蓮歌」


 右門は振り向いて、蓮歌の姿を見て僅かに目を丸くした。


「いーや。お前が独りぼっちで練習してるっていうからあたしが付き合ってあげようかなって」


 彼女は珍しく武術用の袴と、刀を一本腰に差していた。


「不必要だ」


 右門はきっぱりと蓮歌の誘いを断る。そのまま右門はその場から静かに去ろうとする。


「じゃあ、あたしに武技を教えてよ」


 蓮歌のすれ違いざまのまさかの言葉に、右門は歩みを止める。



(――何をほざくか!)



「お主は魔法があるから武技、武術はいらぬのでござらなかったか?」


「――――」


 右門はもう一度蓮歌のほうに振り返る。


「拙者は陸道、お主は玖零院……お主、」


「うるせェ! 教えてほしいって頼んでんだから教えろってんだ!」


「それが教えを乞うものの態度かァ!!」


 右門は武術特有、いや、彼特有の厳しさを顔と声に表す。


「礼節を欠いた者に教えられる武術など、この世には存在しない! ……少なくとも拙者は存じない!」


 蓮歌は拳を強く握り、肩を沸々と上げる。


(――蓮歌……お主は本当に成長しないでござるな……)


 

 もし、魔法戦闘となれば右門に勝ち目はない。すでに右門は理不尽な拳を頬に受ける覚悟はしていた。

 それは彼が矜持を捨てきれない、いや、棄ててはならぬという意思の塊であることを同時に示す。


 右門は、薙刀を握り直した――――しかし、蓮歌が取る行動は彼の想像を超えるものだった。


「お、教えて下さい…………」


「――――ぁは……?」


 蓮歌の思わぬ行動(平伏)に右門は素っ頓狂な声を出してしまった。

 すぐに右門は薙刀の穂先を自分に返し、蓮歌に面を上げさせた。


「こ、これでいいだろ……」


 蓮歌は自分についた土埃を払う。


「……理由を訊いても構わぬでござるか」


 右門は軽く混乱していた。あの、魔法主義の蓮歌が、魔法至上主義を掲げる玖零院の子女が、頭を地につけてまで蔑むべき武術の教えを希った。

 彼にとってはいま、目の前の光景が革命と言っても過言とはならない。


「勝てないんだ。武術がないと……」


「……勝てない? お主には魔法があるでござろう?」


 それに蓮歌は武術を軽んじてはいるが、武術がからっきしというわけでもない。基礎は粗いが、持ち前の身体能力でカバーできている。第1クラスとして相応しい実力は有している。


 だからこそ、蓮歌は大成された武術を必要として来なかった。


「魔法が使えなくなるんだ……」


 蓮歌は俯いたまま泣きそうな声で答えた。


「……何?」


(――後天性の魔法障碍か?)


 蓮歌があまりに声を震わして深刻そうに言うので、右門は要らぬ勘違いをした。



「潤女レイ……あいつはあたしの魔法を解除できるんだ」


 そして思わぬ名前が右門の眼の前に立ちはだかるのだ。右門は先から蓮歌の言葉の内容に振り回されっぱなしだ。


「な、何故彼の名が出てくるのでござるか?」


「…………と、とりあえず、あたしに武術の基礎を教えてくれ……くださいってことなんだ!」


 蓮歌が目を潤ませるほどの、その強い懇願を断る理由が右門にはなかった。だが、気になる名が現れたことに右門も食い下がる。


「そ、その前に潤女レイが何故……」


「いいじゃんそんなのは!」


「教えてくれぬのなら、拙者もお主には武術は教えぬ!」


 これは少し苦しく、卑怯とは思ったが、背に腹は代えられない。


「――むぅ…………」


 蓮歌も逆上して右門を一発殴って帰るという行動に出かけたが、それでは成長の芽を自らで刈り取るような気がしたので、素直に右門の問いに答えることにした。




◇月の里 零月家



 レイは苒との練習が始まってからというもの、一日中、玩具のように投げ飛ばされっぱなしであった。


「ああ゛……お前はいつんなったら成長すんだァ?」


「……くッ!」


 蓮歌と戦って以来、レイは無機魔術《紫影》をはっきりとは発現させられていなかった。


「誰よりも強くなるんじゃなかったのかァ?」


(つくづく小言が煩い人だッ――!?)


 倒れるレイの眼前に一羽の黒い蝶がひらりと舞う。



「ぐぁわァァァァ!!」


 アッパーを喰らったかのような衝撃を受け、レイは綺麗な抛物線を描いて地に落ちる。


「なにするんですか!」


「ああ゛? もう、俺も付き合うのが面倒になってきたからなァ。特訓と称してお前を気絶させてしまおうってなァ……」


 苒は自身の周囲に闇色の焔球を浮遊させた。



「――ゑ?」


 レイは明らかな危険を感じ、即座に立ち上がる。


「ほらァ……死にたくなきゃとっとと成功させろォ」


「え、ちょっ! まッ!」


 黒球がレイの足元めがけて飛来する。牽制のような魔法だったから、跳躍で軽く躱せたが、それは確かに地面にクレーターを造った。



(――この人……本気だ……)



「え……」



 再び、レイが苒を見た時、そこには確かに無視しきれない仰角が定義された。



(――飛行魔法? そんなばかな!)



 苒は先までいた場所の上空に浮遊していた。それは飛行魔法ではなく、纏魔だが、その判別はレイにはできない。



「なーに鳩が豆鉄砲を食ったような顔してんだァ? そんな余裕があんのかァ?」


 突如して暗雲が立ち込め、まだ朝だと言うのにレイのいる零月家の庭は夕闇に染まる。



「う、うそでしょ…………」



 急な天候の変化ではない。晴空に現れた靉靆する黒の網の正体は苒の【黒蝶】だ。


 その不穏な黒が次にどうなるか、想像するのはレイにとって容易だった。



「一応、五秒だけ待ってやるゥ。五秒以内にこの魔法を解除しろォ。出来なかったら……運が良くても意識を取り戻すには一ヶ月はかかるだろうなァ」


 それは言われるまでもなく解っていた。あの黒球は仮に無機魔術の防護で軽減したとしても、直撃すれば軽く骨が文字通り折れる衝撃を生み出す。それが無数に降ってくれば、おそらく全身の骨が粉々になるだろう。


 まさか、苒は本当に無機魔術が使えるようになると考えてやっているのか。それとも見限って本当に殺そうとしているのか、レイにはこれももはや判断がつかない。



「ああ……あとお前がこの魔法を止められなかったら、邸が飛ぶからなァ?」


 更に苒は自身の家さえをも人質、いや物質にとる始末。


「な、なら止めてくださいよ!」


「五ォォォ……」


(――う、嘘でしょ。まだ全く無機魔術の発動条件も掴めていないのに……!)


 レイは慌てふためくが、苒のカウントは無情に正確に刻まれていく。


「四………三…………」


(――とりあえず、いまの僕に無機魔術を使いこなすのは無理だ。いまはあの魔法を()()()()ことを考えよう)


 レイは身構え、自身の防護魔術の出力を高めることに集中するが、実は防護魔法の方も強め方をよく解っていなかった。


「二………………一……………………………」


 刹那、レイの心が凪いだ。思考がクリアになり、集中力が時間を忘れさせる。 


 そして遥かな一つの可能性が鮮明に現れた。いまの彼に確証はない。しかし、ニヤけられるほどには直感がそれだと応援するように叫んだ!



(――やはり、無理か……)       


 

「零…………」


 苒は実際に、全ての黒球を投下した。



「七里家武術……肆の流、乱流波――《紫影(しえい)》!!」


 直後、レイの手元から紫の閃光が粗雑に放たれる。


 カインの家で習得した七里家武術。この時がレイにとって初めての無機魔術への応用だったが、確かに()()()()()



 まるで雷が自分の棲家に戻るかのように黒球の棚引く雲を貫徹する。



 紫の光は不気味に、須臾の間だけ、庭と邸を煌めかせ、黒球とともに蜉蝣より短い命を散らす。



 暗雲、一点、円形の陥穽を晴らし、それは確かに無機魔術だと、苒をして解りしめる。



「で、できた!」



――しかし、レイが魔法解除したのはレイの真上だけ……。


 直後に黒球にとっての死の光に照射されなかった黒球はやはり黒土に着地する。



「――ゑ?」


 黒球は弾け笑うように、次々と炸裂し、轟音とともに、悉く全てを破壊した――。



「――ほぉ…………やるじゃねぇか」



 しかし、その黒球は苒によって火力調整が施されていて、真上に黒の柱を槍のように突き上げるだけで、邸に至って破壊することなどなかった。



「……ええ! やりました! これでやっと先輩を思い切り殴れるッ!」



 レイは降りてきた苒に奇襲を仕掛けた。



「んあ?」


 稲妻の速さを持つレイに対し、動線上に苒は黒蝶を舞わせるが――。


「紫影!!」


 紫の閃光に貫かれ柔に翅と散る。


 これを見て、苒は思わずニヤけるのだ。



 その表情の変化に気が付かない、レイの瞳は碧々と煌めく。



(――七里家武術 伍の流 残流拳!!)



「「くらえーー!!!」」


 碧色に浮かぶ感情は憎悪だ。レイの底に堆積された痛みと憎しみを全て強く握って、苒に向かう。

 紫影を纏った右の拳が、苒の肋骨を砕く――ッ!



「ふえ?」


 しかし、レイの細い右腕はがっちりと苒の左の手に掴まれていた。


「なんだ? この腕はァ……」



 レイがふっと見上げるそこには般若の顔が。



(――おかしい。どうして……身体強化も解除できているはずなのに!)


 レイは止まらない冷や汗をかく。



「お前……まさかこの俺に武技で勝てると思っていたのか?」


「え……」


「言っておくが……お前の速さ、強さ、技、どれをとっても俺には全く敵わねェ!」


 苒は腕を掴んだままレイの華奢な身体を鞭のように振り上げ、思い切り地に叩きつける。



「――がはッ!!」



 仰向けに叩きつけられたレイの腹部に苒の足が入る。



「――ウッ、ハッ!」



「確かに、お前は無機魔術を一応、使えるようにはなったァ……。だが勘違いはするなァ……。お前はまだまだ弱い」



 レイは途切れそうな意識を間断なく繋いでいるが、確認しておくとレイは衝撃から身を守る防護魔法は使えない。

 無機魔術は使えても、それ以外は全くの生身の無防備な人間に変わりない。



「――あ、ああ…………」


 だから、じわじわと外側から包み込むような特有の眠気に近い波に、意識の糸を切らして、光を奪われることなど仕方のないことでもある。



「……だが、一応及第点だァ。…………よくやったなァ」


 苒はレイの意識が途切れるのを待ってから、称賛の言葉を与えた。

 いまの苒の表情を、レイが見ることなど、もう二度とは叶わないだろう。



「阿靈。こいつを頼んだァ」


「畏まりました」


 霧のように現れる使用人にレイを任せ、苒は赤に腫れ上がった掌を冷却した。


 そしてレイが次に悔恨と共に目を覚ますのは自分のために用意された寝室だった。

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