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第八世界の無機魔術師  作者: 菟月 衒輝
第二章 夏休み
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14. 知識の魔物

◇世界最北部 憂いの森



「あなたが、レイの学校の学長先生でしたか! あ、わたくしレイの保護者の潤女雀兎でございます」


 雀兎はシャルルに親しげな態度を見せていた。


「このようにわたくしは人間にあらず、環境依存的な魔物(シェーラ・テラー)でございます。レイとはこの森で大体、八年から九年くらいでしょうか。そのくらい過ごしておりました」


 雀兎はシャルルに紅茶を勧めた。シャルルは断る理由もないので、カップに口をつける。

 すると、疲労が取れ、右目の視力までもが回復した。


(――な、なんじゃこれは……)


 その異常な回復力を持った茶にシャルルは思わず驚く。その態度は失礼とも取られかねないが、雀兎にとってそれは興味の対象外でしかなかった。

 

「どうですか? レイの様子は。ご存知かと思いますが、彼は魔法が使えなくて……っと。すみません。ご要件があったのはシャルル先生の方でしたよね」


 雀兎は前かがみで語り始めたが、すぐに自身を律した。


「いや。儂はレイくんの近況報告に来たのが主な目的じゃ。レイくんは学術首席。武技競戦でも学年二位と大活躍。友好関係は広いと言い切れないのじゃが、仲のいい友達はできているようじゃ」


 他には学生会に所属していることや、夏休みは友達の家を訪れていること。学校で何度か襲撃にあったことも包み隠さず全てを雀兎に話した。

 その間、雀兎は静かにそして真摯にシャルルの話を聴いていた


「しかし……レイくんは本当に憂いの森から魔法公学校までやってきたのじゃな……」


「ええ、一応アネクメーネ大海を渡るところまではわたくしも着いていきましたが、その先は彼一人ですね」


 かわいい子には旅をさせよとは言うが、弱冠十二歳の子に一人で旅をさせる距離ではないだろう、とシャルルは思った。そのくらい世界北部から中央部までの道のりは苛酷なのだ。


 距離もそうだが、北部は単純に森が多く、人が少ない。そのため公益施設や法整備が行き届いていないのだ。


 しかし、レイにとっては話が違った。



「あ、あれですよ。レイは森の中を歩けますから、レイにとっては苛酷な道のりじゃないんですよ。むしろ市街地のほうが彼にとっては苛酷でしょうからね」



 シャルルはこれに初めて納得するものがあった。あの年端も行かぬ少年が苛酷な世界北部から一人で世界中央までやってきたのは俄には信じられない。

 だが、彼にとっては苛酷な環境と思われるはずの森が、逆に慣れ親しんだ、安心できる場所だったのだ。



「レイは魔法耐性も強いし、そもそも魔力を保たないので、森の魔力濃度とか関係ないんですよ」


 ここの因果関係はよく解っていない。生得的に魔法耐性が強かったのか、それとも森の魔力濃度に馴れて魔法耐性がついたのか。どちらにせよ、これがいまの無機魔術に至っていることは確かだろう。


「あ、すまぬが、そのことで一つ聞いて起きたいことがあるのじゃが……」


 シャルルは初めて積極的に話を止めた。


「ええ。どうぞ」


「彼、レイくんは生まれつき魔力を持っていなかったのじゃろうか?」


 シャルルは雀兎を魔物と認識しているが、同時にレイの親だとも看做している。だから、雀兎の返答は意外なものだった。


「うーん。実は私も預かり知らぬところでして。なにせ私はレイと初めて出会ったのは彼が四歳くらいの頃ですからね」


「ぬ?」


「あ、すみません。説明が必要ですね。まず、森には規模にもよりますが、基本的に多くの魔物や、動物が生息しています。私もその魔物の一匹に他なりません。


 そして、森は『森の主』という唯一の存在を必ず有します。例えばこの森で言えば、私になります。森の主も魔物に変わりありませんから、いつか寿命が来ます。森の主が亡くなると、他の魔物が森に選ばれる形で主になります。


 私は()()()()()()()()()()森の主として選ばれました」




◇八年前 憂いの森



『森の主は大体、何をすればいいんだい?』


 雀兎は森に選ばれた。森の主に選ばれても、目に見える変化はない。森に棲息する生物は全て雀兎を森の主と認識するが、そこに主従関係は発生しない。森の主は「主」とは言うが、別に森内部で何か、特権を得るわけではない。


 森の意思を聞き取って状況判断をする。そのためには森は積極的に主に情報を開示するし、協力もする。


『そんなことは勝手にキミたち(?)が決めればいいじゃないか? わざわざ僕に決定権を委ねる理由がわからない』


 ただ、森には意思は確かにあるはずなのだが、森は意思決定はしないのだ。森は森内部に影響を与える全ての事項を敏感に感知して、その対処法を森の主に訊ねる。


 例えば、『森の一部が自然発火した』という危急の事態が起きたとする。


 森は森の主に対して、『森の一部が自然発火した。延焼を防ぐために策を打ちたい。採れる策は複数挙げられる』


 ここまでである。森の意思は『延焼を防ぎたい』であるが、ここで森の主が『放置だ。延焼してしまえ』と決定すれば、森も従順にそれに従う。

 森の主が森の意思に反したからと言って、森が森の主にペナルティを課したりはしない。森(の意思)はあくまで森の主の道具であり、だからこそ森は慎重に森の主を抜擢する必要がある。



『責任逃れのためか? 果たして僕が森の為になる行動決定をすると思うのか? 僕は《知識の魔物》だ。僕の知識、出自不明の好奇心の探究、追求の妨げになるときは森が破滅したとしても構わない』



 しかし、魔物にとって、森は家である。森が消滅すれば棲家を失うことになる。だから魔物も基本的に森に協力的になる。



『何? キミたちが僕の知識欲を充たすことができるだって? ……笑わせてくれるな。僕の興味の対象が()()()()()()()()()|だけにとどまると思うなよ?』



 雀兎は人型の魔物である。知能も高く、魔法も扱える。つまり、異能の定義上、彼は人間と成りうる。特に知的好奇心旺盛で、なるほど人間らしいのだが、彼は全く魔物である。


 雀兎はそれをよく解っていた。彼には人間としての感情が備わらない。彼の本能である、知的好奇心に任せて行動し、本能には決して逆らわない。



『なるほど。キミたちが提示するものに僕が満足しないのなら、僕は森の主としての無料奉仕を悉く放棄していいわけだな』


 そう言って、雀兎は森の主の固有魔法を展開した。


 すると目交に広がる深海の深さのある森がざざっと開け、一本の道がすらりと伸びた。

 

 雀兎は浮遊しながら道を進んだ。


『ん? 人の子……か? なんでこんな場所に? 生きているのか?』


 暫く行くと、一人の人間の子が緑の上に臥していた。それは睡っているのか、眠っているのか判断がつかなかった。


『へぇ。生きているのか。それで? これがどうした。多少の魔法耐性があれば、この森で森人(ヴァルダ―)になっていても不思議はないだろう? 元来、人はみな森人だ。そのくらいは知っている』


 雀兎は知識の魔物だ。彼の興味の対象は世界全体に及ぶ。すべての生物が森から誕生した有名な史実など、彼が知らぬはずがない。


『なに? 世界の外側? なんだそれは』


 しかし、彼の興味の対象は別に限定しているわけではない。対象が広がるならば()()()()のだ。彼は彼が知りうる範囲の全てが興味の対象。


『この子は生き物でありながら、魔力を保たない? バカにしているのか? セントラルドグマを知らないのか、森のくせに』


 雀兎は寝る子を一瞥した。



『――――ッ――!?』


(――おいおい。これは!?)


 雀兎の背筋をわくわくと興奮が駆け上がった。周囲の木々は呼応するように葉を緊張させ、森の奥で静かに唸った。


『ハハハハハハハハハハ!!!!! これは! こいつは面白い。とても興味深いよ! 素晴らしい。いいだろう。これは素晴らしい対価だ。いいぞ。森の主を務めよう! たった今から僕がこの森の主となろう!』


 雀兎は嬉々として声を上げ、燦然と目を輝かせ、歌うように両手を空に上げた。これがレイと雀兎の出会いだった。彼は至って本能に忠実に動いたのだ。



 雀兎がレイと出会った時、彼は四歳程度。知能発達に問題はないどころか、優れた知性を示し、やはり魔力は保たないが、魔法耐性は異常な高さがあり、ますます雀兎を虜にした。


 雀兎はレイが無尽蔵の興味の対象になると見定めた。だから、まず彼に生きる術を教え込んだ。

 それは護身の術から、苛酷な自然の中で生活を営むための知識。そして高等な学術。



 レイには雀兎と出逢う前の記憶がまったくない。それは時間的な記憶であって、生活機能の記憶や、言語機能の記憶を喪失していることは指さない。


 だからこそ、雀兎はレイに飽きが来ることがなかったのかもしれない。




『雀兎! 今日はこの……『魔子独立の逆説』を教えておくれよ。外ではすごい評判になっているらしいんだ!』


 当時からしておよそ半年前の発表物だった。現代魔法学の最先端の論文。


『構わないよ』


 雀兎は読んでいた本を閉じ、しかし、空中に浮遊させたままにする。


『雀兎の浮遊魔法……。便利そうだよね。僕にも教えておくれよ』


『ハハハ。これは世界の外じゃ使っちゃいけない魔法だからね。オフレコだよ。さてさて、確かこの前発表されたやつだね』


 雀兎はレイが両手に持っていた論文を受け取って、内容を()()()した。


魔子(マース)が本体の組織とは全く異なる次元で存在しているという証明だね。これはとんでもない証明だ。いままで全くの未知の世界の存在そのものと、その内部に魔子が存在すると証明したのだから』


『でも、雀兎。この文言だと、生命の魔力依存説、セントラルドグマに反しないかい?』


『ああ、そうだね。この論文は発表形式のものだから、正確な証明は書かれていないけど、魔子が本体の組織と全く異なる、魔法次元に存在していてもセントラルドグマに反するとは言い切れないんだよ。次元が違うということは、利用する軸が違うということだ。

 

 例えば数字の大小で並べられている数直線には虚数は現れない。それは単純に実数に虚数が調和しないからだ。

 

 それと同じく魔法学というもの、魔術というものは古典学に全く調和しなかった。魔術は悉く古典学の法則を崩壊させた。


 如実なところだとエネルギー保存だね。古典物理学は孤立系ではエネルギーを保存するんだったね。でも、魔法は全く保存しない。エネルギー保存は古典物理学の基本法則の一つだ。これが破れるということはもはや革命だ。



 でも、古典物理学は全く正しいんだ。現に魔法を絡まない自然の摂理というものはとても厳密に古典物理学で表現できるしね。それはレイも解っているだろう?』


 レイは黙って先を促し、雀兎は反応を見て、説明を再開した。


『法則の正しさは時間依存しない。古典物理学の法則は恒久的に正しくて、どれだけ時間遡行しても正しい。でも、その法則が適用できない世界が存在するんだ。それはずっと昔からあって、人間がそれに気がついていなかったからだ。だから、魔法次元を設定したんだったよね。


 ある時代から『古典』物理学が破綻して、魔法物理学に交代したんじゃなくて、どっちも昔からあるべき理論に過ぎなかったんだ』


『でも、雀兎。僕はずっと前から考えているんだけど、魔法次元と現象次元を同時に表現する方法はないの?』


『そうだね。いまのところは無いね。寧ろ、この『魔子独立の逆説』はその二つの世界に架け橋はかけられないことを証明しているわけだからね』



 レイの目は雀兎のそれに似ている。知識に飢えた純粋過ぎる目だ。


『これは魔法次元が現象次元には干渉できないと言っている。現象次元は原子(アトム)重子(グラヴィム)の二つを基本単位として全ての物質を構成するとした。一般的なのは原子は重さのない粒子で、重子は重さのある波動とされるね。逆に魔法次元は魔子(マース)を基本単位として、一般に魔子は粒子性と波動性を兼ね備えている。ここが大きな違いだ。魔法次元はそもそも僕たちの直感が全く頼りにならないんだ』


 だからこそ、魔法は神の御業たるべきものだったのだ。魔力は生命の源だ。その生命の源が直感的に把握されてしまえば、世界の構造が如何に簡単なことか!


『……だから、例えば僕がいまからこの森を焼き払おうと思って炎魔法を展開しようとするだろう?』


『え!?』


『ああ、本当にはやらないよ……! 例えば一番簡単な火球にしようか。【火球】には《発火》というオーダーが魔法次元で少なくとも必要だ』


 ここで、雀兎は空中に文字を書いて説明を始めた。


『これが火球の構造式だね。魔法次元内では、この《発火》を示す、この式が展開されて、ニュートラルになる。で、実際に魔法次元で引き起こされる現象といえば……?』


『なにも起きない?』


『その通り。魔法発動に於いて、勘違いされがちなのは、魔法次元でも現象次元と同じように、現象が引き起こされているのでは? というところだ。魔法次元では至って、術式の情報が変化する、有機魔子が無機化される以外に何も起きない。だから本来なら、魔法というものは現象次元で観測できる現象を引き起こせるはずがないんだ』


 だが、実際、魔法は特殊な現象を引き起こす。


『でも、エネルギーが現象次元に吸収されるんでしょ?』


『そうだね。無機化されるに至って、損失したエネルギーと、無機化される際の過剰エネルギー若しくは喪失エネルギーの総和が現象次元に持ち込まれて、そのエネルギーが所謂魔法となる。でも……』


『魔法次元が現象次元に不干渉なら、これはありえない……?』


『その通りだ。これが『魔子独立の逆説』だ。魔子独立の逆説は魔法次元のエネルギーは一切、現象次元に持ち込まれないとする。だとすれば、両方の次元を介在する媒介物を考えたいが、それをも否定する』


『そんなに否定して理論が成り立つの?』


『ああ。ここでいままで考えられてこなかった『情報』を持ち出した。情報は原子と重子でも、魔子によっても構成されない。でも、これが至って便利なんだ。例えば、魔法次元でAという情報がBという情報に変わったとする。すると、現象次元ではCという情報がDという情報に変わる。これが魔法の仕組みとしたんだ』


『そうか。だから結果的に』


『そうだ。魔法次元は直接、現象次元に干渉できない。しかし、この『情報』という考え方。とても便利なものなんだ。果たしてこの情報が保存するかは解らないが、エネルギーで魔法を考えなくて済む分には大いなる進歩と言える』


 雀兎は情報に成立されると言われている方程式を書き出した。


『どうだ、レイ。これは保存しそうか?』


『い、いや……そもそも解が一つも思い浮かばないんだけど……』


『そうだね。そのくらい難しい方程式だ。これもまだ完全に正しいとは言われていない……。だけどね、レイ。この『魔子独立の逆説』は決定的に間違っているんだよ』


『え? どういうことだい?』


 ここで雀兎の講義が終わる。


『それは自分で、この森の外に出てから考えるんだ。森の外には森にはないものがある。その逆もしかりだ。レイは森のことはもう知り尽くしたろう? これからは外で世界のことを知り尽くすんだ。その間で、レイは孤独になることが必ずやってくる。でも、安心するんだ。僕は永遠に君の味方だ。たとえ、君が世界中の敵とされても、僕は必ず君の隣に並ぶことを……()()()()()()()()()()()()()()()、約束しよう』



 雀兎は初めて、『突き放した』のだと思った。レイは単なる興味の対象で、それに変わりはない。だが、彼の中で何かが静かにそして大きく蠢き始めたのを自覚した。



『レイ。君はこれから魔法学校に行って、魔法学を学ぶ。世界を学ぶ。そして君はいつかこの世界を知り尽くす。そして君は君がどういう存在なのかを知る。それは君が期待するものではないのかもしれない。でも、君は君だ。それを認め、いつか全てを知って報われるんだ』


 雀兎は知れる簡単な言葉で《最も難しいこと》を語った。もちろんレイがそれを理解したとも思えないし、実際、雀兎のいまの言葉を全て理解されては困るのだ。



――君は魔術師、人間に対して最強の人間となる。

――君はたった独りで、この世界を紡いでいかねばならない。

――君はいつか*******ねばならない。




 やはり雀兎は知識の魔物だったのだ。

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